2009年 06月 11日
(MBC 2009/6/3) http://www.mbc.co.jp/newsfile/news-v/00148316_20090603.shtml 阿久根市長に再選された竹原市長と市職員組合との対立が深まっています。就任会見で、市長に「市民の税金を不当に使っている」と指摘された市職員組合は、全体集会を開き対決姿勢を確認しました。 2度の不信任決議を受けながらも改革を旗印に再選を果たした阿久根市の竹原信一新市長。「改革の本丸」と位置づけているのが、市役所の体制の改革です。 その“足かせ”と竹原市長が指摘するのが市職員の9割が所属する労働組合「市職員組合」です。就任の記者会見でも竹原市長は「背任行為」と辛辣に批判しました。そして、市職員組合に対し庁舎内にある組合事務所を退去させる考えも示しました。 竹原市長は、きのう市の職員組合に対し、組合事務所の撤去などを求める団体交渉を申し入れました。 これに対し組合側は、対応を協議するため急きょ、全体集会を開き「今回の選挙結果を真摯に受け止めつつ、市長の要請について、出来ること、出来ないことを検討し、組合員全員が結集して対処すること」と、対決姿勢を確認したということです。 竹原市長が失職する前の4月、職員の給与削減などを話し合うため開かれた団体交渉でも、「交渉の準備が出来ていない」という組合側に対し、「時間切れ」と市議会への議案提出を強行するなど対決姿勢を鮮明にしている竹原市長。今回の組合事務所撤去についても団体交渉を「早急に行いたい」という市長と「まずは事前の事務折衝で具体的な内容をつめていくべき」とする組合側、対立は混迷を深めています。 ■阿久根市役所 〒899-1696 鹿児島県阿久根市鶴見町200番地 TEL:0996-73-1211 FAX:0996-72-2029 メール:info@city.akune.kagoshima.jp 2009年 06月 11日
(毎日 2009/6/1) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090601-00000123-mai-soci 鹿児島県阿久根市の出直し市長選で再選を果たした竹原信一市長(50)は1日、初登庁後の記者会見で市職員労働組合(落正志委員長、203人)に対し、市役所敷地からの事務所退去を近く要求する意向を示した。市長は市職労について、市、議会との癒着などが人件費高騰を招いたなどとかねて批判。事務所退去は選挙公約の一つだった。 竹原市長は会見で、「(市職労加盟の)自治労は、市民の税金を不当に使うことばかりしている背任組織」と激しく非難。撤去要求の時期について「早くしたい」と述べた。市職労の落委員長は「職員全員を追い出すということか」と話している。 2009年 04月 25日
(テレビ朝日 2009/4/25) http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/index3.html?now=20090425023954 東京・千代田区の法政大学のキャンパス前で、抗議活動をしていた活動家と警察官がもみ合いになるなどして活動家6人が逮捕されました。 24日午後1時ごろ、千代田区の法政大学市ヶ谷キャンパスの正門前で、中核派の学生活動家ら170人と警戒にあたっていた警察官約200人がもみ合いになりました。警視庁公安部によると、このもみ合いなどで活動家合わせて6人が逮捕されています。警視庁の調べに対して、6人は黙秘を続けているということです。 2009年 02月 18日
(産経 2009/2/14) ■ファシズム到来のデマ 「70年安保」を前にしたあの喧噪(けんそう)の時代。“団塊の世代”がまだ大学生だったころのことである。世は左派の知識人が論壇を跋扈(ばっこ)し、盛んに「革命前夜」のような幻想を振りまいていた。 大学紛争が激しさを増して、東大の安田講堂をめぐる過激派学生と機動隊の攻防戦が起きた。お茶の水から神保町にかけては、学生たちが「神田カルティエラタン」と称して道路を封鎖した。 こんな世情不穏の中で、ワイマール共和国のドイツになぞらえる議論がまことしやかに伝えられたものだ。背景にあるのは、雇用不安と政権政党の弱体化であり、この先、ヒトラーのような独裁者がやってくるとあまたの知識人が煽(あお)っていた。 そんな折に、柔和な語り口のドイツ文学者、西義之が「乱暴を通り越して無責任な議論にすぎない」と切って捨てた。好々爺(こうこうや)のような東大教授であり、はにかむしぐさの裏に鋭利な言論の刃(やいば)を隠していた。 西はこのとき、『ヒットラーがそこへやってきた』という雑誌連載によって、ナチスという魔物の正体を見事に腑分(ふわ)けしていた。同時に西は、事実に肉薄することによって、ファシズムの到来説が政治的なデマにすぎないことを立証してみせた。懐かしくも頼もしい論考である。 西義之が昨年10月9日、86歳で死去していたと聞いたのは最近のことだ。すぐに書棚を探してみたが、論考をまとめた本が見あたらない。何度目かの海外転勤のどさくさで失ってしまったらしい。あれを読んで、時代をファシズムと結びつける愚説が心の内で氷解していったことを覚えている。 うれしいことに、『ヒットラーがそこへやってきた』を古本屋で見つけて38年ぶりに対面した。色あせたページを繰ると、さらに10年さかのぼる60年安保のころにも、「保守政権がファシズム化する」という進歩的文化人からの扇動があったと書かれていた。 ■西義之が暴いたウソ 当時、東京教育大の美濃部亮吉教授が「日本はあのころのドイツよりも危険な状態にある」と力説していたと記録されている。その後の歴史は美濃部説と異なって、ヒトラーに匹敵する人物は現れない。めでたいことに当人は東京都知事になってニコニコ顔であると、西は皮肉っている。 彼は同時代の知識人の言動を克明に積み上げていくうちに、進歩的文化人の中に「事実そのものの発言を封ずる空気」を感じるようになっていく。 この場合の進歩的文化人とは、岩波書店の雑誌『世界』や『朝日ジャーナル』などを舞台に、容共左派の立場から主張を展開した言論人たちを指す。 問題は、なぜ彼らが現状をファシズムと結びつけたがるのかであった。西はその根をたぐっていくうちに、進歩的文化人の“教祖”である東大教授、丸山真男のいくつもの論文に行き当たる。 早くから丸山理論の仮面をはがした人々に、社会思想家の関嘉彦、京大名誉教授の猪木正道らがいる。西の丸山批判には、思想の骨格をなすファシズム論に集約されるところに特徴があった。 西は昭和50年に『誰がファシストか』を出版して、独伊にファシズムの源流をたどり、日本にファシズムがあったかを解き明かしていく。その結果、西は丸山こそが主著『現代政治の思想と行動』で、「反共=ファシズム」という単純化によって牽強(けんきょう)付会の虚構を築いたと痛烈に批判した。 ■進歩的文化人の残滓(ざんし) 知的観念論が好きな日本人に丸山の影響力は絶大である。彼のお墨付きを得て、小利口な言論人や政治家は気に入らない相手の罵倒(ばとう)に「ファッショ」を多用した。いつの間にか、共産主義を批判する“反共”が悪に転化するワナが仕掛けられていたのだ。反論封じにこれほど便利な用語はない。 レッテル張りが得意なのは『都市の論理』の著者として名高い歴史学者、羽仁五郎であった。彼にかかると、「軍備は軍国主義の復活であり、公安警察は戦前の特高の再来であり、まさにファシズムである」となる。 世界には軍を持たない国家も、公安警察のない国家も存在しないから、例外なしに世界中がファシズム国家である。それでも、当時の過激派は拍手喝采(かっさい)だ。羽仁の書名は「-論理」とせずに、「-扇動」と名付けるべきであった。 西義之死しても彼の提起した所論がいまに通じることは、本紙連載の「昭和正論座」の論文を読んで分かる。進歩的文化人の後継者は姿を変えてなお生きながらえている。手前みそながら、それを見分ける目を養うに昭和正論座は最適ではないか。 2008年 11月 14日
(京都 2008/11/9) http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008110900037&genre=A2&area=K00 京都市が巨額の財源不足に対応するため打ち出した全職員(約1万6000人)の給与カット方針に対し、労働組合が反発を強めている。市は「緊急措置が必要」と財政難の深刻さを訴える一方、労組は過去の給与カットの効果への疑問などを理由に市の姿勢を強く非難。労使対決が強まっている。 ■深い隔たり、交渉長期化へ 7労組が集まる市職員労働組合連合会(市労連)に市が全職員の給与カットを提示したのは10月23日。カット率は示さなかったが、市労連は「突然の無責任な提案」(桜井真吾書記長)と拒否、交渉が決裂した。 その後開かれた市労連と傘下の自治労市職の定期大会では来賓出席が恒例の市長、副市長を招かなかった。市長選で門川大作市長を支援した自治労市職の橋元信一委員長は31日の大会で「カットは無謀で許せない」と対決姿勢を鮮明にし、選挙で対立した市職員労働組合の池田豊委員長も11月1日の大会で「市長の行政運営能力は欠如している」と批判した。 地方公務員の給与は地方公務員法などで人事委員会勧告を尊重し、国や民間との比較を考慮して決める原則が定められている。このため市労連は先月30日、市人事委員会に対し、勧告の尊重を市に働き掛けるよう要請文を提出した。 ただ、勧告制度がある一方で、実際には各都市で財政難を理由にした給与カットが行われている。法律上、各自治体が給与条例で定める権限もあり、カットする場合は時限付きの特例条例を制定している。現在も千葉市がほぼ全職員、名古屋市も課長級以上を対象にカット中で、大阪市も5%カットを検討している。 京都市は政令市唯一の連結決算赤字(2007年度)で、来年度から3年間で964億円の財源不足を見込んでおり、門川市長が今月5日に特別職の給与カット率を引き上げる方針を表明した。 労組にも「厳しい財政は理解している」との認識は広がっているが、それでも反発を強める背景には、02年度から2年間、政令市では当時初めてだった全職員カット(3-5%)を受け入れた経過がある。 市労連幹部は「前回苦渋の選択をしたのに財政見通しが悪くなった。給与カットの効果は一時的」と指摘する。これに対して市人事部は「臨時、緊急的な措置がないと乗り切れない」と強調する。 6日の市と市労連の交渉では、全職員の給与カット提示について星川茂一副市長が「説明不足だった」と謝罪したが、撤回は明言しなかった。市労連は特別職カットについても「外堀を埋めるやり方だ」とけん制しており、交渉は長期化する情勢となっている。 2008年 09月 29日
…社民党・辻元清美がかつて立ち上げた「ピースボート」 (週刊新潮 10/2号 54-55ページ) 船旅を通じて国際交流を深める――。 こんな謳い文句で知られる「ピースボート」が設立されたのは、1983年。もともとは、現在は社民党代議士となっている辻元清美氏が早大生だった当時、“過去の戦争を見つめ、未来の平和を創る”ために立ち上げた市民団体だ。 (中略) その25周年記念と銘打った62回目は、かつてないほど乗客からの苦情が続出。中には「訴訟も辞さない」と憤慨する声も出る始末で、蟹の缶詰加工に従事する労働者が劣悪な環境下、ついに一致団結して経営側に立ち向かうというあの『蟹工船』さながらの騒ぎに発展しているのだ。 (中略) 「1人300万円以上支払って夫婦で参加したのですが、様々なトラブルのおかげで、結局、帰港したのは予定よりも10日も遅れた9月4日だったのです」と不満をぶちまけるのは、元会社役員の國枝金司さん(70)である。 「乗船するといきなり、廊下のカーペットを張り替えている工事の人がいた。そのまま出航しましたが、要は最初から不完全な状態のままだった。大丈夫かなあと不安な思いで部屋に入ると、案の定、設備が不備だらけ。水漏れが酷く、ユニットバスでも漏れているからトイレットペーパーもビチョヒチョで使い物にならない。おまけに、エアコンのダクトからホコリが舞い出るし、シャワーを使うとお湯が突然、水になる…。挙げればキリがないほど酷い状態でした」 すぐさま担当者に苦情を言うべくレセプションに駆け込むと、すでに同様の客が大勢詰め掛けていた。 「他にも、トイレが流れない、エアコンが壊れている、部屋に鍵がない、2段ベッドなのにハシゴがついていないし手すりもないので落下した等々、トラブルだらけ。エアコンの不調で風邪を引く人が続出し、ピーク時には、食事の際に食堂にいた半分くらいがマスクをしていたほどです。中には、風邪が酷くなって、ヨルダンで泣く泣く旅を断念して帰国した人もいました」 (中略) ある会社経営者の女性(62)も、こう憤慨する。 「デッキの板が腐っているのか、歩くとブヨブヨする。部屋の蛇口からは茶色い水が出るし、バーで出る飲料水も濁っている。それを飲んで下痢する人も多かったです。何より唖然としたのは、避難訓練をした際、救命胴衣のベルトが壊れていたり、用具の部品がなかったりしたこと。あんな状態でもし事故が起きていたらどうなったのかと思うとゾッとしますよ」 トラブルは、その後も続出した。再び國枝さんの話。 「5月31日、突然、4基あるエンジンの1基が故障したと発表されました。お陰で次の寄港地への到着が遅れ、1日滞在の予定がわずか3時間程度。7月13日にはニューヨークに帰港し、2日滞在の予定でしたが、当日になって今日は出港しないと言う。説明を求めても“分からない”というだけ。翌日も翌々日も同じ。出港するかもしれないから夕方には船に戻らなければならず、ただ外出したというだけでした。そうこうしていると、“USCG”というロゴ入りの服を着たアメリカ人が何人も入ってきた。実は、米国の沿岸警備隊でした。何と、船底に亀裂が入っていて、他にも防火装置や救命ボートの破損など60ヵ所以上もの安全上の問題があると指摘されていたのです」 (中略) 60代の元会社員の男性もこう怒りをぶつける。 「ニューヨークの一件のため、ベネズエラ行きは中止。さらにフロリダでも、ドッグで修理するから2日滞在と言ったのに1週間に延びた。アラスカでも予定外に寄港。何より私が頭にきたのは、ピースボートも旅行社もその都度、謝罪やお詫びがまるでないのです。しかも、フロリダで旅行社の社長が説明した際は、お詫びどころかいきなり弁護士が契約約款を読み上げ、“旅行会社には何の責任もありません。船の問題ですから”と言い放ったのです。社長自身も自分らに非はないの一点張りで、話し合いさえも拒絶する始末です」 2008年 08月 19日
(毎日 2008/8/14) http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20080814ddlk42070418000c.html 核兵器廃絶を目指して署名を集める「高校生1万人署名活動」の取材をした。その日は、県外の中学生が長崎を訪れ、高校生と共に署名活動をしていた。 中学生たちは少し緊張気味だった。それに、署名を求める声に通行人全員が協力してくれるわけでもない。とまどう中学生たち。すると、その姿を見た高校生たちは中学生を人通りの一番多い場所に連れて行った。そして、一緒に通行人に声をかけ、中学生を手伝った。中学生たちは次第に緊張がほぐれていった……。 高校生たちはいろんなことを考え、感じながら成長している。「核兵器廃絶」の目標は大きいが、彼らの姿を見ていると、「きっとできる」とも思えた。真っ黒に日焼けしながら奮闘する姿にこちらも触発され、いつか「負けられない」という気持ちになってシャッターを切り続けていた。 2008年 07月 28日
(産経 2008/7/28) 極左暴力集団(過激派)は昭和32年に組織化されて以来、街頭武装闘争や爆弾闘争、内ゲバを繰り返し、最近では北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)への反対姿勢を鮮明にした。だが、高齢化の波が押し寄せ、若年層を獲得できずに縮小傾向を見せる組織も目立つ。行き詰まった状況を打破しようと、闘争形態を変更したセクトもある。 過激派の3大セクトは、「革マル派」(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)と「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)、「革労協」(革命的労働者協会)。 警察当局は極左集団を「社会主義、共産主義革命を目指し暴力的な闘争を展開する集団」と定義し、32年1月、元日本共産党員らによって結成された「日本トロツキスト連盟」が源流で、現在の活動家は2万数千人程度とみている。 34~35年の“60年安保闘争”には延べ約464万人が参加。ベトナム戦争や学園紛争によって高まった反米、反体制ムードが、成田闘争や“70年安保闘争”につながった。44年には学園紛争の中心的存在だった共産主義者同盟(ブント=共産同)が分裂し、最過激派の「赤軍派」が誕生。45年、日航機「よど号」を乗っ取り北朝鮮に渡った。49~50年には、反日思想を持った「東アジア反日武装戦線」による連続企業爆破などの凄惨(せいさん)な事件が続いた。 ところが、全盛を極めた過激派にその勢いはない。警察当局によると、最盛期の46年当時、中核派は8000人以上、革労協は5000人を擁していたが、現在は4000~5000人と700人程度にそれぞれ減少している。原因の一つは、対立組織同士でメンバーを襲撃する「内ゲバ」。「凄惨さに支持が得られず脱落者が増えた」(警察幹部)。大学の新入生に加入を促すオルグも低調だ。 近年、極左の中には武装闘争から労働・大衆運動にシフトする動きもみられる。セクト色を薄め、組織の維持、拡大を図る狙いがある。中核派は平成2年には124件のテロ・ゲリラを実行するなど武装闘争を行ってきたが、3年に路線を変更。「4大産別」(自治体、郵政、教育、JR)の労組への働きかけを強め、「改憲阻止」や「日の丸・君が代不起立」などを闘争課題に据える。ブントも分裂し最後に残ったメンバーらは今年1月、組織名を「アクティオ・ネットワーク」に変更、環境問題への取り組みをみせている。 こうした中、革マル派だけは労組への浸透などで勢力を拡大。警察当局によれば、活動家は約5300人に上るといい、神戸市の連続児童殺傷事件で逮捕された少年の供述調書を病院に侵入して盗み出すなど豊富な資金を背景に非公然、非合法活動を続けている。 警察当局は「極左は外見が変わり脅威が見えにくくなっているが、革命を起こそうとする本質は変わらない」と警戒を強めている。 2008年 07月 22日
(週刊新潮 2008/7/17号) ペルー・アヤクーチョの哲学科教授アビマエル・グスマン率いる強盗集団「センデロ・ルミノソ」の手法は決まっていた。 目標の村を包囲し夜明けとともに急襲、制圧する。 村人を広場に集め、村長を引き据えて村人を搾取した罪で死刑を宣告する。 処刑はまず若い兵士に村長の足や腹を撃たせる。度胸をつけさせるための訓練で、最後に小隊長格が止めを撃ち込む。 凄絶な処刑にすくむ村人に毎年の「革命税」の徴収を通告する。 そうした村で支払いを拒否する者はなかった。 フジモリが登場して一昧への摘発が厳しくなると報復にワラルにあったJICAの農業センターが襲われ、日本人スタッフ三人が研修員の前で処刑された。 止めは女の指揮官がさしたという。 一味は革命税の徴収のほか、ときに襲った村の女を連れ去ることもあった。 女は革命基地と彼らが呼ぶアジトに入れられ、兵士に抱かれて次代の革命戦士を産まされた。 好き放題を続けた彼らもフジモリを怒らせたのが失敗だった。JICA事件の翌年、グスマンはリマで逮捕される。 彼は部下に残忍な革命ごっこをやらせておいて自分は優雅にも隠れアジトで女と酒に耽る甘い生活を送っていた。 それが暴かれてあほらしくなった七千人の部下が投降し、囚われた「女性数百人が救出された」とエル・コメルシオ紙が報じた。 グスマンは、「村長を殺す」手法は毛沢東に倣ったと供述している。 石平の『中国大虐殺史』にはそれが「一人一焼一殺」と呼ばれたとある。 まず夜明けとともに村を襲い村長の財産を略奪したうえで火を放つ。 集めた村民の前で村長を裁き「銃で頭を吹き飛ばして」処刑する。 村長の田畑は小作人に分配し、小作料は革命税として納めさせる、という手順だと説明している。 ただ毛は「一殺」にはこだわらなかった。搾取者つまり金持ちが多ければその分、殺しも増える。江西省吉安では四十五日間で一万人を殺している。 形は搾取する者を処罰し、弱い小作人を助けるという共産革命風だが、この一村一殺は敵対する蒋介石の軍もやっていた。 蒋の軍隊がこれを組織的にやったのは毛に追われて台湾に移ったあとだ。 彼らはまず台北で知識人を皆殺しにする「2・28」事件を起こした。 標的は日本統治時代に司法、行政などを学んだ人たち。毛沢東が後に文化大革命で知識階層を抹殺していくのはこの蒋の手法と相通じるものがある。 これと同時に「地方に出かけては一村一殺をやった」(黄文雄)。 蒋の軍は二十万人の台湾人を殺しているが、問題はなぜ彼が毛と同じ手法を取ったか。 別に共産革命をやろうとしたわけではなく、「だれが新しい支配者か」を村々に教えこむ支那の伝統的手法と言われる。サル山の新しいボスが古いボスを叩きのめし、その子を殺し回るのとそう差はない。 グスマンもこの部分を見倣った。共産思想も人民解放も関係なかった。 では女をさらって次代の戦士を産ませる方式はだれに学んだか。 諸説あって、ポルトガルの植民地経営に学んだ、がその一つ。原住民の女に産ませた混血児を植民地防衛の兵士にする。東テイモールのラモス・ホルタ大統領などはその例になる。 もう一つがよど号事件の赤軍派説だ。 彼らは在日の女などを通して日本人女性を北朝鮮に誘いこんでは妻にして産ませた子が十七人。 しかしそれではいかにも少ないから欧州に遊学する日本人男女を騙して北に誘い込み、結婚させて「代を継いだ日本革命」(産経新聞)を目指した。 これがグスマンの拉致作戦に時期的に先行する。 その拉致犯が追い返されてくる。ペルーの盗賊との接点も分かるだろう。 ちなみに彼らの妻子はほぼ帰国済みで、彼らを支援する朝日新聞によると子供二人が早々に「父からの手紙を押収された」ことをネタに国家賠償請求訴訟を起こしたと伝えている。 革命を口実にした金儲けをもう始めている。 2008年 07月 13日
“顔”替えて暗躍の活動家も サミット前に警察当局警戒 (産経 2008/7/6) http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080706/crm0807060800002-n1.htm 7日に開幕する北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)に、反対姿勢を鮮明にしている極左暴力集団(過激派)。昭和32年の誕生以来、街頭武装闘争や爆弾闘争、内ゲバなどを繰り返した過激派も、組織は高齢化し、若年層を獲得できないところは縮小傾向にある。だが、活動家らは「過激」とは別の“顔”を掲げることで、新たな活動を展開していることも確認されており、警察当局はなおも警戒を強めている。 ■反体制運動の高まり受け 分裂繰り返しながら増殖した過激派 過激派は、労働組合などへの浸透を重視してきた「革マル派」(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)と、武装闘争を展開した「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)、「革労協」(革命的労働者協会)が3大セクト。 「当時は本気で参加すれば世の中を変えられるという雰囲気があった」 都内の私立大学生で中核派活動家だった男性(59)はそう振り返る。 昭和34~35年の“60年安保闘争”には延べ約464万人が参加。ベトナム戦争や学園紛争により反米、反体制ムードが国内でも高まった。その流れが、成田闘争や“70年安保闘争”につながった。 「昭和30~40年代、闘争課題はいくらでもあった」(男性)。街や大学構内には角材を持ちヘルメットにマスク姿の学生があふれていた。 44年には共産主義者同盟(ブント=共産同)が分裂し、最過激派の「赤軍派」が誕生する。「日本革命の達成の手段として、海外に国際根拠地を建設し、活動家を送り込んで軍事訓練を受けさせる。再び日本に上陸して武装蜂起を決行する」。この方針に基づいた赤軍派のメンバーは45年、日航機「よど号」を乗っ取り北朝鮮に渡った。 49~50年には、反日思想を持った「東アジア反日武装戦線」による連続企業爆破が起きるなど過激な事件が続いた。 警察当局は極左集団を「社会主義、共産主義革命を目指し暴力的な闘争を展開する集団」と定義。32年1月、元日本共産党員らによって結成された「日本トロツキスト連盟」が源流とされる。 現在も主要セクトとして運動を展開する革マル派と中核派は38年2月、日本トロツキスト連盟の流れをくむ「革共同全国委員会」から分裂し誕生。革労協は44年10月、日本社会党の青年組織である「社会主義青年同盟」を母体として結成され、平成11年5月に明治大学で発生した傷害事件の対応などをめぐり主流派と反主流派に分裂した。 ■活動家は軒並み減少 内ゲバも一因 ところが、全盛を極めた過激派も、今はその勢いはない。 「団結、勝利! サミット粉砕!」 東京・渋谷のJR渋谷駅近くの繁華街で6月29日、サミット開催に反対する中核派系の抗議デモが行われた。1500人が参加するとの事前申請だったが、雨の影響もあったのか実際に集まったのは1000人足らず。警察当局によると、各セクトの活動家は軒並み減少傾向にある。最盛期の46年当時、中核派は8000人以上、革労協は5000人を擁していたが、現在はそれぞれ4000~5000人と700人程度だという。 原因の一つは、対立する組織同士でメンバーを襲撃する「内ゲバ」。「その凄惨さに支持が得られず脱落者が増えた」(警察幹部)。極左は45年以降、「自派の革命理論こそが絶対で、他派は革命を妨げる」という「革命党唯一論」などを背景にして内ゲバを激化させた。これまでに100人以上の死者が出たとされる。 また、「学生や若い労働者の社会への参画意識が薄くなった」(同)との指摘もある。冷戦構造はすでに崩壊。大学新入生に加入を促すオルグは低調で、組織の年齢構成は「40~50代が多く20代が少ない先細り状態」(同)だという。 資金面にも影響は出ている。新規獲得ができず、運動に関心のある労働者も高齢化して退職が進んだことで、会費や賛同者からのカンパが集まりにくくなった。資金源の一つだった大学の自治会費も受け取れなくなっている。早稲田大学と革マル派のケースのように、平成7年ごろから、極左系の自治会やサークルが各大学当局から公認を外されるなどして締め出された。明治大学では年間自治会費約6500万円のうち約3000万円が革労協系の自治会などに流れていたというから、打撃は大きい。 ■武装闘争から労働・大衆運動にシフト 環境問題への取り組みも 近年、極左の中には社会の理解を得られない武装闘争から労働・大衆運動にシフトする動きがある。「セクト色を薄め、組織の維持、拡大を図るためだ」(同)。 中核派は40年代には学園紛争や安保闘争を、50年代後半からは対権力に重点を移しテロ、ゲリラを実行。特に即位の礼、大嘗祭(だいじょうさい)があった平成2年は124件ものテロ、ゲリラを行った。しかし、3年の「5月テーゼ」を機に路線を変更。「4大産別」(自治体、郵政、教育、JR)の労組への働きかけを強め、「改憲阻止」や「日の丸・君が代不起立」などを闘争課題に据え、過激な活動はなりを潜めている。 かつては学園紛争の中心的な存在だったブントも分裂を繰り返し、組織はどんどん縮小していった。最後に残ったメンバーらは今年1月、組織名を「アクティオ・ネットワーク」に変更し、環境問題などへの取り組みを見せている。 既存の過激派の枠にとらわれない小人数の「黒ヘルグループ」は海外の野宿者支援団体と連携するなど反グローバリズム勢力とのかかわりを強めている。 元ブント活動家の男性は「格差社会が進む中、いわゆるネットカフェ難民、ワーキングプアと呼ばれる層などの鬱屈(うっくつ)した気持ちの受け皿になる新しい運動が必要だ」と語る。 ■唯一勢力伸ばす革マル派 警察当局の警戒続く こうした中、革マル派だけは勢力を拡大している。 47年に4700人だった活動家は現在、最大規模の約5300人に。革マル派は故黒田寛一前議長を中心に理論学習を重視。当初から労組への浸透などで組織拡大を図ってきた。神戸市の連続児童殺傷事件で逮捕された少年の供述調書を病院に侵入して盗んだり、早稲田大学法学部教授宅の電話を盗聴したとして逮捕者を出すなど、豊富な資金を背景に非公然、非合法活動を続けてきた。 警察当局は「極左は外見が変わり脅威が見えにくくなっているが、革命を起こそうとする本質は変わらない」と警戒を強めている。 < 前のページ次のページ >
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