2008年 11月 15日
(人民網 2008/11/12) http://j.people.com.cn/94474/94734/6532170.html 韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領はこのほど、日本の天皇がドイツのヴィリー・ブラント元首相を見習い、日本の第二次世界大戦中のアジアおよびその他の国への侵略行為に対して心を込めた謝罪を行うべきと述べた。英国メディアが11日に伝えた。 李大統領は韓国ソウルの大統領府でインタビューを受け、ブラント元首相について述べた。ブラント元首相は1970年12月7日、ポーランドの首都ワルシャワにあるユダヤ人被害者の記念碑を訪問し、花を捧げた後突然跪き、ナチスドイツが第2次世界大戦を引き起こしたことについて謝罪と後悔の念を表した。この行動が、戦後ドイツがナチスの歴史と別れを告げた象徴的な出来事となった。 李大統領は「ブラント首相の謝罪は、すべてのポーランド人、ヨーロッパ人、ないしは全世界の人々の心を深く動かし、ヨーロッパ各国のパートナー関係の転機となった。韓日関係を本当に前向きに考えるならば、日本の天皇にも同様の行動をとって欲しいと期待している」と述べた。 2008年 10月 26日
(産経 2008/10/23) http://sankei.jp.msn.com/world/europe/081023/erp0810230037000-n1.htm 第二次大戦中のナチスドイツによるイタリア人虐殺をめぐる損害賠償請求訴訟で、イタリアの最高裁判所(破棄院)はドイツ政府に対し、イタリア人遺族らに計80万ユーロ(約1億200万円)を支払うよう命じた。22日付のイタリア各紙が伝えた。 大戦中のイタリアでの虐殺に対する最高裁の賠償命令は初めて。判決は確定したが、ドイツ政府は賠償金支払いを定めた条約をイタリア政府と締結済みで、犠牲者やその遺族個々人への賠償責任はないとして支払いを拒否する構え。 中部トスカーナ地方を占領していたナチスドイツ軍は1944年6月、パルチザンの攻撃でナチスに犠牲者が出た報復として住民203人を虐殺。うち2人の犠牲者の遺族ら計9人への損害賠償の是非が争われた。 2008年 09月 18日
(USFL 2008/9/8) http://www.usfl.com/Daily/News/08/09/0908_015.asp?id=63689 太平洋戦争時に旧日本軍の捕虜となって過酷な収容所生活を送った元米兵や遺族に対し、1人当たり2万ドル(約217万円)の賠償金支払いを国防長官に求める国防関連法修正案が、米上下両院に提出されたことが8日、分かった。 修正案はビンガマン(民主)、ハッチ(共和)両上院議員らが超党派で提案。元米兵らは10日に議会を訪問し、法案成立に向けた支援を要請、記者会見を開く予定。 修正案は旧日本軍の捕虜になった米兵らに対する賠償が、終戦後に支払われた捕虜生活一日当たり2.5ドルにとどまっており、受けた苦難を考慮すると「まったく不十分」だと指摘。 英国やカナダなどでは旧日本軍の捕虜となった兵士が相応の賠償を得ているとして、1942年の「バターン死の行進」で知られるフィリピン・ルソン島バターン半島やコレヒドール島などの防衛に当たっていた元米兵とその妻計約1750人を対象に、最大で総額3500万ドルの支払いを求めている。 2008年 09月 04日
(読売 2008/8/31) http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080831-OYT1T00420.htm イタリアのベルルスコーニ首相は30日、リビア東部ベンガジを訪れ、同国の最高指導者カダフィ大佐と会談した。 リビア国営通信などによると、同国に対する植民地支配(1911~43年)の賠償として、イタリアが今後25年間で総額50億ドル(約5400憶円)の投資を行うことで合意した。 同通信によると、会談でベルルスコーニ首相は植民地支配を謝罪、カダフィ大佐は「この合意は両国の未来に門戸を開くものだ」と応じた。イタリアは賠償問題を片づけて、石油や天然ガスなどのエネルギー分野でリビアとの関係強化につなげたい思惑を持つ。 リビアは植民地時代に数千人が殺害されたとしてイタリアに賠償を求めてきた。 2008年 08月 11日
(聯合 2008/8/7) http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/08/07/0200000000AJP20080807003700882.HTML 昨年11月に日本の最高裁判所が日本政府に対し在韓被爆者40人への賠償を命じる判決を下したことを受け、残りの在韓被爆者2600人が日本政府を相手取り損害賠償請求訴訟を起こす方針を決め、その結果に関心が集まっている。 社団法人韓国原爆被害者協会は7日、韓国人被爆者の精神的損害に対する賠償として1人当たり100万円ずつ、合計26億円の支払いを日本政府に求める方針を決め、来月中に日本の地方裁判所に提訴すると明らかにした。 訴訟は協会の支部別に分けて行われ、釜山支部と慶南支部は長崎地方裁判所に、ソウル支部と畿湖支部、湖南支部は広島地方裁判所に、慶北支部と陜川支部は大阪地方裁判所にそれぞれ訴訟を提起する構えだ。 ただ、協会側は訴訟に先立ち、代表団が11日に日本の厚生労働省を訪問する予定となっている。日本政府との事前調整を通じ損害賠償金の支払いを受けたい考えだ。同協会のキム・ヨンギル会長は「昨年11月に協会員40人に対し下された判決は、残りの被爆者2600人にも同じように適用される内容」と主張する。訴訟に至る前に合意によって解決されるよう、日本政府に面談を要請したと説明している。 2007年 06月 16日
(産経 07/6/4) 今春、成立した政府の平成19年度予算に「在サハリン『韓国人』支援」の名目で約3億円が盛り込まれたことを一体どれだけの国民が知っているだろうか。 「人道的支援」の名の下、サハリン残留韓国人問題で政府が拠出してきた金はすでに70億円近い。だが今夏以降、サハリンから韓国への帰国事業を拡大することになったため、日本も新たな負担を求められることになったのである。 戦後、60年以上が経過し、もはや支援対象者はほとんどいなくなったはずだ。“理由なき支援”が続く背景は…。 韓国・ソウルから電車で約1時間の安山市に、サハリンからの永住帰国者約1000人が住む「故郷の村」のアパート群がある。2000年に日本が建設費約27億円を出して造った(土地代・維持費は韓国側が負担)施設だ。 バス・トイレ付きの2LDK。家賃は無料、生活費として1世帯あたり日本円にして約10万円が韓国側から支給されるから、ぜいたくさえしなければ生活に心配はない。 ほかに、病弱者を対象とした療養院もあり、建設費はもちろんヘルパー代まで日本が出している。これらは平成7年、周辺国への「謝罪」に熱心だった村山内閣時に決定されたものだ。 日本の支援はこれだけではない。日韓の赤十字が運営する共同事業体に拠出する形で、 ▽永住帰国はしないが、韓国への一時帰国を希望する人たちのサハリンからの往復渡航費と滞在費を負担(今年3月までに延べ1万6146人が一時帰国) ▽サハリンに残る「韓国人」のための文化センター建設(04年竣工(しゅんこう)、総工費約5億円) -など、相手方から求められるまま、至れりつくせりの支援が行われてきた。 ◆◇◆ だが昨年秋、韓国側は「まだサハリンには韓国への永住希望者が3000人以上も残っている。今年夏以降、数百人単位で順次、帰国させたい」として、日本側に新たな支援を求めてきた。 日本が建てた永住帰国者用の施設にはもう空きがない。ついては、別の公営住宅などを借りるからその家賃を日本側で負担してほしいという話である。 さすがにそれは拒んだものの、結局、サハリンからの渡航費などは日本側で支援することになった。それが冒頭に挙げた約3億円だ。 そもそも、戦時中に労働者としてサハリンに渡ったのであれば80代、90代になっているはず。 戦後60年以上たっているのにいまだに「支援対象者」が絶えないのは、支援者の条件が単に、「終戦前から引き続きサハリンに居住している『韓国人』」などとなっているからだ。 この条件なら終戦時に1歳の幼児だったとしても支援対象になるし、日本とのかかわりも問われない。実際、現在の対象者の多くはサハリン生まれの2世たちである。 戦後、北朝鮮から派遣労働者としてサハリンに渡った人など、「日本とは何の関係もない人」まで、支援を受けていることが分かっている。 ◆◇◆ 戦時中、朝鮮半島からサハリンへ行った労働者は企業の高い外地手当にひかれて、自ら海を渡った人が多かった。 しかも、彼らが戦後、帰国できなかったのは、当時のソ連が北朝鮮に配慮して国交のない韓国への帰国を認めなかったからだ。だから「日本に法的責任がない」という政府の主張は間違っていない。 百歩譲って、アジアの大国としての「人道的支援」は認めるとしても、すでに使命は十分に果たしたはずである。それなのに、支援を打ち切るという話はどこからも聞こえてこない。 支援事業を行う日赤国際部は、「日本政府としては各事業の効果や必要性等を入念に精査の上、人道的観点から現実的な支援を策定しているものと承知している」とコメント。 外務省関係者からは、「この程度(の額)で済むのなら…」と本音も漏れてくる。 だがそういう「事なかれ主義」が歴史問題で日本を苦境に追い込み、竹島や慰安婦問題で譲歩を余儀なくされたことを忘れてはならない。 ◇ 【用語解説】サハリン残留韓国人問題 戦時中、日本統治時代の朝鮮半島から企業の募集などで樺太(現・ロシア領サハリン)へ渡った韓国人が、戦後にソ連(当時)の方針で出国が認められず、数十年間にわたってサハリン残留を余儀なくされた。 日本の民間人の運動がきっかけとなって、1980年代半ば以降、日本を中継地とした一時帰国、さらには韓国への永住帰国が実現した。 日本政府は一貫して「法的責任はない」と主張してきたが、日本の一部政党・勢力が「日本が強制連行した上、韓国人だけを置き去りにした」などと、事実無根のプロパガンダを繰り返したために、日本政府は帰国事業などへの人道的支援に乗り出さざるを得なくなり、戦後60年以上たった現在も支援が続いている。 2007年 06月 16日
(毎日 07/6/12) http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070612k0000e030009000c.html?¬ification_id=36242&message_id=36242 ドイツ旧ナチス時代の強制労働被害者への補償を目的とする財団「記憶・責任・未来」(本部ベルリン)は11日、被害者に支払いを予定していた約43億7300万ユーロ(約7104億円)をすべて払い終えたと発表した。 00年8月設立の同財団は、翌年から旧東欧を中心に生存する強制労働の被害者に補償金を支払ってきた。 補償金を受け取ったのは100カ国以上の約176万5000人に及ぶ。受給を歓迎する声がある一方で「支給が遅すぎた」との批判もある。 補償は正式な損害賠償ではなく、道義的なものとされ、1人あたりの補償額は被害の種類に従って7500~2500ユーロに固定された。最高額の7500ユーロは、強制収容所で労働に従事させられた人々が対象となった。 連邦議会と連邦参議院は00年7月、財団設立法を可決。90年代後半に、強制労働に関与したドイツ企業への集団訴訟が相次いだことが財団発足のきっかけだった。 補償金の半分はドイツ政府が負担し、残りは被害者を働かせていたフォルクスワーゲン社やバイエル社など約6500の企業が負担した。 補償金の完済は11日、財団理事会に報告された。12日にはベルリンの大統領府でケーラー大統領やメルケル首相が出席して完済を記念する式典が行われる。 2007年 06月 16日
http://j.people.com.cn/2007/06/14/jp20070614_72338.html ドイツの財団「記憶・責任・未来」はベルリンの大統領府で12日、第2次世界大戦中のナチス強制労働に対する、7年間に及ぶ補償金支払作業の完了を宣言し、記念式典を行った。 同財団は計100カ国以上の166万5千人におよぶナチス強制労働被害者、またはその合法的相続者に、計43億7千万ユーロの補償金を支払った。 同日、日本では、戦時中に大江山ニッケル鉱山に強制連行された中国人元労働者6人が日本政府を相手取り総額1億1千万円の賠償を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷が原告の上告を退ける決定をした。共同通信は原告の敗訴確定を伝えている。 ドイツのケーラー大統領とメルケル首相は、「記憶・責任・未来」の同記念式典に出席し、演説を行った。 ケーラー大統領は「ナチス強制労働への補償請求の拒絶は、彼らが受けた苦しみを否定することだ。補償財団の事業は歴史的意義を持つ。平和と和解の道を開く上で、必ず実行しなければならない苦難の措置だ」と述べた。 メルケル首相は「お金では労働者が受けた苦しみを和らげることは永遠にできないが、財団が7年かけて補償作業を無事完了したことは、われわれの肩の荷が下りた思いだ」と述べた。 この両指導者の誠意ある演説は、ナチス強制労働の被害者や遺族にとって、最良の慰めである。 第2次大戦の終結からすでに60年以上が経過したが、ドイツの政府指導者、国家元首は戦争記念日が来るたびに、ナチスの迫害を受けた欧州諸国に懺悔し、「ドイツは永遠に歴史の教訓を心に刻む」と表明している。 自らの歴史、特に不名誉な歴史の想起・研究・総括において、ドイツほどの高みに達している国や民族は、世界にほかにない。かつてドイツファシズムの侵略と蹂躙を蒙った欧州各国でさえ、ドイツが自国の歴史における犯罪行為を徹底的に反省していることを認めている。 その上ドイツは第2次大戦終結以降、ナチズムの被害者に対し、すでに約640億ユーロの賠償金を支払っている。ナチス時代の強制労働に対する補償金はこれに含まれない。 ひるがえって、第2次大戦のもう1つの加害国である日本を見ると、強制労働への賠償請求に対し、まったく異なる態度を示している。 中国の民間人が日本で起こした戦争賠償請求訴訟はこれまで数十件に上るが、地方裁での勝訴もごくわずかで、最高裁ともなると中国側原告の勝訴はただの1件もない。 中日両国政府間の戦争賠償問題は解決済みとはいえ、多くの民間遺留問題については今なお満足のゆくものでなく、このため中国の民間被害者による対日賠償請求の叫びは、一度も収まったことがない。 日本はドイツと同じように、侵略の歴史を真剣に反省し、心から謝罪し、徹底的に賠償を行うべきだ。ただこうしてこそ初めて、隣国の諒解を真に得て、堂々と現実に向き合い、未来に向かうことができるのである。 2007年 03月 04日
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200702271412342 第二次世界大戦中、日本軍によりタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道(415キロ)の建設作業に強制的に駆り出されたマレーシア人遺族が1月に、昨年亡くなった父親の遺志を継いで、日本政府に賠償を求めた。 同時に「死の鉄道」建設に生き残った人たちと、親族・遺族に被害者リストに再登録するよう呼びかけた結果、マレーシア全土で1万2000人が登録した。 2007年 01月 24日
http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200612210010o.nwc シベリア抑留問題を風化させるな 12月15日の国会では、衆議院本会議で民主、共産、社民、国民新の野党4党による安倍内閣不信任案が自民、公明の連立与党によって否決され、参議院本会議で改正教育基本法と防衛庁の省昇格関連法が可決したことのみが大きく報道されたが、その影で今後の北方領土交渉に大きな影響を与えかねない出来事が起きた。 1945年8月、当時有効だった日ソ中立条約に違反してソ連が対日戦争を仕掛けてきた結果、シベリアに抑留され、強制労働をさせられた旧日本軍将兵などに対する慰労事業を行ってきた独立行政法人「平和記念事業特別基金」を解散する与党提出法案が15日、参議院本会議で可決、成立した。 「解散に伴い、基金から抑留体験者らに10万円の旅行券などが贈られる。/強制労働中の賃金の支払いを求めてきた抑留体験者らの思いはかなわず、抑留を巡る補償問題は事実上の幕引きとなる。/88年に設立された同基金は、抑留体験者に銀杯を贈る事業などを行ってきたが、対象者の高齢化や、戦後60年を経て役割を終えたなどの理由から、与党が解散法案を提出していた。今後は、基金の資本金約400億円の半額を取り崩し、抑留体験者らに10万円の旅行券などを贈り、残りは国庫に返納する」(12月15日読売新聞朝刊)。 行財政改革の観点から、政府が独立行政法人を整理、統合、状況によって廃止することは確かに必要だ。 しかし、シベリア抑留問題についての日本政府の取り組みが「平和記念事業特別基金」の解散によって消極的になることを筆者は危惧(きぐ)する。スターリンが国際法を侵犯して対日戦争に踏み切ったこと自体が許し難い暴挙だ。 ちなみに45年2月のヤルタ会談で日ソ中立条約を一方的に破棄して対日戦争に踏み切ることをスターリンに教唆したチャーチル英首相、ルーズベルト米大統領の責任も重い。 太平洋戦争において日本はソ連との関係においては侵略された側なのである。ヤルタ秘密協定で、米英は、日本が国際法に基づいて獲得した南樺太(サハリン)、千島列島を戦後、ソ連領にすることを承認している。 ソ連は南樺太や千島列島にとどまらず、帝政ロシアの時代から、ずっと日本領であった歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の北方四島にまで侵攻し、不法占拠の状態が今日まで続いている。 国際法によって戦闘活動が終結した後、将兵はただちに帰国できるはずであったにもかかわらず、スターリンのソ連は日本軍将兵をシベリアに拉致、抑留し、強制労働につかせた。 その結果、少なく見積もっても6万人以上の日本人が死亡した。筆者は現役外交官の時代、お盆の時期には必ずモスクワ近郊の日本人墓地に出かけ、祈りをささげた。 また、ロシアの地方都市に出張で訪れたときも日本人抑留者の墓地に真っ先に駆けつけ、献花した。誰もシベリアの極寒の地で、あるいはウズベキスタンの灼熱(しゃくねつ)の砂漠で、生涯を終えたいとは思わなかったはずだ。 北方領土問題とシベリア抑留問題はスターリン主義が引き起こした根を一にする問題なのである。筆者が現役時代、モスクワの日本大使館は大使以下が一丸となってシベリア抑留問題についてクレムリンに対する積極的なロビー活動を展開した。 93年10月に公式訪日したエリツィン大統領は、天皇陛下、総理、抑留者代表の前で日本流に頭を下げて「済みません」と謝罪した。エリツィン大統領回顧録にもスターリン主義の負の遺産である日本人抑留者に対してロシアの最高元首として謝罪しなくてはならないとの認識が率直に書かれている。 2002年に鈴木宗男衆議院議員が失脚し、それにともない東郷和彦オランダ大使(元欧州局長)、森敏光カザフスタン大使(元欧州局審議官)などのシベリア抑留問題に真剣に取り組み、墓参と祈りを欠かさなかった外交官たちが放逐された後、外務官僚のシベリア抑留者問題に対する対応は表面的なものになった。 現在、外務省で対露交渉を担当する西田恒夫外務審議官、原田親仁欧州局長、松田邦紀ロシア課長がシベリア抑留者問題と北方領土問題の関係についてどのような認識をもっているか、国会の場できちんと聞いてみる必要があろう。 さらにモスクワで斎藤泰雄大使がどのような働きかけをクレムリンに行っているかも精査する必要がある。シベリア抑留問題を風化させてはならない。 < 前のページ次のページ >
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