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2009年 02月 18日 ( 11 )



 (Voice連携企画 2009/2/16)

 http://news.goo.ne.jp/article/php/business/php-20090216-04.html


奥谷禮子・人材派遣会社ザ・アール社長


■坂本政務官の言葉は正論

 金融危機の影響を受けて名だたる日本企業が赤字に転落し、「派遣切り」のニュースが世間を賑わわせている。しかし、その報道姿勢はまったくおかしい。かわいそうと煽り立てるだけで、彼らを「被害者」として持ち上げている。

 「派遣社員」とは要するに契約社員のことで、かつてから季節工や期間工と呼ばれる存在であった。そして、その契約期間がいつ終わるかは、契約を結ぶ初めの段階から明らかになっている。

 そこで契約更新にならない可能性が少しでもあるならば、契約社員を続けながら、不測の事態に備えておくべきではなかったか。たとえば、しっかり貯金をする。「お金が三○○円しかありません」という声を聞くたび、どうしてあのような状況が生まれるのか不思議に思う。毎月の給与からたとえ一万円ずつでも貯金していけば、三年間で三六万円。そのくらいの蓄えがあれば、最低でも次のアパートを探すくらいはできるはずではないか。

 あるいは、契約社員ではなく正社員をめざしてスキルアップし、自らの付加価値を高める。いま企業が欲しがるもっとも大きな財産は「人」だ。私が経営する派遣会社「ザ・アール」で派遣社員として採用した人も、優秀であればあるほど他企業に引き抜かれてしまう。

 つまりはその辺りの認識と準備が、いま「派遣切り」に遭っている人には足りなかったといわざるをえない。そういう自己防御があったうえで、それでもどうしようもない部分については、行政がどうする、企業がどうする、という話になるはずだ。元派遣社員に引き続き寮への入居を許している企業もあるようだが、それは企業の「善意」であって、「義務」ではない。「景気の影響で仕事がなくなり、住むところを失った。企業が悪い。社会が悪い」と騒ぐのは本末転倒である。

 このグローバリゼーション下で日本企業は必死に戦っている。バブル崩壊前までに蓄積された過剰投資、過剰雇用、過剰設備投資、つまりは現在の米国のビッグスリーと同じような状況をどう緩和させるか、ということに各社は心血を注いできたのだ。

 コスト部分についてかなりシビアになっているなかで、今回のような危機が発生したとき、派遣社員の調整によって人件費を削減しようとするのは当然ではないだろうか。

 驚くべきは年末年始に「派遣村」に集まった五○○人のうち、生活保護を希望していた二七二人全員に受給決定が出たことである。手取り一七万円を受け取って、保険もすべてタダという状況で、働く意欲が彼らに生まれるのだろうか。

 本来ならば、新しい仕事を探すために手当を与えるというやり方がとられるべきで、その場凌ぎの解決策では結局、モラルハザードが生まれるだけである。甘やかしは彼ら自身を不幸にしてしまうのだ。

 一般市民にしても、安易に生活保護を選択する人のために税金が使われるのは、納得がいかないだろう。坂本哲志総務政務官が「あの人たちは本当に真面目に働こうとしている人たちか」といってバッシングを受け、すぐに撤回したが、その言葉は正論である。

■「ロスジェネ」はただの言葉遊び

 今回、いわゆる「失われた十年」の就職氷河期に社会へ出た「ロスト・ジェネレーション」の多くが市場からはじき出されて非正規雇用に回り、その人たちが金融危機で悲惨な目に遭っている、という議論もあるようだ。

 しかしこれも、私にいわせれば考え違いである。そもそも「ロスト・ジェネレーション」といってもその期間は十年間あったのだから、そのあいだにいろいろ努力ができたはずだ。初めの入り口は厳しかったかもしれないが、その後、いくらでもリカバリーショットが打てたはずである。

 私のなかで「ロスジェネ」とは、たんなる言葉遊びでしかない。ロスト・ジェネレーションの「ロスト」は社会ではなく、むしろ自分たちのなかの「ロスト」なのではないか。

 あるいは、この不景気を受けて各企業の内定取り消しが続き、このまま行けば第二の就職氷河期が到来して新たなロスト・ジェネレーションが生まれるのではないか、という声もある。しかし、これもおかしな議論だ。団塊世代の引退などもあって、現在、若年労働力はかなり不足している。ただ若いというだけで、それはとても貴重な戦力なのだ。

 たとえ一社から内定取り消しを受けたからといって、その会社にしがみつかずとも、分野を変えればいくらでも自分を重宝してくれる企業があるはずではないか。

 ユニクロやロフトが契約社員の正社員化を進めた時期があったが、ひとえにそれもよい人材を抱え込むためだ。学生やその両親も含めて、既存のブランドに寄り掛かる、という価値観自体をそのためには変えていくべきだろう。

 聞くところによれば、いま内定取り消しを行なった企業はわざわざ学生に違約金を払っているという。しかしかつてはバブル期に内定を五つも六つももらいながら、平気でそれを蹴った学生が数知れなかったのではなかったか。学生が内定を勝手に取り消すことには何のバッシングもしなかったのに、いま企業だけをバッシングするのはアンフェアである。

 内定取り消しに対するさらなる議論は、「正社員の既得権益を守るためではないか」というものだ。これに関しては正しい面があろう。これまで連合は、いかに正社員の賃金を守るか、というその一点でしか行動してこなかった。その結果、八○○万人のパート労働者、三○○万人の派遣労働者の存在が無視されつづけた。

 今回、御手洗冨士夫日本経団連会長が「ワークシェアリング」に言及したとき、連合の高木会長は歓迎の意を示したが、これも誰と誰のワークシェアリングかということだ。そのなかに非正規雇用は含まれていないだろう。

 連合はまた、「働く」ということをすべてお金という一面でしか捉えてこなかった。「働く側の価値観」が多様化しているのに、どうやって個人に付加価値を付けていくのか、具体的には教育や人事制度をつくりあげていくのか、という側面を見落としたのである。付加価値を付けて質の高い人材を作り上げれば、それだけ高い給料を得ることができる、という因果関係にも無頓着であった。

■規制強化という大間違い

 そういう意味で、今回の金融危機は日本の雇用形態の変遷と背景を振り返り、そして未来へのビジョンを作り直す機会であるともいってよいだろう。

 かつて日本にあったのは無職と正社員というカテゴリーだけで、そのあいだには何も存在していなかった。そこからアルバイトやパートというカテゴリーが現れ、さらには派遣という機能が登場した。それは先述した「働く側の価値観」の多様化と軌を一にしていた。

 たとえば核家族で子育てを両親に任せられず、正社員という責任感を抱え込むこともできない女性に働き口を提供した。あるいは、ある資格を取るために勉強時間を確保せねばならず、正社員として働くことは難しいけれど、必要最低限の稼ぎは確保したいと考えている男性の力になった。

 つまり派遣社員の増加はある意味で、社会的な潮流であったのだ。たしかに正社員の既得権を守るため、ロスジェネが憂き目を見た面もあったかもしれない。しかし多くの人々は個人の選択において、主体的に派遣という働き方を選び取ったのである。

 その流れの延長上で、少し前までは、硬直化した終身雇用制度を脱却し、ある会社を辞めても次に転職できるような労働市場をつくろう、そうやって個人を幸せにしながら日本経済を活性化しよう、という流れがあったはずだ。それが金融危機の影響でうやむやになって、なぜなのか派遣労働の規制をどのように行なうか、という議論が行なわれようとしている。再びすべてを正社員にして終身雇用の時代に戻るのだろうか。厳しい解雇規制を足かせにしながら、これからの国際社会を日本企業は戦っていくのだろうか。

 そもそもこの不景気が十年も続くわけはないだろう。なぜ短期的な視点にとらわれ、正しいと思った方向を貫き通すことができないのか。またあらゆる面で、小泉改革はダメだったという議論が行なわれ、規制緩和よりも強化が優先だといわれるが、それは本当に日本が進むべき方向なのか。

 たとえば農業にしても、本当にそこで一○○万人の雇用創出を考えているのなら、農地法、農協改革などに対して徹底的な規制緩和を行ない、大企業が参入できるような体制づくりを急ぐべきではないだろうか。まだまだ規制緩和は緒に就いたばかりで、これからさらに細かい部分を含めて、徹底的に改革を進めねばならない。

 巨人トヨタが赤字に転落するなど、産業構造が大きく変わるなかで、いま政治が考えるべきは「新しい産業創出」であり、そのためのビジョンである。そこで必要となるのが規制緩和か、それとも強化か、もう一度、政治家は考えてみるべきだろう。

 選挙を気にして「格差を縮めよ! 弱者救済!」と叫んだり、定額給付金を「もらいますか? もらいませんか?」などという議論に終始している状況はナンセンスである。

 目先の情勢に惑わされず、改革を進めるべきは進め、そのトレードオフとしてセイフティネットをつくり、はっきりとしたビジョンを示す。そのための気概がいまこそ、日本政治には求められている。
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by sakura4987 | 2009-02-18 13:29


 (ロイター 2009/2/14)

 http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-36473020090214


 クリントン米国務長官は13日、北朝鮮が核兵器計画を完全かつ検証可能な形で放棄するならば、米国は北朝鮮との国交正常化や平和条約締結、エネルギー・経済支援を実施する用意がある、との考えを示した。  

 また、中国との一段の協調関係を望むとの姿勢を示した。

 来週からの日本・中国・韓国・インドネシア歴訪では、世界金融危機や気候変動といった問題に加え、北朝鮮の核放棄に向けた取り組みが重要議題の1つになるとみられている。

 長官は当地のアジア・ソサエティーで講演し、米中両国が延期されていた米中軍事交流を月内に再開することを明らかにした。「(中国と)共通の関心事や機会拡大に向け一段の努力を払うことはわれわれの利益。両国が今月、軍事対話を再開すると発表できることをうれしく思う」と述べた。

 中国は昨年、米国による台湾への兵器売却に抗議するため、米中軍事交流を拒否していた。

 クリントン国務長官はまた、人権問題について、中国・北朝鮮・ミャンマーなどの国に対し向上を求めていく姿勢を示した。
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by sakura4987 | 2009-02-18 13:27


(産経 2008/12/20)


 ■「あいさつ」忘れた日本人

 ≪■静かな欧州と比べると…≫

 東西ドイツの問題も一応解決し、エネルギー危機もこれまた一応回避した西ドイツは、イタリアの混乱とイギリスの総選挙の話題以外に一見これといった大問題をかかえていそうにありません。

 南ドイツ新聞やフランクフルター・アルゲマイネ、ツァイトなどの編集者の何人かと話しあう機会がありましたが、「少くともドイツにはいま緊急の問題はありませんね」と、こちらが拍子抜けするような返事しかかえってこず、それにくらべると、「むつ」問題、佐藤前首相のノーベル平和賞、東京での再度の爆弾事件、アメリカ軍艦の核装備問題といい、わずか二、三週間留守をしても、日本はなにかちょっと触れればすぐ燃え上るワラシベのようなものに全土がおおわれている印象がとくに強いようです。

 「静かなヨーロッパと沸々とした日本」--この印象はむろん今度がはじめてではありません。といっても表面静かに見えるヨーロッパの内に全くなにも問題がないというわけではないでしょう。たとえば西ドイツですが、外人労働者の問題は深刻だという人があります。エネルギー危機以来、西ドイツでもレイオフや失業者増加の可能性はいくつかききました。失業問題が表面化すると、最初に首を切られるのは外人労働者ではないかということであります。外人労働者はいまドイツ人以上に勤勉なので、その首を切ることは一般的な生産低下につながりますし、なによりも外人労働者の従事している職種が、いまのドイツ人のしたがらないものが多いので、生産低下どころか、町全体がゴミの堆積(たいせき)になってしまわないかという危惧(きぐ)さえ生ずるわけです。

 ≪■せかせかと何かありげに≫

 「外人労働者は、アメリカの黒人並か?」というプラカードをかかげたデモを見たことがありますが、この問題が若い過激な学生を刺激する可能性もないではありません。外人労働者と失業という関係だけからでなく、外人労働者の子供の保育費(大体、子供が多いのが普通です)の問題、税金、さらに外人労働者子弟の教育条件と、私たちあまり外人労働者をもっていない国民にとっては想像もできない、そして意外に解決困難な問題がいくつも見えかくれしているのが実情なのです。

 しかも日本よりも先進工業国といえる西ドイツの公害問題、大学問題と、そのどれをとっても緊急さをひめていないことはないのですが、どうやらこの国はすべての問題を大袈裟にさわぎ立て、ドラマティジーレン(劇化)しないことに覚悟をきめたように見えます。この国だけではなく、なんどか破産を伝えられるイタリアやイギリスも、その日々の生活の上に「おや、これでも危機か?」と首をかしげたくなるような冷静さが支配しているようです。そして(私を含め)なんだか日本人旅行者だけが、せかせかと何かありげに歩きまわっているみたいでもあります。

 「終末論的雰囲気はドイツにありませんか?」と私がききましたところ、一人の編集者はニベもなく「ありませんね」と答えましたし、ある一人は「石油危機のとき一時的にありましたが、アブクみたいに今は消えました」と言うだけでした。私が参議院選挙のとき、ある作家が「日本はこのままでは飢えて滅びる」というのを唯一のスローガンにして立候補しましたよと話しだすと、みんな不思議そうな顔をし、予言者と政治能力は一致するのだろうか、その候補者はそれで何票ぐらい集めたかと好奇心をちらりと見せたのが、せいぜいの反応でした。

 ≪■まるで動物のような訪問≫

 その作家は昨年春ある週刊誌で福田前蔵相と対談をし、「今年は絶対に不作で、飢饉(ききん)がおこりますよ。賭けませんか」と言っていましたが、その年も今年もべつに飢饉なんておこる様子もなく、その作家も参院選では何十万票か稼ぎ、さらにペンクラブに大挙入会しようと騒いだり--とにかくフワフワした日本の社会の象徴のようにただ騒々しいだけであるのを、いまちょっと思い出しています。その作家の友人たちもマスコミも、彼をたしなめるどころか、野次馬のようにその周辺にむらがってわいわいやっている風景が、望遠鏡を逆さにのぞいたように遠く小さく見えてきます。

 話題をかえて、今度印象ぶかく思った話を一つ書きます。こちらの大学で有力な地位にいる日本人教授のところに、日本の大学にいる知人が訪問してきたときの話です。

 ちょうど研究室に友人のほかに数人のドイツ人の助手、学生が同席していたのですが、彼はそれにはほとんど目もくれず、「やあ、なつかしいなあ。どうしてる?」と大声でいって寄ってきたそうです。その知人を駅から案内してきたドイツ人にも、彼はべつに一言もお礼をいうでもなく、ようやく日本語をしゃべることのできる嬉しさに、周囲を無視して話しかけるので、しまいにはこちらの大学の日本人は不思議な動物でも見るように、この知人をながめないわけにはいかなかったというのです。

 ≪■世相を一層とげとげしく≫

 私も今度の旅でタクシーを利用することが多いのですが、タクシーの溜り場で、先頭のタクシーのドアをあけると、まず「今日は!」か「今晩は!」と挨拶(あいさつ)するのがふつうです。そして向うもむろんそれに応じます。「どこどこへ行ってくれませんか?」というと、返事することもあり、返事しないで車を動かすこともありますが、途中で話しかけても応じてくるし、降りぎわに「領収書を下さい」と頼むと、正規の領収書にちゃんと署名してくれます。

 日本で、タクシーの運転手の言葉づかいがよく問題になりますが、こちらのようにこちらから「今日は!」と挨拶する人はまずありますまい。「渋谷!」などと言いすてるだけのことが多い筈(はず)です。私はふと、私たちはこちらからマトモな挨拶一つしないで、ただ相手が無礼だと言いすぎていないのだろうか? と考えこんでしまいました。

 ホテルでも、廊下で掃除のおばさんとすれちがっても「今日は!」と挨拶します。煙草一つ買いに店にはいっても「今日は!」「ダンケ・シェーン」の挨拶は忘れるわけにいきません。電車で肘がちょっと触れても「パルドン!」です。

 日本は礼儀の国だといわれたことがありますが、本当なのでしょうか? お客さんにお辞儀一つできない子供ばかり育てながら、差別だなんだかんだと騒いでいるのではありますまいか? それが日本の世相をいっそうとげとげしくし、いたるところで無用の紛争を起していないでしょうか? 五つの大切よりも、まず挨拶を復興しなければならないのではあるまいか? そんな小さなことを考えながら、ドイツの宿の一室で騒然たる日本のことを思いだしたりします。=ボンにて
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by sakura4987 | 2009-02-18 13:27


 (産経 2009/2/14)


 ■ファシズム到来のデマ


 「70年安保」を前にしたあの喧噪(けんそう)の時代。“団塊の世代”がまだ大学生だったころのことである。世は左派の知識人が論壇を跋扈(ばっこ)し、盛んに「革命前夜」のような幻想を振りまいていた。

 大学紛争が激しさを増して、東大の安田講堂をめぐる過激派学生と機動隊の攻防戦が起きた。お茶の水から神保町にかけては、学生たちが「神田カルティエラタン」と称して道路を封鎖した。

 こんな世情不穏の中で、ワイマール共和国のドイツになぞらえる議論がまことしやかに伝えられたものだ。背景にあるのは、雇用不安と政権政党の弱体化であり、この先、ヒトラーのような独裁者がやってくるとあまたの知識人が煽(あお)っていた。

 そんな折に、柔和な語り口のドイツ文学者、西義之が「乱暴を通り越して無責任な議論にすぎない」と切って捨てた。好々爺(こうこうや)のような東大教授であり、はにかむしぐさの裏に鋭利な言論の刃(やいば)を隠していた。

 西はこのとき、『ヒットラーがそこへやってきた』という雑誌連載によって、ナチスという魔物の正体を見事に腑分(ふわ)けしていた。同時に西は、事実に肉薄することによって、ファシズムの到来説が政治的なデマにすぎないことを立証してみせた。懐かしくも頼もしい論考である。

 西義之が昨年10月9日、86歳で死去していたと聞いたのは最近のことだ。すぐに書棚を探してみたが、論考をまとめた本が見あたらない。何度目かの海外転勤のどさくさで失ってしまったらしい。あれを読んで、時代をファシズムと結びつける愚説が心の内で氷解していったことを覚えている。

 うれしいことに、『ヒットラーがそこへやってきた』を古本屋で見つけて38年ぶりに対面した。色あせたページを繰ると、さらに10年さかのぼる60年安保のころにも、「保守政権がファシズム化する」という進歩的文化人からの扇動があったと書かれていた。

 ■西義之が暴いたウソ

 当時、東京教育大の美濃部亮吉教授が「日本はあのころのドイツよりも危険な状態にある」と力説していたと記録されている。その後の歴史は美濃部説と異なって、ヒトラーに匹敵する人物は現れない。めでたいことに当人は東京都知事になってニコニコ顔であると、西は皮肉っている。

 彼は同時代の知識人の言動を克明に積み上げていくうちに、進歩的文化人の中に「事実そのものの発言を封ずる空気」を感じるようになっていく。

 この場合の進歩的文化人とは、岩波書店の雑誌『世界』や『朝日ジャーナル』などを舞台に、容共左派の立場から主張を展開した言論人たちを指す。

 問題は、なぜ彼らが現状をファシズムと結びつけたがるのかであった。西はその根をたぐっていくうちに、進歩的文化人の“教祖”である東大教授、丸山真男のいくつもの論文に行き当たる。

 早くから丸山理論の仮面をはがした人々に、社会思想家の関嘉彦、京大名誉教授の猪木正道らがいる。西の丸山批判には、思想の骨格をなすファシズム論に集約されるところに特徴があった。

 西は昭和50年に『誰がファシストか』を出版して、独伊にファシズムの源流をたどり、日本にファシズムがあったかを解き明かしていく。その結果、西は丸山こそが主著『現代政治の思想と行動』で、「反共=ファシズム」という単純化によって牽強(けんきょう)付会の虚構を築いたと痛烈に批判した。

 ■進歩的文化人の残滓(ざんし)

 知的観念論が好きな日本人に丸山の影響力は絶大である。彼のお墨付きを得て、小利口な言論人や政治家は気に入らない相手の罵倒(ばとう)に「ファッショ」を多用した。いつの間にか、共産主義を批判する“反共”が悪に転化するワナが仕掛けられていたのだ。反論封じにこれほど便利な用語はない。

 レッテル張りが得意なのは『都市の論理』の著者として名高い歴史学者、羽仁五郎であった。彼にかかると、「軍備は軍国主義の復活であり、公安警察は戦前の特高の再来であり、まさにファシズムである」となる。

 世界には軍を持たない国家も、公安警察のない国家も存在しないから、例外なしに世界中がファシズム国家である。それでも、当時の過激派は拍手喝采(かっさい)だ。羽仁の書名は「-論理」とせずに、「-扇動」と名付けるべきであった。

 西義之死しても彼の提起した所論がいまに通じることは、本紙連載の「昭和正論座」の論文を読んで分かる。進歩的文化人の後継者は姿を変えてなお生きながらえている。手前みそながら、それを見分ける目を養うに昭和正論座は最適ではないか。
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by sakura4987 | 2009-02-18 13:26


 (産経 2009/2/17)


 ■依頼心捨て逆境と“心中”せよ

 --著作は130冊以上、昨年は作家の五木寛之さんとの対談集「いまをどう生きるのか」(致知出版社)を出版しました。失業、リストラといったニュースばかりの最近の世相をどうみていますか

 松原 “100年に1度の危機”といわれていますが、昭和の大恐慌の方が今以上にひどかったでしょうね。私は早稲田(大学)に、飯田橋の駅で乗り換えて通っていましたが、父子が駅で抱き合って飢え死にしている姿を見たことがありました。今は飢え死にすることはないでしょう。

 それから確かに今は「お先真っ暗」かもしれませんが、逆境にあっても伸びる人は伸びるのですよ。左遷、飛ばされることも逆境です。逆境のときをどう生きるか。ヤケになるか、前途を悲観してダウンしてしまうか、逆に立ち上がるか…。

 --逆境を乗り越えていくということですか

 松原 いいえ、「乗り越えて」とは言っていませんよ。越えられるくらいなら逆境じゃありません。苦しみの中に飛び込んでしまう、逆境と“心中する”のです。それ以外に苦しみを逃れることはできません。

 --飛び込んでいく?

 松原 江戸時代に白隠慧鶴(はくいんえかく)(臨済宗中興の祖)という名僧が駿河におりました。富士山が爆発したり、飢饉(ききん)があったりした時代、白隠さんはふすま一枚くらいの大きな紙に、「南無地獄大菩薩(ぼさつ)」と書いた軸をかけた。そんな仏がいるわけはありません。

 禅では依頼心を捨てることが大事です。過去のぜいたくな生活への執着も捨てる。最後は自分が奮起する以外に解決の道はない、と知るでしょう。

 --確かに政府やボランティアが「なんとかしてくれる」という人もいます

 松原 依頼心を捨て、裸一貫、捨て身になって生きていく。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあります。追い詰められたときに「助かろう助かろう」とするのではなく、いちかばちかで自分を投げ出してしまうと救いがある、ということですよ。

           ◇

【プロフィル】松原泰道

 まつばら・せいどう 明治40(1907)年、東京都生まれ。早稲田第一高等学院、早稲田大学文学部卒。岐阜県の瑞龍寺専門道場で修行。昭和26年、臨済宗妙心寺派教学部長に就任。52年まで、東京都港区の龍源寺住職。47年に出版した「般若心経入門」はベストセラーに。宗派を問わず広く仏教を学ぶための「南無(なむ)の会」会長。101歳。
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by sakura4987 | 2009-02-18 13:26


 (産経 2009/2/18)


 新華社電によると、中国国家海洋局の孫志輝局長は17日までに、昨年12月に尖閣諸島(中国名・釣魚島)沖で中国の海洋調査船が日本の領海に侵入したことについて「実際の行動で中国の立場を示した」と述べ、中国の主権を主張することが目的だったことを明らかにした。
 16日に北京で開かれた海洋局関連会議の中での発言。孫局長は、昨年1年間で中国が主権を主張する海域で延べ200隻余りの船舶、同140機余りの航空機を出し監視、警戒などの活動を行ったと指摘した。
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by sakura4987 | 2009-02-18 13:25


 (産経 2009/2/17)


 南米ベネズエラで15日、左派チャベス大統領の再選制限を撤廃する憲法改正案に対する国民投票が行われ、賛成多数で可決された。「今日、ベネズエラは未来への扉を開いた」と勝利宣言した反米強硬派のチャベス氏は、終身大統領も視野に、中南米左派諸国の盟主の座を揺るぎないものにしようとしている。しかし世界的な不況が直撃する中で“わが世の春”がどこまで続くか、懐疑的な見方も少なくない。

 AP通信によると、賛成票は約54%で、反対票との差は8ポイントに達した。首都カラカスで勝利演説に臨んだチャベス氏は「革命の明確な勝利だ」と高らかに宣言した。

 チャベス氏が再選制限撤廃をめざし国民投票に打って出たのは、2007年12月に続いて2度目。小差で反対派が勝利した前回からの巻き返しを期し、今回は全テレビ局に大統領演説の中継を義務づけるなど、強引ともいえる選挙戦を繰り広げた。

 前回国民投票での勝利に続き、11月の地方選でも一定の存在感を示した反対派は、こうした政府側の物量作戦に押されたのに加え、指導者不在などの問題を露呈し、予想以上の大差を付けられる結果に終わった。

 開票を受け、キューバのカストロ元議長が「はかりしれない価値のある勝利だ」とのメッセージを寄せた。今回の勝利でチャベス氏はもはや、中南米の左派諸国の盟主の地位を決定的にした感がある。

 だが足元には世界的な不況と、自らの内外へのばらまき政策を支えてきた原油価格の急落という試練が忍び寄っている。ロイター通信によると、多くの専門家はベネズエラがまもなく財政赤字に陥ると予測する。その場合、チャベス氏は通貨切り下げの厳しい圧力にさらされることになる。

 さらに、「反米の旗手」との役回りで人気を獲得してきたチャベス氏が、中南米でも人気の高いオバマ米大統領に対し、どんなスタンスを取るのかも難問だ。ふたりの初顔合わせは4月、トリニダード・トバゴでの米州サミットで予定されている。
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by sakura4987 | 2009-02-18 13:25
※五百旗頭 氏は拉致問題について、

 「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね。こっちは、はるかに多くの人間を強制連行しているのに」と発言しているそうです。(「正論」平成21年1月号)




<売国・媚中の五百旗頭 真(防衛大校長)が防大同窓会で講演する奇怪!>

     関西防衛大OBと五百旗頭 真の癒着を許すな!


 関西防大同窓会(羽藤忠和会長)が3月1日(日)大阪のリーガロイヤルホテル大阪で開かれる。何とこの同窓会に五百旗頭 真が招かれ、記念講演する。

 反日、媚中の限りを尽くし、首相の靖國神社への参拝反対を声高に叫ぶ左翼学長が五百旗頭 真だ。

 この度の田母神俊雄前幕僚長の更迭にあたり、五百旗頭 真は「このたびの即日の更迭はシビリアンコントロールを貫徹する上で、意義深い決断であると思う」、 「制服自衛官は、この措置を重く受け止めるべきである」、 「(田母神前空幕長は)精神の変調を引きずる人」などなど・・・、あらん限りの悪罵を口にした。

 防衛大を破壊する極左の名に値する校長が五百旗頭 真だ。この五百旗頭を講師として招き、記念講演させる関西防大同窓会のノーテンキと腐敗・堕落に国民は開いた口が塞がらない。

 関西防衛大OBがやるべき仕事は五百旗頭 真の罷免運動であろう。関西防衛大OBは、直ちにこの講演会を中止しなければならない。五百旗頭 真ではなく、田母神俊雄前空幕長を講師に招いて記念講演をやり直せ!

 五百旗頭の講演会を強行するならば、関西防大同窓会は五百旗頭 真の売国・媚中に組みしたと断定せざるを得ない。講演会の強行は多くの国民への敵対行為であり、我が国安全保障の瓦解工作の一環であり、この工作に関西防衛大OBが同調したと我々断定する。

 ◆五百旗頭 真の講演会を直ちに中止せよ!

 ◆五百旗頭 真の罷免運動に立ち上がれ!

 ◆田母神俊雄前空幕長を講師とする講演会にやり直せ!



★【抗議先】関西防大同窓会 事務局


 住 所:〒540-0032
 大阪市中央区天満橋京町2-13 ワキタ天満橋ビル5F

 電 話:06-6910-6111

 FAX:06-6910-6111

 メール:bodaikansai@yahoo.co.jp



■呼び掛け:主権回復を目指す会、田母神論文と自衛官の名誉を考える会

 主権回復を目指す会

 代表 西村修平(090-2756-8794)

 info@shukenkaifuku.com

 〒101―0065 東京都千代田区西神田1-1-2

                   パトリス26―502

 電 話:03-5281-5502

 FAX:03-5281-5603

 http://homepage2.nifty.com/shukenkaifuku/
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by sakura4987 | 2009-02-18 13:24


                    増田悦佐さん

 http://ja.wikipedia.org/wiki/増田悦佐


 ミシシッピ川を知る者なら、声にだしては言わなくても心のなかで、すぐさまこう断言するだろう。川を管理する委員会が一万あっても……その手に負えない流れを手なずけることも、制御することも、制限することもできないし、川に向かって「こっちへ行け」とか「あっちへ行け」と命ずるわけにもいかない。川をしたがわせることも……障害物を設けて行く手をさえぎることもできない。そんなことをすれば、川はその障害物を破壊するどころか、その上で踊り、あざ笑うだろう、と。
マーク・トウェイン『ミシシッピの生活』(1879年)

 (株)牛之宮主催のボブ・ホイ氏講演会は、聴衆のレベルの高い質問にも支えられて、すばらしい内容だった。当日のボブの発言の中でも、現在国際経済が直面する問題をもっとも鋭く解明した卓見を、残念ながら当日会場に行くことができなかったこのブログの読者とともに分かち合いたい。

 ボブによれば、19世紀後半に誕生し、20世紀を通じて世界の政治経済を撹乱しつづけた妖怪は、共産主義という皆さんが良くご存知の一匹だけではなかった。まったく同じように、「大衆がどう生きるべきかは、大衆自身よりも我々エリートのほうが良く知っている。だから、大衆は勝手気ままに生きていくよりも、我々の厳格な統制のもとで暮らしたほうが幸せなのだ」という、傲慢な大衆蔑視と自分の能力に対する過信を丸出しにした、もう一匹の妖怪も世界を股にかけて暴れ回っていたのだ。この、あまり世間では知られていないほうの妖怪の名は、中央銀行主義と言う。

 共産主義者たちが「思想的に鍛え上げられた前衛党の指導通りに経済を統制すれば、この世から大金持ちと貧乏人の格差が消滅する」と主張したのとまったく同様に、19世紀後半から徐々に姿を現し始めた中央銀行主義者たちは「国家の権威を背景にした頭脳明晰な中央銀行幹部が金利やマネーサプライを適切な水準に保てば、好況や不況の波も消え去り、地上の楽園が実現する」と唱え続けてきた。共産主義思想のインチキ性は誰もが知るところとなり、だます相手を失った「社会主義」圏は1980年代末に自然消滅した。

 しかし、妖怪としてはるかにしぶとく生き残り、今も世界中の人たちをたぶらかして国際経済・国際金融の混乱のもとであり続けているのが、中央銀行主義だ。そもそも金融政策には抑制効果はあるが、刺激効果はない。「ヒモで人を引っ張ることによって行きたいところに行かせないことはできるが、ヒモを押しても人を行きたがらないところに行かすことはできない」という単純な真理がある。あるいは、「ロバを水辺に連れて行ったとしても、そのロバの喉が渇いていれば水を飲むが、水腹を抱えたロバはそれ以上水を飲まない」と言い換えても良い。

 つまり、金融政策というのは、過熱を抑える効果はあるが、冷えこんだ景気を活気づける効果はもともと持ち合わせていないのだ。そして、ここが重要なところだが、過去の大恐慌期にも一貫して「金利を下げ、マネーサプライを増やす」という中央銀行主義者たちが推奨する不況対策は全然効果がなかった。20~25年の長い長い「癒し」の期間を経て信用が再建されるのを待つというマスコミには「無為無策」としてさんざん叩かれる「自然治癒」策を取るか、大戦争を引き起こして人為的な需要激増策を取るかしか、有効な大恐慌対策はないのだ。

 だが、中央銀行だけではなく、政治家、官僚、マスコミが一体となって大恐慌・大不況には金融政策は無力だという真理を押し隠そうとする。もし、金融政策は本当に必要とされるときには無力で、自然治癒を待つのが一番被害の少ない賢明な政策だということがばれてしまったら、「エリートが大衆を支配していたほうが、大衆が自分で物事を決めるより幸せになれる」という大嘘をつき続けることもできなくなるからだ。

 だから、エリート社会の構成員たちはグルになって、「中央銀行主義はまちがっていない。前回の大恐慌のときに失敗したのは、たまたま当時の中央銀行当事者が正しい政策を取らなかったからだ」という歴史の捏造をする。1929年の大恐慌が古典的な事例だ。当時できたばかりのアメリカ連邦準備制度を担っていた連銀幹部たちは、自分たちが許された権限の6倍に当たる買いオペを実施して、マネーサプライの大激増を目指した。つまり、金融政策の教科書通りに模範解答を出したのだ。だが、それだけのマネーサプライ激増策でさえ、なんの効果も発揮しなかった。

 ところが、大恐慌から大不況期の金融政策を解説した経済史の論文・書籍にはほとんど例外なく、「連銀が大胆な金融緩和に踏み出すのが遅すぎたから、ふつうのパニックにとどまるはずだった1929年の大恐慌が、1930年代を通じた大不況に発展してしまった」と書かれている。あるいは、世界を大不況から救った救世主だったはずのフランクリン・D・ルーズベルト大統領が圧倒的な支持を得てやりたい放題に場当たり的な政策を出し、連銀と連邦準備制度は忠実に金融緩和を続けていた1937年の株価大暴落とあらゆる経済指標の底割れも、中央銀行主義者にとっては説明のしようがないので、無視せざるをえない歴史の汚点だ。

 金融政策に景気喚起効果がないのは、論理的に考えれば誰でも分かる当たり前のことだ。中央銀行主義者たちが、危機のたびにこの空証文を出しては惨めに失敗すること自体にはそれほど大きな問題はない。真理は願望で変えることはできないというだけのことだ。

 だが、「中央銀行は金利とマネーサプライを調節することで景気変動をコントロールできる」という「神話」を維持するために、彼らが歴史の捏造に手を染めることにはとんでもなく大きな弊害がある。自分たちの都合のいいように歴史を作り変えることに慣れてしまったエリートたちからは、知的誠実性という本来エリートが持ち続けなければならないはずの資質が失われてしまうからだ。サブプライムローン・バブルの崩壊やバーナード・マドフというペテン師の行状は、欧米の金融業界に巣食う知的エリートたちが、歴史の偽造を続けてきた中で完全に知的誠実性を失ってしまった証拠だ。

 ルーズベルトの場当たり的なその場しのぎ政策が呼び出した魔法の精(ジニー)は、たしかに通常であれば20~25年かかるはずの大恐慌からの回復を5~10年短縮し、1940年代半ばには第二次世界大戦後の大繁栄期をもたらしたかもしれない。だが、それはアウシュビッツや広島・長崎への原爆投下を含む、戦闘員より非戦闘員のほうをはるかに大勢殺しまくることで達成された大恐慌期の短縮だった。一方、1873年に端を発した大恐慌は、中央銀行主義者たちの歴史の捏造もなく、大戦争による人為的な需要喚起もなく、1895年ごろには自然治癒していた。我々が選ぶべきはどちらだろうか?

 冒頭に引用したマーク・トウェインのミシシッピ暮らしに関する洞察が書かれたのは、ちょうど欧米世界が大恐慌に突入したばかりの1875年だった。もちろん、当時トウェイン自身が意識していたか否かにかかわらず、ミシシッピ川とは大恐慌の暗喩である。
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by sakura4987 | 2009-02-18 13:24


 (ニフティ 2009/2/11)

 http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090211-02/1.htm

(週刊朝日 2009年2月20日号掲載) 2009年2月11日(水)配信


 正社員の「クビ切り」を進めるといっても、企業が必要とする人物に退職を強いるわけはない。企業が目をつけるのは、どんな社員なのだろうか。

 都内にある大手企業の人事部経験者が明かす。

 「真っ先に辞めさせられるのは勤態不良(きんたいふりょう)』。要するに、社内の規則や制度を守らない、勤務態度が悪い社員のこと。景気のいいときは甘かったが、これからは厳しくなっていく。『寝坊した』なんて理由で遅刻するのも許されません」

 企業の担当者もリストラするのは心苦しい。理由を探すとき、ルール違反は、格好の材料になる。また、

 「今までは異動に関しても『自分のやりたい仕事じゃない』という反論を許してきたが、これだって本来は業務命令違反です」(前出の人事部経験者)

 ルール違反や異動拒否者にペケがつくのはわかりやすい。では、そうでない大多数の社員の中で、どういう人物がリストラ候補にあげられやすいのだろうか。

 編集部が教授をお願いしたのは、サラリーマン経験があり、現在「週刊モーニング」で転職をテーマにした漫画「エンゼルバンク」を連載中の三田紀房(みたのりふさ)さん。東大受験ブームを巻き起こした「ドラゴン桜」の作者としても有名だ。


 「エンゼルバンク」には、実在の転職エージェントをモデルにしたというカリスマ転職代理人・海老沢康生という人物が登場し、転職を希望する人を前に、こう言い放つ。

「人の価値は、自分で決めるんじゃない。決めるのは相場だ!」

 会社という市場で、価値の低い社員はリストラの対象になり、転職も失敗するというのだ。

 海老沢にそんなセリフを言わせる三田さんによると、価値が低いのはまず、こんな社員だ。


①自分の会社のことを他人事のように話す

 会社が苦しいとき、いちばん必要とされるのは、同じ組織のメンバーとしてがんばってくれそうな人だ。そういった姿勢は、自分の会社についてどう語るかでわかるという。

 「『うちの社長はリーダーシップがないんだよ』とか、自分の会社について評論家のようなことばかり言う人がいます。そういう社員はダメですね。当事者意識がまったくない。厳しいときこそ、『自分は何ができるか』を考えられる人が必要とされているのです」


②社会常識がない

 意外に多いのが、平気で遅刻をしたり、首から携帯電話をぶら下げたまま初対面の人と会ったりする、当然身につけておくべき常識が欠けている人だという。

 「中にはコートを着たまま応接室に入ってくる人もいます。まさかと思うでしょうが、若者だけでなく年配の人でもけっこう常識のない人っているんですよ」


③いつも不平不満を口にしている

 会社や職場について不満を口にするのは、だれでも経験がありそう。でも、それにも限度がある。

 「こういう仕事をしたいという前向きなビジョンを持たず、現状についてグチグチ文句ばっかり言ってる人はダメ。そういう人ってマイナスのオーラを放っているから、すぐにわかるんです。そんな人と一緒にいたら職場の雰囲気が悪くなる」


④いつも人間関係がスムーズにいかない

 「3番目に挙げた『いつも不平不満を口にしている人』の不満の約9割って、社内の人間関係についてなんです。何度も言いますが、チームワークがきちんととれることが大事なのです」


⑤会社という市場で主導権を握っているのは自分だと勘違いしている

 「会社側の要望に合わせて、ある程度は柔軟性を持って仕事ができなければいけない。面接で、企業側に『行ってあげてもいいわよ』と高飛車な態度をとる人がいるんですが、こういう人はうまくいきませんね」

 会社が必要としているのは素晴らしい実績でも特別なスキルでもないらしい。

 「よく『オレは一人で1億円の利益を上げたんだ』とか過去の実績をアピールする人がいますが、経営側からすると『それ、何年前の話ですか?』という感じ。実績なんて、1年たって次の決算のときにはゼロになってしまう。会社が興味を持つのは『今何をする? 将来何をしたいの?』ということなんです」

 これらの条件に、ドキリとした人も多いのではないだろうか。

 もっとも、三田さんが挙げたのは、もっぱら都会型の大企業の話。地方の中小企業は社員のリストラに別の物差しがあるという。

 これまで経営不振に陥った企業300社以上の再建をしてきたベンチャー・テクノ・キャピタル社長の是松孝典さんは言う。

 「僕の会社にSOSを出してくるのは地方の3次請負や建設会社、旅館など地元に密着した中小企業が多い。そういう会社だと、人員整理の優先順位は、社内よりも地域のヒエラルキーで決まるんです」

 辞めさせたい課長がいても、その課長が地域の消防団長をしているなど地元の名士だったりすると辞めさせられない。また、経営側と労働側、双方の子供が同じ小学校に通っていれば、「クビ切りをして自分の子供が学校でイジメられるんじゃないか」と決断できない、そんなことも多いらしい。社員の人格や能力とは別のところで選ばれているのが現状だという。

 でも、経営者としての是松さんが最後まで残したいというのはこんな社員だ。

 「私の経験では、いちばん頼りになるのは、黙々と一生懸命仕事をするやつ。そして、お客さんのところに骨身を惜しまず顔を出す、足で稼ぐやつですね」

 初心忘るべからず、ということでしょうか。
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by sakura4987 | 2009-02-18 13:23

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