2009年 06月 12日
(産経 2009/6/11) 若き日の林忠崇(中公新書・中村彰彦著「脱藩大名の戊辰戦争」から) ■高楊枝と“桐の下駄” ◆筋を通す意地や信念 「武士は食わねど高楊枝(ようじ)」という言葉もほとんど死語と化したかもしれない。しかし、政治には筋を通す意地や主義主張への信念こそ大事であり、損得や“風”を勘定して政界を遊泳する人はどこか尊敬されないものだ。長い目で見ればブレない政治家の生き方に共感する有権者も多い。 郵政解散時に選挙区へ公認対立候補を立てられ、落選した若い政治家もいる。自民党を離れて4年間、節を曲げずに「武士は食わねど高楊枝」と気張った元議員の返り咲きを期待する声も高い。 幕末にも筋を通した武士(もののふ)は少なくない。なかでも脱藩大名と謳(うた)われた林忠崇は、その気概と信念で他を圧している。今の千葉県にあった請西(じょうざい)1万石の領地を朝廷に返上し、自ら脱藩浪人となって徳川の恩顧に応えるべく、新政府軍と戦った稀有(けう)の人物である。 大名自ら脱藩した例は彼以外になく、いまや浪人となった家臣団とともに一藩あげて徳川家のために立ち上がったのだ。死を予期して明治元年に詠んだ辞世は凄絶(せいぜつ)である。 「真心のあるかなきかはほふりだす腹の血潮の色にこそ知れ」 林家は小禄とはいえ、正月元旦に徳川将軍より最初に盃(さかずき)を賜る名誉の家柄であった。「丸のうち三つ頭左巴に下一文字」の家紋は丸で賜盃、一文字で一番目を強調している。それは「献兎賜盃(けんとしはい)」なる儀式と関係していた。 林家の祖先が貧窮を極めながら、徳川(松平)家の遠祖のために元旦の雪の野で兎(うさぎ)を捕まえ、麦飯と兎肉の吸い物で供応したことを歴代の将軍が徳としたからだ。 ◆義と誇りかけ立ち上がる 加えて林忠崇は、文武両道にすぐれ、将来の幕府を担う譜代大名として嘱目(しょくもく)された逸材であり、徳川を絶家にしようとする新政府の姦計(かんけい)を憎んだのであろう。 義と誇りをかけて立ち上がった忠崇の颯爽(さっそう)とした姿は、中村彰彦氏の小説『遊撃隊始末』の冒頭にもリアルに描かれている。 忠崇の凄(すご)みは、大名として家臣団への責任感や反抗への戦略眼に恵まれていた点にもある。頼った仙台藩も新政府に恭順降伏すると、折から徳川家の存続と最後の将軍慶喜の命が保障されたので、これ以上の抵抗は私戦にすぎないと判断した。これは凡(ぼん)な発想ではない。降伏した忠崇は切腹こそ免れたものの、甥(おい)の忠弘に家を相続させても旧大名としての華族礼遇を与えられなかった。こうして忠崇は、旧大名として政治家や官僚に転じる道を封じられてしまう。 しかし、人間としての本当の凄みはここから始まる。明治5(1872)年に赦免された忠崇は、とても名門の末裔(まつえい)とは思えぬ人生を送る。まず旧領地で鍬(くわ)鋤(すき)を振るう開拓農民となり、東京府の学務課下級官吏、函館の物産商の番頭、大阪府の役所書記などの職を20年以上も転々とした。普通の没落士族でもつらい有為転変である。 ◆世襲なげうった心意気 忠崇のたくましい精神力には驚くほかない。これだけの人生体験をもった旧大名が政治家や官僚になっていたなら、多彩な経験をいかしてどれほどの業績を挙げたであろうか。 天道是か非か、である。忠崇は、どの時代の政治家が望んでも得られない94歳の長寿をまっとうした。雅号は一夢。人生はまことに一炊の夢のようだというのだ。 彼の悟達は晩年に詠んだ句がよく示している。 「琴となり下駄となるのも桐の運」 いま世襲議員の功罪がしきりに取り沙汰(ざた)されている。社会で堅実な下積み経験をもたず、官庁や企業の採用試験も受けずに、20代で家業として政治家を継ぐ若者には、世襲大名を擲(なげう)った忠崇の心意気とまではいわぬが、せめて一時でも“桐の下駄”となる試練だけは味わってほしいものだ。(やまうち まさゆき) ◇ 【プロフィル】林忠崇 はやし・ただたか 嘉永元(1848)年7月、上総請西(かずさじょうざい)=千葉県木更津市=藩主の五男として生まれる。20歳で家督を継ぎ藩主となる。林家はわずか1万石ながら、若年寄など徳川幕府の要職を務める家柄だったため、忠崇も忠誠心に富んでいた。戊辰戦争で、伊庭(いば)八郎らが率いた旧幕府軍の遊撃隊から協力を求められると、忠崇は徳川家や請西藩領民に迷惑をかけまいと脱藩し、出陣したが、敗北。新政府は脱藩を反逆とみなし、忠崇は江戸唐津藩邸に幽閉された。明治5(1872)年、釈放され、帰農した。同26(1893)年、林家の家名復興の嘆願により、華族の一員になった。その後は宮内省や日光東照宮に勤めたが、昭和16(1941)年、都内の次女宅で死去。94歳だった。最後の大名ともされる。 2009年 05月 22日
(伊勢 2009/5/18) http://www.isenp.co.jp/news/20090518/news02.htm 県と県金融広報委員会は十七日、津市羽所町のアスト津で平成二十一年度消費者月間記念講演会「くらしとおかねのお役立ちヒント~日米の生活体験を通じて」を開いた。タレントで山形弁研究家のダニエル・カールさん(49)が、日米のお金に関する教育の違いを語った。 米国出身のダニエルさんは、八歳の時に父親から渡された「契約書」にサインをし、家の仕事を与えられた。規則に違反すると、小遣いをもらえなかったという。そのため、「日本で『お金ちょうだい』と気軽に言う子どもを見てたまげた」と話し、「お金はもらうものでなく、稼ぐものだと教えてほしい」と訴えた。 また、同国カリフォルニア州の高校では運転免許の取得や子育て、クレジットカードに関する授業があると紹介し、「米国の高校は卒業してすぐに大人になるための準備段階で、日本の高校は大学受験のための準備段階になっている」と比較した上で、「日本では誰がお金のことを教えるのか?」と疑問を投げかけた。 2009年 05月 22日
(産経 2009/5/14) ≪■2人の政治学者の死に≫ 昨年末に国際政治学者の永井陽之助氏が亡くなり、今年2月には同じく神谷不二氏も亡くなった。お二人とも、いわゆる「現実主義」の論客として学界と論壇をリードしてこられた方である。ご冥福をお祈りしたい。 「現実主義」とは何か。代表的論客だった高坂正堯氏の説に耳を傾けよう。 それは「…社会・歴史・政治について、それに内在する不可知なものを承認し、簡単な図式でもって置き換えないこと、そして、目的と手段との間の相互関連性を認め、この両者の間の生き生きとした会話を重視することを説くものなのである」。 インターネットを含む最近の言論界では、「保守」や「保守主義」が標榜(ひょうぼう)されることは多いが、「現実主義」の説かれることは少ないように思う。「保守」は伝統と結びつくこともあろうし、「タカ派」的イメージと重なる部分もある。 しかし本来、「現実主義」や懐疑主義とも連動するはずである。これらと接点をもたない「保守」は、狭量で硬直したものになりがちである。 例えば、「あの人は真の保守ではない」といった非難は、保守すべき目標以上に「保守」的な姿勢を自己目的にしてはいまいか。また、複雑な社会・歴史・政治を「保守」と「リベラル」という「簡単な図式」で判別することを、「現実主義」は避けようとしてきた。さらに、ある特定の立場を「真の保守」と断定するような姿勢には、不可知なものへの謙虚さや自らを懐疑する知恵が欠けている。 ≪■抵抗ポーズにも厳しさを≫ おそらく、自ら「保守」を標榜する人々の一部は、依然として日本社会が「リベラル」に汚染されていると嘆じ、自称「リベラル」(しばしば狭量で不寛容であるが)は社会の「保守化」を憂えている。いずれもが「過慮」(中江兆民)であろう。「過慮」は言論を過激にし、不寛容を助長する。 中国や北朝鮮ならいざ知らず、言論の自由の保証された日本社会では、「保守」にせよ「リベラル」にせよ、過激な言論を展開することに、実はそれほどの勇気はいらない。むしろ、中庸な意見のほうが、折衷主義や妥協的、現状追従といった非難を浴びやすいかもしれない。 「政治権力への抵抗のポーズそれ自身が何かに対するひとつのサービスなのだ、という現代の逆説に厳しい自覚を欠いた言論は、いつかまた、世論や民衆のムードの変化に応じて、たちどころに総転換が始まるだろう」と、永井氏は指摘している。「何か」に激烈に抗議・抵抗するポーズが、実は別の「何か」への迎合や追従でありはしないか。 去る4月5日の北朝鮮によるミサイル発射実験を受けて、日本の安全保障体制に多角的な見直しは必要である。しかし、ここから安直に核武装論を導き出すべきではない。念のために言うが、筆者は核武装を議論することを否定しているのではない。目的と手段との「生き生きとした会話」の必要性を喚起しているのである。 北朝鮮の脅威に対応する上で、核武装が最も妥当な選択か、核武装に伴うリスクやコストは何か、さらには、どのような方法でどのような種類の核武装を行うのか-こうした論点を十分に検証しなければならない。核武装は「劇薬」であり、場合によっては日本国の存亡にかかわる。愛国心をもった人間なら、思いつきだけで議論はできないはずである。 ≪■優先順位の感覚と寛容を≫ 核をもつ意思表示で抑止効果が生じると説く人もいる。 しかし、意思だけで方法論を欠けば、議論に信憑(しんぴょう)性がなく、抑止効果は生じない。 まして、日米ニュークリアシェアリング(核の共有)論なら、アメリカの意思も問題になる。在日米軍の大幅削減論や真珠湾コミンテルン陰謀説とセットでそれを論じても、効果は乏しかろう。逆に、意思表示だけで、日本に対するネガティブ・キャンペーンの材料にはなるかもしれない。 多くの場合、過激な言論を説くことは容易だし、不安や不満の蔓延(まんえん)する現下の社会では、過激な言論に一時的に身を委ねることで、ある種の清涼感が得られるかもしれない。 しかし、目的と手段との間に「生き生きとした会話」を欠く核武装論では、一時的な清涼感以上のものは期待できない。 もとより、将来により精緻(せいち)な核武装論が展開されるかもしれない。だが、政治や戦略にとっては優先順位が重要である。安倍元首相が着手した集団的自衛権の行使に関する見直し作業は、未完のままである。その安倍氏も最近の訪米で、バイデン副大統領に包括的核実験禁止条約への調印を促している。 つまり、核軍縮の潮流を重視しているのである。日本の国連安保理常任理事国入りも果たせていない。地球環境やエネルギー、海洋政策でも国際協力を進めていかなければならない。 日本の外交課題が山積する中で、「保守」が「現実主義」と再び合流し、優先順位の感覚と寛容の精神を再発見することに、心から期待したい。 2009年 05月 22日
(産経 2009/4/30) ■移植臓器の提供先を明らかに ≪■ドナーが決定的に不足≫ 今国会に提出の重要法案の一つに臓器移植法改正案がある。 この法案の主要目的は2点。1点は子どもへの臓器提供機会の拡大。もう1点は、海外で移植手術を受ける日本人が増えたことへの海外からの批判への対処である。 そのための改正論議とのことであるが、まったくピント外れ。最大問題はドナー(臓器提供者)が決定的に少ないこと、それをどうするかということなのである。 現行臓器移植法は、成立してから13年目に入るが、その適用はまだ81例とのこと。1億3000万人に対してこれでは法の存在意義すらないに等しい。それほどドナーは少ないのである。 ではどうすればよいのか、ドナーを増やす方法はあるのか。 ある。その方法について、私は15、16年も前から述べているのにだれも耳を貸そうとしない。 私はこう主張している。臓器提供を可能にするのは、日本人の死生観と合致するときである。その合致がないかぎり、いくら法律をいじくっても、臓器提供は増えない、と。 世界的に言えば、代表的死生観は3種に集約できる。 移植臓器の提供先を明らかに 一つは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教すなわち一神教のそれである。この場合は、神を信ずる者には魂の救済があるので、なによりも信仰第一。また、神が天地創造の際、人間の姿を土で造り給(たも)うたとするので、遺体は元の土に帰るだけ。それなら、遺体から臓器提供しても神の意志に反することはない。いや、むしろ他者のために積極的にさえなりうる。 いま一つはインド諸宗教(インド仏教も含む)の死生観。それは輪廻(りんね)転生であるから、魂は次々と転生してゆくが、どういう世界に生まれるのかは不明なので、肉体は夢幻にすぎず、遺体は火にかけ散骨する。祖先は祭らず、墓も作らない。だから、貧しい者は生きているときでも腎臓を1つ売ったりする。まして遺体の臓器提供に抵抗はない。 ≪■儒教融合した独自死生観≫ 最後に儒教文化圏、特に日本。インド仏教は中国に伝来して後、儒教の死生観と融合し、それが日本仏教においてさらに深化し独自の死生観となる。 すなわち、インド仏教的に本尊に対しては輪廻転生の苦しみからの軽減を乞(こ)い、一方、儒教的に祖先(位牌(いはい))に対しては祖先からの連続に感謝する。この仏・儒両儀礼において、実質的には祖先祭祀が中心となる。 祖先祭祀とは、天空にある魂(こん)(精神)と、墓に眠る魄(はく)(遺体)とを呼び出して合体させる儀礼であり、魂魄は位牌に依りついて遺族、子孫と再会することとなる。このとき、子孫は祖先との生命の連続を意識する。これが日本人の死生観の根元である。 さて、もし20歳まで成長した子が交通事故に遭い、頭部だけを打って死亡し、首から下は健全であったとき、臓器提供をする条件は備わっている。 そういうことは理屈では分かっている。しかし、もし身体の一部でも提供するとしたならば、すなわち身体を〈欠損する〉としたならば、祖先祭祀の儀礼(法要)のとき、完全な形の身体で現世に帰ってくることができないという抵抗感、拒絶感があるのである。 もちろん、それは土葬時代の感覚であり、今日のようにインド仏教風に荼毘(だび)に付す、すなわち遺体を火にかけて焼く以上、原形はどこにもない。 しかし、おそらくは何千年と続いてきた遺体観はそう簡単に変わるものではない。 だが、そのような遺体観、延(ひ)いては死生観を乗り越えて臓器提供をしようと思っても、ブレーキがもう一つある。それは、臓器の行き先が不明という点である。 ≪■提供者の慰霊祭も必要≫ 聞けば、アメリカで臓器提供者側の者が、提供先を知り恐喝的に金銭を要求した事件があったらしく、それ以来、提供先を明らかにしないのが通例となり法律化してきた歴史が今日に至っている。 けれども、日本はアメリカとは異なる。生命の連続を重んずる感覚の日本人の場合、前掲の死亡した20歳の子の心臓は岡山県の△△さんの中で生きている、肝臓は愛知県の□□さんのところで…とあれば、子を失った悲しみの幾分かは癒やされよう。 いや、提供を受けた人との劇的な対面がいつかはありえよう。あるいは、亡き子の法要にその人たちの参列もありえよう。 求められれば臓器提供先を明らかにするということを法案に明文化しないかぎり、日本人の臓器提供が増える可能性はない。 また、祖先祭祀という慰霊は日本人の根本感覚である。とすると、臓器提供者に対して知事クラスが主催する慰霊祭もまた必要である。 医学部解剖学教室が行っている献体者慰霊祭は荘厳で感動的である。慰霊は百千万言の議論を越えて説得力がある。 臓器提供先や慰霊の問題を無視しての今の改正案は、まさに「仏作って魂入れず」に終わることであろう。 2009年 05月 14日
(時事 2009/5/11) http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=soc_date1&k=2009051100017 「一から出直して、純粋な音楽を作っていきたい」。自らを「裸の王様だった」と例えた小室哲哉被告(50)は公判で、栄華の頂点で自分を見失っていった後悔と反省を何度も口にし、音楽の道での再起の望みを語った。 小室被告の証言によると、全盛期の1990年代後半には年間100曲を作り、50組以上のアーティストを手掛けた。「最も充実し、スタジオに入るのが楽しかった」。 検察側が明らかにした同被告の供述調書などによると、高級外車や海外の別荘を次々と購入。音楽ユニット「TRF」のメンバー5人にそれぞれ1000万円ずつ贈り、「湯水のように金を使った」という。 ヒット曲は徐々に減少し、自らを「空席だらけの虚構の暴走列車」になぞらえた。昨年11月に逮捕され、音楽のない拘置所生活で「自分には音楽しかない。生涯音楽をやるべきだ」と改めて決意したという。 被告人質問では、1円も持たずに外出することもある現在の生活に言及。「100円玉一つでも大切に使おうと思っている」とも語った。 2009年 05月 09日
■「世の中の多くの人の為に、又お国の為にと言う考えで一生懸命に働いてゆけば、食う物も着る物も自然と随(つ)いて来るものじゃ」(豊田佐吉) 「何にいくら儲(もう)けたいの、これだけ儲けねばならぬと、そんな慾(よく)張った自分本位の考えじゃ駄目じゃ」に続く冒頭のことばは戦前発行の小冊子『豊田佐吉翁に聴く』(原口晃著)にあるという。 佐吉は、国が貧しいゆえに日本人の才能と素質が世界で発揮されていない、と感じていた。繊維産業を機械化して安く木綿製品をつくることができれば生活が豊かになり、世の中とお国のためになる-。そう考え、独学で発明に取り組んだ。明治40(1907)年のきょう、彼は改良型自動杼換(ひがえ)装置(織機)の特許を得た。完成形にはまだ年月を要するが、欧米に「追いつき、追い越せ」を実現する技術基盤がついに整ったのだ。 佐吉はまた、「国民外交」の提唱者でもあった。「官僚外交の前に国民外交が無ければならぬ。鎧甲(よろいかぶと)を脱ぎすてた平民同士、国民同士が互(たがい)に理解し合い、親しみ合い、互に提携して行こう」。そんな思いで中国に進出した佐吉は、「なるべく多くの支那人を雇うこと」、そして彼らに「なるべく多く儲けしめること」を実践しようとした。 理想主義的すぎるかもしれない。しかし、その佐吉が「世界のトヨタ」の祖であることは、一考に値する。 2009年 04月 25日
(産経 2009/4/25) 日本人とは何なのか。写真家の船尾修(48)は、アフリカやアジアの民族や風俗を撮影する過程で、そんなことを強く意識するようになったという。相手は日本人の宗教観や精神的な背景を聞きたがった。言葉を尽くすが、なかなか理解してもらえない。そのうち自分自身が日本人の心の源流をよく知らないことに気付いた。「写真は被写体と対峙(たいじ)する仕事。自分のことが分かっていないと、相手を撮れない」 8年前、大分県国東半島に東京から移り住んだのは、そんな思いからだ。古代仏教文化が栄えた土地。旧跡の熊野磨崖(まがい)仏など石仏が多く、地元の神をあがめる民衆信仰、火をつけた棒を振り回す奇祭「ケベス祭」など独特の風俗が今も生きていた。「ここなら日本文化の基層が見つけられる」。レンズの向こうには、信仰や風習が混然一体となった生活があった。異なる価値観をも抱え込み、自然をおそれ敬う人々の暮らし。「要するにカミサマホトケサマ。“何でもあり”が日本人だと思った」 掲載作の光景は、移り住んだ2年後の秋に出くわした。黄金色の稲穂の中に、デンと居座った大きな自然石。「収量は減るのに、岩をどかさない。何の変哲もない岩に神聖なものを感じているのでしょう」。五穀豊穣(ほうじょう)を願うご神体のような存在だろうか。異物とはとらえず、受け入れる。日本人の精神性の一端を、表しているようにも思える。(堀晃和) ◇ ■船尾修写真展「カミサマホトケサマ」 5月24日まで東京・西新宿のエプソンイメージングギャラリー・エプサイトで。入場無料。無休。午前10時半~午後6時。独特の民衆信仰が今も息づく大分県国東半島の祭りや風俗、自然を収めたカラー作品80点を展示。TEL03・3345・9881。 ![]() 2009年 04月 25日
(産経 2009/4/23) 第24回「正論大賞」(フジサンケイグループ主催)を受賞した立命館大学教授、加地伸行(のぶゆき)氏(73)の受賞記念東京講演会が22日、東京都千代田区のサンケイプラザホールで開かれた。 加地氏は「日本人の忘れたもの-教育・家庭・道徳」と題して講演。持ち前の軽妙な語り口で、戦後教育の問題点を鋭く指摘し、約600人の聴衆を沸かせた。 加地氏は、論語、儒教研究の第一人者。現代中国に関する鋭い分析や「日本語」を題材とした幅広い評論活動が高く評価され、第24回正論大賞を受賞した。 講演で加地氏は、戦後の日本の教育が本来、日本人の文化や伝統とは合わない「欧米流の考え方」を取り入れてしまったことに大きな問題があったと指摘。 「(欧米人の)『自由』や『個性』の概念は『神』という抑止力があってこそ成り立つ。それがないと、単なる利己主義になってしまう。われわれの抑止力は『祖先』で、祖先を敬う考え方が残っているのは東アジアだけ。今こそ日本人に合った教育を取り戻すべきだ」と述べた。 ◇ ■講演要旨 日本の戦後教育は「欧米のものまね」だった。だから日本人には合わないところがある。フランス革命が教えた「平等」なんて、学校で言うから子供たちの苦しみが始まるのだ。 東アジアには東アジアに合った教育があった。人間をどう見るか、人間に合うようにどう教育していくか。それを体系化したのが儒教だった。実は儒教は、「人間平等」なんて思っていない。1、2割は優秀だが、あとはボンクラというのが儒教の人間観だ。 だが、今の学校は「みんな優れている」「個性がある」という。儒教は優秀な人は相手にしない。優秀な人は自分で切りひらく。ボンクラをしっかり教育しようというのが儒教だ。難しいことは教えないで、大事なことをしっかり教えよう。だれもが学び、理解できることを教える。それが「型」なのだ。学校の大切な役目は「型」を教えることにある。大半の人は型を教えないと、どうしていいのかわからないからだ。わけもわからないままに社会にでてから困る人がどれほど多いことか。 「平等」「自由」もまた問題だ。本来は欧米の思想であって、(戦後教育では)教え方がまちがっている。自由というのは欧州では、自分で自分を律する(自律)。自分で律することができなかったら自分で立つ(自立)ことができない。立てば自己責任が出てくる。これができてはじめて個人主義が成り立つ。 なぜ欧米人にはそれが可能なのかというと、抑止力をもっているからだ。「神」が許さないのだ。欧米人には、唯一、絶対、最高の「神」が抑止力としてあるが、わが国にはそこが抜けている。それがないまま「個性」や「自由」を教えると、単なる利己主義になってしまう。 われわれにもかつては抑止力があった。東アジアの人間に共通する「祖先」だ。中東の地域ではユダヤ教やキリスト教、回教の一神教が生まれたため、祖先を敬うような考え方にはならなかった。祖先崇拝の大切さが残っているのは東アジアだけなのだ。 日本のお盆の迎え火や送り火もお釈迦様ではなく、ご先祖様だ。昔、空襲のとき、母はご本尊よりご先祖の位牌(いはい)をもって逃げようとした。それが日本の仏教なのだ。 教育学者や心理学者は家庭や親子関係の問題で、「もっとコミュニケーションをとれ」というが、われわれ日本人はそんなことが苦手。それよりも仏壇の前で家族で一緒に手を合わせたほうがいい。 2009年 04月 25日
岡野工業社長・岡野雅行(76) (産経 2009/4/23) ■慌てず、焦らず、あきらめず --これから、日本はどうしたらいいですか 岡野 やはり原点に戻り、一人一人まっとうな道でまっとうに生きるということかな。 --まっとうな道と生き方 岡野 他人さまや社会のお役に立ち、喜ばれる仕事に精を出し、家庭を大事に誠実に生きるってことだよ。 オレはただの町工場のおやじだけど、オレの注射針で、毎日毎日、インスリンの注射で苦しんでいた糖尿病の小学生から「ありがとう」といわれたときは本当にうれしかった。人生で最高に感動した瞬間だったな。 --いい話です 岡野 それはやはりおやじとお袋のおかげだな。 人によって違うだろうけど、オレの場合、小さいときからお袋に「お前は勉強できないんだから手に職をつけろ」っていわれてね。悪ガキで、今の学制なら中学中退のオレが、おやじの跡を継いで職人になれた。うちのおやじは寡黙でまじめな男だったけどオレはそんな両親がいたから一人前になれたんだ。だから今でもおやじの遺言を守ってるよ。 --遺言? 岡野 国は信用するな、銀行はアテにするな、保険に入るな、他人の保証人になるな、会社は大きくするな-の5つ。 他人をアテにせず、まず自分がしっかりしろっていう教えだろう。だから親ってえのはただ勉強、勉強って言うんじゃなく、何に向いているのか、子供の能力を見つけてやることが大事なんだよ。 --今の時代は難しい 岡野 そんなことはない。それは今の親が悪い。シッカリしていないからできないんだよ。親がちゃんと道を敷いてやらなきゃダメだよ。子供は遊びでも何でもいろんなものに興味を示すし、向かないものはすぐ飽きる。だから子供が選んだものは応援するんだ。子供は、興味のあることは誰でも夢中になり自分から勉強するだろう。「鉄は熱いうちに打て」って。 --確かに 岡野 それには何でもそうだけど、何事も「慌てず、焦らず、あきらめず」、地べたに足をしっかり踏ん張り、まじめにやれば、必ずいい結果が出るって。仕事だっていい仕事をすれば、次にまたいい仕事がくる。どんなに迷い失敗したって、最後に成功すればいいんだから。 2009年 04月 23日
(世界日報 2009/4/17) (社)日本国際青年文化協会会長 中條 高” 美しの国、心美しい人造りを ■一、日本は美しの国 今年の靖國神社の桜も、千鳥ヶ淵の桜も、花の命が長く、そして美しかった。 そもそもわが国は、四季に恵まれた美しの国である。寒い冬が去れば、やがて木々の芽吹く春がやってくる。山や野が芽吹く頃は、まさに「柳緑花紅」の季節で、一勢に花々が開き、桜の花も咲き競う。 周りの山野に桜花繚乱の気が満ちる時、日本人はなんとも言えない幸福の気分に満たされ、日本人に生まれてよかったなあという心の燃えるような感動が湧き起こる。 かつて本居宣長は「敷島の大和心と人問わば朝日に匂う山桜花」と詠い、日本人の心の根幹にある「大和魂」を桜に託して説いてみせた。桜の花のようにあざやかに咲き、パッと散る潔さこそ武人の誉れ、誇りであり、日本人固有の「恥の文化」の源であると説いた。また宣長は「物のあわれ」を知ることが、人として生きるうえで欠かせぬことだと説いた。「物のあわれを知ることとおしひろめなば、身を治め、家をも、国をも治むべき道にも、わたりぬべき也」と。 かつての戦争に臨み、たとえお国のために己の命を絶つことがあっても、「靖國神社の桜の下で会おう」と誓い若者たちは戦場へ赴いた。桜の花に己の運命を託すとの心情は「物のあわれ」を知る武人の矜持を語って余りある。平和ぼけした人達には思い至らぬことかも知れないが、宣長の賢さがなくとも、筆者たちの如く身を国のために捧げんとの決意をした経験を持つと、桜の花が「物のあわれ」を知ってこそ潔く生き抜くことが出来ることを無言の裡に語りかけているのが自ずと判るものだ。 ■二、桜と靖國神社 六十四年前、日本を精神的カルタゴ体制にしようと、GHQ(占領軍総司令部)は靖國神社を焼却しようと考えており、ローマ法王支庁のヴィッテル神父の提言によって命拾いをしたことは歴史の真実である。 共に散り 共に語らむ 靖國の桜花 みな靖國神社の桜の下で再会しようと誓い合ったものだ。今となっては、釈超空の如く「たたかひて果てし子ゆえ身に沁みてことしの桜あはれ散りゆく」と折角迎えた養子が、かの硫黄島の激戦で喪った悲しみを桜のあわれに託したのと同じように感ずる人も少なくはあるまい。 「咲けば散る咲かねば恋し山桜思い絶えせぬ花の上かな」。藤原公任が撰した「三十六人撰」の中の女流歌人が詠んだもので、わが子を亡くした彼女が京都東山の清水寺に籠もり、亡き子の冥福を祈った歌である。 これらの歌でも判るように桜の花は、日本人の魂の琴線に触れるなんとも名状しがたい感情、感性を呼び覚ましてくれるものなのだ。 ■三、桜を植える会 筆者は杏日本一の花の里に生まれた。四月半ば十万本を超える杏の花が一勢に咲く桃源境である。花は全て好きであるが、その中でも桜には殊の外思いが深く厚い。 士官学校では「振武の台の若桜」と校歌で唄い、兵科は歩兵であり「万朶の桜か襟の色」と歩兵の歌も桜であった。 戦後の学習院の校章も奇しくも桜であった。桜を愛で、桜を育てる心とは、まさにこの日本の美しき風土、自然に対する思いを深めていくことに他ならない。 「桜を植える会」で全国各地に桜を植え続け始めた。島崎藤村の「夜明け前」で有名な妻籠の宿のある「南木曾」や「日光」「信州高山村」「湯河原」「中伊豆」などなど桜を植える場所は日本全国に拡がっていく。 ■四、京都青蓮院門跡と桜 四月十日の京の空は飽く迄も碧く澄み、まさに春爛漫京の都は桜で埋まっていた。 この日は天皇皇后さまのご結婚五十周年のめでたい日でもあった。しかも天皇と従兄弟の東伏見慈晃氏が門主をお勤めになられる名跡青蓮院門跡の青不動明王の御開帳を記念しての桜植樹の記念式典の日であった。 寺域には四百年を超えるという楠の木が亭々として聳え歴史の古さを物語る。 又久邇家の菩提寺でもあるので、薩摩の島津家からお輿入れされた時の丸の十の字の島津の紋章の入った御輿も飾られている。 この日全国から集まる者百二十六名。 青蓮院の境内でもある山上の千日堂将軍塚は京都市街を一望に見下ろす絶景の地であり、桜、桃が満開であった。 東伏見門主のご説明によるとこの「将軍塚」は桓武帝の時、忠臣和気清麻呂がこの将軍塚にて平安遷都をおすすめした場所という。 その由緒深き場所に、かの丸山公園の枝垂桜の孫苗を二十五年有名な桜守りが丹念に育てたという立派な桜を植えることが出来た。 吾々の心をこめたこの桜がすくすく育ち、そのように国栄え、皇室の弥栄、世界の平和を祈る東伏見門主をはじめお坊さんたちの読経の声が心地よく今も耳朶に残る。 「散ればこそいとど桜はめでたけれ 浮き世になにか久しかるべき…」 花いっぱいの美しい国づくりをし、そこに住む日本人が足るを知り、心美しく、凛として生きるような人造りに残りの人生をかけたい。 < 前のページ次のページ >
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