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2007年 05月 23日 ( 34 )



 (世界日報 07/5/17)

「日本の名誉」懸けた裁判/原告負ければ、勢いづく左翼

 今年一月十九日。大阪の昼の気温は六度。暖冬といわれたこの冬だが、頬(ほお)に当たる風は冷たかった。大阪地裁前では傍聴券を求めて並んだ人が百三、四十人に膨らんでいた。

 その日の午後、彼らが傍聴を求めた202号法廷では、沖縄戦の集団自決をめぐっての言論による激しく容赦のない応酬が展開された。

 もし「言葉」に殺傷能力があれば、双方の弁護士はいずれも“玉砕”を免れなかったであろう――そのような想像をするほど激しい論戦が交わされた。

 先の沖縄戦で起きた集団自決が「軍命令」によるもの、という記述が最初に登場するのは沖縄タイムス編『鉄の暴風』(昭和二十五年、朝日新聞社)である。

 その後、上地一史著『沖縄戦史』(時事通信社)、家永三郎著『太平洋戦争』(岩波書店)、中野好夫・新崎盛暉共著『沖縄問題二十年』(同)、大江健三郎著『沖縄ノート』(同)などによって広く流布され、教科書に記載される「定説」となったのである。

 ノーベル文学賞を受賞した大江氏の『沖縄ノート』は昭和四十五年以来、既に五十版を重ねているが、彼は軍命令を出した隊長について「あまりにも巨きい罪の巨塊」などと断罪し、公開処刑がふさわしいとまで言い切っている。

 これに対して当時の座間味島の守備隊長だった梅澤裕氏(90)と、渡嘉敷島守備隊長だった赤松嘉次(よしつぐ)氏(昭和五十五年死去)の弟、秀一氏(74)が「命令はなく、住民自ら自決した」として一昨年八月、大阪地裁に提訴したのである。

 書籍に綴(つづ)られた文字は彼らの生命を奪うことまではしなかったが、戦後、家庭や職場に波紋を呼び起こし、言い知れぬ苦悩を強いた。

 原告は「誤った記述で多くの読者に非道な人物と認識される」として版元の岩波書店と『沖縄ノート』の著者、大江氏を相手に出版差し止めと損害賠償合計三千万円を求めたのである。

 原告、被告双方に「応援団」ができ、支援のブログもある。

 双方の主張についてはおいおい紹介していくが、ここではこの裁判の意味について触れておく。

 「軍命令による集団自決」は、その後、左翼勢力を中心に、沖縄戦の最大の悲劇であり、沖縄戦の特徴と喧伝(けんでん)されてきた。

 日本軍は沖縄県民を守るどころか犠牲にした、という主張は、その後の反自衛隊、反政府運動、反米運動などの最大・最強の「原点」となった。

 戦後、「南京大虐殺」と合わせて、日本軍の、ひいては日本人の残虐性の根拠として大いに利用されてきた事件でもある。

 「南京大虐殺」については、多くの研究者などの努力でその虚構が暴かれたが、沖縄戦の「軍命令による集団自決」には、幾つかの反論も出たが、著作物としては軍命令を肯定するものがあふれている。

 この裁判を通じて、実は「軍命令」なるものは存在せず、それどころか原告側が訴えているように「島民の遺族の補償のために、虚偽の軍命令を容認した」というのが真相であれば、沖縄の左翼運動はその「足場」を喪失し、一方、沖縄の保守派の活動が大きく弾みを付けることは明らかだ。

 依然として残る自衛隊アレルギーも解消されよう。

 最近でも自衛隊の音楽演奏会が中止されたり、自衛隊員を父に持つ子供が「お父さんは人殺し」などと教師に言われて、深く傷ついたという話があるほどなのだから。

 故に原告側は「二人の名誉回復だけにとどまらず、日本の名誉を守り、子供たちを自虐的歴史認識から解放して、事実に基づく健全な国民の常識を取り戻す」裁判と位置付けている。

 もちろん、教科書にある記述も全面的に見直しを求められよう(公判途中で、記述修正が行われ、関係者を驚かせたが、これも後述する)。

 これに対して被告は、「軍は住民を守らない」という沖縄戦観を覆す意図を持った、極めて政治的な意味合いのある裁判である、と警戒感を強める。

 裁判で原告側の主張が退けられれば、日本軍の残虐性が証明された、として被告を支援する文化人やメディアが、猛烈に宣伝することは火を見るより明らかだ。

 沖縄の保守派はますます肩身の狭い立場に追いやられよう。双方ともに譲れないこの裁判は、地裁、高裁で決着を見ず、最高裁まで争われるのは必至だ。

 最高裁がその結論を下すのは三、四年先になるだろうと関係者はみている。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:37



見直される江戸時代/徳川宗家第18代当主 徳川恒孝氏に聞く

何百年も文化を継続/分散された富と権力、権威

参勤交代で情報発信/近代国民国家の基礎つくる

 日本郵船で海外経験が豊富な徳川恒孝さんの近著『江戸の遺伝子』には、現代に続く文化や社会の基になりながら意外と知られていない江戸時代のことが、当時の世界と比較しながら、分かりやすく書かれている。

 近年、さまざまな分野において見直されつつある江戸のすごさ、魅力について伺った。


 ■――本書を書かれた動機は?

 高校生に講演をした後、届けられた感想文の中に「私は日本はつまらない国だと思っていましたが、話を聞いてそうではないことが分かり、これからは日本が好きになると思います」というのがあり、それが本を書く一つのきっかけになりました。

 世界と比較すると日本文化のユニークさが分かり、日本史も面白くなります。特に若い人たちに読んでもらいたいですね。


 ■――徳川宗家のお生まれですか?

 私は会津松平家の生まれで、昭和二十九年、中学二年の時に徳川宗家の養子になりました。先代の十七代家正(いえまさ)には息子が一人、娘が三人いましたが、息子が二十五歳で亡くなったのです。私は長女の二男で、松平家を継ぐ必要もありませんでしたから。


 ■――「ならぬことは、ならぬものです」という会津教育は?

 東京住まいなので特にありませんでしたが、昭和二十年代ごろは、旧大名の華族の家にはお国のお手伝いさんや書生さんが大勢住んでいました。わが家にもたくさんいて、いわばスモール会津。一緒に遊ぶのは書生たちですから自然に会津弁になりました。学習院に入るとクラスに徳川や毛利、伊達などがいて皆仲良くしていました。


 ■――宗家が代々続いているのは海外では驚かれるのでは?

 パキスタンで講演した時、江戸時代から数えて徳川家十八代当主だと言うと、びっくりしていました。

 徳川二百六十年はムガール王朝と時代的にほぼ同じですが、後者は国土がどんどんイギリスの植民地になって、デリーにわずかな領地を持つだけの傀儡(かいらい)政権となり、王家の末裔(まつえい)は今はどこかで靴屋さんをしておられるらしい。

 日本ではどうして長く続いているのか、政府から金が出ているのかなどと聞かれ、戦前までは華族制度があったが、戦後は何もないと答えると、不思議がられました。

 ヨーロッパの王朝やアジアの専制王朝には、富と権力のすべてが集中していました。集中すると腐敗します。民は堪(たま)らなくなって革命を起こす。

 そこで生まれた新しい王朝は、当初は輝いていても、また富と権力が集中するので腐敗してしまう。世界中、その繰り返しのようなところがあります。

 日本の場合は富と権力、権威が分散していました。

 公家は権威の序列が高く、武士は権力を持っていて、町人はそのどちらもないが富を持っている。

 それぞれ自分が納得するものが与えられて、全体がきちんと収まっていた仕組みがとても巧みで面白い。

 当時の人口の八割以上は農民で、農業生産力は当時の世界と比較して非常に高かったのですが、水田の水を管理するには大規模な土木工事が必要でした。

 その中で生まれてきたのが、親子代々で田畑を継承していくという、家に対する確信のようなものですね。

 百年先もこの田を自分の子孫が耕していると思い、子孫は先祖伝来の土地を守ろうとする。これほど継続を重んじる国は世界に例がありません。

 日本では皇室が連綿と続いていることが心棒になっていて、古来の文化から外来の儒教や仏教、万葉仮名による和歌など、優れたものをそのまま継続してきました。

 一月の宮中歌会始で司会に当たる読師(どくじ)の役を頂いて感じたのは、歌会始は勅撰和歌集を陛下がお命じになった伝統が今も脈々と生きているということです。

 陛下の元に出された御題で、世界中から数万の和歌が寄せられ、そこから優れた歌を選び、披講するのは勅撰和歌集を作るのと全く同じ。宮中の文化を継承する力のすごさを感じましたね。

 宮中雅楽は唐の宮廷音楽・オペラを受容して以来、そのまま継承しています。当の中国ではとっくの昔に消えたものです。

 和歌の形の始まりは万葉集で、それが大和ことばの歌として古今集から今日まで続いています。

 俳句は芭蕉の発句からとしても四百年以上の歴史があります。

 茶の湯にしても千利休が始めたものが五百年、能も室町時代の世阿弥に始まり、今の形式になったのは四百年以上前です。

 日本にいると分かりませんが、外国から見ると、そんなに長く文化を継続させているのは奇跡に見えます。


 ■――その要因の一つが家の力ですが、日本の家は必ずしも血族にこだわらない。

 中国人をはじめ韓国人、インド人など東洋の家はあくまで血族ですが、日本は武家の三割は養子です。商家には伝統的に女系で続いている家もありました。

 男子は金持ちの家に生まれるとろくな者にならないので、家付きの娘に最も能力の高い番頭か手代を婿に迎え、家を継がせる。武家でも出来の悪い息子は僧にしたりして、外から出来のいいのを取る。

 これは家を中心とした能力主義で、同じ家族主義でも日本は柔軟です。

 一方、家を出た息子たちの中からは、画家の伊藤若冲(じゃくちゅう)などのように洗練された芸術家が出たりしました。


 ■――戦後の日本社会は個人が単位です。

 古い家族制度が失われて六十年になるので、これからの日本は変わるでしょう。

 まだ私たちの意識には「家」が残っていて、彼岸や命日には先祖の墓参りに行ったりしますが、先祖から子孫へと続いていく流れの真ん中に自分がいるという観念は、若者にはなくなりつつあります。

 家族制度は個人を束縛する側面もあり、今の価値観とは合わないでしょうが、日本人の優れた伝統は見直したいものです。


 ■――家康公は儒教を武士の教養の基本にしますが、ブレーンは天海や金地院崇伝など仏教僧でした。

 家康公は儒教を宗教だとは思わず、社会の道徳律の基本だと考えていました。

 家康公自身は熱心な浄土宗で、亡くなる前の手紙には、日に何万遍も南無阿弥陀仏を唱えていると書いたほどです。

 宮中では釈奠(せきてん)という孔子の祭りがあり、平安時代に各地にできた大学も儒教を教える所で、日本の儒教教育は千年以上続いています。

 それを実地に生かしたのが戦国武将です。戦国武将はよく儒教を勉強していて、子供たちへの手紙に孟子を読めと書いた人もいます。

 江戸時代になると、儒教や仏教を基に鈴木正三や石田梅岩らによって地方(じかた)の思想が生み出され、二宮尊徳の報恩思想に結実する。儒教が二百年かけて農民哲学になったのです。

 中国、韓国の科挙は世界を千年先取りしたような素晴らしい役人登用制度でしたが、儒教が試験問題になったのが問題です。

 古典を暗記して一字一句間違えずに書く、朱子学の解釈で答えることが第一になり、三十すぎまで暗記の勉強ばかりするので、ほかの能力が育たない。

 科挙の教材になったことで、儒教が思想の輝きを失ったと思いますね。日本が儒教を取り入れながら科挙を排除したのは幸運でした。


 ■――仏教は江戸時代の寺檀制度でだめになったという見方が長かったのですが、最近ではむしろ信仰心を高めたとして近世仏教が見直されています。

 燃えるような熱烈さは失われましたが、宗教が人々の生活に密着して、社会と同体になったのが江戸時代です。加えて、家と結び付いた宗教になりました。

 家に仏壇があり、そこにご先祖様がいて、命日やお彼岸には墓参りをする。死んでいく方も、自分はこの仏壇に入り、子供や孫、ひ孫たちが祭ってくれるというので心の安らぎになる。

 仏教では亡くなると遠い西方浄土に行くのですが、日本人はその辺にいて、自分たちを見守っていると思っている。

 それが、先祖と一体化して生きるという感性を育て、道徳性を高めました。宗教学的にはプリミティブなのかもしれませんが、そういう感覚が非常にいいですね。


 ■――大名の参勤交代が日本は一つの国という意識を醸成したそうですね。

 道中で見聞を広めただけでなく、江戸育ちの殿様が領地と往復することで、江戸に情報が集積し、同時に江戸から発信されました。

 それぞれお国自慢をするので、負けずにわが藩も発展させようと、蘭学の町ができたり、博物学が地方で栄えたりしました。明治に近代国民国家が形成される基礎は江戸時代につくられたのです。


 ■――来年は島津家から十三代将軍家定公の正室になった天璋院篤姫(あつひめ)が大河ドラマになります。

 天璋院様の文書でまだ読み下していないものがたくさんあるので、大急ぎで読んでいるところです。

 江戸時代には知識や教育が庶民に広く普及し、女性を含めて国の隅々までほぼ行きわりました。教養の高い女性が多く現れ、自由に旅をし、活躍したのも同時代のヨーロッパと違う点です。


 とくがわ・つねなり 昭和15(1940)年東京生まれ。38年より徳川宗家第18代当主。学習院大学政経学部政治学科卒業。日本郵船副社長を経て現在顧問。財団法人”川記念財団理事長。社団法人横浜港振興協会会長。WWF世界自然保護基金ジャパン常任理事。著書は『江戸の遺伝子』。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:36


http://www.chosunonline.com/article/20070519000017

 17日、南北縦断鉄道の試験運転行事で、北朝鮮側の団長が同乗していた李泳禧(リ・ヨンヒ)氏に対し、

 「われわれが核拡散防止条約(NPT)を脱退したころ、李先生が民族的な善意の主張を行われた。李先生のような骨のある方は、今後もずっと執筆活動をなさり、書物の形ででも、後世に残していくべきだ」と語った。

 それを受けて李氏は「(わたしが)20-30年にわたって指導してきた後輩や弟子が、今や韓国社会の主導権を握りつつある。わたしの健康状態を心配することはない」と答えた。


 代表的な左派知識人である李氏は、かつて北朝鮮の核開発について「米国は北朝鮮に対し、何かある、何か作っていると言い張っている」と話していた。

 さらに「今や北朝鮮が韓国にとって脅威だとする根拠は失われた」という発言もあった。北朝鮮が実際に核実験を行った後、李氏は自らの発言についてどう説明したのだろうか。


 李氏はまた「北朝鮮の核が問題なのではなく、米国の合意違反が問題」とし、米国が兵器を売るために、北朝鮮にミサイルや核の問題を大きくするようそそのかしていると主張した。

 さらに李氏は韓米同盟の解消を主張し、「韓国も北朝鮮と同程度に悪であり、北朝鮮も韓国と同程度に善だ」と語った。

 「韓半島(朝鮮半島)の韓国化」に反対し、韓国の軍備縮小とともに、在韓米軍も平和維持軍に変えるべきだと提案したこともあった。

 先日、自由主義連帯は李氏を「ニセ知識人」に指定し、哲学者で韓神大教授の尹平重(ユン・ピョンジュン)氏は「北朝鮮に盲従し、客観性を失っている」と批判した。

 しかし金正日(キム・ジョンイル)総書記にとって、李氏はかけがえのない存在だったことだろう。


 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は2003年に中国を訪問した際、「毛沢東を尊敬する」と発言した。

 毛沢東は当初から金日成の韓国侵略を援助し、後に数十万の兵力を送って韓国軍と韓国国民を殺傷した、統一の妨害者だった。また大躍進運動や文化大革命により、中国を混乱のるつぼに陥れた人物でもある。

 そんな毛沢東を大韓民国大統領の尊敬する人物にまで祭り上げ、文化大革命と紅衛兵を崇高な存在に美化した張本人が、まさに李泳禧氏だ。


 盧大統領は以前、自身がたまたま行った親米的な発言がもとで李氏からおおっぴらに「無知だ」と批判されたが、それに対し何の反論もできないほど李氏に一目置いている。

 また与党系勢力の間でも、大統領候補とされるある人物が李氏について「時代の師匠」と評すなど、李氏は精神的支柱のような存在だという。

 どうやら李氏の発言のうち、「わたしの弟子たちが韓国社会の主導権を握りつつある」という部分だけは間違いではないようだ。



◆[社説]南北について国民を誤って導いた李泳禧氏の有頂天

 (東亜日報 07/5/19)

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007051913988
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:36


 (世界日報 07/5/20)


「集団自決、軍が命令」/沖縄タイムス『鉄の暴風』が最初


 渡嘉敷島、座間味島で起きた集団自決が「軍命令」であったと最初に報じたのは、地元の沖縄タイムスの連載である。

 牧港篤三、伊佐良博(りょうはく、のちに太田良博と改める)両氏が執筆、豊平良顕氏が監修し、昭和二十五年八月には単行本が朝日新聞社から発行されている。

 記事の特徴は、<軍の作戦上の動きを捉えるのがこの記録の目的ではない。飽くまで、住民の動きに重点をおき、沖縄住民が、この戦争において、いかに苦しんだか、また、戦争がもたらしたものは、何であったかを、有りのままに、うったえたいのである>とする。


 渡嘉敷島を守る赤松隊長が、自決を命じる件(くだり)は次のようなものだ。

 <恩納河原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた。「こと、ここにいたっては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って、自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、米軍に出血を強いてから、全員玉砕する」というのである。

 (中略)住民たちは死場所を選んで、各親族同志が一塊り塊り(原文のママ)になって、集まった。手榴弾を手にした族長や、家長が「みんな、笑って死のう」と悲壮な声を絞って叫んだ。一発の手榴弾の周囲に、二、三十人が集まった。

 住民には自決用として、三十二発の手榴弾が渡されていたが、更にこのときのために、二十発増加された。

 手榴弾は、あちこちで爆発した。轟然(ごうぜん)たる不気味な響音は、次々と谷間に、こだました。瞬時にして、――男、女、老人、子供、嬰児(えいじ)――の肉四散し、阿修羅の如き、阿鼻(あび)叫喚の光景が、くりひろげられた。

 死にそこなった者は、互いに棍棒で、うち合ったり、剃刀で、自らの頚部(けいぶ)を切ったり、鍬(くわ)で、親しいものの頭を、叩き割ったりして、世にも恐ろしい状景が、あっちの集団でも、こっちの集団でも、同時に起り、恩納河原の谷川の水は、ために血にそまっていた>


 この集団自決で亡くなった人は三百二十九人と記している。

 『鉄の暴風』は、その前日の二十七日の赤松隊の様子にも触れている。

 <地下壕内において将校会議を開いたがそのとき、赤松大尉は「持久戦は必至である、軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食糧を確保して、持久体制をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。

 事態はこの島に住むすべての人間の死を要求している」ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭(どうこく)し、軍籍にある身を痛嘆した>


 渡嘉敷島の記述が九㌻に対し、座間味島の記述は一㌻しかない。

 <米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民を集め、玉砕を命じた。しかし、住民が広場に集まってきた、ちょうど、その時、附近に艦砲弾が落ちたので、みな退散してしまったが、村長初め役場吏員、学校教員の一部やその家族は、ほとんど各自の壕で手榴弾を抱いて自決した。その数五十二人である。

 この自決のほか、砲弾の犠牲になったり、パイ(スパイの誤植)の嫌疑をかけられた日本兵に殺されたりしたものを合せて、座間味島の犠牲者は約二百人である。

 (略)最後まで山中の陣地にこもり、遂に全員投降、隊長梅沢少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した>


 さらに、この「集団自決」の章では、降伏勧告状を持参した伊江島住民六人が殺される場面や、住民を激しく怒鳴りつける赤松隊長の様子などが書かれている。

 ここから浮かび上がる日本軍像とは何か。それは、住民を守るどころか、彼らの命も食糧までも奪う鬼のような軍人たちの姿である。

 その一方で「最後の一兵まで戦いたい」と豪語しながら、結局は米軍に十分な痛手を負わすこともなく、すごすごと降伏し、命乞いをする情けない光景である。

 沖縄戦における日本軍の姿を決定付けたのが、沖縄タイムス編『鉄の暴風』と言っても過言ではない。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:35


 (産経 07/5/21)


 外務省は中国人に対する団体観光査証(ビザ)について、今月末から在瀋陽総領事館と在大連出張駐在官事務所でも取り扱いを始め、

 ビザ発給拠点を中国本土の全6公館に拡大する。

 ただ、この決定の背景には冬柴鉄三国土交通相から外務省への「強い働きかけ」(同省関係者)があったといい、

 ビザ発給事務にかかわる公館の態勢整備や不法残留対策などはなおざりにされたまま。

 「見切り発車」的な決定に政府部内から懸念の声が漏れている。

 政府は平成12年、日中両国の交流拡大を目的に、両政府が指定する旅行会社が日本への団体旅行を組織する場合、

 日本側に身元保証人を立てることなく、15日以内の短期滞在ビザを発給する制度を導入した。

 当初は北京市など2市1省に発給対象地域を限定していたが、17年には中国全土に拡大。

 瀋陽、大連両地域の在住者は16年9月からビザ発給を受けられるようになったが、北京の日本大使館に出向かなければならなかった。

 今年が日中国交正常化35周年の節目にあたることもあり、与党幹部らからは、両地域をカバーする公館での発給を求める「圧力」が強まっていた。

 複数の政府関係者によると、冬柴氏は昨年12月に中国国家観光局の招きで訪中した際、

 北京の日本大使館に「訪日観光客を増やすためにビザ発給の事務を瀋陽、大連でもできるよう検討してほしい」と要請。

 しかし、大使館サイドは「ビザ発給事務のためには両公館の人員増が必要」と難色を示し、冬柴氏は帰国直後、麻生太郎外相に直談判。

 外務省の担当部局にも電話し、増員の状況を確認していた。冬柴氏側は産経新聞の取材に対し、こうした事実を認めている。

 外務省が在瀋陽、大連の両公館でビザ発給を行っていなかったのは「人員不足が原因」(幹部)だったが、

 冬柴氏の働きかけを「与党有力政治家からの強い要請と受け止めた」(同省筋)として、両公館でのビザ発給取り扱いに踏み切る方向に傾いた。

 同省では方針決定を受けて急遽(きゅうきょ)、「関連機械の導入や人員強化を準備する」ことになった。

 18年の中国人の出身地域別のビザ申請件数は北京、上海、広東省に続き、瀋陽が4位、大連が5位を占める。

 一方で、両地域については「経済的に豊かな地域の旅行者に比べ、不法残留発生率が高い」(外務省筋)とされ、

 同省幹部は「解禁後の不法残留の統計を慎重にみる必要がある」としている。

                   ◇

【用語解説】中国人の査証発給と不法残留者

 中国での査証(ビザ)の発給件数は平成18年、前年比25.1%増の約51万件で、韓国を抜いて各国・地域中最多となった。

 団体観光を含む短期滞在ビザは17年の対象地域拡大後に急増し、このうち約39万件に上っている。

 一方、法務省によると、19年1月現在の中国人の不法残留者数は2万7698人で、韓国人、フィリピン人に次ぐ。

 中国人の不法残留者の約2割は、短期滞在資格での入国者で、団体観光ビザの発給拡大が新たな温床となる恐れも否定できない。

 不法残留者が日本国内で犯罪に関与するケースも少なくなく、政府は在外公館でのビザ発給審査の強化などにより、

 16年から不法滞在者を半減させる5カ年計画を実施している。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:34


     ~JAXA・平岩主任研究員に聞く(1) (日経BP 07/5/22)

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/matsuura/space/070522_india1/

 日本の宇宙開発は伸張著しいインドに一部分野ではすでに追い越されており、近い将来全面的に抜かれることになる--

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)総合技術研究本部複合推進研究グループ の平岩徹夫主任研究員は、4月4?5日に開催された日本航空宇宙学会総会で発表した「インドの宇宙開発動向と輸送系リソースの動向」という論文でショッキングな結論を出した。

 2004年の「神舟」宇宙船による有人打ち上げの成功以降、日本の宇宙開発が中国に抜かれたという認識は、一般的になってきた。が、それどころではなく、もはやインドにも対抗し得ないというのだ。

 インドの宇宙開発の現状はどのようなものなのか、1966年のペンシルロケット以降半世紀以降にわたって積み上げてきた日本の宇宙開発は、なぜその蓄積を生かせずに沈むに任せているのか、平岩氏に聞いた。

すでにインドは衛星・ロケットビジネスへの進出を完了


■まず、このような論文を執筆した動機をお聞きしたいと思います。


 平岩 私は本来スクラム・ジェットエンジンの研究者です。2004年から2006年にかけて、JAXAの筑波宇宙センターで次世代ロケットの検討をお手伝いしました。

 次のロケットを考えるためには、世界の動向を把握する必要があり、特に最近勢いを増しているインドの現状分析を行ったわけです。

インテリジェンスの分野では、公開資料の分析で8割以上の事実が分かるといいます。

 私はインドの宇宙開発に関する公開資料を集め、特に予算や人員といった数字の部分に関して集中的な分析を試みました。


■現在、インドに気になる動きはありますか。

平岩 2006年3月にブッシュ米大統領がインドを訪問し、原子力分野での協定を結びました。インドの核兵器をアメリカが認めたわけです。この際にアメリカはインドに対してアメリカ製の衛星をインドのロケットで打ち上げることも同時に認めました。これはアメリカがインドの商業打ち上げ進出を認めたということです。

一方ブッシュ訪印直前の2006年2月、欧州の衛星メーカーEADS社とインドのAntrix/ISROが、欧州通信衛星機構(ユーテルサット)向けの衛星を共同で受注したと発表しました。

インドの宇宙開発は、インド宇宙省という専門の官庁が管轄しており、実施機関としてその下にインド宇宙機関(ISRO)があります。

Antrix/ISROは、ISROの商業部門で、国営企業のような組織です。衛星開発はEADSが主体になりますが、Antrix/ISROは衛星の基本構造体である衛星バスを提供することになっています。すでに欧州通信衛星機構(ユーテルサット)向けの衛星を製造することが決まっています。

この2つを考えあわせると、インドは実質的に国際的な商業打ち上げと、衛星事業への参入に成功したことがわかります。事実今年4月23日にインドは「PSLV」ロケットでイタリアの科学衛星「AGILE」の打ち上げを実施しました。この打ち上げは、商業市場からの受注ではありませんが、イタリアからインドに正規の打ち上げ料金が支払われています。インドのロケットが、それなりのサイズのある海外の衛星を主ペイロードとして打ち上げたわけです。

日本は未だH-IIAロケットが海外の衛星を商業的に打ち上げたことはありませんし、日本の衛星メーカーが、国産の衛星バスを海外に提供したこともありません。つまりこの分野で、すでにインドは日本を凌駕したといえるのです。


予算の伸びは年間10%以上
平岩 さらにインドの宇宙関連予算の推移とその配分を調べると、これが部分的なものではなく、数年後には全面的に日本を追い越していくであろうことが見えてきます。


インドの宇宙開発予算の推移。緑が予算総額。赤が対前年比の伸び率。紫が、インドGDPの伸び率

この図はインドの宇宙予算とその伸び率、そしてインドのGDPの推移をまとめたものです。これによると、インドの宇宙予算はGDPの伸びを1年遅れで反映し、しかも21世紀に入ってから平均10%程度の高い伸び率を示してきたことがわかります。

2007年度の伸び率は7%と一見低く見えます。しかしこれは数字の錯覚です。最近、インドはロシアと測位衛星分野で協力する協定を結びました。それまでインドは独自にGPS類似の測位衛星システムを開発しようとしていましたが、ロシアが運用中の測位衛星システム「GLONASS」に参加することにして、自主開発をうち切ったのです。2007年度予算では、前年まで存在した測位衛星開発の予算がゼロとなっています。

そこで、測位分野の予算を除外して予算の伸び率を算出すると、2007年度は前年度比18%の高い伸び率を示していることがわかります。


日本の宇宙開発予算。青細実線が日本全体の宇宙関連予算。緑細破線が、JAXAのみの予算。青太実線が日本全体の耐前年比伸び率。緑太破線がJAXA予算の伸び率

平岩 こちらの図は、日本政府の予算、日本の宇宙開発予算、そしてそれぞれの伸び率をグラフにしたものです。日本の宇宙開発予算は1999年にピークを迎え、以降減少傾向が続いています。2007年度は日本経済の回復を反映して、2%ほど増えています。

こうやって分析していくと、日本の宇宙予算はだいたいのところ政府予算に比例しています。政府予算の0.2%が宇宙予算と考えていいでしょう。


■それは、縦割り予算の壁を崩せていないということですね、。インドはどうなのでしょう。

平岩 インドの宇宙予算はGDPにほぼ比例しています。政府予算ではなく国力が予算規模に反映しているわけですね。


インドと日本の今後10年間の予算予想図。青が日本全体の宇宙関連予算。緑がJAXA予算。赤がインドの宇宙予算

そのことを考慮して、今後の予算規模を推測したのが、この図です。日本の予算規模は今後前年度比±2%で、インドは11%±4%で、それぞれ推移するとしています。インド経済は今後10年以上に渡って年率10%以上の成長を続けると予測されています。それに比例して予算も増えていくだろうとしたわけです。

この図からわかるのは、最短で2011年、中間を取っても2013年にはインドの宇宙開発予算はJAXAの予算をほぼ同額になって追い抜いていくということです。

長期的視点に立って人材を育成
■この図はインドと日本の物価水準の差を考慮していませんよね。

平岩 そうです。インドと日本の間の物価は、だいたい6倍の開きがあります。もちろんインドがすべてを国産化できているわけではないので、インドの予算は即日本の6倍の購買力を持つというわけではありません。

しかし、人件費を考えると、話は変わってきます。物価に6倍の開きがあるということは、インドは同じ人件費で、日本の6倍の人数を宇宙分野で雇用することができるということを意味します。

大きなプロジェクトを遂行するに当たって必要なのは、まず資本、そしてプロジェクトの分野に精通した多数の技術者です。インドは、新たな技術開発に十分な数の人材を投入することができるわけです。

しかもご存知の通り、インドは、独特の教育システムもあって理工系に秀でた人材を多数輩出しています。インドは、宇宙開発に優秀な人材を多数投入するだけの潜在的な能力を持っているわけです。

ですから、実際には現状でも予算の使いでという点で考えれば、日本の宇宙予算は現状でもインドに抜かれている可能性があります。


■インドは、実際に宇宙分野に優秀な人材を投入しようとしているのでしょうか。

平岩 そうです。

インド宇宙省は2007年予算で2つの新規項目を設けました。一つは有人宇宙飛行に向けた技術開発です。インドの有人計画はまだ政府レベルでは承認されていませんが、先行して予算を付けて研究を始めたわけですね。

もう一つが、インド宇宙科学・技術大学(Indian Institute of Space Science and Technology)の創設です。大学院大学のような位置づけの教育機関で、将来の宇宙開発のための優秀な人材を育成することを目的としています。

このことが何を意味するかは明白でしょう。インドの宇宙開発は、今後増え続ける予算を有効に活用するために、計画的に人材を育成し、雇用していこうと考えているのです。

今後のインド政府の判断によっては、増える予算のうちのかなりの部分は有人宇宙計画に使われる可能性があります。

日本では有人宇宙計画というと、予算の話ばかりが議論されますが、予算だけで有人宇宙計画は遂行できません。なによりも宇宙を熟知した優秀な人材が必要です。

インドは、人材レベルから有人宇宙計画を支える基礎を育成しようとしていると言って良いでしょう。

真に恐るべきは、予算の伸びでも人材育成計画でもありません。インドには長期的な宇宙戦略が存在し、その戦略に沿って着々と手を打っているということです。それも、予算と人材という最も根幹の部分からです。

■それは、日本の宇宙計画にもっとも欠けているものですね。確かに日本では、有人宇宙計画というと、それで産業界にいくら金が落ちるかという話になってしまう。実際問題として、日本の宇宙産業は就業人口が減少し続けています。今後、日本が有人月探査のような大型プロジェクトを立ち上げるにしても、人が足りなければ、計画が迷走することになる可能性が高いと考えねばならないわけですね。

平岩 人材は、一朝一夕には育成できません。近い将来に大型計画を立ち上げるつもりならば、今すぐ人材育成を始め、きちんと雇用し、仕事の中で鍛えていかなければ間に合わないのです。インドがまさに行おうとしているように。

■内閣府・総合科学技術会議は2002年6月に「今後10年、独自の有人計画を持たずに、基礎技術開発を進め、実際に有人に進むかは10年後に判断する」という方針を出しました。2012年に、日本独自の有人宇宙活動を行うかどうかを決める、というわけです。しかし、平岩さんの話を聞いていると、そもそも2002年に「今後10年、独自の有人計画を持たない」とした時点で、10年後も有人活動を開始できるわけがないということが確定していたように思えます。

つまり、独自の有人宇宙活動には、予算が必要で、予算をきちんと使うには人材が必要です。人材は一朝一夕に育たないから、10年間かけて育成していかなければならないけれども、日本は「10年間、独自の計画を持たない」と言い切った時点で計画的な人材育成を放棄してしまった。それどころかリストラでJAXAの職員数は減少しています。

平岩 少なくとも、インドが長期計画の第一歩として将来の大型計画を担う人材の育成から踏み出そうとしていることは事実です。

(つづく)

松浦 晋也
ノンフィクション・ライター。 1962年、東京都出身。日経BP社記者として、1988年〜1992年に宇宙開発の取材に従事。主に航空宇宙分野で執筆活動を行っている。著書に『われらの有人宇宙船』(裳華房)、『国産ロケットはなぜ墜ちるのか』(日経BP社)、火星探査機『のぞみ』の開発と運用を追った『恐るべき旅路』(朝日ソノラマ)、スペースシャトルの設計が抱える問題点を指摘した『スペースシャトルの落日』(エクスナレッジ)などがある。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:33


 いつもながらヤンキース・松井秀喜のきっちりとした受け答えには感心する。日米通算2000安打を達成し、メディアに対応している姿をテレビで見て頭が下がった。

 インタビュアーの目を見て、ちゃんと自分の言葉でしゃべる。付け焼き刃では決してできない態度…。“育ち”がそうさせているのだろう。

 「僕は、本当に恩師に恵まれているという気がします」。松井が常々口にしている言葉である。最初の存在は父である松井昌雄さんだろう。

 「努力できることが才能である」を息子に語った。

 宗教法人瑠璃教の司教であり、人間教育者として名をなしていたが、松井はこの言葉を心に染みこませて少年期を過ごした。

 家族崩壊、学校教育の腐敗とイジメ…。

 「理由が何であれ、人として卑怯(ひきょう)なことをしてはいけない」。常に人を思い、家族を大事にする。年末年始必ず家族と過ごす。松井の人間愛スタイルだ。

 才能を開花させてくれたのが星稜高の監督、山下智茂氏の存在もある。

 「心変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる」

 山下氏が、松井に贈った言葉である。読むほどに、いい言葉であるが、実践するのは凡人には難しい。それを松井は身に溶け込ませている。

 野球の技術だけでなく、「人としてどうあるべきか、ということを教えられました」。プロ15年目を迎えたいまも変わらない心と態度。常に真摯(しんし)に堂々と強い意志をもって、おごることなく行動する原点であろう。

 巨人時代の監督、長嶋茂雄氏には「指揮官としての度量の奥深さと野球の魅力を注入された」という。

 帰国した際、最初に宴を共にするのがミスターで、オフ2カ月間の日本滞在で10度近くにもなる。「体全体で野球を表現してくれる。監督と会って話をすると何か吹っ切れるんです」

 そしてヤンキースのジョー・トーリ監督。

 「彼は“準備”ということを話す。たとえ結果がでなくても、一番大切なのは常に100%を出せるかの準備をしているか。打てない時、その言葉で何度も救われ、何度も立ち直れた。そしてメジャーに順応できました」

 いまの地位を築き、輝いている松井だが、そんな恩師たちを決して忘れない、これからも…。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:25


http://www.ohmynews.co.jp/news/20070417/10234


鬼気迫る戦闘状態の中で兵士の心に靖国はあったのか?湯浅 秀昭


 本記事は2007年3月末に掲載された記事「旧日本兵に聞いた従軍慰安婦問題」の続編である。

 前回、教育者であるにも関わらず、私の師は従軍慰安婦問題について、自己の性についてまで言及し、包み隠さず答えてくれた。

 戦争経験者の中には、自己の武勇伝や苦労話を話すとき、経験の大変さを伝えたいがために、後で仔細に考察してみると、つじつまの合わない誇張を含めた証言をされる方もいる。

 その気持ちは十分分かるが、私の歴史資料に加えるわけにはいかない。私の師の話は、30年前に私が師から聞いた話の断片と合致する。少なくとも信頼に値する証言だと感じている。

 桜が散り始め、靖国神社の春の例大祭が近づいて来たころ、再度、わが師に電話で靖国神社についてインタビューを試みた。

◇ ◇ ◇

──直接戦闘に参加した事はありますか?

師匠 私が召集された昭和16年から19年の満州は非常に安定しており、馬賊と言われたゲリラも既に活動しておらず、戦闘はなかった。

──生命の危険を感じたことはありますか?

師匠 ある。所属が工兵隊だったので、ソビエト・満州国境に戦車豪を掘る任務にあたった時、川ひと隔てた山の中腹にはソビエト軍がいた。もし攻撃を受けたらひとたまりもない場所での任務であった。

──単刀直入に聞きます、「戦死したら靖国で会おう!」と戦友と誓ったことはありますか?

師匠 ない。軍人にとって任務遂行の上で死はつねに隣にある。平時においての「死」とは意味合いが違うことを理解してほしい。戦闘において死を意識するのはむしろ恥ずかしいことである。戦闘中に考えることは自己の生死より、いかに任務を成し遂げるかである。

──それは天皇陛下のためですか?

師匠 いち将兵はそんなことは考えない。軍人として上官より命令を受けたら速やかに遂行する。それが軍人である。いち将兵が作戦の意味や意義を考えていては戦闘にならない。日々の戦術が全体的な戦略に与える影響など考えることもしない。

──緊迫した戦闘状態は別として、普段の状態において考える「死」はどのようなものでしたか?

師匠 自分の「死」というよりも、残される父母や兄弟、恋人への思いはあった。妻子のいる者は妻や子供への思いが先にきたと思う。宮崎県身の私が家族に靖国まで行って拝んでもらおうなどとは考えもしなかった。おそらく特攻隊の遺書にも靖国神社はあまり出てこないのではないか。

──あなたは靖国神社を否定するのですか?

師匠 しない。死んでいった将兵の気持ちは別として、残された家族や戦友の中には心のよりどころとしている人もいる。残されたものにとって、心のよりどころは必要である。

──自分が死ぬことによって残された家族が困ることは明白です。命を賭しての忠誠を要求する国家、ないしは軍に対して反感は感じませんでしたか?

師匠 それは当時の空気を知らない人の考えである。それは特攻隊等の遺書を見れば分かる。「お国のために」と書くのは、自分は国のために死ぬのであるから、自分の死後、国や地域社会に残された家族を頼むという意味合いである。また、国への信頼があったから命を賭して戦うことができた。

──あなたにとって軍とは何でしたか?

師匠 軍の目的は戦闘に勝つことにあった、それは現代の軍隊においても同じだと思う。私は旧日本軍の1兵に過ぎない、命令を忠実(ちゅうじつ)に遂行することに従事したにすぎない。

◇ ◇ ◇

 市民記者の私は戦争が終わって19年後、昭和39年(1964年)生まれである。もちろん戦争は知らない。私が幼いころ、周りには戦争経験者がたくさんいたので、戦争についての話も数多く聞かされ、育った。

 しかし、最初に述べたように、それらの話の多くは誇張があったり、あるいはその人にとって必要のない部分は割愛されていた。それは、日本人の一部にある自虐的過ぎる歴史観によって、真実を語ってしまうことで左右どちらからも非難を受ける結果につながるからなのだと思う。今回の取材も左右どちらから非難を受けても仕方のない内容となった。

 ただ、22歳で終戦を迎えた取材対象も既に83歳である。私は、どんな非難を受けようとも生の声を残す責任を感じ取材に挑んでいる。

 今後も、師が言う「平時においては想像し得ない当時の空気」について取材を重ねたいと思う。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:25


http://www.worldtimes.co.jp/w/korea/korea2/kr070511.html

大学が理念闘争・賃金闘争の場に?

 韓国で大学教授による労組結成を合法化しようとする動きがあり、これに対し大学が理念闘争や賃金闘争の場に変質しかねないなどとして反発が広がっている。

 来月にも関連法が国会で処理される予定で、この問題は大きなヤマ場を迎えそうだ。


■私立大130校総長が反対決議

 来月の国会処理がヤマ場


 「六月の臨時国会では、教授労組の合法化に関する審議がある。合法化を楽観しているが、最後まで最善を尽くし必ず勝ち取りたい」

 韓国の全国教授労働組合は先月十七日、ソウル市内で教授労組の合法化を促す時局宣言を発表した。

 金ハンソン委員長(延世大教授)はその場で、「教授たちの地位が安定してこそ研究と教育が十分できるようになる。教授たちの勤労条件の改善に力を注ぎたい」と語った。

 韓国の教授労組は二〇〇一年に創立大会を行い、法外労組として活動を開始したが、その後、今年になって合法化を促す動きが強まっている。

 開かれたウリ党の李穆熙議員が代表発議して上程された「教員労働組合設立および運営などに関する法律」の一部改正案の骨子は、法の適用対象を現在の「初等・中等教育法」で規定されている教員のみならず「高等教育法」が定める大学教員まで拡大し、労働組合の業務にだけ従事する労組専従者の休職条件を現行の「任用権者の許可がある場合」から「団体協約で定めるか任用権者の同意がある場合」に変更しようというもの。

 改正案が国会を通過すれば、全国あちこちの大学で教授たちが“労働者”としての権利を叫び、ストに没頭する光景が展開されるかもしれない。

 合法化を主張する人たちの理由はこうだ。

 「大学教授も憲法上、労働法上の勤労者として勤労条件の維持・改善や経済・社会的な地位向上のために自主的な労働組合を結成できるようにすべきであり、それは教育界の民主化と学問発展、国家発展に寄与する契機にもなる」

 しかし合法化は即、大学教育の後退を意味するとの指摘が少なくない。最大の問題は、労組に参加しようという大学教授の“質”にあるとされる。

 教授労組に入ろうという教授は、実力があり研究熱心で学生たちから人気がある優秀な先生よりも、教育者としてよりも労働者としての意識が強く、教授という地位に甘んじ、政治志向が強い先生の方が圧倒的に多いと予想されている。

 つまり教授労組が合法化されれば、大学が理念闘争や賃金闘争の場に変質する可能性が十分あるというわけだ。

 そうなれば、これまで左派系の全国教職員労働組合(全教組)が小中学校で展開してきたような偏向教育、例えば親北反米色の強い理念教育や授業放棄の賃金闘争が大学に持ち込まれる恐れもある。まさに“大学版全教組”の出現である。

 また、教授労組の合法化を主張する人たちは、合法化が大学改革と大学の競争力向上につながるとも主張しているが、大学の改革と競争力向上を妨げているとして政府や教育界から廃止の声が上がっている「三不政策」(大学入試における各大学による二次試験、高校等級制、寄付を納めた学生の入学許可の三つを禁止する政策)については「廃止反対」を表明するなど、改革や競争力アップへの道に逆行するかのような姿勢だ。

 韓国紙・朝鮮日報も社説で、「経済的報酬だけでなく、社会的地位や名誉、職業の安定性、勤務条件に至るすべての面でうらやましがられる存在である教授が、労組を結成して集団利益を守ろうとする時、納得する国民は多くないだろう」と指摘している。

 教授労組の合法化には多くの面で無理があることから、今月四日には全国の私立大学百三十校の総長が、合法化を即刻中断するよう求める決議文を採択した。「教授労組を法律で認める国は世界にない」のも大きな理由だ。

 強い反発が続く中、教授労組の合法化をめぐる問題は、関連法が国会で処理される来月に大きなヤマ場を迎えそうだ。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:24


      (国を憂い、われとわが身を甘やかすの記)

http://abirur.iza.ne.jp/blog/

 本日、憲法改正手続きを定めた国民投票法が成立しました。中身についてはいろいろと不備な点も言われていますが、まずは一歩進みました。

 私は平成12年に、衆参両院に憲法調査会が設置されたときの、産経の初代担当記者だったこともあり、感慨深いものがあります。

 国民投票法が整備されていなかった点については、当時から多くの人が「国会の怠慢」だと指摘していましたが、率直に言って「まあ、なかなか簡単にはできないだろうなあ」と悲観していました。

 やはり一時期、記者としてかかわっていた「昭和の日」も今年、施行されました。世の中の歩みは遅々としているようで、少しずつ確実に変化しているようです。

 安倍首相は2期目の任期内での憲法改正を目指しています。これは現時点では見通しは必ずしも明るくないのですが、実際にあと5年経ってみたらどうなっているか分かりませんね。

 憲法改正を口にするだけで「ウヨク」だと白眼視されたり、立場によっては更迭されたりしていた時代を考えると隔世の感がありますね。

 私を含め、日教組からいかに日本国憲法がすばらしいかというお題目をすり込まれ来た人々も、今はもう大部分が覚醒しているということでしょう。

 さて、本日の国会前には、国民投票法に反対する革マル派や中核派、全学連が集結していたことは前のエントリで書きました。

 で、私はいつものようにビラを受け取って読んでみたわけですが、相変わらず「日教組」に期待が寄せられています。

 左翼過激派からシンパシーを表明され、共闘を呼びかけられる教職員組合っていったい何なのでしょうか。


 ●まずは、中核派のビラから引用します。

 《(前略)安倍と与党はさらに5月14日にも、参院本会議で可決・成立させようとしている。自治労、日教組を始めとした労働者を先頭にして、激しい怒りを爆発させ、改憲投票法案粉砕、改憲阻止・日帝打倒に総決起しよう。》


 「日帝」って、私のパソコンでは一度に変換できません。何を打倒しようというのかよく分かりませんが、教育公務員が先頭なのだそうです。

 このビラは機関紙「前進」の宣伝版だそうで、本紙の方を紹介した「今週の紙面」の欄には、「日教組解体狙う教育4法改悪案」という見出しもありました。

 中核派は、よほど日教組と仲がいいのでしょうね。


 ●で、革マル派のビラをみると、次のようにありました。

 《(前略)教員が授業で憲法改悪の危険性を教えることを禁じることなどを狙った「公務員等、教育者の地位利用による国民投票運動の禁止」条項や、組合としてのビラを作成し配布することを禁じることを狙った「公務員の政治的行為の制限」条項--これらは、「最大の護憲勢力」と見なした自治労・日教組や自治労連・全教などの公務員労組による反対運動を「公の利益」の名の下に弾圧することを眼目としたものだ。》


 日教組・全教は革マル派からも高く評価されているようです。また、日教組とは関係ありませんが、


 ●全国労組交流センターのビラは、全学連の委員長のスピーチを紹介していました。

 《(前略)こんな法案に労働者が従う必要なんかないんだと、安倍にガンガン突きつけていくことが展望を切り開いていく。(中略)しかし我々は終わらせない。もっともっと追いつめて団結を拡大する。追いつめているのは私たちなんだということをはっきりさせてたたかおう。月曜日、本会議採決が狙われている。激しい怒りの声を国会に叩きつけることが決定的だ》


 …全学連は別に、労働者ではないでしょうに。それに、労働者は超法規的存在だとでも考えているのでしょうか。もっともっと追いつめているって、かなり妄想が入っているようです。

 こういうのを読むと、この人たちは通行人にビラを配っているけれども、本当は内部に向けて「やってます」というポーズをつけているだけなんだろうなと感じます。国会前に座り込んでいる教職労働者たちも同じですが。

 そんなことを思いながら国会議員会館をうろうろしていると、また彼らによる手紙、ファクス攻撃の跡を目の当たりにしました。

 全教は衆院議員に対する「学校教育法、教免法等および地教行法の教育関連3法案の廃案を求める要請」という文書で「この教育関連3法案は、憲法の原則にそむく」「いまでも過労死ラインぎりぎりで働いている教職員は、いっそう長時間・過密労働の状況に」と批判していました。

 また、桧山教職員組合は「憲法改悪の策動をやめ、改悪手続き法案の強行を行わないこと」「憲法原則に反して『教育破壊』をもたらす教育改悪三法案の強行を行わないこと」などを求めた決議文を送りつけていました。

 いや、まあ個々の教員が本当にこう信じているのならば、宗教と一緒でもう仕方ないと思いますが、こういう文書も、本気で受け取る側の心に響かせようとしているようには感じ取れないのです。なんか組合上部の方針とノルマに従ってやっているだけのような・・・。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:24

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


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