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2006年 09月 07日
【正論】上智大学名誉教授 渡部昇一 ■なお疑念残る文書鑑定の手続き ≪権威者ですら真贋を誤る≫ トレヴァ=ローパー卿といえば、オックスフォード大学の近代欽定講座教授という近代史の権威である。この欽定教授(リージャス・プロフェッサー)の席は、フリーマンやフルードのような巨大な名前の前任者を持つ名誉と権威のあるポストである。 ところが、トレヴァ=ローパー卿はヒトラーの日記の真贋(しんがん)鑑定で大きなミスを犯した。筆跡や書かれている内容からみて、「ヒトラーの日記に間違いがない」と鑑定したのであった。 しかし、後に鑑定の専門家が検討したところ、日記の背の糊(のり)は、ヒトラーの時代にはこの世にまだ存在しないことが証明されたのである。 文書の鑑定には、さまざまな専門家が必要であるという一例である。 日本でも少し前に、芭蕉の『奥の細道』の本物が出てきたと騒がれたが、それは筆跡鑑定の専門家たちによって否定され、あの騒ぎは古書店と野心的学者とNHK記者と岩波書店の策略ではなかったかという噂(うわさ)さえある。 自身の残虐行為を告白した元中国戦犯の告白記-と話題になった曽根一夫氏の『私記南京虐殺』(正続)もそうであった。 一時は「類書にない特色を持つ」と評価する南京問題専門家もいたが、後に曽根氏は兵士として南京戦に参加していなかったことまで明らかになったのである。偶然私の知り合った曽根氏の親類も、「あの嘘つきが困ったものを書いてくれた」と言っていた。 ≪政治的意図ありの指摘も≫ 文書の真贋を定めるには、いくつかの手続きがある。最近問題になっている富田メモを例にとって言えば、大体次のようになる。 第一に、外的証拠(エクスターナル・エビデンス)に関することである。 先(ま)ず、その手帳はどこから誰の手に渡り、誰によって、まさにあのページが報道されたのか。手帳に貼られた糊はいつ頃、どの会社製のものであるのか。 貼られた紙のインクは、そのページの手帳のインクと同じであるのか。もし違うのならば、貼られた紙のインクと同じインクで書かれている手帳のページの日付は、いつ頃のものなのか、などなど。 第二に、内的証拠(インターナル・エビデンス)である。 先ず、あのメモの発言者が昭和天皇であることを示す言葉がついているのか否か。その紙や手帳の前後の全記述はどうなっているのか。そのメモの内容が昭和天皇のそれ以外の発言と整合性はあるのか。 ないとすれば、その不整合性をどう説明するのか。富田手帳の、その他の部分の信用性はどうなのか(東京裁判で検察側が利用した『原田日記』の例もある)。 富田氏自身のメモの信憑(しんぴょう)性は他のページでも証明されるのか。昭和天皇の言葉遣いが反映されているのか、などなどである。 今までの報道から私の知る限り、右のような文書鑑定の手続きを一切無視して発表が大々的に行われたようである。 そこに政治的意図があったという指摘がなされるのも当然であるし、明らかに政治的に利用しようとして発言した政治家や、記事にした新聞があった。 天皇陛下や皇族方のプライベートなつぶやきみたいなものまで、本人の同意なく発表され、政治的に利用されては陛下も国民もたまらない。 ≪鑑定人も根拠を明らかに≫ 国会の予算委員会は、この手帳と、あのページの出現のプロセスを究明する義務がある。二度と悪質な皇室利用で世論や政治を動かそうとする人間やマスコミが出ないようにするのは政治家たちの義務である。 また、鑑定を頼まれた人たちも、そんな重要な検定をするのに十分な時間や手段が与えられていたのだろうか。 たとえば、この手帳に貼られた紙片を、近代史の重要な証拠とみて発言しておられる人たちがいるが、先に指摘したポイントに立って、その根拠を明らかにする責務があるように思われる。 トレヴァ=ローパー卿に限らず、マックスウェーバーのような学者も、脚注につけた文献の出典・内容がいい加減であることを羽入辰郎氏(第12回山本七平賞受賞者)が指摘するまで、マックスウェーバーの研究者たちは気がつかなかった。 文献研究をやっている者なら修士課程の学生でも気づく程度のことである。富田メモを鑑定した人たちの名前に権威を置くことなく、国会が少なくとも外的証拠だけでも調査に乗り出すことを切望する次第である。 2006年 08月 16日
はお言葉を靖国潰しに利用? (世界日報 06/8/16) ≪当事者の日経が黙殺≫ 昭和天皇がA級戦犯の靖国神社合祀(ごうし)に不快感を示されたとする「富田メモ」はその後、さまざまな論議を呼んできた。なぜこの時期の公表なのか、不快感はA級戦犯全員になのか、そもそもメモに信憑(しんぴょう)性があるのか。多くのメディアで今なお論じられている。 そんな中に当の宮内庁はどう考えているかとの声があったが、羽毛田信吾宮内庁長官は八月十日の定例会見で「富田メモ」についての見解を語った。日経の第一報(七月二十日付)から二十日以上もたってからの公式見解である。 羽毛田長官は「長官という職にあるものとして言えば、在任中のことを外に出していくことについては、よほど慎重でなければならない」と語り、「富田元長官も公表をお考えにならなかったと思う」「そうでなければ、陛下が長官にものが言いにくくなる」と語り、メモ公表に批判的な考えを示した(毎日、朝日十一日付)。 これを日経はどう聞いたのか。だが、十一日付の日経紙面を見ると、どこを探しても長官会見が見当たらない。まさかと思ったが、まったく報じていないのだ。羽毛田長官はメモ公表、つまり日経の報道について見解を述べたはずなのに、当の日経が黙殺とは何とも不誠実である。都合の悪いことは知らしめず、なのか。 ≪メモの解釈権を独占≫ 日経の「富田メモ」報道では驚かされることが少なくない。例えば、七月二十三日付の特集「富田メモ-意義と今後の検証」で「公表するに当たり、日本経済新聞はその筆跡、内容などを詳細に分析し、現代史の専門家の意見も聞いた」とし、作家の半藤一利氏と東大教授の御厨貴氏の対談を掲載しているが、御厨氏は何と「今日、実物を初めて見た」と述べている。 半藤氏は週刊誌上で「掲載の二十日ほど前に手帳を見せてもらいました」と語っており(週刊文春八月三日号)、意見を聞かれただけらしい。では「富田メモ」はいったい誰が責任をもって「詳細に検証」したのか、さっぱり分からない。 日経は七月二十五日付まで「昭和天皇の言葉/富田メモから」、八月七日付まで「昭和天皇との10年/富田メモから」をいずれも五回連載したが、検証というよりも富田氏が昭和天皇に信頼されていたとする“実証”の記述が目立ち、メモの信憑性の裏付けに利用している感がぬぐえない。 かつてマルクスやレーニンの言葉の「解釈権」を握っていたのがソ連共産党や国内では日本共産党だった。他の誰にも「解釈」を許さず、それをもって自らの正当性を主張したわけだが、日経のメモ報道はこれを彷彿(ほうふつ)とさせる。 これではいくら日経が「今後も史料としての価値を検証し、随時、報道していきます」(七月二十三日付)と言っても、信頼を置くことはできまい。 この日経連載で京都産業大学教授の所功氏が「メモの表現がはたして陛下のご発言のままなのか。富田氏の受け止め方に問題はないのか。他の資料とつき合わせて検証する必要がある。結論を急がず慎重に解釈を深めたい」(七日付)と述べているが、日経は最初から「A級戦犯靖国合祀/昭和天皇が不快感」(七月二十日付)と結論付け、「解釈」を独占しようとしてきた。 ≪産経が「中経」と批判≫ ここから日経は昭和天皇の言葉を政治利用しようとする“確信犯”なのではないか、そんな疑念が浮かび上がってくるのだ。 産経五日付に評論家の潮匡人氏は防衛白書を報じた一日付各紙を論評し、日経だけが自国の防衛よりも対中関係に配慮していると驚き「これでは日経ならぬ中国経済新聞である」と断じ、「富田メモ」スクープにも通じる編集方針ではないか、との疑念を呈している。 つまり、「富田メモ」の政治利用とは首相の靖国参拝をやめさせようとする日経の親中路線の表れではないか、との疑念である。 こうした疑いは、日経の杉田亮毅社長が四月に訪中し中国の唐家★(★=王へんに旋)国務委員と会談しながら、その事実を日経がまったく報道していないことで一層深まる(産経四日付)。 唐国務委員は席上、日本のメディアが中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導くことを期待すると述べたという(産経によると新華社電)。 仮に「富田メモ」報道がその一環なら、これはスクープどころか、それこそ中国経済新聞の証しとなる。日経はこの疑いも黙殺するつもりなのだろうか。 2006年 08月 09日
靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)への内外の批判が高まる中、麻生太郎外相が靖国神社を宗教法人から国が関与する特殊法人に改組する提案を公表した。政治家としてA級戦犯分祀を視野に靖国問題を根本から問い直そうとする姿勢は評価できるが、麻生提案には本当に宗教色を排除できるのかなど疑問点が少なくない。靖国神社のあり方についてさらに議論を深めていくべきである。 麻生外相の提案はかつての靖国神社国家護持法案と基本的には似た内容である。靖国神社が自主的に宗教法人格を返上することを前提に、新たな設置法によって国が関与する特殊法人に改組し、天皇や首相、外国元首などが訪れやすい施設にする狙いが込められている。 この提案の問題点は国が関与する施設になった場合、明確に宗教色を排除できるかどうかである。形式だけ宗教法人をはずしても実態が国立神社であっては、憲法が定めた政教分離原則に違反することになる。かつての靖国国家護持法案が廃案になったのも、この点を解決できなかったからであり、麻生提案ににわかに飛びつくことができない理由もそこにある。 しかし、靖国問題がここまでこじれてしまった以上、次期首相の座を争う候補者がさまざまな打開案を国民に提示して議論するのは政治家の当然の責任であり、自民党総裁選で議論を深めるべきテーマである。小泉純一郎首相のように「心の問題だ」「個人の自由だ」と開き直っているだけでは政治家としてあまりにも芸がないと言うほかない。 安倍晋三官房長官は仮に首相になっても靖国神社に参拝するかしないか、いつ行くのかなどについて一切言及しない態度を表明している。安倍氏は靖国問題では小泉首相よりはるかに強い信念を持っているが、実際の行動は靖国参拝を公言する小泉首相より柔軟に対応しようとする姿勢がうかがえる。 谷垣禎一財務相は首相になったら靖国参拝を控えると明言した。総裁選出馬の可能性を探っている額賀福志郎防衛庁長官も靖国参拝には慎重姿勢を示している。後継首相候補の有力閣僚がこぞって小泉首相の靖国参拝方針とは異なる対応を示している点に注目したい。最近の各種世論調査でも首相の靖国参拝に反対する声は5割を大きく超えている。 こうした中で、退任間際の小泉首相が8月15日に靖国神社を参拝するかどうかに関心が集まっている。首相は「立つ鳥跡を濁さず」の言葉を肝に銘じてもらいたい。 < 前のページ次のページ >
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