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カテゴリ:■朝日社説・天声人語
  • ◆男子ご誕生 心から喜びたい (朝日社説 06/9/7)
    [ 2006-09-09 07:48 ]
  • ◆安倍発言 村山談話を葬るな (朝日社説 06/9/8)
    [ 2006-09-09 07:47 ]
  • ◆「侵略」と「責任」見据えて 親子で戦争を考える (朝日社説 06/8/13)
    [ 2006-08-13 08:20 ]
  • ◆靖国論争 安倍氏も土俵にあがれ
    [ 2006-08-09 17:11 ]
  • ◆女児殺害判決 審理は尽くされたのか (朝日 06/7/5)
    [ 2006-07-06 11:16 ]
  • ◆【朝日社説】靖国参拝 肩すかしの最高裁判決 (06/6/25)
    [ 2006-06-25 12:43 ]
  • ◆沖縄慰霊の日 悲劇と狂気を思い起こす
    [ 2006-06-23 11:21 ]
  • ◆出生率1.25 働き方を変えよう (朝日社説 06/6/2)
    [ 2006-06-03 08:59 ]
  • ◆同友会提言 財界も憂える靖国参拝
    [ 2006-05-13 09:34 ]
  • ◆里親 ぬくもりを子どもに
    [ 2006-05-06 09:01 ]

2006年 09月 09日
◆男子ご誕生 心から喜びたい (朝日社説 06/9/7)

http://www.asahi.com/paper/editorial20060907.html

 紀子さまが男の子を出産された。秋篠宮ご夫妻にとって3人目のお子さまである。天皇、皇后両陛下にとっては、皇太子ご夫妻の長女、愛子さまに続いて4人目の孫の誕生だ。

 天皇ご夫妻と秋篠宮ご一家にとって、喜びはいかばかりかと思う。国民にとっても大きな喜びであり、心からお祝いしたい。

 新しい生命の誕生は、男の子であれ、女の子であれ、等しくおめでたいことである。しかし、今の皇室の制度にとっては大きな違いがある。

 皇室典範の定めでは、皇位を継げるのは「男系の男子」だけだ。今回誕生した男の子は将来、天皇になる資格がある。

 皇室では、男子の誕生は秋篠宮さま以来、41年ぶりだ。皇位継承者がいなくなるという事態はひとまず解消された。

 一方で、皇太子さまご一家に男子がいないままならば、これまでの皇室とは違うことが起こる。

 明治以後の皇室では、天皇の長男が皇位を継いできた。将来は次男の秋篠宮家に継がれていくことになる。これは近代の天皇制では初めてのことである。

 天皇となる可能性のあるお子さまを、皇太子さま以外の宮家でどのように育てていくか。これまでにない知恵や工夫が求められる。宮内庁は職員を増やすなどして養育の態勢を整える必要がある。

 皇太子ご一家は、雅子さまの療養をかねたオランダ訪問を終えて帰国した。雅子さまの体調不良の一因として、皇太子さまは「世継ぎ問題」の圧力を指摘したことがある。秋篠宮家の男子誕生が、雅子さまに対する出産の圧力をやわらげ、お元気になるきっかけになってもらいたいと願う。

 紀子さまの懐妊が発表されたのは、この2月、皇位継承をめぐる論議が高まっているさなかだった。小泉首相から皇位継承のあり方を諮問されていた有識者会議が「女性・女系天皇を認める」「直系の第1子を優先する」という報告書をまとめ、政府はこれに沿った皇室典範改正案を準備していた。

 これに対し、反対論や慎重論が出てきた。そこへ紀子さまの懐妊で、「出産を見守ろう」との声が高まり、改正案の提出が見送られた。

 昨年11月に有識者会議の結論が出た際、私たちは社説で「妥当」としたが、なお男子が誕生する可能性があることも考え、皇位継承の順位は工夫が必要だ、と主張した。男子が誕生した以上、現行の順位をくつがえすような皇室典範の改正は現実的ではあるまい。

 一方で、皇太子の次の世代に男子が1人だけでは、将来にわたり皇室を維持していくには依然として不安がある。「女性・女系天皇も認めるべきだ」という意見も決して少なくない。

 男子の誕生で落ち着いて論じ合う時間が与えられたと言える。この機会を生かし、じっくりと皇位継承のあり方について論議を広げたい。



by sakura4987 | 2006-09-09 07:48 | ■朝日社説・天声人語
2006年 09月 09日
◆安倍発言 村山談話を葬るな (朝日社説 06/9/8)

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」

 「疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします」

 95年、50回目の終戦記念日に村山内閣が示した首相談話の一節である。

 先の大戦が近隣国との間に残したわだかまりを何とか解きほぐしたい。節目の年に政権を担った村山首相としては、そんな願いを込めたけじめだったろう。

 それ以降の歴代内閣では、これが日本政府の歴史認識として内外に定着してきた。戦後半世紀を迎えた日本が、ようやくたどりついた明快な認識であり、国内的にも、近隣国との信頼を築くうえでも重要な役割を果たしてきた。

 だが、次の首相の座をほぼ手中にした安倍晋三官房長官は、この談話がどうもお気に召さないようである。

 きょう告示される自民党総裁選に向けた報道各社のインタビューや、官房長官としての記者会見で「次の政権で村山談話を踏襲するか」と繰り返しただされたが、答えはあいまいだった。

 談話に盛り込まれた「植民地支配と侵略」をどう評価するかを聞かれても「歴史家に任せるべきだ」と口を濁した。

 「自虐史観」を批判する議員グループで活動してきた安倍氏である。日本の過去の行為を「侵略」と認めたり、詫びたりすることは避けたいのかもしれない。よりあいまいな表現の戦後50年国会決議でさえ、安倍氏は採決を欠席した。

 だが、あの戦争、とりわけ中国や東南アジアでの戦争が「侵略」だったことは多くの歴史家を含めて、一般の常識ではないのか。中曽根首相以降、侵略を認めなかった首相はいない。

 もともとこの談話は、社会党出身の村山氏の名前が冠されているとはいえ、政府としての公式見解である。自民党も加わった、当時の社会党、新党さきがけとの3党連立内閣で閣議決定された。

 それからの日本外交では、歴史認識を示すときの決定版として使われてきた。例えば、98年に小渕首相が金大中大統領と出した日韓共同宣言のベースになったし、中国の江沢民国家主席と交わした共同宣言は直接、村山談話に言及して「遵守(じゅんしゅ)する」と表明した。これは国家間の約束だ。

 小泉首相も日朝平壌宣言や、昨年のアジア・アフリカ首脳会議での演説など、さまざまな機会にこの認識をなぞってきた。戦後60年の昨年の終戦記念日には、ほぼ同様の首相談話を出した。

 こんな基本的なところであいまいな認識しか示せなければ、安倍政権のアジア外交は根本から揺らいでしまう。日本外交が苦労して積み上げてきた信頼を一気に失うのは明らかだ。

 これが安倍氏のいう「主張する外交」なのか。安倍外交が大いに不安だ。





by sakura4987 | 2006-09-09 07:47 | ■朝日社説・天声人語
2006年 08月 13日
◆「侵略」と「責任」見据えて 親子で戦争を考える (朝日社説 06/8/13)

 「日本は侵略戦争をしたの?」「A級戦犯って、なあに?」「首相が靖国神社に参拝すると、なぜ問題になるの?」

 子供に問われ、困っているお父さん、お母さんも多いことだろう。

 戦後61年の夏。今や親も子も戦争を直接には知らない。しかし、戦争の体験がないからこそ、わだかまりなく歴史を見つめることもできる。

 日本の敗戦で終わった、あの戦争は何だったのか。その責任は、だれにあるのか。いろいろな本を手がかりに、親子で語り合ってみてはどうか。

●満州事変から泥沼へ

 最近は、左右のイデオロギーにとらわれずに戦争を直視する本が目につく。

 たとえば、評論家の松本健一さんの「日本の失敗」(岩波現代文庫)という本がある。1945年の敗戦に至るいきさつを豊富な資料で追っている。

 日本は明治維新の後、日清、日露の戦争に勝つ。朝鮮半島を植民地にし、中国に進出していく。

 15年近くも続く泥沼の戦争の始まりになったのは、日本軍が仕掛けた31年の満州事変だ。日本は現在の中国東北部にあたる満州を占領し、満州国を建てる。37年からは中国と全面戦争に入った。

 松本さんは、日本が第1次大戦中に中国への野心をむきだしにした「21カ条の要求」が転機だったと見る。米国との対立も深まり、41年に日本は「自存自衛」と「アジア解放」を掲げて、米英などとの「大東亜戦争」に踏み切った。これが戦後、「太平洋戦争」と呼ばれる。

 日本のアジアへの侵略だったのか、自衛の戦争だったのか。今も論争が続いているところだ。

 朝日新聞の4月の世論調査で、あの戦争の性格を聞いたところ、「侵略戦争」という答えが31%、「自衛戦争」が7%、「両方の面がある」が45%だった。両面性があるにせよ、侵略性を重視する人が多いということだろう。

 「大東亜戦争」は、中国への侵略戦争の延長・拡大だった。そうとらえる松本さんは「満州事変が世界戦争の序曲の役割を果たしたのは、それがまぎれもなく『侵略』であったからだ」と書く。

 私たちも同感だ。あの戦争で日本人は300万人、アジアで2千万人が亡くなったといわれる。日本の侵略を認め、それがもたらした惨状を見つめるところからしか、「戦後」は始まらない。

●大きかった戦争への憎悪

 こうした侵略戦争の罪を問うたのが、極東国際軍事裁判(東京裁判)だった。A級戦犯のうち、太平洋戦争を始めた東条英機元首相ら7人が絞首刑になった。

 東京裁判は、勝者の一方的な裁きだった。東条元首相らが問われた「平和に対する罪」は、終戦直前に戦勝国が定めたものだ。そうした問題はいくつもある。これをどう考えるか。

 作家の保阪正康さんは「昭和の戦争を読み解く」(中公文庫)で「勝者が裁くとはこういうことか、なるほど西洋文明とはこういう形の裁きを行うのか、と私たちは冷徹に見ればいい」と書いた。その上で、「六十年を経て改めて、あの時代と関わった国民一人一人が政治・軍事の裁判を行ってみたらどうだろうかと提言したいほどである」とつづる。

 もし日本人が自ら終戦直後に裁判をやっていたら、どうなっていたか。ベストセラーになった「昭和史」に続く「昭和史 戦後篇」(平凡社)で、作家の半藤一利さんはそう自問し、「もっとずっと多くの死刑判決が出たでしょう」と答えている。それほど戦争に対する悲惨な思いや憎悪が大きかったというのである。

 いま戦争責任を改めて問えば、どうなるだろうか。

 まず、罪の軽重はともかく、A級戦犯になった人たちの責任は免れまい。軍人や政治家として、中国を侵略し、その延長上に、無謀な太平洋戦争を進めた。その結果がおびただしい犠牲である。

 軍人ではほかに責任を問われるべき人もたくさんいるだろう。たとえば、満州事変を起こした中心人物だった石原莞爾元参謀らである。

 政治家では、軍人以外でただ一人死刑になった広田弘毅元首相よりも、日中戦争を始めた時の近衛文麿首相の方が、責任が重いのではないか。2度も首相を務め、戦争の拡大を防がなかった。戦犯容疑者になって服毒自殺したため、本人の貴重な言葉が法廷で語られなかったのは残念なことだった。

●天皇や新聞の責任

 実質的な権限はともあれ、昭和天皇は陸海軍を統帥し、「皇軍」の兵士を戦場に送り出した。終戦直後、何らかの責任を問う声があったのは当然だが、東京裁判には出廷さえ求められなかった。その権威が戦後の統治に必要だと米国が考えたからである。

 だからこそ、天皇は戦後の新憲法のもと、平和国家の象徴として生きることを重い任務として自らに課したのだろう。

 新聞も戦争をあおった責任を忘れてはいけない。失敗を再び繰り返さないことで罪を償うしかないと考えている。

 過去の歴史を素直に学べば、おのずと答えは出てくるはずだ。そんな共同作業を現代の親子に勧めたい。



by sakura4987 | 2006-08-13 08:20 | ■朝日社説・天声人語
2006年 08月 09日
◆靖国論争 安倍氏も土俵にあがれ
◆【朝日社説】2006年08月09日(水曜日)付

 自民党総裁選の告示まであと1カ月。ポスト小泉に意欲を示す候補者の間で、靖国神社のあり方や首相の参拝をめぐる立場の違いがくっきりしてきた。

 麻生太郎外相が「私見」を発表した。宗教法人としての靖国神社に自ら解散してもらい、特殊法人にして国立の追悼施設に衣替えするという。

 国が関与するには、政教分離の原則から宗教色をぬぐい去らねばならないが、どのように儀式などを変えるのか、合祀(ごうし)されているA級戦犯をどう扱うのか、そもそも神社側が解散に応じるのかなど、大事なところで疑問は少なくない。

 結局、戦没者を追悼する場はあくまで靖国であるべきだとし、しかし天皇や首相を含めてだれもが支障なくお参りできるよう抜本的に組織を組み替えるというのがポイントだ。

 それが実現されるまでは、首相や閣僚として参拝はしない考えのようだ。

 その意味では、谷垣禎一財務相がA級戦犯の分祀を期待し、当面は参拝を控えると明言したのと通じるところがある。首相の参拝を凍結する、一種のモラトリアムと言えるかもしれない。

 谷垣氏の理由は明快だ。小泉首相が中国や韓国と首脳会談ができない現状は異常だとし、まずは近隣国との関係を修復するのを優先すべきだと主張している。

 さすがに小泉政権で外交の責任者をつとめる麻生氏としては、外交の行き詰まりを認めるわけにはいかないのだろう。慎重に言葉を選び、靖国をながらえさせるため、天皇が参拝できるようにするためなどと理由を語っている。

 だが、首相らが参拝するには、いまの靖国神社のあり方では問題が多いと麻生氏が考えているのは間違いなかろう。

 私たちはこの問題で「総裁候補は明確に考えを語れ」と求めてきた。小泉時代にこじれにこじれ、政治や外交の焦点になってしまった靖国問題をどう解きほぐすか。ポスト小泉の総裁候補が逃げるわけにはいかない論点だと考えるからだ。

 麻生、谷垣両氏が所信を語ったのは、その点で歓迎したい。問題は、打開策に実現性があるのかどうかということだ。

 特殊法人化論は、30年以上も前に論議され、結局は葬られた国家護持法案と似た考え方だ。政教分離をどう確保するかは難しい問題だし、神社側が宗教色を抜く決断をできるとも考えにくい。

 分祀論にしても、神社側は「教義上、できない」と突っぱね続けている。

 結局、政治が自らの決断でできる打開策としては、新たな国立追悼施設をつくることしかないのではないか。

 一方、最有力候補の安倍晋三官房長官は、4月にひそかに参拝していたことが明らかになった。本人は「言うつもりはない」と口を閉ざすが、首相になっても参拝を続けるだろうとの観測が専らだ。

 このまま黙して語らずで逃げ切ろうということなのか。麻生氏と谷垣氏がつくった土俵に安倍氏もあがり、堂々と四つに組んだ論戦に臨むべきだ。



by sakura4987 | 2006-08-09 17:11 | ■朝日社説・天声人語
2006年 07月 06日
◆女児殺害判決 審理は尽くされたのか (朝日 06/7/5)

http://www.asahi.com/paper/editorial20060705.html

 広島市で昨年11月、小学1年の木下あいりさんが性的暴行を受けて殺された事件で、広島地裁がペルー国籍の被告に言い渡したのは無期懲役だった。

 この事件は、死刑か無期懲役かが注目されていた。

 殺人や強制わいせつ致死などの罪に問われたホセ・マヌエル・トーレス・ヤギ被告は、裁判で、犯行時には「悪魔」に支配され、善悪を判断する能力がなかったと無罪を主張した。

 判決は「悪魔のせいにするのは不合理極まりない責任転嫁だ」と、その訴えを退けた。

 法廷で明らかにされた犯行の様子は残忍そのものだった。わずか7歳の女児に性的暴行を加え、被告はその姿を見ながら自慰行為をしていた。そのうえで命を奪い、遺体を段ボール箱に詰めて空き地に放置した。遺体には涙を流した跡が残されていた。

 「性的暴行は女性にとって命を奪われるようなものです。あいりは二度殺された」。父親はこう言って、被害の事実を詳細に報道してほしいと訴えた。検察側が死刑を求刑した意味を理解してもらうためにも重要なことだと考えたからだ。

 しかし、裁判所は死刑を選択しなかった。被害者が1人だったことや、前科がないことなどを理由に、更生の可能性がないわけではないと述べた。

 だが、前科がないという理由には疑問がある。ヤギ被告は母国ペルーで女児に対する性犯罪で2度告発されている。その点については検察側が証拠を出すことができず、審理が尽くされなかった。犯罪歴をきちんと審理していれば、結論が変わったかもしれない。

 死刑を選択するかどうかについて、最高裁は83年に基準を示している。犯行の動機や殺害方法、前科、被害者の人数など9項目を判断の条件に挙げている。

 判決はその基準に沿ったものだというが、基準の中には犯罪が社会に与える影響も含まれている。子どもをねらった凶悪な犯罪が各地で相次ぎ、親たちの不安が募っているだけに、それも考慮した判断があってもよかったのではないか。

 この裁判はもう一つの点でも注目された。裁判所と検察、弁護側が事前に協議して争点を絞り込む公判前整理手続きに加え、短期間で集中的に審理をする方式がとられたからだ。導入が決まった裁判員制度のもとで行われる裁判のモデルケースと位置づけられていた。

 争点は殺意の有無など4点に絞られ、初公判から連続5日間の開廷で証拠調べを終えた。短い期間で濃密な審理を展開し、重大事件では異例ともいえるスピード判決となった。ただ、検察側が短期間に十分な証拠をそろえられなかったのは今後の課題だろう。

 子どもを対象にした性犯罪は再犯率が高いという調査もある。もし仮に一般の人々から選ばれた裁判員がこの事件を裁いたとしたら、果たしてどんな判決が出ただろうか。



by sakura4987 | 2006-07-06 11:16 | ■朝日社説・天声人語
2006年 06月 25日
◆【朝日社説】靖国参拝 肩すかしの最高裁判決 (06/6/25)

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

靖国参拝 肩すかしの最高裁判決

 靖国神社に小泉首相が参拝したことは、憲法が定める政教分離の原則に違反するのかどうか。この問いに、最高裁は合憲か違憲かを判断しないまま原告の請求を退けた。

 身内を靖国神社にまつられた日本と韓国の遺族らが、「01年の首相の参拝によって精神的な苦痛を受けた」として、損害賠償を求めていた。憲法違反の首相の参拝は身内をどのようにまつるかを決める遺族の権利を侵す、というのだ。

 最高裁が示したのは、他人が特定の神社に参拝することで不快の念を抱いたとしても、ただちに損害賠償の対象にはならない。そんな理屈である。首相の靖国参拝に対する司法判断を求めて提訴した原告には、肩すかしの判決となった。

 一連の靖国参拝訴訟では、地裁や高裁で、「首相の参拝は違憲」という判決と、憲法判断をしない判決に二分されている。だからこそ、初めての最高裁の判断が注目されていた。政教分離という憲法の大原則について最高裁が判断を避け続ければ、「憲法の番人」としての役割を果たせないのではないか。

 憲法は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めている。首相の行動が、過去の歴史を踏まえて導き出されたこの規定に反していないかどうかを厳格に判断する。それが裁判所の頂点に立つ最高裁の使命ではなかったか。

 でなければ、首相らが政教分離に反する行いをしたと国民が考えたとき、どこに訴えたらいいのだろう。

 小泉首相は「判決は妥当だ」「哀悼の念をもって靖国神社に参拝するのは憲法違反だとは思っていない」と述べたが、誤解しないでほしい。最高裁は「参拝は合憲」とお墨付きを与えたのではない。

 私たちは、首相に靖国神社の参拝をやめるよう求めてきた。

 靖国神社は終戦まで国家神道の中心にあり、軍国主義のシンボルだった。今の首相が戦没者を弔う場所として、ふさわしいとは思えない。

 A級戦犯がまつられていることには、中国や韓国が激しく反発している。侵略戦争や植民地支配の被害者という立場からすれば、当然のことだろう。

 対外的な問題だけでなく、首相の靖国参拝には政教分離に反するのでないかという憲法問題がつきまとっている。自民、公明、民主3党の有志議員による国立追悼施設の提言も、首相の靖国参拝に関して「憲法違反の疑いがある」との見解を示している。

 最高裁は97年、愛媛県が靖国神社に納めた玉串料などの公費支出について「宗教的活動にあたる」として、違憲判決を出した。政府と自治体、参拝と玉串料という違いはあるが、政教分離原則を厳格に考えれば、靖国参拝についても違憲判断が出てもおかしくない。

 いずれにせよ、最高裁は首相の靖国参拝を認めたわけではない。首相には、それを忘れないでもらいたい。



by sakura4987 | 2006-06-25 12:43 | ■朝日社説・天声人語
2006年 06月 23日
◆沖縄慰霊の日 悲劇と狂気を思い起こす

【朝日新聞 社説】2006年06月23日(金曜日)付

 沖縄の「慰霊の日」が今年も巡ってきた。太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった人々を悼み、平和を祈る日だ。

 80日余りの戦闘で亡くなったのは20万人を超える。このうち、本土からやって来た兵士よりも、住民の犠牲の方がずっと多かった。それが沖縄戦の特徴だ。

 そうした住民の犠牲のうち、沖縄の人たちにとって、消し去りようのない痛みを伴う記憶が「集団自決」だろう。

 那覇市の西に浮かぶ慶良間(けらま)諸島は、米軍が初めて上陸したところだ。追いつめられた親がわが子を、夫が妻を、兄弟が姉妹を、愛するがゆえに手にかけた。

 慶良間諸島の座間味(ざまみ)島で生まれた宮城晴美さん(56)は、35年以上も集団自決の事実を調べてきた。身内も当事者だ。祖父は上陸した米軍が避難壕(ごう)の前に現れた時、「敵に捕まるよりは」と祖母や自分の首をカミソリで切ったが、命をとりとめた。母親は手投げ弾で自殺しようとしたが、不発で生き延びた。

 狂気の世界というほかない。

 米軍に投降すればいいではないか。自殺することはない。いまの若い人たちはそう疑問を抱くだろう。

 宮城さんは「皇民化教育は国のために死を惜しまないことを教えた。集団自決は敵を目前にした住民の必然的な行為で、国に死を強いられた」と語る。

 さらに住民は「米兵に捕まると、女性は辱めを受ける」などと、「鬼畜米英」の恐ろしさを信じこまされていた。

 これは沖縄に限らない。たとえば、佐賀県唐津市では終戦直後に、「米軍が上陸する」というデマが広がった。恐怖にかられた市民が一斉に山間部に逃げるという騒ぎが起きたほどだ。

 米軍の上陸前、座間味島の住民は約600人だった。集団自決で命を絶った住民は135人にのぼり、その8割が女性や子供だった。慶良間諸島全体では犠牲者は700人になる。

 「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の砲撃や空爆は、沖縄本島に上陸後も、さらに激しくなった。戦闘に加われる住民は、日本軍に根こそぎ動員された。残った住民も沖縄から逃れられるわけでなかった。そこで米軍を迎え撃とうとする限り、おびただしい犠牲は避けられなかった。

 こうした沖縄戦の事実は沖縄では語り継がれているとはいえ、本土にとっては遠い土地の昔の話かもしれない。

 慶良間諸島の集団自決について「沖縄ノート」に記した作家の大江健三郎さんは「沖縄戦がどんなに悲惨で、大きなことだったか。集団の自殺を頂点として、日本軍が沖縄の人々に大きな犠牲を強いたことを日本人の心の中に教育し直さなければならないと思う」と話す。

 すさまじい犠牲の末に、沖縄は米軍に占領された。それはいまもなお、広大な米軍基地というかたちで残る。

 沖縄戦の悲劇と狂気を絶えず思い起こす。それは日本の進む道を考えるうえで、苦い教訓となるに違いない。



by sakura4987 | 2006-06-23 11:21 | ■朝日社説・天声人語
2006年 06月 03日
◆出生率1.25 働き方を変えよう (朝日社説 06/6/2)

http://www.asahi.com/paper/editorial20060602.html

 少子化が止まらない。1人の女性が生涯に産む子どもの数を表す05年の合計特殊出生率は、過去最低の1・25を記録した。

 これまで様々な議論が重ねられ、少しずつ対策がとられてきた。それでも出生率の低下に歯止めがかからない。働き方を変えるという根本的な課題に真正面から取り組んでこなかったからではないか。

 最近、気がかりな数字が相次いで発表された。

 景気の回復を反映して雇用の改善は進んだが、パートや派遣などの非正社員は増える一方だ。今や働く人の3人に1人を占める。若い世代では2人に1人だ。

 非正社員は正社員に比べ収入が低く、不安定だ。厚生労働省が20~34歳の若者を対象に02年に行った調査によると、正社員の男性は4割が結婚していたのに、非正社員は1割に満たなかった。

 将来に不安を持ち、自分の暮らしに精いっぱいの若者が、どうして結婚や子どもを持つことを考えられるだろうか。

 一方、正社員はどうだろう。過労などが原因で脳や心臓の疾患になったとして05年度に労災認定された人は330人で、過去最多となった。背景に広がっているのは慢性的な長時間労働だ。

 この10年をみると、週に60時間以上働く人の割合が増えている。なかでも30代の男性の労働時間が長い。有給休暇を取る率も減っている。子育て世代の男性正社員は毎日、長時間、休みもとらないで働いている。

 残業がつづけば、未婚の男女にとってはアフターファイブに様々な活動に参加し、未来の伴侶と出会う機会が限られる。結婚している男性は、家族と過ごす時間が奪われる。

 こんな企業風土は、働きたい女性にとっても高い壁になっている。最初の子どもが生まれると、7割の女性は職場を去っていく。仕事と子育てを両立することが困難だからだ。会社に残っても、なかなか2人目を産める環境ではない。

 仕事に打ち込みながら、子育てをして趣味も楽しめる。そうした生活と調和がとれた働き方を実現したい。

 短時間勤務や在宅勤務を組み合わせ、人生の様々な場面に応じた働き方を選べるといい。正社員と非正社員の待遇をできるだけ近づける努力も欠かせない。

 次の世代を育もうとする若い世代への経済的な後押しは必要だ。しかし、仕事と生活のバランスがとれた働き方が土台になければ、出生率の回復は望めない。

 北欧を始め、オランダやフランスなど出生率を上げることができた国々は、経済的な支援とともに、いずれもこの難事業に挑んでいる。政府はその成功例に学んでほしい。

 ひとたび親になれば、子育ては何年もつづく。保育所や学童保育の充実は必要だが、親と子を長い時間離す支援だけではいけない。父親も母親も子どもと深くかかわり、家族そろって夕食が食べられる。そんな社会に変えたいと思う。



by sakura4987 | 2006-06-03 08:59 | ■朝日社説・天声人語
2006年 05月 13日
◆同友会提言 財界も憂える靖国参拝
「朝日」06/05/11社説

同友会提言 財界も憂える靖国参拝

 経済団体のなかでも活発な政策提言で知られる経済同友会が
、首相の靖国神社参拝に再考を求める「今後の日中関係への提
言」をまとめた。
 日本の自主的な判断として、首相が参拝を控えるとともに、
「民間人を含む戦争の犠牲者を慰霊し、不戦の誓いを行う追悼
碑」を国として建立するよう提言した。私たちも共感できる。
 靖国問題では、同友会の代表幹事だった小林陽太郎・富士ゼ
ロックス最高顧問が、自宅玄関先で火炎瓶が燃やされるなどの
脅しを受けた事件があった。小林氏は新日中友好21世紀委員
会の日本側座長をつとめ、首相の靖国参拝に対し「個人的には
やめていただきたい」と語ったことがきっかけになったようだ

 経済界には、靖国問題で発言することをためらう空気もある
。小林氏を継いで同友会の代表幹事になった北城恪太郎・日本
IBM会長が、この問題を避けずに提言をまとめたことに敬意
を表したい。
 日中間の経済交流は拡大を続け、貿易額では04年以来、中
国は日本にとって最大の貿易相手になっている。「政冷経熱」
と言われるように、政治関係は冷たくても、経済関係は悪くな
い。
 それでも同友会があえて靖国問題をとりあげたのは、「いず
れこの政治関係の冷却化が、両国間の経済・貿易面にも負の影
響を及ぼす」という危機感を抱いたからだ。
 同時に、提言はそこにとどまらず、日本の安全と繁栄、東ア
ジア地域の発展といった広い文脈のなかに対中関係を位置づけ
、日本の基本戦略として良好な関係を築く必要性を訴えている

 同友会の内部には「小泉首相は退くのだから、靖国の提言は
不要」との意見もあった。しかし、「提言の実施は次の首相に
も求める」ことで押し通したという。「ポスト小泉」の総裁選
びに影響を与える狙いも込められている。
 納得できないのは小泉首相の対応だ。「財界の人から、商売
のことを考えて、(靖国神社に)行ってくれるなという声もた
くさんありましたけど、それと政治とは別です、とはっきりお
断りしています」と述べた。目先のそろばん勘定からの提言と
言わんばかりの態度はあまりに失礼だろう。
 経済財政諮問会議をはじめ、政府の重要な政策を決める会議
などに、首相は盛んに財界人を招き入れている。それは、経営
の実務を通じて培われた識見や指導力を政治に生かしたいとい
うことではないのか。耳に痛い提言は「商売のこと」と片づけ
てしまうのはフェアでない。
 経済的な利益だけが国益でないことは言うまでもない。けれ
ど、経済発展を支え、障害を取り除くよう努めるのは政治家の
基本的な仕事であることを忘れては困る。
 同友会の提言は、日中の自由貿易協定やエネルギーの共同開
発、スポーツ・文化交流など多岐にわたっている。両政府とも
真剣に受け止めるべきだ。


「産経」06/05/11社説

同友会提言 中国干渉に手を貸す恐れ

 経済同友会は小泉純一郎首相の靖国参拝について、日中関係
改善のために「再考が求められる」と自粛を求める提言を行っ
た。なぜ、この時期に提言など出したのか、首をひねらされる

 中国の胡錦濤国家主席は三月末、訪中した日中友好七団体代
表団の橋本龍太郎元首相(団長)らと会談し、「日本の指導者
が『A級戦犯』をまつる靖国参拝をやめるのなら、首脳会談を
開く用意がある」と述べた。秋の自民党総裁選を意識し、次期
首相を牽制(けんせい)した発言である。韓国も同じような理
由で首脳会談を拒否している。
 日本の政界でも、次期総裁選をめぐり、東アジア外交に絡め
て靖国問題を焦点にしようとする動きがある。そんな時期に、
経済同友会があえて首相の靖国参拝の自粛を求める提言を行っ
たことは、中国などの内政干渉に手を貸すことになりかねない

 同友会は国立追悼碑の建立も提言している。この靖国代替施
設構想も中国や韓国に同調したもので、日本国民のコンセンサ
スは得られていない。
 同友会の幹事会では、「この時期に公表すべきではない」「
靖国参拝の再考など促すべきではない」といった異論が続出し
、出席した約七十人の幹事のうち十一人が反対したといわれる
。多数意見での採択は異例だそうだ。どんな反対意見が出され
たのかも、同友会は明らかにしてほしい。
 小泉首相は「(これまで)財界から『参拝してくれるな』と
いう声もあったが、『商売と政治は別だ』とはっきりお断りし
ている」と述べ、安倍晋三官房長官も「首相の言っていること
がすべてだ」と話した。政府の一貫した姿勢を支持したい。
 提言は「中国などアジア諸国に少しでも疑義を抱かせる言動
は、戦後の日本の否定につながりかねず、日本の国益にとって
もプラスにならない」としている。そういう近隣諸国への過度
の配慮が戦後日本の外交を誤らせてきたのではないか。これか
らは、中国などに疑義を持たれても、言うべきことをはっきり
主張する外交が必要だ。
 靖国神社に詣でることは日本の文化であり、日本人の心の問
題でもある。誰がいつ、いかなる気持ちで参拝しても、それが
妨げられないような静かな環境を保ちたい。


by sakura4987 | 2006-05-13 09:34 | ■朝日社説・天声人語
2006年 05月 06日
◆里親 ぬくもりを子どもに
【朝日社説】2006年05月05日(金曜日)付

 きょうはこどもの日。端午の節句でもある。しょうぶ湯をたてる家もあるだろう。しょうぶは香りが強く、邪気を払うとの言い伝えがある。子どもたちの健やかな成長を祈りたい。

 だが、すべての子どもが温かな家庭でこの日を過ごしているわけではない。

 両親の病気や行方不明、虐待などで家族と暮らすことのできない子どもたちのことにも思いをはせたい。

 こうした子どもが、豊かなこの国に約3万6千人もいる。9割が施設に、あとは里親の家庭に引き取られて里子として育てられている。

 3月に、かつて里子だった女性の体験をもとにしたテレビドラマが放映されて評判になった。母は家出、乳児院に預けられたあと父が自殺し、生活の場を転々とする「ヤドカリ人生」だった。里親との暮らしは激しい反抗を経て最後には強いきずなで結ばれる。子どもに注ぐ愛情で信頼が回復した。

 里親の役割が見直されている。子どもへの親の虐待などが増えているからだ。心身に傷を受けた子どもは、落ち着いた家庭的な環境で育つことが望ましい。特に幼いころは特定の大人にたっぷり愛されることが大切だ。

 欧米先進国では、親と暮らせない子どもはまず里親に託される。一方、日本はずっと施設に依存してきた。いま里親家庭は2千余り。そこで暮らす子どもは3千人にとどまっている。

 家族の問題で悲しみを抱えた子どもを見守る里親の負担は重い。多様な形が模索されている。

 里親が6人までの子どもを預かり、きょうだいのようなつながりを育む「ファミリーホーム」はその一例だ。同じような境遇にある子ども同士の交わりと家庭的な雰囲気の両輪で成果を上げている。東京都など一部の自治体が補助金を出しているが、国も支援をして全国で取り組んでほしい。

 新しい家庭をつくろうという動きもある。オーストリアに本部があるNGO「SOS子どもの村」の日本支部をつくり、第1号の村の建設をめざす。

 2年にわたってプロとして養成された里親が、数人の子どもと暮らす。その家庭が十数軒集まって一つの村になる。世界各地に440の村があり、約5万人の子どもたちが暮らす。龍谷大学の金子龍太郎教授らが中心になって、土地や建物などの資金援助を実業界に働きかけているところだ。

 国も遅まきながら里親重視を打ち出した。けれども難しい問題に対応できるしっかりした研修や、困ったときに相談にのってもらうなどの支援がまだまだ足りない。手厚い応援の態勢が整っていれば、子どもを育てる喜びを味わってみたいと思う人たちもいるのではないか。

 里親の実態や苦労は、じゅうぶんには知られていない。その活動に関心をもつことは、子どもたちを支えることにつながっていく。

by sakura4987 | 2006-05-06 09:01 | ■朝日社説・天声人語