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民法改正に「無戸籍子」を利用


■婚姻制度崩壊も

 「離婚後三百日以内に生まれた子供は前夫の子」と見なす民法七百七十二条に関して、妊娠が離婚後であることを示す医師の証明があれば、例外的に再婚相手の子供であることを認める法務省通達が二十一日から実施されている。

 「無戸籍子」がかわいそうだとして、民法改正まで行きかけたが、寸前のところで、「家族の価値」を重く見る自民党の良識が働いて、通達による救済となった。

 冒頭の規定を見直せば、不倫の子供も救済対象となり、わが国の婚姻制度がなしくずしになる危険性があった。

 今後は、今回の通達で救済対象とならなかった離婚前妊娠で生まれた子供(無戸籍子の九割を占めらる)の救済策に焦点が移るが、家族の価値の根幹をなす婚姻制度を守りながら、やむを得ぬ状況で無戸籍となった子供をどう救済するのか、バランスのとれた論議を期待したい。

 懸念されるのは、そこでも無戸籍子というかわいそうな存在を利用して、家族の在り方や婚姻制度に密接にかかわる民法を変えてしまおうというリベラル勢力の動きだ。

 今国会への提出は見送りとなったが、自民党のプロジェクトチーム(PT)の民法改正案には、七百七十二条の見直しばかりか、女性の再婚禁止期間を短縮させる内容も盛り込んでいる。

 再婚禁止期間の短縮は、かつて法制審議会が選択的夫婦別姓制度とセットで答申したものだ。

 PT案の中に、無戸籍子問題とはまったく関係のない再婚禁止期間の短縮が盛り込まれたことを見ただけでも、改正案の背景に家族の価値よりも個人の権利を優位に置くリベラル思想があることは明らかだ。

 また、事実婚の経験者で、選択的夫婦別姓制度を主張する野田聖子衆院議員は「法相の言う貞操義務は、本来愛する相手に果たすものだ。それを民法の議論に持ち出すのは未成熟で幼稚としか言いようがない」(毎日新聞五月十四日付)と、子供の権利を最優先に民法を改正すべきだと主張する。

 だが、これは的外れの主張だ。民法は「不貞行為」を離婚の理由として認めているし、慰謝料も請求できる。貞操義務は今も法律上の義務として生きているのである。

 それを「貞操義務は、愛する相手に果たすもの」と道徳論にすりかえることこそ、未成熟で幼稚な論法だろう。

 もちろん、例外もある。

 夫婦としての実態が事実上失われている場合は、離婚成立前の妊娠でも、民法七百七十二条による父親の推定を受けないとの最高裁判決があり、現在でも家庭裁判所に調停申し立てを行えば、戸籍変更が認められるのである。


■救済は別に可能

 民法が無戸籍子をつくっているのではない。やむを得ぬ事情があって、戸籍の届け出をしないことが無戸籍子を生んでいるのである。

 同情すべき例外のケースが多くなったからといって、民法を改正するというのは本末転倒だ。法律を変えるのではなく、救済は他の方法でもできるはず。

 しかも、社会の秩序の根幹にかかわる一夫一婦制をなしくずしにしかねないのだから、なおさら議論は慎重を期すべきだ。

 たとえ無戸籍子というかわいそうな存在があったとしても、社会発展の要をなす家族の価値の重要性を忘れてはならない。それが成熟した政治家というものだろう。
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by sakura4987 | 2007-05-24 09:47


 (日経BP 07/5/23)

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/matsuura/space/070523_india2/

 インドの宇宙計画は、大幅な予算の伸びと計画的な人材育成によって、今後2010年代にかけて大きく伸びることになる可能性が非常に高い。

 平岩氏によると、インドの優位性はそれだけではない。インドは、予算を総花的にばらまくようなことをしていない。重点分野に集中的に投資して、確実に必要な技術を国産化している。

 その一方で、自国の地政学的な地位を利用して、大胆に海外からの技術導入も進めており、その投資効率は非常に高いと判断しなくてはならない。

ロケットと衛星に集中的に投資

■インドの宇宙開発のオーバービューは理解できました。それではロケットや衛星、有人宇宙開発といった個別分野ではどうなのでしょう。


平岩 これはインドと日本の2007年度予算をドルベースで比較したものです。予算額と、それが全体の中でどの程度の割合を占めているかを示しています。

 日本の予算で、「etc(Reliability improvement)」には、ここに2003年11月のH-IIA6号機の打ち上げ失敗を受けての、全JAXA的な信頼性向上運動に費やす予算の104億円が計上されています。

 そういった事情を考慮した上でもはっきりと分かるのは、インドは「ロケット」と「衛星」という、宇宙開発に必須の2つの要素に集中して投資を行っているということです。

 インドは全予算の約40%をロケットに投資しています。一方日本は9.8%です。衛星はインドが38%、日本が41%。宇宙科学分野は、インドが8.1%で日本が7.6%となっています。

 つまり、日本はインドと比べて、ロケットのような宇宙輸送システムへの投資を薄くして、その分を国際宇宙ステーションや衛星、そして信頼性向上へと分散投資しているわけです。

(以下、略)
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by sakura4987 | 2007-05-24 09:20


 (世界日報 07/5/19)

米軍上陸を前にして玉砕覚悟/手榴弾、かま、くわで集団自決

 那覇市から高速艇で西に四、五十分走った所にある慶良間(けらま)諸島。渡嘉敷、座間味、阿嘉(あか)、慶留間(げるま)、前島、屋嘉比(やかび)、久場島など大小二十余の島々から成る。

 この中で渡嘉敷島、座間味島で起きた集団自決をめぐって裁判が起きているのである。

 日本軍は、米軍が真っすぐに沖縄本島に上陸すると予測。その米軍の背後に回って奇襲攻撃を掛けようと渡嘉敷島、座間味島などに海上特攻艇二百隻を運び、その機会をひそかに待っていた。

 「マルレ」と呼ばれる特攻艇はベニア板製で船幅一・八㍍、艇長五・六㍍、重量千二百㌔の半滑走型ボート。百二十㌔の爆雷二個を搭載し、米軍艦艇に体当たり攻撃を行う秘密兵器だった。

 乗り込んだ隊員に生還はない。海の「特攻隊」である。だが、米軍の作戦は違っていた。


 昭和二十年三月二十三日。彼らは沖縄本島攻略の足掛かりとして、数百の艦艇で慶良間列島へ砲爆撃を仕掛けてきたのである。

 渡嘉敷島で指揮をしたのは海上挺進第三戦隊長、赤松嘉次(よしつぐ)大尉。陸士五十三期卒。当時二十五歳だった。

 だが、赤松部隊は那覇の船舶団本部からの「状況有利ならざる時は、所在の艦船を撃破しつつ、那覇に転進すべし」という命令と、その時に渡嘉敷島を訪れた船舶団本部団長・大町茂大佐の「(転進は)時期尚早」という意見の狭間に立たされて、結局、特攻艇は出撃の機会を失ってしまう。敵の上陸を前にして、その艇を自沈させた。

 米軍は三月二十六日、座間味島に、二十七日には渡嘉敷島にも上陸した。

 座間味島の指揮官は海上挺進第一戦隊長、梅澤裕少佐。陸士五十二期卒。当時二十七歳だった。座間味島の島民は、初めて米兵と遭遇する日本人となった。その心理状態はどのようなものであったか。


 昭和四年から九年にかけて座間味村長を務めた宮村盛永氏(故人)は、昭和三十一年起稿の自叙伝を残しているが、そこに「戦争中の思い出」と題する章がある。

 米軍上陸時の村人の様子と、島民の覚悟が記されている。(月刊『小説新潮』昭和六十三年一月号、本田靖春「第一戦隊長の証言」より)


 三月二十三日。<座間味、渡嘉敷の山火事はだんだん燃え広がり、四面は火の海に包まれ、その火影は海面に照り渡り、海陸とも赤い毛せんを敷いたような有様であった>

 二十四日。<午前九時からグラマン機はますます猛威をふるい、日中は外に出ることは不可能であった。

 敵の上陸寸前であることに恐怖を感じながら、この調子だと家族が全滅するのも時間の問題だと考えたので、せめて部落にいる(長男の)盛秀夫婦、直(五男)、春子(三女)とともに部落の近辺で玉砕するのがましではないかと家族に相談したら、皆賛成であった。

 同日の夜、自分は座間味の壕に帰り、村の情況と家族の安否を尋ねたら、皆元気いっぱいで覚悟の活動をしていた>


 覚悟を決めていたのは、宮村氏の家族だけではない。島民は皆、身辺を整理し、晴れ着に着替えていた。


 二十五日夜。五男の直が父に「お父さん、敵は既に屋嘉比島に上陸した。明日はいよいよ座間味に上陸するから、村の近いところで軍とともに玉砕しようではないか」と持ち掛ける。

 部落に戻る夜道を急ぐ彼らの頭を敵の機銃弾がかすめてピュンピュン風を切った。だが「皆無神経のようになって何の恐怖も抱かず」駆けたと自叙伝は記している。

 米軍の座間味島上陸は二十六日午前九時ごろだが、その直後に集団自決が決行された。下谷修久氏が出した『悲劇の座間味島』(昭和四十三年)には、自決した人の名前、生年月日、自決日時と場所が記されている。その数は百七十二人だった。

 米軍は次に渡嘉敷島に上陸。島の北端の北山で三百二十九人の島民が集団自決で亡くなったと村史は記している。

 手榴弾(しゅりゅうだん)の爆破。かま、くわ、かみそりなどを持って力のある者が愛する家族を手にかけた。残った者が最後に自死した。武器も刃物も持ち合わせのない者は、縄で首を絞めたりして命を絶ったのであった。
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by sakura4987 | 2007-05-24 09:19


http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007052301000917.html

 台湾の李登輝前総統(84)は23日、今月末からの訪日を前に一部日本メディアのインタビューに応じ、日本での初の講演で「(終戦前に)わたしが受けた日本の教育や文化について話し、日本は良い国だ、頑張れと伝えたい」と抱負を語った。

 李氏は5月30日から6月9日まで訪日し、東京都内などで講演、松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの宮城、岩手、秋田の各県などを訪問する。

 親日派の李氏は訪問の目的について「『奥の細道』を見たいとずっと思っていた。日本の多くの人がわたしを歓迎してくれてもいる」と述べた。

 今後のアジア情勢については「米国はイラクから足抜けできず、アジアでは中国と日本の主導権争いが激しくなり、第2次世界大戦前に戻る」と予測。

 「台湾はこの変化に対応しなければならないが、内部でけんかばかりだ」と台湾の与野党間の争いを批判した。
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by sakura4987 | 2007-05-24 09:19


http://viet-jo.com/news/social/070521051657.html

 ハノイ市で18日、スイス・ベトナム大気浄化プログラム(SVCAP)の一環として「大気質とメディアの視点」と題するセミナーが開かれた。

 同市科学技術局と化学研究所はこの席で、ハノイ市内で年間8万トンの煙塵(えんじん)、9000トンの二酸化硫黄(SO2)、1万9000トンの二酸化窒素(NO2)の大気汚染物質が排出されているという観測結果を発表した。

 また、2010年までに市内の主要交差点での大気中汚染物質濃度が基準値の7~9倍になり、特に揮発性有機化合物(VOC)は基準値の33倍になるとの予測を明らかにした。

 ハノイ市内にはおよそ400の工場があるが、そのうち半数の工場が汚染物質を排出している可能性があるという。また、バイクや車などの交通手段も大気汚染の主な原因と見られている。

 専門家らは大気質の改善対策として、安全かつ経済的でもあるエコカー(低公害車)の導入を提案している。
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by sakura4987 | 2007-05-24 09:18


http://www.sankei.co.jp/kokusai/world/070524/wld070524000.htm

中国系団体が推進

 【ワシントン=古森義久】カナダ議会下院の外交委員会は傘下の小委員会が可決した日本の慰安婦問題での非難決議案をこのほど同小委員会に差し戻した。

 外交委員会ではこの決議案に改めて反対論が出たが、カナダ議会での決議の推進には、米国では水面下に隠れた形の中国系反日団体が表面に出て動いている点が注視される。

 カナダ議会下院外交委員会のスタッフが18日、産経新聞に語ったところによると、同委員会は10日の審議で、日本の慰安婦問題で日本に対し謝罪表明と被害者への賠償を求める決議案を傘下の国際人権小委員会に差し戻し、さらに研究を要求することを決定した。

 中国系カナダ人のオリビア・チャウ議員(野党の新民主党)らが提案した同決議案はカナダ政府が日本に対し慰安婦問題での謝罪を求めることを要求していた。

 同案を最初に審議した同国際人権小委員会では3月27日に採決をし、4対3で可決した。

 その結果、同案は上部の外交委員会に回されたが、与党の「カナダ保守党」らの議員から「日本の内政への干渉になる」とか「日本の首相はすでに謝罪している」という反対が出て、同外交委員会の5月10日の討議では同決議案を国際人権小委員会に差し戻し、「さらなる調査を求める」ことが決まった。

 今後、廃案となるか、復活してくるかは不明だとされている。

 カナダでこの決議案を推進して下院の各議員へのロビー工作などを展開している最大組織は「カナダALPHA」(第二次世界大戦アジア史保存カナダ連合)で、米国カリフォルニア州クパナティノに本部を置く「世界抗日戦争史実維護連合会」のカナダ支部。

 同連合会は在米中国人を中心に結成され、中国の政府や共産党との連携も密接に保ってきた。

 日本の戦争に関する過去の行動を一貫して糾弾し、戦後の対日講和条約での日本による賠償をも認めない点で「反日」と特徴づけられる。

 同連合会は米国議会に同様の慰安婦問題糾弾での決議案を提出したマイク・ホンダ議員に対し、幹部数人の名前で多額の政治献金を続けてきただけでなく、同議員が州議会議員時代から日本を歴史問題で非難する決議案を出した際に、その草案作成にもかかわってきた。

 世界抗日戦争史実維護連合会は米国内では慰安婦問題に関して表面にはほとんど出ず、韓国系団体がより多く活動しているが、カナダでは同連合会の支部だという中国系カナダ人たちが表面に出て、公然と議会への圧力などをかけている。
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by sakura4987 | 2007-05-24 09:18


http://www.asahi.com/life/update/0513/TKY200705130129.html

 もしも両親が離婚したら、父親についていきたい女子中高生は6%で、母親は46%――。こんな結果が、携帯のメールサービスを運営する会社の調査で出た。

 13日の「母の日」に合わせてメディアシーク社が13~18歳の会員のうち460人にアンケート。一部回答してきた男子中高生でも、母親が圧倒的だったという。

 「母親は当然よと思うだろうが、こんなに差があるとは」と男性担当者。一方、「将来お母さんになりたい?」との質問には「NO」「どちらとも言えない」が44%。こちらの方が深刻かも。
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by sakura4987 | 2007-05-24 09:17


「軍命裏付ける証言得られず」/曽野氏、疑問抱き丹念に関係者取材

 昭和四十年前後、ジャーナリストや文化人が書いた沖縄戦史、また村が作成した村史を通じて、渡嘉敷島、座間味島で起きた集団自決が軍命令によるもの、という見方が通説となり、半ば「常識」となりつつある時、これに疑問を抱き、丹念に再検証を行う取材をした一人の作家がいた。

 『或る神話の背景』(昭和四十八年、文藝春秋)を公刊した曽野綾子氏である。曽野氏は、平成十二年十月十六日、司法制度改革審議会委員として同審議会で、陪審制度の問題点について論じている。

 その中で、「言語を楽しみ、言語と苦闘してきた私たちからみると、言語ほど難しいものはなく、それはあたかも流れる川の中で生きた魚を掴(つか)むのに似た難しさを感じさせる」と述べて、この渡嘉敷島・集団自決を取材した経緯などを語っているので、紹介したい。

 曽野氏は、沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』、渡嘉敷島遺族会編纂(へんさん)『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』、岩波書店『沖縄問題二十年』(中野好夫、新崎盛暉著)、岩波書店『沖縄ノート』(大江健三郎著)、平凡社『悲劇の沖縄戦』など九冊を取り上げ、こう語った。

 「これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を『人非人』『人面獣心』などと書き、大江健三郎氏は『あまりにも巨きい罪の巨塊』と表現しています。私が赤松事件に興味を持ったのは、これほどの悪人と書かれている人がもし実在するなら、作家として会ってみておきたいという無責任な興味からでした。私は赤松氏と知己でもなく、いかなる姻戚(いんせき)関係にもなかったので、気楽にそう思えたのです」

 「もとより私には特別な調査機関もありません。私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げていっただけです。本土では赤松隊員に個別に会いました。(略)渡嘉敷島にも何度も足を運び、島民の人たちに多数会いました。大江氏は全く実地の調査をしていないことは、その時知りました」

 曽野氏の取材は昭和四十五、六年だったが、当時まだ集団自決の状況を知る村の関係者や赤松元隊長をはじめ隊の関係者が多く生存していた。その一人ひとりに直接会い、取材をした結果、

 「赤松氏が集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られなかった」と語る。

 その根拠の第一として、常に赤松氏の側にいた副官の知念朝睦氏が、明確に軍命令を否定。

 また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したが、その駐在巡査は、曽野氏の直接の質問に対して「赤松氏は自決命令など全く出していない」と明確に証言したからという。

 那覇市から車で四十分余り北に走らせた宜野湾市に、知念氏の自宅はある。記者(鴨野)が訪れた二月の下旬、庭の梅の木にメジロが止まり、さえずっていた。

 『鉄の暴風』に同氏が登場する場面がある。

 <地下壕内において将校会議を開いたがそのとき、赤松大尉は「持久戦は必至である、軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食糧を確保して、持久体制をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間の死を要求している」ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭(どうこく)し、軍籍にある身を痛嘆した>(36)

 知念氏にこの記述を確認すると、笑いながら「渡嘉敷島に、将校会議を開く地下壕(ごう)は存在しませんでしたね。作り話ですよ。沖縄タイムスは嘘(うそ)ばかり書くから、私は読んでいませんよ。それに比べて曽野先生は偉かったな。もんぺ姿で渡嘉敷島で何日間も取材をされたのですから」。

 自決命令を聞いた知念氏が<悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛嘆した>と『鉄の暴風』にある。だが彼は沖縄タイムスから、戦時中の様子を取材されたことが一度もない。ならばなぜ、彼が慟哭し、痛嘆したと彼の胸中を推し量る記事を書いたのだろうか。

 「私が赤松隊でただ一人の沖縄出身者ということで、きっと同情心から、想像して書いたのでしょうね」と知念氏。

 沖縄タイムスは、赤松氏本人にも元隊員への取材もせず、軍命令があったと書いた。記者が取材した、知念氏をはじめとする三人の元赤松隊の隊員は、赤松氏の軍命を真っ向から否定した。
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by sakura4987 | 2007-05-24 09:17


 (世界日報 07/5/17)

「日本の名誉」懸けた裁判/原告負ければ、勢いづく左翼

 今年一月十九日。大阪の昼の気温は六度。暖冬といわれたこの冬だが、頬(ほお)に当たる風は冷たかった。大阪地裁前では傍聴券を求めて並んだ人が百三、四十人に膨らんでいた。

 その日の午後、彼らが傍聴を求めた202号法廷では、沖縄戦の集団自決をめぐっての言論による激しく容赦のない応酬が展開された。

 もし「言葉」に殺傷能力があれば、双方の弁護士はいずれも“玉砕”を免れなかったであろう――そのような想像をするほど激しい論戦が交わされた。

 先の沖縄戦で起きた集団自決が「軍命令」によるもの、という記述が最初に登場するのは沖縄タイムス編『鉄の暴風』(昭和二十五年、朝日新聞社)である。

 その後、上地一史著『沖縄戦史』(時事通信社)、家永三郎著『太平洋戦争』(岩波書店)、中野好夫・新崎盛暉共著『沖縄問題二十年』(同)、大江健三郎著『沖縄ノート』(同)などによって広く流布され、教科書に記載される「定説」となったのである。

 ノーベル文学賞を受賞した大江氏の『沖縄ノート』は昭和四十五年以来、既に五十版を重ねているが、彼は軍命令を出した隊長について「あまりにも巨きい罪の巨塊」などと断罪し、公開処刑がふさわしいとまで言い切っている。

 これに対して当時の座間味島の守備隊長だった梅澤裕氏(90)と、渡嘉敷島守備隊長だった赤松嘉次(よしつぐ)氏(昭和五十五年死去)の弟、秀一氏(74)が「命令はなく、住民自ら自決した」として一昨年八月、大阪地裁に提訴したのである。

 書籍に綴(つづ)られた文字は彼らの生命を奪うことまではしなかったが、戦後、家庭や職場に波紋を呼び起こし、言い知れぬ苦悩を強いた。

 原告は「誤った記述で多くの読者に非道な人物と認識される」として版元の岩波書店と『沖縄ノート』の著者、大江氏を相手に出版差し止めと損害賠償合計三千万円を求めたのである。

 原告、被告双方に「応援団」ができ、支援のブログもある。

 双方の主張についてはおいおい紹介していくが、ここではこの裁判の意味について触れておく。

 「軍命令による集団自決」は、その後、左翼勢力を中心に、沖縄戦の最大の悲劇であり、沖縄戦の特徴と喧伝(けんでん)されてきた。

 日本軍は沖縄県民を守るどころか犠牲にした、という主張は、その後の反自衛隊、反政府運動、反米運動などの最大・最強の「原点」となった。

 戦後、「南京大虐殺」と合わせて、日本軍の、ひいては日本人の残虐性の根拠として大いに利用されてきた事件でもある。

 「南京大虐殺」については、多くの研究者などの努力でその虚構が暴かれたが、沖縄戦の「軍命令による集団自決」には、幾つかの反論も出たが、著作物としては軍命令を肯定するものがあふれている。

 この裁判を通じて、実は「軍命令」なるものは存在せず、それどころか原告側が訴えているように「島民の遺族の補償のために、虚偽の軍命令を容認した」というのが真相であれば、沖縄の左翼運動はその「足場」を喪失し、一方、沖縄の保守派の活動が大きく弾みを付けることは明らかだ。

 依然として残る自衛隊アレルギーも解消されよう。

 最近でも自衛隊の音楽演奏会が中止されたり、自衛隊員を父に持つ子供が「お父さんは人殺し」などと教師に言われて、深く傷ついたという話があるほどなのだから。

 故に原告側は「二人の名誉回復だけにとどまらず、日本の名誉を守り、子供たちを自虐的歴史認識から解放して、事実に基づく健全な国民の常識を取り戻す」裁判と位置付けている。

 もちろん、教科書にある記述も全面的に見直しを求められよう(公判途中で、記述修正が行われ、関係者を驚かせたが、これも後述する)。

 これに対して被告は、「軍は住民を守らない」という沖縄戦観を覆す意図を持った、極めて政治的な意味合いのある裁判である、と警戒感を強める。

 裁判で原告側の主張が退けられれば、日本軍の残虐性が証明された、として被告を支援する文化人やメディアが、猛烈に宣伝することは火を見るより明らかだ。

 沖縄の保守派はますます肩身の狭い立場に追いやられよう。双方ともに譲れないこの裁判は、地裁、高裁で決着を見ず、最高裁まで争われるのは必至だ。

 最高裁がその結論を下すのは三、四年先になるだろうと関係者はみている。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:37



見直される江戸時代/徳川宗家第18代当主 徳川恒孝氏に聞く

何百年も文化を継続/分散された富と権力、権威

参勤交代で情報発信/近代国民国家の基礎つくる

 日本郵船で海外経験が豊富な徳川恒孝さんの近著『江戸の遺伝子』には、現代に続く文化や社会の基になりながら意外と知られていない江戸時代のことが、当時の世界と比較しながら、分かりやすく書かれている。

 近年、さまざまな分野において見直されつつある江戸のすごさ、魅力について伺った。


 ■――本書を書かれた動機は?

 高校生に講演をした後、届けられた感想文の中に「私は日本はつまらない国だと思っていましたが、話を聞いてそうではないことが分かり、これからは日本が好きになると思います」というのがあり、それが本を書く一つのきっかけになりました。

 世界と比較すると日本文化のユニークさが分かり、日本史も面白くなります。特に若い人たちに読んでもらいたいですね。


 ■――徳川宗家のお生まれですか?

 私は会津松平家の生まれで、昭和二十九年、中学二年の時に徳川宗家の養子になりました。先代の十七代家正(いえまさ)には息子が一人、娘が三人いましたが、息子が二十五歳で亡くなったのです。私は長女の二男で、松平家を継ぐ必要もありませんでしたから。


 ■――「ならぬことは、ならぬものです」という会津教育は?

 東京住まいなので特にありませんでしたが、昭和二十年代ごろは、旧大名の華族の家にはお国のお手伝いさんや書生さんが大勢住んでいました。わが家にもたくさんいて、いわばスモール会津。一緒に遊ぶのは書生たちですから自然に会津弁になりました。学習院に入るとクラスに徳川や毛利、伊達などがいて皆仲良くしていました。


 ■――宗家が代々続いているのは海外では驚かれるのでは?

 パキスタンで講演した時、江戸時代から数えて徳川家十八代当主だと言うと、びっくりしていました。

 徳川二百六十年はムガール王朝と時代的にほぼ同じですが、後者は国土がどんどんイギリスの植民地になって、デリーにわずかな領地を持つだけの傀儡(かいらい)政権となり、王家の末裔(まつえい)は今はどこかで靴屋さんをしておられるらしい。

 日本ではどうして長く続いているのか、政府から金が出ているのかなどと聞かれ、戦前までは華族制度があったが、戦後は何もないと答えると、不思議がられました。

 ヨーロッパの王朝やアジアの専制王朝には、富と権力のすべてが集中していました。集中すると腐敗します。民は堪(たま)らなくなって革命を起こす。

 そこで生まれた新しい王朝は、当初は輝いていても、また富と権力が集中するので腐敗してしまう。世界中、その繰り返しのようなところがあります。

 日本の場合は富と権力、権威が分散していました。

 公家は権威の序列が高く、武士は権力を持っていて、町人はそのどちらもないが富を持っている。

 それぞれ自分が納得するものが与えられて、全体がきちんと収まっていた仕組みがとても巧みで面白い。

 当時の人口の八割以上は農民で、農業生産力は当時の世界と比較して非常に高かったのですが、水田の水を管理するには大規模な土木工事が必要でした。

 その中で生まれてきたのが、親子代々で田畑を継承していくという、家に対する確信のようなものですね。

 百年先もこの田を自分の子孫が耕していると思い、子孫は先祖伝来の土地を守ろうとする。これほど継続を重んじる国は世界に例がありません。

 日本では皇室が連綿と続いていることが心棒になっていて、古来の文化から外来の儒教や仏教、万葉仮名による和歌など、優れたものをそのまま継続してきました。

 一月の宮中歌会始で司会に当たる読師(どくじ)の役を頂いて感じたのは、歌会始は勅撰和歌集を陛下がお命じになった伝統が今も脈々と生きているということです。

 陛下の元に出された御題で、世界中から数万の和歌が寄せられ、そこから優れた歌を選び、披講するのは勅撰和歌集を作るのと全く同じ。宮中の文化を継承する力のすごさを感じましたね。

 宮中雅楽は唐の宮廷音楽・オペラを受容して以来、そのまま継承しています。当の中国ではとっくの昔に消えたものです。

 和歌の形の始まりは万葉集で、それが大和ことばの歌として古今集から今日まで続いています。

 俳句は芭蕉の発句からとしても四百年以上の歴史があります。

 茶の湯にしても千利休が始めたものが五百年、能も室町時代の世阿弥に始まり、今の形式になったのは四百年以上前です。

 日本にいると分かりませんが、外国から見ると、そんなに長く文化を継続させているのは奇跡に見えます。


 ■――その要因の一つが家の力ですが、日本の家は必ずしも血族にこだわらない。

 中国人をはじめ韓国人、インド人など東洋の家はあくまで血族ですが、日本は武家の三割は養子です。商家には伝統的に女系で続いている家もありました。

 男子は金持ちの家に生まれるとろくな者にならないので、家付きの娘に最も能力の高い番頭か手代を婿に迎え、家を継がせる。武家でも出来の悪い息子は僧にしたりして、外から出来のいいのを取る。

 これは家を中心とした能力主義で、同じ家族主義でも日本は柔軟です。

 一方、家を出た息子たちの中からは、画家の伊藤若冲(じゃくちゅう)などのように洗練された芸術家が出たりしました。


 ■――戦後の日本社会は個人が単位です。

 古い家族制度が失われて六十年になるので、これからの日本は変わるでしょう。

 まだ私たちの意識には「家」が残っていて、彼岸や命日には先祖の墓参りに行ったりしますが、先祖から子孫へと続いていく流れの真ん中に自分がいるという観念は、若者にはなくなりつつあります。

 家族制度は個人を束縛する側面もあり、今の価値観とは合わないでしょうが、日本人の優れた伝統は見直したいものです。


 ■――家康公は儒教を武士の教養の基本にしますが、ブレーンは天海や金地院崇伝など仏教僧でした。

 家康公は儒教を宗教だとは思わず、社会の道徳律の基本だと考えていました。

 家康公自身は熱心な浄土宗で、亡くなる前の手紙には、日に何万遍も南無阿弥陀仏を唱えていると書いたほどです。

 宮中では釈奠(せきてん)という孔子の祭りがあり、平安時代に各地にできた大学も儒教を教える所で、日本の儒教教育は千年以上続いています。

 それを実地に生かしたのが戦国武将です。戦国武将はよく儒教を勉強していて、子供たちへの手紙に孟子を読めと書いた人もいます。

 江戸時代になると、儒教や仏教を基に鈴木正三や石田梅岩らによって地方(じかた)の思想が生み出され、二宮尊徳の報恩思想に結実する。儒教が二百年かけて農民哲学になったのです。

 中国、韓国の科挙は世界を千年先取りしたような素晴らしい役人登用制度でしたが、儒教が試験問題になったのが問題です。

 古典を暗記して一字一句間違えずに書く、朱子学の解釈で答えることが第一になり、三十すぎまで暗記の勉強ばかりするので、ほかの能力が育たない。

 科挙の教材になったことで、儒教が思想の輝きを失ったと思いますね。日本が儒教を取り入れながら科挙を排除したのは幸運でした。


 ■――仏教は江戸時代の寺檀制度でだめになったという見方が長かったのですが、最近ではむしろ信仰心を高めたとして近世仏教が見直されています。

 燃えるような熱烈さは失われましたが、宗教が人々の生活に密着して、社会と同体になったのが江戸時代です。加えて、家と結び付いた宗教になりました。

 家に仏壇があり、そこにご先祖様がいて、命日やお彼岸には墓参りをする。死んでいく方も、自分はこの仏壇に入り、子供や孫、ひ孫たちが祭ってくれるというので心の安らぎになる。

 仏教では亡くなると遠い西方浄土に行くのですが、日本人はその辺にいて、自分たちを見守っていると思っている。

 それが、先祖と一体化して生きるという感性を育て、道徳性を高めました。宗教学的にはプリミティブなのかもしれませんが、そういう感覚が非常にいいですね。


 ■――大名の参勤交代が日本は一つの国という意識を醸成したそうですね。

 道中で見聞を広めただけでなく、江戸育ちの殿様が領地と往復することで、江戸に情報が集積し、同時に江戸から発信されました。

 それぞれお国自慢をするので、負けずにわが藩も発展させようと、蘭学の町ができたり、博物学が地方で栄えたりしました。明治に近代国民国家が形成される基礎は江戸時代につくられたのです。


 ■――来年は島津家から十三代将軍家定公の正室になった天璋院篤姫(あつひめ)が大河ドラマになります。

 天璋院様の文書でまだ読み下していないものがたくさんあるので、大急ぎで読んでいるところです。

 江戸時代には知識や教育が庶民に広く普及し、女性を含めて国の隅々までほぼ行きわりました。教養の高い女性が多く現れ、自由に旅をし、活躍したのも同時代のヨーロッパと違う点です。


 とくがわ・つねなり 昭和15(1940)年東京生まれ。38年より徳川宗家第18代当主。学習院大学政経学部政治学科卒業。日本郵船副社長を経て現在顧問。財団法人”川記念財団理事長。社団法人横浜港振興協会会長。WWF世界自然保護基金ジャパン常任理事。著書は『江戸の遺伝子』。
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by sakura4987 | 2007-05-23 15:36

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


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