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◆日本人仕込み 職人歴67年…台湾・台北



 (読売 200/3/13)

 http://www.yomiuri.co.jp/world/earth/ear090313.htm


■木桶づくりの技 しごきに耐えて盗んだ


 日本の植民地時代から70年近く、今も台北で木桶(おけ)を作り続ける台湾人がいると聞いた。日本では珍しくなった木桶職人。台湾に根付いた日本の職人魂に触れたくなり、うわさを確かめに歩いた。(台北 源一秀、写真も)

50歳の息子も「まだヒヨコさ。ガハハ」
 工房を兼ねたその店は、台北駅の近くにあった。

 風呂桶、洗面器、たらい、腰掛け、おひつ、おたま――。10畳ほどの店内に商品が高く積まれ、路上にもはみ出している。店の名は林田桶店。さびついて文字が判読しづらいブリキの看板が、繁華街の中で一際目立っていた。

 「この看板は、私が生まれる1年前に初代店主の父が店を開いてから、ずっとかけっぱなしだ。さびついたんじゃなくて、箔(はく)がついたってこと。ガハハハ……」

 日本時代に生まれ育った林相林さん(79)は、流暢(りゅうちょう)な日本語を話し、そしてよく笑う。

 店のある一帯は、戦中まで総督府の職員などが住む日本人居住区だった。「林田」の屋号は日本人に親しみを持ってもらうため、父がそう名付けたという。

 林さんは台北の小学校を卒業後、約30キロ離れた基隆市で木桶の製造・販売店を営んでいた神戸出身の職人、鳥井千代松さん(故人)のもとへ住み込みの修業に出された。12歳の時だった。

 「桶職人の親を持つからには、それが当然だと思っていたけど、あんな目に遭うなんてね」

 明治生まれの鳥井さんは、「誰よりも良いモノを作ったけど、おっかない人」だった。ヘマをしでかすと「このバカ野郎!」と雷が落ちる。

 毎朝5時に起き、鳥井さんが起床する7時ごろまでにカンナの刃を研ぎ、道具を整えなければならない。

 仕事は深夜の12時ごろまで。「食事、トイレ、風呂以外は休む暇がなかった。今なら労働基準法違反だ。ガハハハ……」

 木材の切り出しからカンナがけ、組み立て、木の調整――。単純作業に見えても、確実に仕上げるには年季が必要だ。鳥井さんに時々コツを尋ねたが、「すぐに『バカ野郎! 何度言ったら分かるんだ!』って。初めて聞いてもそう言うんだよ、ガアッハハハ……。だから師匠の手元を見て技術を盗んだんだ」

 鳥井さんの元を離れたのは、住み込みを始めて3年後。基隆が米軍の空爆を受けた1944年末だった。

 「米軍機が爆弾落とし始めてね。みんなでトンネルに避難したら、師匠が追っかけてきて『お前、店ほったらかしてどこ行くんだ!』って。日本の職人ってすごいって思ったよ。でも、私は台北に逃げ帰った。ガハハハ……」

 鳥井さんは戦後、帰国して亡くなった。「今も頭が上がらないよ。あのしごきがあったからこそ、激しい競争に勝ち残れたんだ」

 終戦から3年。林さんは18歳で父から店を引き継いだ。台湾でも木桶は生活必需品だったが、60年代に安いプラスチック容器が登場すると、台北に約30軒あった同業は相次いで廃業に追い込まれていった。林田桶店はいつの間にか、台湾で唯一と言われる製造・販売店になった。

 「木桶の価値はまだある、意地でもやめるかって頑張ったよ」

 最近は美容や健康に敏感な女性を中心に、木桶を求める人が増えている。「手入れをすれば、どれも10年以上使える。お湯は冷めにくいし、木の香りもして、風呂桶なんて最高だよ」

 この人にかかっては、30年以上も一緒に店を支えてきた3代目、息子の煌一さん(50)も出る幕はない。

 「こいつはヒヨコさ。まだ店は譲れないな。ガハハハハ……」
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by sakura4987 | 2009-03-14 12:07

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