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2008年 03月 08日 ( 5 )



 (衆議院議員-戸井田とおる氏ブログより 2008/3/7)

 http://blog.goo.ne.jp/toidahimeji/


 こんにちは!戸井田とおるです!

 いつもお世話になり感謝申し上げます!

 これまで通常の業務に支障をきたす恐れがあったので、FAXでの要請書の受付をお断りしておりましたが、皆様の熱い思いを最優先する為に、ただいまより3月10日午前中までFAXでの要請書受付を開始いたしますので、よろしくお願いいたします!

 なお、当日「ネットラジオでの配信」や「動画サイトへの投稿」をする為の撮影等も大丈夫ですので、撮影される方がおられましたら周りの方の迷惑にならない様にお願いいたします。

 たくさんの送信をお待ちしております。

 FAX番号:03-3508-3325

 戸井田とおる


 ■要請書(A4サイズ)ご意見、氏名、年齢、住所(自治体名だけで結構です)

 ■所謂「人権擁護法案」再提出に対する要請受付国民集会

 ■日時:平成20年 3月10日 (月) 17時より

 ■場所:憲政記念会館講堂

 ■宛先:〒100-0014 東京都千代田区永田町国会内郵便局留置

   「要請受付国民集会」国会内事務局 衆議院議員 戸井田とおる 事務所

 ■担当:井上 水間



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◆荒川区議会議員小坂英二氏のブログ

 http://kosakaeiji.seesaa.net/article/87752268.html

 当日、行けないけど要請文を渡したい、という方、上記の郵送でも結構ですし、メールの添付ファイルでワード文書などで作成したものをこちら ↓

kosakaeiji@1995.jukuin.keio.ac.jp

 小坂宛へ送っていただければ、当日届けますので、宜しければどうぞ。 




尚、当日は真・保守政策研究会―平沼赳夫最高顧問、島村宜伸議長、中川昭一会長、古屋圭司副会長に要請を受けていただけますので、
要請書(A4サイズ)所謂「人権擁護法案」に対するご意見、氏名、年齢、住所(自治体名までで結構です)を記載の上、当日、会場受付までお持ち下さい。
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by sakura4987 | 2008-03-08 11:05





 車に乗っていると、並走車の運転席から「バカ野郎! トロトロ走ってんじゃねえ」と怒鳴り声が聞こえた。前の車に向けられたその声の主はごく普通の若い女性だった。最近、平気で乱暴な言葉遣いや立ち振る舞いをする女性が増えているのが気になる。「淑(しと)やかさ」という言葉はもはや死語なのだろうか。

 一方で男性が「逞(たくま)しさ」を失っている。若いスタッフに「女の子とデートするのも大変だな、お金がかかって」と言うと、「割り勘だから大丈夫です。相手も働いているから当然です」と返ってきた。そのとき「えっ?」と思った私が古いということなのだろう。私が若いころは、「デート代は割り勘」を当然と考える男はほとんどいなかったと思う。

 男女のあり方は時代とともに変わるとはいえ、隔世の感だ。ある番組の女性スタッフから「頼りない“同居人”を追い出した」と聞かされたかと思えば、ある週刊誌には男が女の過去を暴露して同情を誘う記事が載る。女がダメ男を捨てるのはまだいい。別れにはいろいろな理由があるだろう。しかし真相はどうあれ、“悪役”をやるのは男でよしと思う。

 女が強くなり、男は弱くなった-いや実は、男は男らしい忍耐や努力を忘れ、女は女らしい美意識やたしなみを失ったのではないか。男女平等の社会をめざすことは大事だが、それが「男女同質」に向かっている気がする。「男は男らしく、女は女らしくあれ」は決して男女平等に矛盾しない。それぞれ異なるからこそ互いの性にひかれ、敬愛を抱く。

 男らしさ、女らしさを求めるのは時代遅れだと批判を浴びそうだが、では逆に問いたい。時代の先端を行くことが常に正しく、古いことは常に間違っているのか。そんなことはあるまい。古かろうが新しかろうが、良いことは良いし悪いことは悪い。男が男らしくあること、女が女らしくあることは、人間社会にとって決して悪いことではないと思う。

 「男は黙ってサッポロビール!」。このCMが妙に懐かしく思えるのは私だけだろうか。
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by sakura4987 | 2008-03-08 10:56




 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080227/trd0802272119010-n1.htm


 「父親に感謝の言葉を伝えたい」という人は、母親に伝えたい人の3分の1以下-。「ありがとう」を伝える活動を進めるNPO法人「HAPPY&THANKS」(千葉市美浜区、福原裕一代表)がインターネットで行ったアンケート調査からは、「家族から感謝されていない父親像」が浮かび上がっている。

 同法人が提唱する3月9日の「サンキューデー」を前に、2月中旬に行った調査には、全国の20代~60代の男女計520人が回答。その結果、「感謝の言葉を伝えたい相手」は配偶者42・9%▽母親21・7%▽子供7・5%▽父親6・3%-の順となり、父親の“影の薄さ”が浮き彫りとなった。

 福原氏は「がんばっている父親には悲しい結果だが、感謝の言葉は誰もが言われてうれしい言葉。殺伐とした世の中だからこそ、気軽に口にしてほしい」とアドバイスしている。

 また、友人や取引先、会社の同僚に感謝の言葉を伝えたいという人がいる一方で、「会社の上司」と答えた人は0%。「特に伝えたい人はいない」との回答も3・7%に上っている。
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by sakura4987 | 2008-03-08 10:55




 http://www.dkbnews.com/main.php?mn=bbs&bbsno=2&mode=read&idx=23525


 ■写真:隠岐の副教材 ↓

 http://dokdocenter.org/dokdo_news/wys2/file_attach/2008/02/24/1203822757-40.jpg



 独島問題が学校の副教材(小学校5年生から中学校3年生を対象)に記載したことは初めてであり、全体130ページの中で8ページが独島に対する内容で独島と隠岐島が歴史的親密性を持っているという点を強調することに主眼を置いている。

 <隠岐と竹島 鬱陵島>という題名の項目では、独島の位置と独島であしかを捕獲した日本の老人の話を掲載し、江戸時代から今日まで隠岐島がどのような方法で独島と関連を結んで来たのか強調している。

 明治 - 昭和初期の独島と隠岐島との関係、領土問題などに対して島根県地域に残っている地図と写真、資料を使い分かりやすく説明している。

 正式教科書は隠岐島で作ることはできないが副教材は作ることができる。

 独島が隠岐に属する竹島なのだと、育つ学生たちを洗脳しこれから独島を強奪する主役として育てる悪辣な目的のために作った参考書だ。

 その内容の主な部分が独島を日本が実効的に支配して来たという減らず口の内容だ。植民地侵略期に日本の漁夫少数が独島に立ち寄って漁などをして、あしかを残酷に絶滅させた残忍な行為などを、まるで領土として治めていたから引き揚げをしたかのようにしている。

 隠岐で教育を受けて育った後の世代が可哀想で心配になる。
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by sakura4987 | 2008-03-08 10:54


求道者であるべき人間/近代化の夢叶えば病理社会


NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会代表理事 久保田 信之


■人類の王国目指した近代思想

 オランダ、フランス、イギリスなどで準備され十七世紀に哲学史の表面に現れたいわゆる「近代思想」は、貧困と病苦をもたらす危険な自然を従順な奴隷と化して『人類の王国』が実現できるという夢を与えた一方、歴史の重圧の中で、自由が踏みにじられ「人間そのもの」が否定されていた状態からの救出、あるいは、人間性をその本来の面目にまで回復し解放すること、を最大の眼目に置いた運動を正当化したのである。

 この近代思想を一言で述べるならば人間・個人に限りない価値を置き、個人を絶対の地位に据えたという意味で「ヒューマン・イズム」と言うことができる。このヒューマン・イズムが、差別の無い平等な一人ひとりが持つ、崇高な自由意志と判断を最大のよりどころとして決断し実行する「デモクラシー」を正当化し、さらには「資本主義」を育成したのである。

 十九世紀以降、このヒューマン・イズムは「一点の曇りもない崇高な主義・主張」として広く容認されていくが、歴史の無いアメリカを筆頭に、異質な人間が競い合い、自己の正当性を強烈に主張せずには生存が危ぶまれる西欧諸国にあっては、他に比して多くの支持者・賛同者を得て浸透していったのである。

 十九世紀末に、弱肉強食の悲劇をもたらした資本主義の弱点を鋭く指摘して登場した、あのマルクス主義も、権力闘争、階級闘争を通して「人間の解放」「人間そのものの救済」を唱えたのであるから、ヒューマン・イズムの枠内にある主義主張であった。このことが、あれだけ多くの近代人を魅了したのだということができよう。

■ゴッド・イズム回帰の始まり

 判断の基準となる「絶対」を「上から下へ」「外なる権力から個人の内面に」と移行して、人間そのもの・人間性を神の座にすえた「近代のヒューマニズム」は、早くも、二十世紀に入るや、各地で激しい混乱や残酷な戦争をもたらしたのである。

 ここにいたり「人間性への限りない信頼」は脆くも崩れ、逆に「人間の罪深さと人間性の醜さ」を知らされることとなったのである。

 「近代人は自ら神になることを望んだ。しかし、皮肉なことに、決して神にはなりえない存在であることを自覚したのも近代であった」のだ。

 かくしてヒューマン・イズムはかつての輝きを失った。親子関係を無視し、親族を排除し、所属する組織をも遺棄して身軽になった近代の個人は、寂しさ、虚しさの中で不安におののき「自己存在の基盤」を失ってさ迷いはじめたのである。近代化路線に明るい未来を夢見たすべての国の人間は、価値の多様と称する価値観・人生観の混乱の中にさ迷い、カネ・物に救いを求めても癒やされない空しい毎日を送っているのである。

 この病理現象に苦しむ現代人の多くは、人間を超越した存在を判断の基準に置こうとする「ゴッド・イズム」「仏陀・イズム」への回帰、復帰を求め始めたと見ることができる。世界的規模で「近代化の再検討」あるいは「ヒューマン・イズムからゴッド・イズム」への移行が始まったのが現代であると見ることができる。

 獣とは違う「人間の本質」を形作る基本理念であり続けた「ゴッド・イズム」を懐かしく思い、さらには、『貧弱な私』を超えた『大いなる存在』を人間存在の基盤に置く安らぎを思い返したのではあるが、「人間性の擁護」だの「基本的人権の尊重」といった近代思想の洗礼を受けた現代人は、重心の移行、ゴッド・イズムへの改心に際しても、新たな大きな問題を生ぜずにはいられなかったのである。

 それは、本来、超越者であり絶対者であるはずの「ゴッド」を、信ずる対象から、人間が価値づけ、意味づけ、あらしめる対象にせずにはいられなくなっていたのである。これでは「ヒューマン・イズムからの脱却」にはならない。

■ゴッド・イズムへ至る留意点

 ところで、鋭い感性と特殊な能力を持ち、特殊な霊体験を経験した者が、「超越者・ゴッド」を彼なりに受け止め、規定し意味づけ、あらしめた事例は多数ある。しかし、それぞれが規定し意味づければ、ゴッドは多様にならざるを得ない。諸宗派の存在がこれを物語っている。かかる相対の地位にあるゴッドに帰依することは危険ですらある。

 われわれが学ぶべきことは、「貧弱な私」に打ち克ちながら、純粋に、情熱豊かに、誠実に「ゴッドを求め続けた」彼らの生き方、あるいは、考え方なのである。

 全身全霊をささげて、謙虚に真剣に、限りなくゴッドを求め続ける求道者としての彼のすべてを己の根底に位置づけ、彼を道案内にしてゴッドを求め続けることこそ、真のゴッド・イズムを体現する者の姿であるといえよう。「人間はすべからく求道者であれ!」
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by sakura4987 | 2008-03-08 10:53

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