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2006年 05月 09日 ( 32 )

平成16(2004)年6月18日[金] 産経新聞

 テレビ朝日の「ダイオキシン報道」をめぐる名誉棄損訴訟は、差し戻し後控訴審の東京高裁で和解が成立した。テレビ朝日が原告の農家側に謝罪したうえで和解金を支払うという原告の実質勝訴といえる内容だ。ここで改めて最高裁が差し戻しを命じた判決で「報道に真実性があるとはいえない」と厳しく指摘したことを思い起こしたい。

 平成十一年二月一日の報道番組「ニュースステーション」(当時)は、埼玉県所沢市産の野菜から高濃度のダイオキシンが検出されたと伝えた。しかし放送後、問題の数値は煎茶(せんちゃ)のものであることが分かり、この報道で風評被害を受けたとして地元農家が同局に損害賠償を求めた。

 一、二審は、別の調査で所沢産白菜から高濃度のダイオキシンが検出されたとする局側の主張を採用、「主要な部分は真実」として訴えを退けたが、最高裁は一転、審理のやり直しを命じた。最高裁はその判決で、「テレビの視聴者はキャスターらの発言や映像、効果音などから一瞬のうちに内容を判断するのが一般的」と指摘し、視聴者に誤解を与えぬような配慮が必要との判断を示した。

 しかし、最近のテレビ報道の実情はその指摘とは逆の方向に向かっているように思えてならない。たとえば先の小泉純一郎首相訪朝と拉致被害者家族会に関する報道である。「首相に失礼だ」などとした家族会バッシングの背景にテレビの報道手法があったといえないか。首相が訪朝結果報告で家族会と会った場面だ。家族会代表が冒頭で首相に丁重な謝意を述べた部分はほとんど報道されず、反対に首相を詰問するシーンが強調するかのように後日も繰り返し放映された。

 刺激的なタイトルをつけた映像に思わせぶりな効果音と思い入れたっぷりのナレーションをかぶせる。これを繰り返すと視聴者の判断に強い影響を与えかねない。長崎の小六同級生殺害事件でも同じようなことがいえる。

 今回のテレビ朝日訴訟は、原告と被告の関係者だけにとどまらない普遍性のある訴訟だったといえよう。救いがあったのは、農家側が、「訴訟は金が目当てではない」として、和解金を三宅村などに寄付すると表明したことで、これも評価したい。
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by sakura4987 | 2006-05-09 22:57

我田引水・・・この言葉は今も各地の各方面で活発に生きていますね。
日本で、そして中国で・・・・。
片や行き過ぎの感がある民主自由の国、一方は発言の自由なんぞ片隅にすら見つけられない専制独裁国。

 まず一つ目は、自由の国日本。イラクの日本人人質事件で、人質になった3+2人の自己責任を問う声が高まったとき、「不当な被害者たたきだ」との反撃が一部マスコミから開始された。その論拠に使われたのが海外のメディアの意図的とも言える誤報?(とは言えないかな、部分的なつまみ食いと言ったほうがいいかな)だが、メディアの勝手なニュース選択や編集があまりにも目立ちます。

 さてその報道の元になったのがパウエル発言。日本のTBSテレビが4月中旬、パウエル国務長官に単独インタビューした際、長官が人質3人の解放を喜び、「イラクの人々のために、危険を冒して、現地入りする市民がいることを日本は誇りに思うべきだ」と語ったと伝えられた。

 放送と同時にインターネットの世界では、一方的な批判発言として翻訳したこの放送に対しこれはおかしい、第二の石原都知事発言の捏造と同種の手法ではないかと、発言真意を巡って情報交換が行われていた。しかし原語の音声に日本語訳の音声がかぶせられていたので、はっきりしなかった。

翌日から、この発言部分が、内外のメディアに「自己責任」への反論として引用されはじめた。

イラク戦争を主導したアメリカのパウエル米国務長官でさえ人質を称賛しているとする発言だ。パウエル長官の真意はいったいどこにあったのか。
 
 ルモンド紙は、パウエル長官が人質に対して、「危険を冒す人がいなければ社会は進歩しない」と慰めの言葉を贈ったことを紹介し、ニューヨーク・タイムズ紙も、ほぼ同様の部分を引用してヘラルド・トリビューン紙にも転載している。

 米国務省が公表しているインタビューの一問一答で確認してみると、確かに「日本人は自ら行動した国民がいることを誇りに思うべきだ」と述べている。が、しかし「また、イラクに自衛隊を派遣したことも、誇りに思うべきである」と、並列で述べている。(産経:湯浅特派員)実は自衛隊を並列において称賛していた。ルモンド、ニューヨーク・タイムズ、朝日新聞のコラムなどでも、この部分はすっかり省略されていた。

人質の家族が記者会見で自衛隊のイラクからの撤退を政府に要求し、自衛隊派遣に反対していたメディアがパウエル発言の一部をつまみ食いして放送、それを新聞紙がさらに引用、という次第だ。
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by sakura4987 | 2006-05-09 22:56

浜松学院大学教授・藤竹暁
 
 七月一日の自衛隊発足五十周年に当たって、朝日新聞、読売新聞、そして産経新聞は六月三十日に、毎日新聞と日本経済新聞は七月一日に社説を載せた。朝日新聞の「『軍隊でない』を誇りに」は「自衛隊は他国で戦争をしない。それが日本にとって国益の源泉であり、誇りでもあることをあらためて刻みたい」と書く。「人道的な救援活動をはじめ、自衛隊にふさわしい国際貢献は大いに担いたいと思う」と述べるが、自衛隊の苦労については何も語っていない。
 読売新聞の「『集団的自衛権』解釈変更を急げ」は「これまで放置してきた法的不備を一刻も早く改める。それが、自衛隊を日本の平和と安全のために生かす道だろう」と書き、「国連軍への『参加』と『協力』、『戦闘地域』と一線を画す『後方地域』『非戦闘地域』」などの考え方や、多国籍軍参加をめぐる「指揮権」問題は日本国内でしか通用しない議論だ、と批判する。しかし自衛隊についての積極的な評価はない。

≪苦労に触れない朝毎読≫

 毎日新聞の「『専守防衛』で国民の信頼得た」は、「転機に立つ自衛隊がより信頼される組織になるためには、透明性の確保が重要だ」と論じ、日本経済新聞の「50歳にして発想の転換迫られる自衛隊」は、「各種世論調査によれば五十年前に比べ自衛隊への支持は大きく増えている。だからこそ、これからの自衛隊がどう変わるのか関心も高い」と結ぶ。

 四紙の社説は総論だけで、半世紀にわたる苦労を踏まえ、将来を見通した議論がない。

 産経新聞は違う。七月一日の「自衛隊発足50周年 国際貢献で実力発揮」で自衛隊五十年の歩みを総括した記事を中心に、六月三十日の「主張」と「アングル」欄での記事など、具体的な議論であった。「自衛隊 逆風によく耐えた五十年」(「主張」)では、「戦後日本の平和と安全が保たれてきたのは、日米安保体制だけでなく、自衛隊が抑止力として機能していたからである」と結論する。そして「国の守りを果たしてきた自衛隊員の労苦に心から感謝したい」と述べる。

 「主張」の内容を補足する記事を、第五面「アングル」欄で牛場昭彦記者が書いた。タイトルは「対話・奉仕…イラクで信頼得た陸自 逆風下で培った“流儀”生かす」。来日したイラク・シーア派の宗教指導者が自衛隊への信頼感を「撤退ではなく、自衛隊を増派してほしい」と語った理由を書く。「それは、五十年間の逆風に耐えながら培った陸上自衛隊独特の“流儀”を、派遣された隊員が現地で見事に応用したからだ」。自衛隊は他の諸国の軍隊と違って戦う軍隊ではない。戦いに勝つことが自衛隊の第一の任務ではない。そうすると、「住民の理解、信頼、協力がなければ作戦は成り立たない」。イラクで自衛隊がまず行ったのは、対話作戦と奉仕活動であった。対話作戦は、自衛隊の指揮官が現地各層の指導者と積極的に接触したことを指す。国内を含めた奉仕活動は、「ユーフラテス川で鯉(こい)のぼりを揚げたり、音楽隊による巡回演奏をしたり、折り紙教室を開催したりといった活動」で、「まさに年季の入った“お手の物”だった」という。

≪“自衛隊流”強調の産経≫

 日本の常識は世界の非常識といわれる。自衛隊の活動に関する限り、逆である。「地域住民への気配り・心配りも世界の常識を超えている」と、牛場記者は書いている。「災害出動時、現場に出た隊員は被災民の目のあるところでは、まず飲食しない。地域住民と同じ目線に立って苦楽を共にする」心配りである。七月二日の「産経抄」は、「ここに至るまでの隊員の歯を食いしばった奮闘と、それを支えた家族の苦労を心の底からねぎらいたい」と結ぶ。

 六月三十日の産経新聞に、素敵な記事があった。近藤豊和記者が書いた「ポトマック通信」である。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、ブッシュ政権批判で話題の映画「華氏911」のマイケル・ムーア監督は、ワシントンの連邦議会ビル屋上テラスで記者会見を行った。彼は、両側に掲げられた星条旗が風で倒れそうになるのを「手で支え、そのまま会見を続けていた」という。私は、これがアメリカだと思った。(東京本社発行最終版による)

16年7月11日(日) 産経新聞
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by sakura4987 | 2006-05-09 22:56
http://www.mukai-aki.com/diary/

突然ですが、最後のダイアリーにさせてください Tue. 07.27.2004

とても悲しいです。

TBSの記者の方、講演後にお話して、きちんと私の意志を確認していかれましたよね。

何故、前後の脈略をまったく無視した編集の仕方をなさるのでしょうか。

「分娩者を母とするのではなく、“この子に愛情を注いで育てていきます!”と、名乗りを上げている女性、すなわち、育ての親を母と呼べばいいのではないでしょうか」と、私は言ったのです。

そうすれば、家族関係が複雑になることはないと、それが世界的な考え方なのではと、そうお話したはずです(戸籍という制度があるのは、地球上で韓国・台湾・日本のみなのですし)。

分娩した女性、していない女性、遺伝的なつながりを持つ親、持っていない親、・・・そのような線の引き方をしようとするから、悲劇が生まれるのではないか、と。

旦那さんに連れ子がいる状態で再婚した人や、養子縁組をした人も、分娩はしていないわけですが、そのような家庭にあっても、育ての親が母親という考え方をすれば、もっとずっとシンプルに幸せを追求できるのではないかと、そうお話しましたよね。

「分娩しただけで」という言葉は、私たち夫婦が8年間通っている子供園での出来事を話した後に、口にした言葉です。

虐待を受け、もうすぐ5歳になるというのに、まだ2歳児の体格をしているAちゃんという女の子が、私に、「ママ、ママ、」と言って、しがみついてくるのを見て、まだ私が病気をする前のことですが、「この子を養子にもらえませんか?」と、園長先生にお願いしたというエピソードの後です。

園長先生は、「この子には親がいるのです。この子がこんなに小さいことからもわかるように、本当に大変な状態の家庭です。でも、親がいる限り、この子を養子に出すことはしたくないのです。私たちの第一希望は、いつの日か、Aちゃんの母親が、もう一度、母であることに目覚め、迎えに来てくれることなんです」と、おっしゃいました。

が、私たち夫婦は、8年間、その子供園に通っているので、ずっと親が迎えに来てくれるのを待ちながら、結局は、子供園にいられる年齢を超えてしまい、中学を卒業すると、住み込み等で働き始める子がとても多いということを知っているのです。

その子供園にいる子供の、実に95%には、親がいるのですから。

・・・と、そこまで話した後に、「分娩しただけで、育てる気持ちのない女性を親としているのは、子の福祉に適わないのではないか」という発言をしたのです。
続けて、日本の養子縁組がもっと増えてほしいという趣旨のお話もしました。

テレビをご覧になった方々から、「”分娩しただけでは、母とはいえない”とは、何てひどい言い方をするのだ」と、たくさんのお叱りを受けました。

が、あの言葉の前には、”虐待の現状を垣間見て”という限定の言葉があり、あの言葉の後には、”その子へ愛情を注ぎ、幸せにしてあげたいという意思がなければならないと思いました”という、述語がつながっていたのです。

あまりに乱暴な、(テロップまで入れ、その部分だけを強調するという作業まで施した)悪意ある編集だと言わざるを得ません。

妊娠・出産することが、どんなに大変なことか、代理母のそばで、その様子をただ見守ることしかできなかった私が、知らないわけがありません。

どんなにどんなに、自分が替わりたいと思い、涙を流したものか・・・。

「分娩者を母とする」という最高裁判例は、子宮の働きがない女性、子宮を持たない女性は母にはなれないという、悲しい差別的な意味合いを持つものだと感じ、私なりに懸命にお話したのですが、無駄だったというより、逆効果にさせられてしまったようです。

講演会場にいらしてくださっていた皆さんにだけは、真っすぐに伝わっていたと自負していますが(講演後の懇親会で大勢の皆さんに感想を伺う機会がありましたので)。

もう、私は講演に出ない方がいいのかもしれません。

このように、30分の講演中の、たった3秒、一言のみをピックアップされ、テレビに流されてしまうのなら、私の言いたいこと、伝えたいことは、編集する人の指先一本でメチャクチャに押し曲げられてしまいます。

少なくとも、カメラが回っている前では、二度と講演はしません。

その場にいらっしゃらない人を傷つけることになってしまっては本末転倒です。

TBSのこの記者の方は、前回、私が日本受精着床学会の講演に立ったときも、約束を破って私の映像を流した方だったので、今回も、初めは撮影をお断りしていたのです。

が、不妊治療に向き合っているたくさんの方々のお力になれればと、最後の最後に、他社も来ているのでカメラを入れても構いませんと、許可してしまった私が本当に本当にバカでした。

VTRのインパクトを上げるためなら、人を騙すようなことも平気で行える報道K記者だとわかっていたのに・・・。

その上司のM記者も、開き直りの名人であり、まったく信用ならない人物だから、重々気を付けるようにと、前任マネージャーから引継ぎもされていたのに・・・。

「前回は本当にスミマセンでした」と、頭を下げられ、簡単に心を許してしまった大バカです。

懇親会の会場で、あなたに呼び止められ、「実子として認めてほしいということですよね」と、聞かれたとき、私は、「そんなこと、一言も言いませんでしたでしょう? 実子として認めない理由を説明してほしいと思っているだけです」と、溜息をつきながら足を止めました。

いくつかの質問に答える間、あなたがメモを取っていた、あのノートは一体どこへいってしまったのですか?

もう、記者の方を絶対に信じてはいけませんね。

お力になれるかもなどと、おこがましいことを考えた自分に、吐き気がするほど恥ずかしさを覚えております。

これからは生き方を少し、変えなくてはならないと考えます。

以前からカウンセラーに勧められ続けていたのですが、これがいい機会かもしれません。

このホームページも閉じさせてください。

2年5ヶ月間、どうもありがとうございました。

このあふれる感謝の気持ちは、いつかどこかで、実際に目と目を合わせながら、(編集されることなく!)大切に申し上げられたらと思います。

今月一杯で終了といたしますので、このページで出会い、お友達になった方と、次はどのページで再会するか、この数日で話し合ってくださいね。


病気や不妊と闘っている皆さん、本当に心の底からいつもいつも応援しています!!!!!

                                      向井 亜紀 拝


P.S. 最後の最後にこんなことを書き添えるのもどうかと思いましたが、一応、ご報告しておきます。TBSの記者が、安易な放送をしたことを後悔していると言い、非も認め、責任を取る気持ちがあると話しています。どのような責任の取り方をしていただくかに関しては、今後、代理人を立てて話し合うことになりましょう。謝罪文を書くとか何とかおっしゃっていましたが、そんなことで許されるわけがないじゃないですか。編集の暴力によって、皆さんに与えた誤解を、TBS報道社会部がどのように解くおつもりなのか、ちょっとだけ見ものかもしれません。何度失敗を繰り返そうが体質の変わらない組織でないことを祈りつつ、では、お元気で・・・。

P.S.② まだ続きがあります(笑)。先程、TBS報道社会部のY部長とK記者が私の代理人に謝罪に訪れました。が、この部長、今、問題にしている「分娩者」という言葉についての背景をまったく理解しておらず、昭和37年の最高裁判例についても、「知りませんでした」と、おっしゃる方でした。昨晩のうちに、アポイントメントを取っていたのですから、知らないなら調べておけばいいのに・・・。いえ、せめて、タクシーの中でK記者から事情を聞いておけばいいのに・・・。

「このニュースを視聴者がどう受け取るのかわかりませんし、それによって、向井亜紀さんのイメージがどう変わるのかも、私は報道の人間なのでわかりません」と、言ってのけるY部長には、テレビを通して広く情報を発信する者としての責任感、それを受け取る側の皆さんを思おうとする想像力のかけらも感じられません。

もちろん、私がどう思われようと構わないのです。ただし、それには、”事実が報道されることによって”、という前提が必要不可欠となるのは言うまでもありません。事実の表現には、その背景を把握する努力も、現場の様子をいかに曲げずに凝縮させるべきかという視聴者の存在を見据えながらの作業も含まれましょう。

横でダンナも呆れています。今、何が起きているのかの理解もしないまま、「詫びておけばいい」と、謝罪に訪れる神経は、人間としてもお粗末すぎる、と。皆さん、こんな方が取り仕切っている、TBSの報道には気をつけてくださいませ。ではでは。

P.S.③ いやはや、また続きです。Y部長は、「部下のK記者は非を認めたかもしれないが、私は謝ってはいない」と、言っているそうです。謝罪ではなく、事情を説明するためにいらしたのだとか。ただ、あまり事情をご存じないまま、事情の説明にいらしても、意味はなかったということだったのかもしれません。だから、「K記者は、ずっと向井さんを追いかけていたのです」とか、「彼の家にも、もうすぐ赤ちゃんが生まれるのです」という、この件の何に関係があるのかわからない事情(?)を話されたのですね。・・・あとは、弁護士さんにバトンタッチしましょうか。

大人のああだこうだとは関係なく、赤ちゃんが生まれるのは、とてもとてもおめでたいことです。心から、安産をお祈りしております。ああ、やっと、明るいニュースでこのホームページを締められますね。玉のような赤ちゃんが生まれますように! グッドラック!!!
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by sakura4987 | 2006-05-09 22:55

◆【産経抄】

 スタジアムのブーイングで国歌が聞こえない。そんな中国のサッカーアジア杯騒動で、ラジオのキャスター氏がしきりに「冷静に」と呼びかけている。日本にも冷静さが必要なのは当然で、反日サポーターと一緒になって頭がのぼせ上がってはいけない。

 ▼ところが「冷静に」と語ったあと、このキャスター氏は何もいわない。何もいわないところを見ると、五日の朝日新聞社説のように、日本は歴史問題や靖国参拝で謝罪すべき負い目がある、中国国民の苦痛も理解しようではないか、などと思っているのかもしれなかった。

 ▼中国の「反日」大キャンペーンはいまに始まったことではない。一九九四年に公布された「愛国主義教育実施綱要」にもとづき、江沢民前国家主席は子供から大人まで愛国、すなわち日本人への憎悪と敵愾心(てきがいしん)を植えつけることに懸命になった(鳥居民氏)。

 ▼趙薇事件というのがあった。三年ほど前、有名な女優の趙薇さんが仕事で日本の旭日旗に似たデザインの服を着た。すると彼女に対する非難が殺到、ネットには「民族の裏切りもの、小日本の芸者」「先祖の墓をあばけ」といった声も。

 ▼中国の新聞は「憂国の行為」といって擁護し、尊大で偏狭な中国ナショナリズムが吹きまくった。それを日本の多くのマスコミは見て見ぬふりをし、政府はせっせと多額なODA(政府開発援助)の金をつぎこんだ。こうして“江沢民の子供たち”が増えていったのだった。

 ▼何事によらず冷静さが必要なのはいうまでもない。しかしそれは黙って横を向いていればいいということではないだろう。“さめた目”で彼らの国際的な非礼をただし、「そんなことでは北京五輪を開催する資格はないよ」とたしなめなければならない。
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by sakura4987 | 2006-05-09 22:55

「毎日」04/08/17

 岩波書店が1958~64年に刊行した「福沢諭吉全集」(全21巻)に、福沢が全く関与していない可能性の高い論説計78編が収録されていることが分かった。研究者の間では、福沢は中国侵略を肯定していたとの指摘があるが、78編の中には研究者らが福沢を“侵略主義者”とみなす根拠とした論説も含まれており、今後論議を呼びそうだ。

 全集の8~16巻には福沢が興した新聞「時事新報」の論説約1500編が集められている。大部分が無署名だが、約1500編はすべて、福沢自身が書いたか、他の記者が書いたものを添削するなど、福沢が関与したもの、とみられていた。

 ところが静岡県立大助手、平山洋さん(日本思想史)の調べで、この中に福沢の死から4~9カ月後に掲載された論説6編が含まれていた。また福沢が脳卒中で倒れた1898年9月から、亡くなる1901年2月までの間に掲載された論説72編も、福沢が脳卒中の後遺症で話したり書いたりできない状態だったことなどから、平山さんは「福沢のアイデアも筆も入っていない」と判断し、文体などの特徴から時事新報主筆だった石河幹明(1859~1943年)が書いたとみている。

 この72編の中には、清国の兵士を豚になぞらえる論説(1900年6月)などの主張も展開されている。

 現行の全集は、福沢の没後、石河が編さんした「福沢全集」(1925~26年)10巻と「続福沢全集」7巻(1933~34年)を基に編さんされた。平山さんは、大陸進出の動きが強まっていた時代に、その思想的先駆者として福沢を位置付ける目的で、石河が自らの論説を全集に加えたとみている。

 岩波書店は「疑義があることは聞いていたが、編さんに従事した人たちが亡くなっており、確かめようがない」と話している。

 福沢諭吉(1835~1901年)は慶応大の創設者で、近代日本を代表する思想家の一人。平山さんの調査結果と分析は、20日発売の「福沢諭吉の真実」(文春新書)にまとめられている。

【栗原俊雄】 飯田泰三・法政大教授(日本政治思想史)の話 時事新報の論説に福沢以外の人間が書いたものがあることは以前から知られていた。個人全集には、本人が書いたと分かるもの以外、収録すべきではない。出版社はそれを見分ける体制を作るべきだ。
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by sakura4987 | 2006-05-09 22:53

◆毎日新聞に公開質問状


平成16年8月12日  毎日新聞社 殿

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 横田 滋
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 佐藤勝巳


貴紙記事についての公開質問状

 家族会、救う会では、昨日8月11日、貴紙同日夕刊記事につき抗議声明を出しました。

 この件につき、貴紙の本日8月12日付け朝刊では、社長室広報担当者の話として「北朝鮮を利する内容とは考えておりません」とあります。

 私たちは、「帰国した拉致被害者の方々からの未帰還拉致被害者に関する情報は、北朝鮮の再調査結果の反証材料として活用されるべきもので、公開を前提とした性格のものではない」と考えており、手の内を明かして公表することは北朝鮮を利する以外の何物でもないと考えております。拉致被害者の方々自身も同じ諒解のもと、日本政府への協力を行ってきました。

 そこで、貴紙が、北朝鮮を利するものではないと考えておられるなら、その根拠を示して頂きたく、お願い致します。

 なお、ご回答を頂くまでは、家族会、救う会の共同記者会見へのご参加はお断りさせていただきますのでご了承下さい。 


◆抗議声明
 私たちは本日8月11日、毎日新聞夕刊の蓮池薫さんの「証言」なるものに関する報道に強い怒りを持ってここに抗議する。

 まず、明白にしておくが、薫さんは帰国後、外務省に情報を伝えたことは一切ない。外務省以外の政府に対して情報提供はしているが、特に横田めぐみさんを初めとする未帰還拉致被害者に関する情報は、北朝鮮の再調査結果の反証材料として活用されるべきもので、公開を前提とした性格のものではない。

 従って、外務省が毎日新聞に「証言」なるものを提供したのであれば、それは重大な裏切りと言わざるをえない。

 また、毎日新聞は、拉致という国家テロが現在進行形で続いている中、薫さんによる「証言」なるものを、北朝鮮が再調査結果を出さない段階で報じることがめぐみさんの生死に関わる利敵行為であることを理解していなかった筈がない。

 報道の自由も、被害者の人権とのバランスの上で考えられるべきもので、毎日新聞も、例えば、誘拐事件の際は、犯人を利する報道は避ける報道協定に参加してきたではないか。

 家族会、救う会は、今後の毎日新聞との関係に関して深刻に検討していることをここに通告する。

平成16年8月11日

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 横田 滋
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 佐藤勝巳
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by sakura4987 | 2006-05-09 22:53
 
平成16年9月23日(木)産経新聞

政治偏向の暴走/ブッシュ氏思わぬ“贈り物”
 
 米国のCBSテレビの看板番組が報じたブッシュ大統領の兵役に関する文書が実は偽造だったと認めた事件は単なる誤報の域をはるかに越えて大統領選のうねりにも影響を及ぼす一方、政治報道で民主党リベラル寄りの傾向を示してきた大手テレビのあり方にも大きな衝撃波を投げる結果となった。

 CBSテレビは長年、売り物の調査報道番組「60ミニッツ」などで同テレビの長老キャスターのダン・ラザー氏が九月八日に「ブッシュ大統領が七〇年代にテキサス州兵だったころ父親のコネで特別の扱いを受けたことを証明する文書」を示し、その内容を報道した。

 同文書は当時のテキサス州兵空軍司令官の署名した公文書とされたが、放映の数時間後にインターネットの個人サイトで「文書の文字体は当時、存在しなかったワード書式だ」という指摘が流れ、続いて一般の新聞やテレビもいっせいに文書の疑点を報じ始めた。だがCBSは文書が本物だと主張し、以後の十一日間、この文書偽造の疑惑が大統領選挙を押しのける大ニュースとして連日、騒がれた。

 CBSは二十日になって「文書は信頼できない」と言明し、偽造を認めたわけだが、この騒ぎはテレビ界での古手のCBSとテレビ報道での最古参の七十二歳のラザー氏の姿勢をめぐり、すべてのメディアが大報道を展開する結果となった。

 CBSは従来、政治報道では民主党リベラル派への共鳴を示し、とくにラザー氏は共和党保守のニクソン氏や先代ブッシュ氏を激しく追及し、衝突してきた。「CBSは党派性の上に立つ聖なるメディアという自負を主張してきたが、実は民主党寄りであることをこの事件が証した」(ジョージタウン大学のロバート・リヒター教授)というように、その政治偏向が暴走して今回の誤報を生んだという見方も広まった。

 事実、この偽造文書の提供者のテキサス州兵の元中佐ビル・バーケット氏は民主党活動家で、しかもCBSは同党のケリー大統領候補陣営幹部に同文書の存在を告げて、同氏に連絡をとらせていたことが判明した。

 同事件のこうした政治的側面について保守系大手紙のウォールストリート・ジャーナルは「メディアの分岐点」と題する社説で今回の重大な誤報が全米向けテレビの民主党寄り偏向をあばき、なおかつ従来の「リベラルのメディア独占の終わり」を告げる、と論評した。実際にニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、CNNなど、報道や論評の政治基調では民主党寄りを明確にする他の大手メディアまでがCBSの誤報を厳しく追及し従来の政治的姿勢の変化をも思わせるにいたった。

 一方、今回の誤報が米国一般ではブッシュ大統領を攻撃する側の重大なミスとして受け取られ、大接戦の大統領選挙では期せずしてブッシュ陣営を利する効果があるとする見方も広範に語られるようになった。二十一日にはクリントン政権時代の大統領顧問だったデービッド・ガーゲン氏が「この誤報はブッシュ大統領への思わぬ贈り物となった」と述べている。

※日本のマスコミを信用できない証拠。日本のマスコミは現地取材などほとんどせず、民主党よりの報道とは知らずに米国大手メディアの受け売りばかりで、ブッシュ大統領の悪口を垂れ流している。そして左翼運動をする浅学の徒がその掌で踊っている。 
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by sakura4987 | 2006-05-09 22:52

◆テレビキャスター

平成16年9月24日(金)産経新聞

【産経抄】

 米CBSテレビの「ニセ文書」問題が波紋を広げている。同テレビ看板キャスターのダン・ラザー氏(七二)が、ブッシュ大統領の軍歴に関して重い誤報を犯した。父親のコネで兵役に特別扱いを受けたとする文書が偽造だったという。
 
 問題の文書のタイプ印字体が、その当時のものでなかったことから偽造がばれた。反ブッシュ側の作為に乗せられたのだろうが、これは乗せられる側にこそ責任がある。米マスコミの多くは色めがねの民主党びいき、リベラル(革新系)志向だから。いってみれば政治偏向しているのである。

 ところが日本のキャスターたちも、一部を除けば米国のまねをして?おおむねリベラル好きだ。これは友人の通報だが、二十一日あさの某ワイドショーのキャスターは、小泉首相の米国での発言に対し「ポチが国際舞台で米国にしっぽを振った」と言い放ったそうだ。

 キャスターたちはなぜリベラル好きなのか。小欄の私見だが、彼らのリベラル志向はいわばよそいきの上着であり、ドレスである。マスコミの仕事で権力監視は重要な任務だが、彼らの反体制・反権力はうすっぺらなファッションで、それが文化人に見えるからだろう。

 だから家へ帰ればふだん着に着替えるように、鼻もちならぬ体制性、権力性を見せることがある。テレビの発言は文化人ふうのポーズで“ちょっと言ってみただけ”のことなのだ。そして世間には保守=悪、リベラル=善のパターン思考がある。

 その風潮にのって、昨日まではソ連びいき、社会主義を賛美していた人(実はこれも口さきだけだったのだ)が、今日は口をぬぐってマスコミに登場し、テレビを仕切っている。極論を承知で書いたが、それが小欄の現代キャスター観である。

※テレビキャスターほど薄っぺらな人間はいないように思う。大した勉強もせず、無責任に言いっ放して、すぐにコマーシャル。裏ではディレクターが糸を引いているのだろうが、個人的感情でいい気になって評論している。こんな連中の言葉がいきなりテレビから聞こえた時ほどむかつくことはない。
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by sakura4987 | 2006-05-09 22:52

平成16年9月27日(月)産経新聞

 七月二十八日付の本紙に国立教育政策研究所が平成十四年度に全国の高校三年生約十万五千人を対象に行った一斉学力テストのまとめが中央教育審議会初等中等教育分科会に報告されたことが報じられている。記事によると、「敬具」に対応する言葉として「拝啓」と書かせる国語の問題の正答率がわずか22%だったとのことだ。「拝けい」や「はいけい」を含めても35%で、予想正答率65%に遠く及ばなかったという。

 戦後国語政策の一つである漢字制限がいかに日本人の国語力を低下させてしまったか、その無残な結果がここに表れている。かかる国語力の衰微を憂える識者の声が最近ようやく顕在化しつつあるが、マスコミ界の用字用語担当者のこの問題に対する感度の鈍さにはほとんど失望の念を禁じ得ない。

 日本人の国語力がかくも衰亡したのは公教育で漢字を教えることを制限したからである。マスコミがこの誤った漢字制限の尻馬に乗って、むやみに漢字狩りをしたからである。

 けれども、いくら漢字制限にしゃかりきになっても、民間に使われている言葉は依然として生き残る。その言葉を書き表すのに漢字が使えないとなると、例えば(1)風光明媚を「風光明美」と書く代用漢字のデタラメ表記(2)完璧、処方箋、片鱗などを「完ぺき」「処方せん」「片りん」と書く交ぜ書き(3)斡旋、薀蓄、界隈などを「あっせん」「うんちく」「かいわい」と書く漢字熟語の仮名書き、さらには(4)美(び)貌(ぼう)を「美人、きれいな顔」に、畏敬(いけい)を「敬服、心服、尊敬」に言い換える漢字語彙(ごい)狩りで対応しなくてはならなくなる。

 こうした代用漢字や、交ぜ書きや、漢字熟語の仮名書きなど、見るに堪えない、いびつな表記を新聞やテレビが日常的に垂れ流せば一体どういうことになるか。それに見慣れた子供たちが、拝啓を「拝けい」や「はいけい」と書いてもいいものだと思い込むようになるのは火を見るよりも明らかである。何しろ、学ぶのマナはまねるのマネと母音交代した同根の語、マネをするのが自然の成り行きというものだ。

 このことがいかに深刻であるかは、学力テストの結果をこう読み解けば理解できるだろう。「拝啓」が書けなくなるのには道筋があるのだ。

 漢字熟語は初めから漢字で書く、そういう習慣をなくし、ちょっと字画が込み入っていたり、似ている意味や用途のある同音の字があったりすると、あやふやな記憶からつい「拝けい」と交ぜて書く。「拝けい」は「拝啓」という言葉の輪郭の半分が融解した表記だから、語の印象がそれだけ減殺し、記憶にとどまりにくくなる。すると、残り半分の「拝」の方にまで融解作用が生じて「はいけい」という表記へと流れてゆく。この輪郭のない、音を表しただけの表記は「拝けい」よりも一層記憶にとどまりにくい。記憶にとどまりにくい語は忘却される。よって、「はいけい」の先には語彙の消失という現象が待っているということになる。学力テストで「はいけい」とすら書けなかった65%の高校三年生はそうした順路で漢字ばかりでなく「拝啓」という言葉自体を喪失したのである。

 また、公教育で表外字を含む漢字熟語を教えずに、マスコミがそれらの語彙を言い換えという形で意識的に排除すれば、目に触れる機会のない語は自然使われなくなるのが道理である。これらの語はまねをし、学ぶ機会すらないから、初めから内的言語として蓄積されないことになる。

 こうして漢字語彙を大量に消失した世代は、父の代、祖父の代の文学作品すら読めなくなり、読めないから読まなくなり、それがますます語彙の貧困を生む悪循環に陥るのである。

 新聞やテレビの漢字制限は情報の大衆化、知識の民主化に少しも役に立たなかった。マスコミは、国語力低下という国家存亡にかかわる恐るべき今日の状況を生み出すのに手を貸したことをいさぎよく認め、国語の将来のために用字用語政策を常用漢字のくびきから解き放つべきである。

※現在、産経新聞では、マスコミの新聞用語集についての記事が連載中だが、あきれ果てる。本日では、「梗概」コウガイ。梗概の梗は“おおむね、あらまし”。小説の梗概などと用いる。『新聞用語集』では「概要、大要、あらまし、粗筋」に言い換えているそうな。そのほかにも多々。ただでさえパソコンで漢字を忘れつつあるのに。マスコミの低教養を国民にまで感染させるな。 
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by sakura4987 | 2006-05-09 22:51

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