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◆【緯度経度】パリ・山口昌子 海自派遣と第一次大戦



 (産経 2009/3/21)


 支持率低迷中の麻生太郎首相だが、「どうしてこんなに時間がかかったか」との首相の言葉には、さすがに同意した国民も少なくないはずだ。

 アフリカ・ソマリア沖の海賊対策に海上自衛隊の護衛艦2隻が出発したが、政府が海自派遣の検討を表明してから5カ月もかかった。しかも海賊対処法案は未成立のまま。海自の護衛艦の保護対象となるのは、日本国籍の船、日本人が乗船する外国籍船、日本の事業者が運航する外国籍船など。つまり目前で「日本」とはなんら関係がない他の国籍の船や他国民が武装した海賊に襲われても、「(威嚇のために)艦載ヘリで近づくか、他国軍に通報する」だけだ。

 これって、要するに他国や他国民は見殺しにせよ、ということではないか。もし、これがフランスなら、刑法でいうなら「危機にある者を見殺しにした罪」で有罪となる、れっきとした犯罪行為だ。法的な犯罪うんぬん以前に、人間として、後味が悪くないのか。

 この海自派遣問題で思い起こされるのが、第一次大戦(1914~18年)中の日本海軍の逸話だ。日本は02年に締結した日英同盟にもとづき、17年3月に地中海に旗艦の巡洋艦「明石」と駆逐艦8隻からなる第二特務艦隊を派遣。ドイツの潜水艦Uボートの猛攻撃から勇敢に連合国(26カ国)の商船や、兵員、兵器の輸送船などを護衛した。約1年半で護衛した船舶は788隻に上り、「地中海の守り神」とたたえられた。

 実は派遣までには紆余(うよ)曲折があった。日英同盟には両国海軍の協力に関する規定はなかった。当時、欧米では「黄禍論」も盛んで、「日本は帝国主義と拡張主義の野心を持つとみられ、英国の覇権と米国の国益に対する脅威との考えが第一次大戦前と大戦中、つきまとって離れなかった」(ジオバンニ・ボネロ著『マルタと日本』)。英国は当初、日本の参戦の意思も野心を実現するためとみて拒否していた。

 当時のグレイ外相の参戦拒否の考えに対し、さすがにチャーチル海相(当時)は14年8月11日付のグレイ外相にあてた書簡で、「もし彼らが来たら、仲間として歓迎すべきだ。貴殿のこの(日本に送った)電報には敵意がある。この電報にはぞっとさせられる」などと忠告している。

 日本は結局、同8月23日に参戦。英国はそれならと、日本に14年に2度、戦局が芳しくない地中海とバルト海への派遣を要請したが、日本は国内の反対が強く、拒否した。第二特務艦隊の派遣は英国が同盟国として再三、地中海への派遣を要請した結果だ。

 マルタには、17年6月にドイツのUボートの魚雷を受けた駆逐艦「榊」(艦長・上原太一中佐)の59人の戦死者と、マルタでの治療もむなしく亡くなった日本海軍の戦没者の計71人をまつった立派な墓碑がある。「勇壮に戦いながらマルタに上陸したおりなど礼儀正しかった日本人は非常に尊敬されていた」とミフスッド・在マルタ日本名誉総領事は証言し、欧米人の「黄禍論」が的はずれだったことを言外ににじませた。

 確かに首都バレッタの国立図書館をはじめ町中に、日本海軍の歓迎ぶりを示す写真や、21年の「日本皇太子の来訪」を記念した碑などが多数残されており、いかに日本が感謝されていたかを示している。

 海自のソマリア派遣は日本帝国海軍の派遣とは異なり、国際社会から文句なく大歓迎されている。ただ、海自派遣が、「日本」だけが対象という国際社会の常識からは信じられないやり方であることを知ったら、マルタ市民の日本人への見方は変わるかもしれない。
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by sakura4987 | 2009-03-21 12:57

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