◆【話の肖像画】人生、これ修行(3)南無の会会長 松原泰道さん
(産経 2009/2/19)
■「人の役に立つ」生き方を
--大学卒業が昭和6(1931)年。「大学は出たけれど」という映画が作られたほど、就職難の時代でした
松原 友人6人の中で私以外は誰も就職先が決まっていませんでした。
そうした中、「再びお互いが会えるかどうか分からない。せっかく一緒に学生生活を送ったのだから記念の旅をしよう」と言った友人がいました。でも、親に旅費を都合してもらうわけにもいかず、自分の小遣いも少ない…。すると友人は、「無銭旅行をするんだ。おれたちは大学という一つの関所を越えたから、目的地は箱根の関所跡だ」と言うのです(苦笑)。
--徒歩で、野宿しながらですか
松原 ええ、とにかく往路は歩いて出かけました。当時は人々も温かかったから、夜は寺や農家に何人かに分かれて泊めてもらい、その代わりにまき割りなどをしました。
--貧しいながらも人々の心は豊かだったのですね
松原 そうですね。そして箱根の関所跡に着いたが、そんな時代、観光客なんていない。今も目の前に浮かびますが、桜の花が満開で風もないのに花びらがはらはらと学生服の上に散ってくる。私たちはすっかりセンチメンタルな気分になっていました。「ぼちぼち帰ろうか」と立ち上がったとき、万葉仮名が書いている古い石碑が見つかったのです。
--そこにはなんと?
松原 「あれをみよ みやまのさくら さきにけり まごころつくせ ひとしらずとも」(あれを見よ 深山の桜咲きにけり 真心尽くせ 人知らずとも)。そう書いてありました。
私たちは「逆境で就職も何もないけれど、この歌のように、人をだましたり、要領のいい世の中の渡り方をしたりするのはやめような。真心こめて誠実に生きていこうじゃないか」と誓い合ったのです。
--現代では、その逆に「要領よく生きていくのがいい」という風潮があります
松原 今の若い人は仕事をしてもすぐに辞めてしまうそうですね。辛抱ができないのです。(苦境になっても)自分が何とかするしか、解決法はありません。自分の「マイナスの宿命」を「プラスの宿命」にする。そして、人様の役に立つことこそに生きがいがあるのです。