2009年 06月 11日
(世界日報 2009/5/24) 当時の「防備の弱さ」強調 中国との仲介役を期待した徳川幕府 薩摩に侵攻中止求める 今年は、沖縄県がかつて琉球王国であった一六○九年に薩摩から軍事侵攻されてから四百年を迎える。各地でそれをテーマにしたイベントが開催されているものの、沖縄が日本の一部となったことの是非を否定的に問いたいとの思惑が見え隠れする。そうした中で、「薩摩の琉球侵攻四百年を考える」と題したシンポジウムが九日、沖縄県立博物館・美術館で開催された。 県立博物館・美術館主催の同シンポジウムでは、一部で、岡山大学教授の上原兼善氏が「島津氏の琉球侵略――もう一つの慶長の役」と題して基調講演した後、早稲田大学の紙屋敦之教授、神戸女学院大学の真栄平房昭教授、名瀬市文化財審議委員の弓削政己氏、琉球大学の高良倉吉教授がそれぞれの視点で報告。その後行われた報告者による二部のパネルディスカッションで薩摩藩支配下における琉球の実態と今日的意味を検証した。 一六〇九年、薩摩藩は琉球王国に対して軍事侵攻を行った。沖縄本島における戦闘はわずか十二日間で終了し、琉球王国は首里城を明け渡すことになる。 時の王尚寧は捕虜として薩摩に連行され、二年後に琉球に帰還。以後、琉球は廃藩置県の一八七九年まで薩摩の間接支配を受けることになる。沖縄が日本に併合されたこの薩摩の侵攻をどう総括するかというシンポジウムである。 沖縄学の創始者である伊波普猷は戦前、薩摩の侵攻が「奴隷解放であった」(日本に併合されて沖縄が文明化したとの意)として物議を醸した。 伊波の考え方は、琉球の文化はもともと日本の一部であったのだから、日本と一緒になることに何の不都合なものはない、むしろ伝統ある日本文化の恵沢を受けたとの意味であったが、反日派は伊波を批判した。現在でも、基地問題等で政府を批判する知識人たちは伊波の見解に反対する。 まずその事件の名称についてだが、薩摩側からすれば「琉球入り」となり、琉球側からすれば「軍事侵攻」となる。そのどちらの側に立つのかということを避けようとすれば「慶長の役」とするのが無難だ。 それを今年「薩摩の琉球侵攻」と題した著書を発刊した上原兼善・岡山大学特認教授が基調講演を行った。この書名からも分かるように上原教授は薩摩の行動は軍事侵攻であったとの認識に立つ。 しかし、その上原教授でさえ当時の琉球側の「防備の弱さ」を強調する。これは沖縄を無防備地域にしようと運動する人々への十分な歴史的反証となる。 薩摩侵攻の三年前に琉球を訪れた中国の使者、夏子陽の史料によると、琉球には甲冑は十分あったものの弓、矛、刃の類は不足していた。最大の難点は火器がないことであった(後に火矢はあったことが分かる)。そのため、部下に指示して造らせたという。ある程度の軍事力は用意していたものの、常備軍はなく無防備に近かった。 その状態を心配した夏子陽は、琉球王朝の高官に薩摩の動向への懸念を伝えた。すると高官は、「心配はご無用、多少の備えはあり、かつ最後は琉球の神が守ってくれる」と述べたという。しかし、いざ三千人の薩摩軍との戦闘が開始されると、七百三十四丁の鉄砲を駆使し戦闘慣れした薩摩軍の前に簡単に敗北してしまったのであった。 シンポジウムではこれまであまり知られていなかった面も紹介された。例えば、薩摩藩は徳川幕府の許可を得て琉球侵攻を行ったものの、幕府側は必ずしも諸手をを挙げて賛成していたわけではなかった。 中国との関係改善を希望していた徳川幕府は、その仲介を琉球王朝に期待していたからである。上原教授によると、何度か幕府は薩摩に琉球侵攻を思いとどまるよう説得している。 さらに紙屋敦之・早稲田大教授によると、家康、秀忠と対面した尚寧は、天皇が乗る駕籠の使用を許可されたり、対座するなど国王の扱いを受けた。これなどは、従来、捕虜として尚寧が扱われたとの認識を覆すものである。 シンポジウムを通じて明らかになったことは、薩摩の間接支配下の二百七十年は従来指摘されてきたような暗いイメージではなく、案外、琉球側が一定の主体性を持って王国を運営していたということだ。 薩摩支配下の琉球は、日本に対しては日本のおかげで栄えているとの態度を取り、中国に対しては相変わらず臣下の礼を表明、かつ、琉球として独自の主張もするという、日中間でうまくバランスをとりながら自己の存在を保っていた時代と言える。 2009年 04月 08日
(琉球新報 2009/4/5) http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-142658-storytopic-6.html 本書は、かつて沖縄に駐留した元日本軍兵士の視点から沖縄戦の実相をつづったドキュメントだ。「戦記」ではなく、対住民感情を軍の論理で赤裸々につづった元兵士による証言記録は、わずかの「個人手記(証言)」を除き先例がなかったように思う。とりわけ、沖縄転戦前の中国戦線における元兵士たちの体験証言は、住民を「集団自決」に追い込んだ日本軍の構造的な暴力性を露呈させ、日本軍駐屯と「集団自決」の不可分なつながりを裏付けたものとなった。 「『チャンコロ(中国人の蔑称(べっしょう))は人間じゃない』と上官や先輩から叩き込まれ」、初年兵は中国人捕虜に「度胸試し」として“刺突訓練”を強要された。さらに「おなごを見たら、もう最後。強姦(ごうかん)してしまう。(強姦した回数は)二度や三度ではきかない」。高い慰安婦を買うより強姦はただ(無料)だから、とも言った。「人を殺すよりも先輩のいじめの方が怖かった」という証言があるように、上官から下級兵士へもたらされた暴力は、下級兵士から中国人へと連鎖し、その延長線上に沖縄転戦があった。 「日本人は偉く、強く、美しい国民」。「沖縄の住民を戦闘に巻き込み死なせても、何とも思わなかった」「沖縄の人間はチャンコロ系統という差別意識」が沖縄人に「集団自決」を強い、スパイ嫌疑による住民虐殺や食料の強奪、壕(ごう)の追い出しへと連なった。著者が接触した元兵士のうち、約半数が「重い口」を開いたといい、登場する元日本兵21人の証言からは、沖縄人に対する「懺悔(ざんげ)」の念が伝わってくる。 しかし要は、元兵士たちの“戦後の生き方”だろう。沖縄戦の惨劇と向き合いつつ、その実相を後世に語りつぐことを決意した元兵士がいる一方で「よその国でも住民は犠牲になった。戦争とはそういうもの。沖縄戦だけこれだけ騒がれるのは……」と、いぶかしがる元兵士がいることも事実だからだ。いずれにせよ、全国を回って元兵士たちを探し出し、“加害”という「負の記憶」を語らせるとともに、写真でその苦悩の表情をとらえて証言に重みを増した著者の労作に敬意を表したい。 (宮城晴美・沖縄女性史家) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000234587/ryukyushimpo-22/ref=nosim/ 國森 康弘 著 岩波書店 ■著者へのメールはこちら ↓ mail@kunimorifoto.net 2009年 03月 15日
(琉球新報 2009/3/12) http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-141602-storytopic-3.html 駐日中国大使館の劉少賓(リュウ・ショウビン)政治部公使参事官は11日、衆院議員会館での下地幹郎衆院議員(国民新)との面談で「那覇市に中国の事務所をつくればどうか。中国政府の意向、決定によるが、私個人的には必要があると思う」と述べ、県内への総領事館付属事務所設置に前向きな意向を示した。 「どれだけ必要があるか。県内で議論し必要というなら(考えてもいい)」とし、県内から事務所設置の要望があれば検討する考えも示唆した。劉氏は、下地氏が2月中旬に行った中国、台湾訪問の報告を受けるため、事務所を訪ねた。 下地氏が那覇―北京の直行便の就航を求めたのに対し劉氏は「例えば事務所ができれば航空便(の就航など)は簡単にできるのではないか」とし、沖縄への事務所設置が直行便就航にも有利になるとの見解を示した。 その上で、総領事館の新潟県への開設が現実味を帯びていることを指摘し「総領事館は国内に1カ所だが(付属)事務所は大丈夫だ。中国、台湾から沖縄へ行く旅行者や商人は多くなる。(事務所が)できればやりやすくなる」と述べた。 県内への総領事館付属事務所設置については、児玉和夫外務報道官が3日、記者会見で「中国側が非公式に検討していたことは事実だ」と指摘。現在も中国が設置希望を持っているかどうかについては「承知していない」としていた。 2009年 02月 04日
薩摩支配400年琉球処分130年/「問う会」結成集会 (沖縄タイムス 2009/1/31) http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-01-31-E_1-005-2_002.html?PSID=0470091ed872c0227b5817f6fb4f2f41 「薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会」の結成集会が三十日、那覇市の教育福祉会館であり、約二百人の関係者が参加。琉球・沖縄の近現代の歴史を踏まえながら、沖縄社会の自決権を確立するための活動を展開することを確認した。 同会は参加者が一部修正した会の規約案、活動計画案などを承認。今後、国連や日本国への要請行動のほか、県内各地での講演会の開催、薩摩侵攻や琉球処分で亡くなった人々の慰霊祭、戦跡フィールドワークの実施などの活動を継続して行う方針。 記念講演で彫刻家の金城実さんが「沖縄の人々はこれまでもことあるごとに大衆決起した。『問う会』を発足させることで、これから沖縄の自決権を確立させるための入り口にしたい」と強調。また奄美からの報告では知名町職員の前利潔さんが「奄美の日本への復帰運動で薩摩支配や琉球処分は肯定的にとらえられたが、いまだ総括的な議論はない。四百年を契機に歴史を問い直したい」と話した。 2008年 12月 08日
(琉球新報 2008/12/4) http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-138684-storytopic-3.html 道州制が導入された場合望ましいのは? 沖縄経済同友会(代表幹事・大城勇夫氏、當真嗣吉氏)は3日、道州制に関する会員アンケート結果を発表した。道州制が導入された場合の望ましい地域割りとして「沖縄だけで州とする」との回答が87%を占めた。他の道州以上の権限が沖縄単独州に移譲される「特例型」の制度についても76%が「沖縄の自立的発展のために当然」と支持した。 単独州については「財政的に自立できる」「経済的に自立できる」の回答はいずれも11%にとどまり、財政見通しには厳しい見方をしていることが分かった。 調査は、同友会会員の県内企業経営者242人に調査票を配布し、8月上旬から同月末日までの期間に98人(回収率40・5%)から回答を得た。 単独州の自主財源が少なかった場合の対策では「特別な財政移転の制度を設ける」の回答が76%と最も高く、「自主財源が少なくともやむをえない」は13%、「他の地域と1つの州になるべき」は4%だった。 厳しい財政見通しの認識がありながらも、将来的な沖縄の経済の活性化については83%が「他の都道府県と一体となるよりも、沖縄単独の方が効果的」と回答している。 調査をまとめた藤中寛之調査員は「経済界の多くが、沖縄という単位で施策決定することが、経済にとってもプラスにつながると考えている」と分析した。 道州制の導入について「賛成」「どちらかといえば賛成」が95%を占め、「反対」「どちらかといえば反対」は3%だった。沖縄にとって望ましい地域割りとしては、沖縄単独州以外に「東京と一緒になる」(9%)、「九州と一緒になる」(2%)の順だった。 回答者の8割は、沖縄が単独州となることにより「県民の帰属意識」「自己責任・自己決定の自治意識」が向上すると回答した。 2008年 11月 03日
=大江さん著書の名誉棄損否定-沖縄戦集団自決訴訟 (時事2008/10/31) http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008103100653 太平洋戦争末期の沖縄戦で住民に集団自決を命じたとする虚偽の記述で名誉を傷つけられたとして、元日本軍守備隊長らが「沖縄ノート」の著者大江健三郎さん(73)と岩波書店を相手に、出版差し止めや慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決が31日、大阪高裁であり、小田耕治裁判長は請求を退けた一審判決を支持、元隊長らの控訴を棄却した。原告側は上告する。 一審と同じく、日本軍や元隊長による自決命令の存否のほか、出版が継続したことの違法性の有無が主な争点となった。 小田裁判長は一審判決に続き「軍が集団自決に深く関与したことは否定できない」と認定。直接の自決命令の有無は「証拠上断定できない」とした。 また、証言や文献などから「命令が通説だった1970年の出版当時は、これを真実と信じる相当な理由があり、公正な論評も逸脱していない」として名誉棄損を否定した。 2008年 07月 28日
(世界日報 2008/7/26) 直行便、今月末から毎日運航 ■ゴーヤーや島ラッキョウなど 沖縄ブランド創出へ 仲井真弘多知事はじめ県関係者および県経済人代表ら約六十人の香港経済視察団(団長・國場幸一県商工会議所連合会会長兼沖縄香港日本人協会会長)が先月十六日から十九日まで香港を訪問、香港と沖縄との観光、経済交流の促進に弾みを付けた。(那覇支局・竹林春夫) 「香港エクスプレス航空の直行便開設を契機に、香港と沖縄との交流をしっかりやりたい。観光振興から物産PRまで有益な活動にしたい」 仲井真知事は六月十六日夜、那覇国際空港で行われた香港視察の出発式でこう語り、香港との交流に意欲を見せた。 視察は、知事・県関係者グループと経済視察団の二つに分かれて行われた。 知事関係者によると、仲井真知事は香港滞在中の十七日に、香港エクスプレス航空本社にロニー・チョイ社長を訪れ、直行便開設のお礼とともに沖縄からの香港観光への努力を示した。これに対し、チョイ社長は沖縄路線の好調な状況を踏まえ、さらに増便を検討すると伝えた。 香港エクスプレス航空の直行便は、四月三日から開始、現在、週四便運航しているが、香港・沖縄間の平均搭乗率が75%と好調だ。この実績を踏まえて、今月二十九日から十月二十五日までの三カ月間毎日運航することになった。 知事はその後、沖縄行き観光商品販売旅行社など観光関連企業を訪問したほか、那覇空港の国際貨物基地化を目指す全日空(ANA)関連会社のアジア航空貨物ターミナルを視察した。 その間、県産品の特売をしていたシティースーパー・タイムズスクエア店では、経済視察団と合流。知事は沖縄県の法被を羽織り、地元客に県産のゴーヤーや黒糖、パイナップル等を一人一人手渡した。 先月十八日には知事は、日系スーパーや香港政府運輸・住宅局長などを訪問したほか、夜には、香港在住の県系人経営「えん」グループの店「ちゅら」を訪れ、地元の人や県人会の人々と会食をした。「知事の積極的な姿勢にわれわれも刺激を受けた」と視察団団長の國場会長は語る。 一方、経済視察団は十七日、香港貿易発展局や香港政府投資推進局から香港の貿易状況、投資状況のレクチャーを受けたほか、香港ジェトロで日本と香港との貿易状況の説明を受けた。 「返還後の香港の経済発展力には目を見張るものがある。沖縄で何を参考にして、何ができるか、少しヒントを得た」 視察団員の会社社長は、自社商品の香港への市場開拓に向け可能性を探っていた。 沖縄県は平成十八、十九年の二年間にわたり、「沖縄県産品海外展開戦略構築事業」を展開。その一環として香港の大手日系スーパーに県産野菜を出荷し、当初の試験販売から今では本格的な常設販売へ移行した。香港では、中国野菜の残留農薬問題から高品質のメード・イン・ジャパンの野菜に人気が集まり、今年度は約四千㌧の輸出目標を掲げている。 今後は、先行する本土産野菜との価格競争は残るものの、冬場の端境期を中心に定番野菜を販売し、将来的にはゴーヤーや島ラッキョウなど沖縄ブランドを創出していく予定だ。 視察団は十八日には、香港からマカオに高速船で移動。マカオは世界遺産で有名だが、何といってもカジノのホテルが乱立する島だ。マカオでは、マカオ政府観光局を訪れ、観光産業の概要に関するレクチャーを受けた。マカオには中国、香港からの観光客が大半を占め、マカオ税収の約八割がカジノ収入であり、今後もカジノを建設する予定だ。 視察団からは、カジノから派生する教育問題、人材育成問題などの質問が出たが、「経済的に豊かになっているマカオ市民にとって大きな問題ではありません」と同局担当者の答弁だった。 その後、ウィン、ベネチアンなどのカジノ施設を視察した。「カジノというより一大リゾート施設だ」――視察団の一人は、その規模の大きさ、エンターテインメントの種類の豊富さに驚きを隠さなかった。 2008年 07月 22日
(時事 2008/7/18) http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008071800712 沖縄県議会は18日午後、日米両政府が進める米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)を名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部に移設する計画に反対する決議を、社民党系会派や共産党など野党の賛成多数で可決・採択した。現在の移設案への同県議会の反対決議は初めて。決議に拘束力はないが、仲井真弘多知事の対応に微妙な影響を与えそうだ。 同日採択された決議と意見書は、代替施設の建設について「基地の過重な負担と固定化につながる」と指摘。「大規模な埋め立てによる環境破壊につながる新基地建設には断固反対」として、日米両政府と仲井真知事に移設断念を求めている。 2008年 07月 22日
(2008/7/13) http://www.okinawatimes.co.jp/day/200807131300_05.html 道州制の導入をにらみ、沖縄の自治、自立の在り方を考える市民講座「道州制・自治州、あなたはどうする」(主催・沖縄大学地域研究所)が十二日、那覇市の沖縄大学で開かれた。沖縄道州制懇話会座長の仲地博・琉球大学教授による講演のほか、「第一回民衆議会」と銘打った討議には市民や研究者ら十三人が登壇して持論を展開。最後に行われた「議決」では、「沖縄単独州」が圧倒的に支持された。 ■好機到来 市民約百人が参加。「民衆議会」には、市民弁士が次々と登壇し、持論を熱っぽく語った。 登壇者の大半は、沖縄の地理的特性や歴史的経緯から「沖縄単独州」を支持。琉球自治州の会の大村博さんは「琉球民族の自決を求める最大のチャンス」、自治体学会の座安英明さんは「奄美群島の民意を確認した上で、合流も視野に入れるべきだ」と述べた。 ただし、経済や財政面での不安の声も上がった。嘉手納基地の民間空港化や産業集積などによる経済的な自立の必要性が指摘されたほか、南九州や四国各県との合流案や、東京との併合案も飛び出した。 ■英知結集 一方、沖縄自治研究会の濱里正史さんは「国も自治体も破たん状態。少ない財源を生かす点でも、単独自治州のような高度な自治権が必要になる」。 沖縄経済同友会道州制委員長の仲本豊さんも「経済や財政の自立は必須条件ではなく、制度に合わせた財源措置を考えればいい。必要なのは理論の構築と発信だ」と訴えた。 最後に参加者全員で行われた「採決」では、単独州が圧倒的多数を占め、九州州は二人、東京州は七人だった。 仲地教授は「道州制が始まったとき、沖縄が再び『一方的に決められた』と思わないため、今から英知を集めて向き合わなければならない。こうした民衆議会が引き続き行われることに期待したい」と話した。 2008年 07月 07日
(世界日報 2008/7/3) ■すさまじい“同調圧力” 一方的「沖縄戦」描写が背景に 記者(鴨野)が沖縄戦集団自決問題の取材に取り組み、丸二年がたとうとしている。いろいろな人々との出会いがあったが、鮮烈なエピソードを一つ紹介したい。 それは今年三月上旬、座間味島である一人の老婦に取材中の出来事だった。彼女は六十三年前、米軍の容赦ない攻撃にさらされた座間味島の様子を語ってくれた。 ――昭和二十年三月二十五日夜、伝令が来て「忠魂碑前に集まりなさい。向こうで皆死ぬから、奇麗な服を着けてきなさい」と言われたが、はだしで服はボロボロだったのを覚えている。「だって、服の端が木に引っ掛かっても、戻って外す時間もない。そんなふうに逃げ回っていましたから」 幼子と避難していた時のこと。村の長老から「敵に見つかってはまずいから、子供を窒息させて殺しなさい」と迫られた。「絶対できない。あなた方から先にやりなさい」と精いっぱい反論した。何人かの島民が子供や孫を崖(がけ)から突き落とし、「自分たちも目隠しして後ろ向きに崖から飛び降りる」と言って出掛けて行った。だが、しばらくして家族を殺すことも自ら死ぬこともできずに戻ってきたという。 間もなくして番所山で、梅澤裕隊長と出会う。「元気で良かったね」と喜ぶ隊長にうれしくて抱き付いた。十数人の村人と一緒にいたが、「おれたち、どうせ死ぬならば、米軍に耳を切られたり、女性たちが強姦されたりするよりは、日本軍の手で殺してくれ」と頼んだ。すると梅澤隊長は「ダメだね。まだまだ早い。われわれが戦争に来ているのだから。生きられるだけ生きなさい」と拒絶した。 彼女は生き延びることができたが、戦時中、急性肺炎で三歳の子を亡くした。戦後、貧しい中で生まれた娘を懸命に育ててきたという。その老婦人の顔に刻まれたしわと柔和な笑顔から、過酷な運命に恨み言を言わず、じっと耐えてきた人間の強さをうかがい知ることができた。 そんな戦時中の大変な思い出に、静かに耳を傾けている最中に突然、あいさつもなくヒステリックな声が縁側から飛び込んできた。 「何でテープなんか録(と)っているんですか。母はぼけていますから、もう帰ってください!」 瞬時に老婦の表情が曇って、沈黙した。苦労して育て上げた実の娘から「ぼけている」と言われた母は悲しげだった。吐き捨てるように言って去った娘の後から、今度はその夫が出てきて、「この村が島を挙げて、教科書問題で国に対して異議を唱えているというのに、あなたがかき乱しているじゃないか」と、記者を案内した宮平秀幸氏を難詰した。 少数派の意見を許さない「同調圧力」を、身をもって体験したひとときだった。勇気を持って新証言を口にした人々に、とりわけこの圧力は激しかった。 本当は、梅澤隊長は村幹部に対し自決を思いとどまるように語ったと証言した宮城初枝さんも例外ではない。娘の晴美さんは『母の遺したもの』(旧版)の後書きで、「母の“新たな証言”に怒り、母を厳しく追い込んだ人」がいたと、わざわざ書いているほどだ。その晴美さんもまた、その本を出すことで、沖縄の「同調圧力」にさらされて屈してしまうのだが〓〓。 その圧力は、「赤松隊長のニセ命令書」に言及した照屋昇雄氏宅には相次ぐ無言電話という形で表れた。本部壕(ごう)での梅澤隊長と村幹部のやりとりを証言した宮平秀幸氏の場合は、三月に宜野湾市で講演すると知れるや、さまざまな嫌がらせという形となった。 この圧力はどこから生まれてくるのだろうか。その“源流”には、地元メディアが描き出す「沖縄戦」のイメージがある。戦争を知らない多くの県民は、そこで描かれる日本軍の残虐非道ぶりに驚き、その怒りの矛先は政府や異論を唱える人たちに向かう。 また沖縄をリードする六十代から七十代の人たちの戦争体験のほとんどは、「被害者」としてのそれであり、戦争に主体的に関与し、決断、行動した体験はない。二言目には「強制された」「命令された」という言葉が口を突く。 こうした幼いころの戦争体験を抱く者の鬱積(うっせき)と、戦争を直接知らないが、メディア報道で知る「沖縄戦」への憤りが、「同調圧力」の源泉にあるように思えてならない。そして、これを悪用する勢力がいる。 大阪高裁で六月二十五日、沖縄戦集団自決訴訟控訴審第一回口頭弁論が開かれた。この訴訟の行方は、この沖縄戦を、日本本土が沖縄を犠牲にした典型事例として語り継ぐのか、それとも、それは左翼勢力が流した宣伝デマであったと保守が反論する決定的な足場をつくることになるかを左右する点で重大である。 歴史の真実とは、その時代を生きた人間の真実と重なろう。そのありさまを、引き続き取材していきたい。 < 前のページ次のページ >
|
アバウト
検索
カテゴリ
■マスコミ全般
■マスコミ(NHK) ■マスコミ(朝日新聞) ■大東亜戦争・東京裁判関連 ■南京大虐殺について ■領土(尖閣・竹島・北方等) ■人権・同和・子供の権利 ■介護・年金・少子・高齢問題 ■公明党・創価学会 ■北朝鮮関連・拉致など ■国旗・国歌・愛国心 ■夫婦別性問題 ■教育(教育基本法・愛国心) ■教育(ゆとり・学力低下) ■教育(読書・国語・英語) ■教育(歴史・教科書問題) ■教育(子育て・家庭、道徳) ■教育(日教組問題) ■宗教・心・精神 ■感動の話・誇れる話 ■我が国の現状(情けなさ) ■御皇室・神話・建国 ■治安・犯罪・暴力団など ■医療・福祉行政について ■男女共同(性教育・家庭科) ■靖国神社 ■抗議・要望先 ■憲法問題 ■国際問題・国連問題 ■経済・税金・産業・宇宙 ■政治家・官僚関連 ■支那関連 ■韓国問題 ■自衛隊・軍隊・防衛問題 ■自殺について ■脳死について ■国家のあるべき姿 ■環境・食料問題・農業 ■提言:凛とした風を! ■日本人としての生き方 ■中東情勢について ■民主党について ■在日関連資料 ■日韓併合について ■中国人・朝鮮人強制連行 ■戦後賠償について ■遺棄化学兵器 ■従軍慰安婦問題 ■外国人参政権問題 ■過激派・左翼の実態 ■請願・決議の文章 ■スパイ事件・情報機能 ■台湾問題 ■ロシア関連 ■731部隊 ■支那事変全般 ■自由民主党 ■アメリカ事情 ■無防備宣言 ■地方自治体について ■外務省の醜態 ■高金素梅 ■ODA関係 ■東アジア共同体 ■裁判所・弁護士の異常 ■共産党・社民党 ■上海協力機構 ★その他 ★★講演用-重要資料 ■朝日社説・天声人語 ■人権擁護法案 ■ネットワークの成果 ■南シナ海 ■対馬 ■太平洋島嶼国 ■エネルギー・資源 ■民主化運動について ■インド関連 ■中南米関連 ■教育行政全般 ■アフリカ関連 ■東南アジア関連 ■朝鮮総連関連 ■核問題 ■日経新聞・社説 ■毎日新聞・社説 ■読売新聞・社説 ■共同通信社 ■TBS ■産経新聞・社説 ■朝鮮人の恨めしさ ■フリーター・ニート ■外国人労働者・移民問題 ■地方分権問題 ■現政権の動き ■APEC・ASEAN ■オーストラリア関連 ■EU関連 ★明治維新 ■自治基本条例・住民投票 ■ヨーロッパ関連 ■日本海呼称問題 ■健康には ■ユニバーサル社会基本法 ■沖縄問題 ■リーダーとは ■日本人の和の心 ■日本人の誠の心 ■日本人の勤勉の心 ■日本人の信仰心 タグ
我が国の情けなさ(391)
売国奴たち(208) 抗議・要望先(190) ◆講演会-資料集(147) 東京裁判(117) データ・世論調査など(99) 少子化問題(70) 竹島(59) 同性愛(53) 東シナ海・ガス田(49) 支那人の恨めしさ(36) 支那・スパイの活動(10) ネットワークの成果(10) 教育の愚かさ(9) 支那の外交(9) 支那・侵略の戦略(9) 支那・軍事力(7) 政府の無駄使い・あきれ話(7) 中央アジア(2) 支那・環境問題(1) メモ帳
ライフログ
お気に入りブログ
以前の記事
2009年 06月
2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 最新のトラックバック
おすすめキーワード(PR)
ファン
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||