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<   2007年 08月 ( 179 )   > この月の画像一覧



 (朝鮮日報 05/4/10)

 http://www.chosunonline.com/article/20050410000024


 9日、韓国が1951年のサンフランシスコ講和条約の草案作成過程で、同条約に韓国が日本から対馬の領有権を返還されるという文言を入れることを米国に公式要求していたことが明らかになった。


 聯合ニュースが米国立公文書館・記録管理庁(NARA)から入手した米国務省の外交文書によると、韓国は第2次世界大戦の戦勝国が日本との平和条約草案を作成していた1951年4月27日、米国務省に送った文書で対馬の領有権を主張した。


 同文書によると、韓国はサンフランシスコ講和条約草案の「領土」部分に言及し、「韓国は正義が恒久的平和の唯一の基盤という断固たる信念で対馬の領土的地位について完全なる検討を要請する」とし、「歴史的にこの島は韓国の領土であり、日本によって強制的、不法に占領された」と述べた。


 しかし、米国側は「対馬は日本が長期間にわたり完全に統治しており、平和条約は対馬の現在の地位に影響を及ぼさない」と答え、韓国の要求を拒否した。
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by sakura4987 | 2007-08-25 15:16



 列島に猛暑日がつづく中、日々論説委員室に届く出版物や封書、はがきなどとともに、この1冊もあった。


 タイトルは『いつまでも、いつまでもお元気で』(草思社刊)。


 敗色濃厚となった太平洋戦争(大東亜戦争)末期、知覧(ちらん)(鹿児島県)をはじめ各地の基地から飛び立った特攻隊員33人の遺稿集である。


 18歳の青年は出撃前夜のトランプ占いの結果をこのように遺(のこ)した。


 ≪御母様が一番よくて、将来、最も幸福な日を送ることが出来るそうです。…輝夫は本当は35歳以上は必ず生きるそうですが、しかし大君の命によって国家の安泰の礎として征(ゆ)きます≫


 29歳の父親は遺児となる一男一女にあてて次のように記した。


 ≪父ハスガタコソミエザルモ、イツデモオマエタチヲミテイル。…ソシテオホキクナッタレバ、ヂブンノスキナミチニスゝミ、リッパナニホンヂンニナルコトデス≫


 62回目の終戦記念日である。あらためて思うのは、このように国の安泰や立派な日本人の明日を願って逝った戦死者たちに胸を張ることのできる日本であるのだろうかということだ。


 300万を超す尊い犠牲者たちを慰霊するとともに、あの破局的結末をもたらした歴史の重み、そして国を守ることの大切さをもう一度、考えるべき時なのではあるまいか。


 ◆深化させたい日米関係


 日本の国際環境はむしろ厳しさを増しているのに、今回の参院選で外交・安全保障がほとんど争点にならなかったのは残念なことだった。


 核保有の既成事実化と支援獲得の二兎(にと)を追う北朝鮮、環境や食の安全を放置して軍事・経済大国路線をひた走る中国、そして石油パワーを背景に資源帝国主義を突き進むロシア。わが近隣諸国の掛け値なしの姿である。


 だからこそ一層、深化させねばならない日米関係にもきしみが走る。


 6カ国協議における米国の北への際限ない妥協は、日本には背信行為も同然に映る。下院本会議での慰安婦決議採択と久間章生前防衛相の原爆投下「しょうがない」発言という相次ぐ不適切な出来事は、機微に触れるがゆえに、結果的に多くの日本人の心の奥深くに米国への失望と不信を生んだ。


 一方、対テロ特別措置法の命運は、野党が参議院で過半数を制したことにより一気に不透明になった。


 インド洋での海上自衛隊の活動は11カ国に対して行われており、単なる「対米協力」ではない。ましてや「対米追随」ではない。国際協力なのだ。もし同法が葬られれば、テロとの戦いをつづける国際社会と日本の乖離(かいり)は広がり、信頼の損失は計り知れない。


 日本は、130億ドルを拠出しながら「少なすぎて遅すぎる」と感謝すらされなかった、湾岸戦争の外交的失敗を繰り返す愚を犯してはならない。


 62年前の8月15日は日本にとって明治維新にも匹敵する歴史の転換点だった。日本は米国を「敵」から「同盟」の相手とする稀有(けう)な歩みをつづけた。もちろんそれは占領という強制により始まり、その後も経済や防衛など数々の局面で摩擦や緊張はあった。


 ◆地についた安保論議を


 しかし重要なことは、それら紆余(うよ)曲折を双方がともあれ克服して今日があるという点である。一夜にして同盟が破棄され、友人が敵となることもあり得るだけに、この事実は重い。


 同時に日米同盟は、いまやアジアひいては世界の平和と安定の礎たる国際公共財としての役割も求められ始めている。その維持と向上には当然ながら日本も責任の一端を負っている。


 国の道筋を誤らぬよう、与野党はいまこそ21世紀らしい、かつ地に足のついた安保論議を進めるべきだ。


 少子高齢化の不安や地方の疲弊などが、日本人を内向きにしているのは確かである。だが時に失敗もあったが、歴史は総じて目を海外に向けることで日本が活路を開き、発展してきたことを物語っている。


 再び21歳の特攻隊員が発(た)つ前の最後の手紙を引く。題して皆様へ。


 ≪私が居なくなってもみんな元気でお父さんは外でお働きになる。お母さんは内の仕事をおやりになる。…そして皆が明るく楽しく扶(たす)けあって美しい生活を営む。私はそれを希(ねが)いそれを祈って居ります≫


 きょう8月15日は東京・日本武道館で全国戦没者追悼式が行われる。靖国神社には多くの老若男女が参拝するだろう。甲子園ではサイレンとともに球児も観客も黙祷(もくとう)する。


 すべての国民がそれぞれ慰霊の思いを捧(ささ)げたい。
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by sakura4987 | 2007-08-25 15:15
※以前お願いいたしておりました、後援中止について、

 以下の事が判明しました。

 直接抗議にいっている方もいらっしゃいます。

 引き続き抗議をお願い致します。





http://www.asahi.com/national/update/0817/TKY200708170219.html


 千葉県野田市で市民団体が18、19日に開催予定の「平和のための戦争

展」をめぐり、憲法改正の手続きを定めた国民投票法の「公務員による地位

利用」にあたりかねないことを理由に、野田市が後援要請を断っていたこと

が分かった。主催者側は「憲法改正案が発議されてもいないのに、地位利用

を理由にするのはおかしい」と納得していない。



 戦争展は、野田・九条の会や同市被爆者の会などでつくる実行委員会が主

催し、市中央公民館で今年初めて開く。広島・長崎の原爆写真や野田と戦争

とのかかわりなどについて展示。野田・九条の会も訴えをアピールするという。



 後援申請を受けた野田市は7月、後援しないことを決め、実行委に文書で

通知した。理由は(1)9条改正反対を訴える内容が含まれ、政治的傾向が

顕著(2)発議可能となる3年後に国会で9条改正が発議されるのは必至で、

どのような考えに基づく行事でも後援するのは公務員の地位利用につながる、

というものだった。



 国民投票法は、憲法改正案が発議されてから投票するまでの間、公務員の

地位を利用した運動を禁じている。



■抗議先

 ●柏市

  TEL:04-7167-1111

  FAX:04-7166-6026

  「市長へのメール」↓

  http://www.city.kashiwa.lg.jp/mail/SSL_sityo.htm



 ●流山市

  TEL:04-7158-1111

  メール:https://www.city.nagareyama.chiba.jp/mail/ssl_mail.html



 ●我孫子市

  総務部 秘書課

  TEL:04-7185-1714(ダイヤルイン)

  FAX:04-7183-4722

  メール:hisyo@city.abiko.chiba.jp
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by sakura4987 | 2007-08-25 15:14
※「台湾の声」からの呼びかけです。

 よろしくお願い致します。




長年の仲間を裏切るな! 
日本野球連盟は目覚めろ!

                台湾研究フォーラム会長 永山英樹

国際野球連盟(IBAF)はベネズエラで十六日に開幕予定だった第十三回世界
ユース(AA)選手権大会(16歳以下)の中止を決定した。よくやったIBA
F!それでこそスポーツマンシップの発揮と言える!

ことの経緯はこうだ。中国への傾斜を強めるベネズエラは、出場予定だった台湾
チームへのビザを拒否した。チャべス大統領の指示だと言う(台湾紙「聯合報」)。
「スポーツに政治を持ち込むな」と言われるが、これはその最たる例だろう。台
湾は中国の一部であるとする中国の意を汲んで、そのチームの出場を阻止したの
である。

そこでIBAF(本部:スイス・ローザンヌ)は十六日、同大会の開催中止を決
めたのである。これに対して台湾の野球連盟は「他の国には申し訳ないが、IB
AFの問題に関心に感謝する」と述べた。たしかに各国代表の子供たちには気の
毒である。しかし悪いのはベネズエラ政府だ。ここは台湾チームの気持ちになっ
て悔しさに耐えて欲しい。

ところが一部の報道によると、すでに現地しているチームは、国際親善試合を実
施すると言う。では日本チームはどうするのか。ここはIBAFと歩調を合わせ、
直ちに選手団を引き揚げさせ、ベネズエラに道義の在り処を教えるべきだろう。

そこでそれを伝えるため、日本野球連盟(JABA)に電話したところ、驚くべ
き話を聞かされた。「国際親善試合」とは「世界ユース」の看板を外しただけの、
実質的な大会実施に他ならず、台湾チーム抜きでやるのだと言う。

だから日本チームに引き揚げる気など一切ないのだ。それどころか、本日(日本
時間十七日)、IBAF本部で会議が行われるので、JABAの職員はそこで、
「大会中止への抗議を行う意向だ」とも悪びれずに言っていた。

そこで事情に詳しい担当の職員に電話口に出てもらった。そして「抗議するなど
持っての他だ」と訴えた。相手は慌てて言を翻し「抗議するのではない。どうい
うことか問い合わせるだけだ」と言った。

「日本と台湾の少年野球の交流は四十年に及ぶ。その仲間である台湾チームの苦
境を何とも思わないのか」と言うと、相手はやっと状況が呑み込めたようで、
「そのとおりだ」と答えるのみだった。

間もなくIBAF本部の会議は始まるらしい。JABAに電話、メールで訴えよ
う!

「IBAFの決定を支持せよ」「ベネズエラに抗議して親善試合をボイコットせ
よ」「仲間である台湾チームの立場に立て」と。

中国がスポーツの国際試合に圧力をかけるなら、日本も圧力かけろ!中国のそれが
不正の横槍なら、日本のそれは道義にかなったもので行け! そうしなければいつ
まで経ってもこのような不条理な状況は続くのである。

(財)日本野球連盟(JABA)事務局

電話03-3213-6776  FAX03-3201-0707
E-mail:baseball@jaba.or.jp






日本野球連盟様

インターターネットで見ました。
国際野球連盟に抗議してはいけません!
日本代表が、台湾と同じ目にあったらどうしますか。
こんなことは繰り返させてはいけないでしょう?
制裁で中止するのは当たり前です。
少年野球は戦後の子供たちを健全に育成してきました。
今は、へいきで外国の不正行為を認めてしまうのですか。
試合の他なら、反則、不正はありですか?
台湾とはリトルリーグで切磋琢磨してきた相手ですね。
応援しなくていいのですか?
台湾が出られなくなった。日本も抗議して出なければいいんじゃない?
そうやって、スポーツマン精神を教えるのが本当ではないの?
本当に怒りがおさまらない!
最近私の地域の野球チームはイジメだらけ。弱い子供は仲間はずれ。
大人がこれではイジメはなくならないですね。
抗議をしたら、日本野球連盟は日本の恥です!
親善試合も出るのですか?
台湾の問題を無視して、自分たちだけが楽しめればそれでいいのか。
台湾チームは本当にかわいそうです!
いったい台湾チームがどんな悪いことをしたのですか。
どんな犯罪を犯して入国を拒否されたのですか?
ベネズエラへの制裁は当たり前です。
ところが制裁措置に抗議するなんて、
日本野球連盟は道徳というものがなさすぎます!

一市民
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by sakura4987 | 2007-08-25 15:13


 http://www.chosunonline.com/article/20070815000002


 独島(日本名竹島)をサイバー空間で体験できる道が開いた。北東アジア歴史財団(キム・ヨンドク理事長)は14日、6500万ウォン(約820万円)を投じて制作した「サイバー独島歴史館(www.dokdohistory.com)」をオープンした。



 コンテンツのうち「3D独島紀行」は、国土地理情報院の数値標高モデル(DEM)のデータを基に、独島を3次元で精密に再現したもの。利用者がマウス操作を通じて島内を自由に見物できるようになっている。「独島ギャラリー」では、チェ・フングンKBS研修院教授が、1990年代初めに撮影した風景や生態系の写真、約270点が公開されている。また、独島関連の文献資料や古地図38点を網羅した「独島書庫」、独島の現況や独島侵奪史、独島偉人伝を紹介する「独島歴史館」など、充実したコンテンツが用意されている。
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by sakura4987 | 2007-08-25 15:13


 (産経 07/8/12)

 8月4日の「産経抄」に共感した。亡くなった阿久悠さんは家で仕事をした。パジャマのまま作詞をするのだが、子供が学校から帰ってくる時間には、きちんとした服に着替えて、机に向かっていた。父親の仕事は「公」である。「晴れ着」で仕事をしている姿を見せたかったと、照れくさそうに話していたという。


 「産経抄」は「日本の社会で今、その『公私』を分ける垣根が急速に失われつつある」と書いている。今回の参院選では、「事務所費の問題など、公私混同の最たるものである。閣僚の相次ぐ『失言』にしても、自らの『公』の立場をわきまえておれば、口から出るはずもない『私語』のようなものだった」。参院選での国民の批判の多くは、「そうした政治家の『私』の部分に向けられた。政策や政治姿勢といった『公』の部分ではなかった」。



 「産経抄」は核心を衝いている。国民は安倍政権の評価を、政策や実績で下したのではなかった。国民を無視した政治家の身勝手でいい加減な姿勢に「ノー」と言ったのである。結果は民主党の大勝に終わったが、国民がこの評価軸を持ち続ける限り、民主党をはじめ野党にも、やがて厳しい判定を下すにちがいない。政治家は人間としても信頼でき、嘘偽りのない言動が問われている。



 7月31日の産経国際面は、各国の反応を伝えた。ロンドンからの木村記者の報告は、タイムズが社説で「日本が首相や政権の交代ではなく、腐敗した派閥政治など政治文化を変えなければ、『国際社会の影響力を失う』と述べ、中国や韓国にも後れをとることになると警告した」と伝えた。安倍政権が参院選で民意の支持をえられなかったのは、政治文化の改革が進まないために、安倍首相の唱える「美しい国」が、実態のない、浮いた言葉となってしまったからである。



 同じく31日、黒澤記者がコラム「ベルリン物語」で、「他者をうならせる言葉を」と題して、横田めぐみさん拉致事件をテーマにした映画「めぐみ」がベルリンで上映された際、高野駐独日本大使は終わると足早に会場から去ったことにふれ、ドイツ人の参加者の一人が「わが駐日大使なら間違いなくスピーチする」と述べたことを書き、「欧米は自己主張することが当たり前で、堂々と意見を開陳しなければ、相手にされない厳しさがある」のに、どうして日本大使はスピーチをしなかったのかと不満を述べていた。



 「公」とは何か、自らの職務は何であるのかを把握して、発言し、行動する、志と使命感にあふれた政治家や官僚があまりにも少ないことは、嘆かわしいことだ。美しいのは上滑りする言葉だけという現状は、あまりにも情けない。
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by sakura4987 | 2007-08-25 15:11
◆沖縄戦集団自決をめぐる歴史教科書の虚妄 作家 曽野綾子  「正論」平成15年9月号掲載


http://kyoto.cool.ne.jp/sono001/archives/jiketsu.htm


 終戦直前の1945年春、沖縄本島への攻撃の直前に慶良間列島の島々が攻撃された。攻撃は主に艦砲射撃によって行われたが、その激しさは想像を絶するものであったという。
 そうした激しい戦火のただ中にほうりこまれた慶良間列島のあちこちで、追い詰められた村民が集団自決をしたケースがあった。この人たちが、古い日本の教育と思想を受けた人々であったことは間違いない。島民だけではない。当時まだ子供だった私をも含めて日本人のすべてが「生きて虜囚の辱めを受けず」という教育を受けていた。そうした軍国教育の片棒を担いだ大きな力は、文部省と教師たち、大手の新聞社であったことをここに明記して置かねばならない。
 1971年の10月から、1972年の8月まで、私は文芸春秋社から発行されている月刊誌『諸君!』に、この慶良間列島中の渡嘉敷島で起きた村民の集団自決の調査報告を『ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決』と題して連載した。
 私がこの事件に関心を持ったのは、戦後四半世紀経ってからなのである。私はそれまでにも沖縄の旧女学生たちが、終戦間近の戦乱の沖縄で、軍と運命を共に けなげに働いていた状況に焦点をおいた『生贄の島』などを書いていたが、その取材の途中で、この島の悲劇のことも耳にしたのである。
 渡嘉敷島は沖縄本島から30キロの沖合いに浮かぶ島である。1945年終戦の直前に、その島には陸軍の海上挺身第三戦隊の海上特攻部隊130人が駐屯していた。彼らの武器はおもちゃのような船であった。先頃、北朝鮮の工作船が公開され、見る人は一様に「こんなオンボロ船で、ろくろく寝るところもなく乗組員を載せて・・・・・」と言ったが、工作船はまだしも鉄船である。こちらはベニヤ板でできた長さ5メートル、幅1.5メートル、深さ0.8メートルの舟に、75馬力の自動車用エンジンを載せ、速力20ノットで夜陰に乗じて敵の艦船に接近し体当たりし、120キロの爆雷二個を爆発(三秒瞬発信管使用)させて沈没させるのが目的であった。「三艇を一組として敵船腹にて爆破せしむるもので、隊員の生還は不可能である」となっていたのである。
 この海上挺身第三戦隊を指揮する赤松嘉次元大尉はその時まだ25歳であった。私は1970年9月17日、大阪ではじめて氏に会ったが、氏はその後、1980年に逝去されている。
 私が渡嘉敷島の事件に興味を持ったのは、その年の春に見たいくつかの記事がきっかけだったと記憶している。つまり赤松元隊長とその部下たちが島の慰霊祭のために渡嘉敷島に渡ろうとして抗議団に阻止されたのである。結局、部下たちだけが慰霊祭に出席し、懐かしさを示す村人たちと歓談したが、赤松元隊長だけは島へ行くことを諦めた。抗議団というのは、平和を守る沖縄キリスト者の会、歴史・社会科教育者協議会、日本原水爆禁止協議会沖縄県支部、日本平和委員会沖縄県支部、日本科学者協議会沖縄県支部、の連合体であった。
 当時のジャーナリズムの中には赤松元隊長を悪の権化のように書くものが少なくなかった。その先鋒の一人が大江健三郎氏であった。1970年9月の奥付で、岩波新書から出版された氏の『沖縄ノート』には、赤松元隊長について次のような記述がある。
「まず、人間が、その記憶をつねに新しく蘇生させつづけているのでなければ、いかにおぞましく恐ろしい記憶にしても、その具体的な実質の重さはしだいに軽減してゆく、ということに注意を向けるべきであろう。その人間が可能な限り早く完全に、厭うべき記憶を、肌ざわりのいいものに改変したいとねがっている場合にはことさらである。かれは他人に嘘をついて瞞着するのみならず、自分自身にも嘘をつく。そのような恥を知らぬ嘘、自己欺瞞が、いかに数多くの、いわゆる『沖縄戦記』のたぐいを満たしていることか」
「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊の前で、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」
 私は当時この文章を読んで、二つの感慨を持ったことを記憶する。一つは人の罪をこのような明確さでなじり、信念を持って断罪する神の如き裁きの口調に恐怖を感じたということである。もう一つの感慨は極めて通俗的なものであった。私はこの赤松元隊長という実在の人物がもしほんとうに告発されているような人物なら、ぜひ一度会っておきたい、と思ったのである。実はほんとうの悪人というものを、私はまだこの世で見たことがなかったので、実物を見れば私の人生観もひっくり返るかもしれない、という期待もあった。
私は、自然にその関係の記事や書物を読むようになった。その代表の一冊は沖縄タイムズ社によって発行された『沖縄戦記・鉄の暴風』で、その中には、赤松元隊長がいったんは住民に向かって軍陣地に避難せよ、と言いながら、住民がその通りにすると、自分たちだけは安全な豪の中にあって住民を追い払い、翌日には自決命令を出したというものである。
『鉄の暴風』は次のように描く。
「轟然たる不気味な響音は、次々と谷間に、こだました。瞬時にして――男、女、老人、子供、嬰児――の肉四散し、阿修羅の如き、阿鼻叫喚の光景が、くりひろげられた。死にそこなった者は互いに棍棒で、うち合ったり、剃刀で自らの頚部をきったり、鍬で親しいものの頭を叩き割ったりして、世にも恐ろしい状景が、あっちの集団でも、こっちの集団でも同時に起こり、恩納河原の谷川の水は、ために血にそまっていた」
 間もなく私は、第二資料とでも言うべき『慶良間列島、渡嘉敷島の戦闘概要』のコピイをもらった。事件の中心の部分は、次のように書かれていた。
「瞬間、手榴弾がそこここに爆発したかと思うと、轟然たる不気味な音は、谷間を埋め、瞬時にして老幼男女の肉は四散し、阿修羅の如き阿鼻叫喚の地獄が展開された」
「(死に損なった者は)剃刀で自らの頚部を切り、鍬や刀で親しい者の頭をたたき割るなど、世にもおそろしい情景がくり拡げられた。谷川の清水は、またたく間に血の流れと化し」
 文章を長年書き続けて来た者の体験から言うと、これだけよく似ている表現は、必ずどちらかがどちらかを下敷きにして書いているものである。
 そのうちに私は、第三資料にぶつかった。那覇在住の作家・星雅彦氏のエッセイによると、資料となるものは三つ年代順と思われる順に並べると、次のようになる、という。
 第一が『渡嘉敷における戦争の様相』(渡嘉敷村、座間味村共編)で、当時の村長・古波蔵惟好氏と役所吏員防衛隊長・屋比久孟祥氏の記憶を辿って書いたもの、となっている。資料は琉球大学図書館にあるガリ版刷りで、書かれた日時の明記はなく、赤松元隊長が自決命令を出したという記録もない。
 第二が『鉄の暴風』(沖縄タイムズ社編)。1950年(昭和25年)8月の日付があり、「自決命令が赤松からもたらされた」とある。
 第三が『慶良間列島、渡嘉敷島の戦闘概要』(渡嘉敷島村遺族会著)で、出版は1953年(昭和28年)3月。「赤松隊長から、防衛隊員を通じて、自決命令が出された」となっている。
 この三つの資料には、どれかを模写したような共通の文体と内容があることを炯眼の星氏は看破していたのである。
 第一資料『渡嘉敷における戦争の様相』と第3資料の『慶良間列島、渡嘉敷島の戦闘概要』は、その自決の場面などには、偶然とはとうてい思えない多くの同一表現が見られる。とりわけ私にとって決定的に思えたのは、この三つの資料が、米軍上陸の日、1945年3月27日を、どれも3月26日と一日間違って記載していることであった。何しろ悲劇の始まった日なのだ。生き残った村民にとっては父母兄弟たちの命日の日である。それを三つの資料とも書き違って平気でいるということはないだろう。これは、三つの資料共、直接体験者でない人々が、後年、伝聞証拠を元にして、前の資料を下敷きにしながら書いて行ったと言う証拠であろう。
 私はその当時39歳であった。体力だけは充分であった。私は軍と村民側双方から話を聞くことにしたのである。その時から私は一つの原則を守った。会える人にはできるだけ会う。軍側の人たちは、飢えと危険の中で生きていたのだから、必ずや赤松元隊長に対して批判的な人もいたであろう。そのような恨みを持つ人が「真相」を話しやすいようにするには、大勢の中ではなく、一人ずつ会うようにする。この二点である。
 敵の艦砲射撃が始まったとき、軍陣地内に逃げよ、という命令を聞いて集まった村民を、赤松元隊長が民間人を軍陣地内には入れられないとして追い返し、自分たちだけ安全な壕にいた、という一つの話を例に取ろう。このことについて『鉄の暴風』は、赤松元隊長の副官であった知念朝睦氏がその時「悲憤のあまり、慟哭し」たと書いている。知念氏がその苗字が示す通り沖縄県人であったので、非常によく筋が通って読めたのである。しかし赤松隊側に聞くと「軍陣地は攻撃目標になる危険なところでありますから、最初から民間人を入れるという考えはありません」と言い、知念氏は『鉄の暴風』の記載のでたらめさに憤慨し、かつまともに聞いて来ようともしない沖縄のマスコミに怒って、私に会うまで口を閉ざしたままであったという。
 知念氏によると3月25日に特攻舟艇の出撃が不可能になり、初めて赤松隊は心ならずも「島を死守する」ことになった。その二日後の27日に、『鉄の暴風』の書くような「将校会議ができるような壕など全くありえない」と言う。
 当時、村の有力者といえば、校長、村長、駐在巡査の三役だったが、私の幸運は当時の村長も、駐在巡査も健在だったことだった。村長が「自分は自決命令を聞いていないが、駐在がそれを伝えて来た」言明したので、私とすれば駐在巡査に会えばよかったのである。幸いにも元巡査の安里喜順氏は快く私に会ってくれ、赤松元隊長が自決命令を出したことを否定した。むしろ「あんたたちは非戦闘員だから、生きられる限り生きてくれ」と言ったと証言したのである。
 その時に私は驚いたのだが、知念元副官と言い、安里元巡査といい、鍵を握る人物が現存していて、少しも面会を拒否していないのに、取材のために会いにきた沖縄側のジャーナリストは一人もなく、私より前に取材に来たのは「週刊朝日」の中西記者だけだという事実だった。ついでに言うと、大江氏も渡嘉敷島にさえ取材に来てはいなかった。当時渡嘉敷島には民宿が一軒しかなかったが、私が当然のように大江氏の名前を出しても宿の人はぽかんとしていた。
 結論を言うと、私ができる限りの当事者にあたっても、赤松元隊長が自決命令を出したという証拠はどこからも上がってはこなかったのである。混乱は少なからずあった。もう少しこうすればよかった、という反省は赤松隊側からも出た。しかし西山の玉砕地と呼ばれる悲劇の土地に300人を越す遺体が集まっていたのを見た人はいなかった。しかしそれを敢えて言わなかったのは、玉砕ということで遺族が年金をもらえれば、それでいいではないか、と思ったという。
 私がこの調査をし終わって得た結論は、「赤松隊が自決命令を出さなかったという証拠はない。しかし出したという確実な証拠も全く見つからなかった」ということである。赤松元隊長を糾弾しようとする多くのマスコミや作家たちは、私が私費でできた基本的調査さえせずに、事件の日にちさえも取り違えた記録を一つの日本史、あるいは日本人の精神史として定着させようとした。その怠慢か欺瞞かが、やっとはっきりしたのである。
 人間は間違えるものだ、ということが、私の常日頃からの一つの思いでありこの事件の調査を終わった後も、それは変わらなかった。もし私があの渡嘉敷島の戦中戦後の困難の中におかれたら、私は考えられる限りの感情的な行動を取ったろう。そういう自覚の中では、渡嘉敷島の戦闘に生きたすべての人々は限りなく自然であった。
 調査が終わった後、私は生涯沖縄に行くのをやめようと思っていた。この問題に関して、沖縄で発行されている二つの新聞が徹底して私を叩き続けたことを、私は忘れたかったのである。沖縄の人たちは、この二つの新聞だけが地域を独占している限り、自由で公正な思想とニュースを受けることはないだろう、と感じたが、それも人のことだから、どうでもいい。
 しかし何年か経った時、私はやむを得ぬ仕事で沖縄に行くことになり、新聞記者に会った。その中の一人が「赤松神話は曽野さんの調査で覆されましたが」と言った時、私は彼に答えた。
「あなたはどうしてそんなことを言えるのですか。明日にでも渡嘉敷島の土の中から、赤松隊の自決命令書が出てくるかもしれないではないですか。私たちはただ、今日までのところ自決命令が出たという証拠はなかった、ということを知っているだけです。どんなにどちらかに片づけたい事件でも、私たちは歴史の曖昧さに耐える勇気を持たなければならないんです。」
 教科書にこの事件が日本軍の残忍さを証拠立てる事件として何の証拠もなく記載されることの恐ろしさは言うまでもないが、私はもう一つの側面を見落としてはならない、と思い続けて来た。
 当時沖縄では「この類を見ない残酷な事件、強制された自決」は、日本人の恥の記録とすべきものだ、というふうに話す人がたくさんいたし、おそらく教科書の記載もそうなっているのであろう。
 しかしそうではない。集団自決の最初は少なくとも私の知る限り、第二次世界大戦の終結時より1800年以上も前、すでにイスラエルで起きていたのである。
 紀元一世紀のパレスチナ地方は、前世紀の中ごろからローマ人の占領下にあった。小競り合いは度々あったが紀元66年に起きたユダヤ人の反乱は大規模なものとなった。
 その時、死海のほとりに屹立する人口の要塞マサダに立てこもったユダヤ人たちは、ここをただ一つの前哨として、実に紀元73年までこのマサダを死守したあげく、降伏か死かのいずれかを取ることになった時、全員集団自決を遂げたのである。
「光栄の死は屈辱の生にまさるものであり、自由を失ってなお生きながらえるという考えを軽侮することこそ、もっとも偉大な決意である」
としたのである。ヨセフスはマサダ陥落とローマ人の入城の模様を次のように書く。
「かくしてローマ人たちは、多数の死者に出会った。それは敵ではあったが、彼らはそれを喜ぶことはできなかったし、またそれほど多くの人々が、かような行動をとることによって示した決然たる勇気と死に対する不動の軽蔑とを、感嘆するほかなかったのである」
 彼らの自決の方法を書いたと思われる陶片には次のように記されていた。
「それから彼らは、他の者たちを殺害するために、籤で十人の男たちを選び出した。他の者たちは地上に身を横たえ、各々その妻や子供たちの傍らでかれらを腕に抱き、籤でこの悲しい務めを果たす男たちの一撃の前に、首を差し延べたのである。そしてこれら十人が、恐れることもなく他の者たちを殺害し終えたとき、かれら自身も同じ仕方で籤を引き、当たった者がまず他の九人を殺害してから、最後に自決することにしたのだった」
 イスラエルでは今でもこの地を民族の歴史の誇りとして扱う。国賓は死海から400メートルも高いこの要塞の上にヘリで運ばれる。新兵もここで誓いを立てる。同じような悲劇を持つ沖縄では、自決した人たちの死は軍から強制されたものとすることに狂奔した。それは死者たちの選択と死をおとしめるものであろう。イスラエルと日本のこの違いはどこから来るのか。私はそのことの方に関心が深いのである。


編集部註
本稿に関係する歴史教科書の記述例は以下の通り(いずれも来春から使用される高校教科書)。
《日本軍によって集団自決を強いられた人々・・・》(実教出版・世界史B)
《犠牲者のなかには、慶良間諸島の渡嘉敷島のように、日本軍によって「集団自決」を強要された住民や虐殺された住民も含まれており・・・》(桐原書店・日本史B)
《日本軍に「集団自決」を強いられたり・・・》(三省堂・日本史A)
《戦陣訓によって投降することを禁じられていた日本軍では、一般住民にも集団自決が強いられたり・・・》(東京書籍・日本史B)

「正論」平成15年9月号掲載
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by sakura4987 | 2007-08-25 15:10


 http://www.chosunonline.com/article/20070813000016


 北朝鮮がしつこく主張してきたNLL(西海北方限界線)再設定問題について、第2次南北首脳会談を前に政府と与党勢力内で見過ごせない徴候が起きている。NLLは韓国戦争(朝鮮戦争)以来、南北が守ってきた事実上の海上境界線だ。



 イ・ジョンソク前統一部長官も在任中にNLL再設定については認めないとの立場を明確にしてきたし、その後国防部も絶対不可との立場を守り続けている。



 ところが南北首脳会談の合意後は柔軟な考えを表明する発現が相次いでいる。李在禎(イ・ジェジョン)統一部長官は10日に国会で、「NLLは基本的に領土の概念ではないと思う」「NLLは南北の軍事衝突を防止するために設定され、これまで維持されてきた。現在は西海での衝突を防止するための具体的な仕組みが必要な時期だ」と述べた。



 鄭東泳(チョン・ドンヨン)元統一部長官も最近あるラジオ番組に出演し、「(NLL問題を首脳会談で)当然取り上げるべきだ。今はより創造的な思考でこれまでわれわれの動きを抑制してきた問題を、合理的に調整していかなければならない」と述べた。北朝鮮が首脳会談を前に再びNLL問題で圧力を加えている時期に、このような微妙な発言が続いているのだ。



 李長官にNLL問題について問いただした親盧派の李華泳(イ・ファヨン)議員(ヨルリン・ウリ党)はより積極的で、「今度の機会に合理的な解決策を準備しなければならない」と述べ、また最近首脳会談の事務局関係者も「NLL再設定は首脳会談で取り上げるのは難しいのではないか」という記者の質問に対し、「南北基本合意書(1992年)などによれば、韓半島(朝鮮半島)平和状態によっては再協議が可能だ」と述べた。



 しかし彼らは具体的に何をどうしたいのかという点については言及を避けている。
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by sakura4987 | 2007-08-14 12:55


 http://www.nikkei.co.jp/seiji/20070804e3s0302p04.html


 政府が来年夏に予定していた次期主力戦闘機(FX)の機種選定がずれ込む見通しとなった。航空自衛隊が「のどから手が出ている」(田母神俊雄航空幕僚長)ほど欲しいF22Aラプターは米国の国防歳出法で輸出が禁じられている。7月に守屋武昌防衛次官が訪米し、禁輸解除を希望したが、米下院歳出委員会の結論は禁輸継続だった。防衛省は更新期を迎える旧型のF4ファントムを引き続き使用してしのぎ、あくまでF22の導入を目指す構えだ。 



 米国が日本への供与を渋る最大の理由は、自衛隊の情報管理体制に懸念を抱いているからだ。海上自衛隊員がイージス艦の機密情報を自宅に持ち帰っていたことが判明。その過程で、隊員同士が重要情報を無防備にコピーして広く流布していたなどの事実が明らかになった。F22はレーダーに映りにくいステルス性を備えた最新鋭機。この情報が漏れれば、米軍の優位性はかなり損なわれるのは確実で、米政府がためらうのも無理からぬところだ。 



 日本が「世界最強」の空中戦能力を持つことを中国や韓国は望んでおらず、北朝鮮を巡る6カ国協議が中国主導で融和的な方向で進んでいる折に緊張を高めるようなことをしたくないとの思惑も米側にあるようだ。 



 日本は2005―09年度中期防衛力整備計画(中期防)の期間中、F4の後継機の最初の7機を導入する方針だ。09年度予算に必要経費を計上するには08年夏が機種選定のタイムリミットのはずだった。 



 防衛省によると、候補機種は(1)F22(2)F4ともども自衛隊が使用中のF15の改良型のF15FXストライクイーグル(3)米海軍が採用したFA18スーパーホーネット(4)欧州4カ国で共同開発したユーロファイター・タイフーン(5)米英などが共同開発中の新型ステルス機F35ライトニング2(6)フランス製のラファール――の6機種だ。 



 軍事専門家に聞くと、猛きん類を意味するラプターの愛称を持つF22の戦闘能力は抜きんでている。F155機を同時に相手にできるとされ、田母神空幕長は「相手は目隠しして戦闘するようなものだ」と例える。 



 2月中旬から約3カ月間、沖縄県の米軍嘉手納基地に暫定配備され、航空自衛隊と共同訓練を実施。5月に暫定配備を終えて基地を飛び立った際、現地では「本当に飛び立ったのか?」との冗談話が出たほど、レーダーには映らなかったという。 



 もう1つはマッハ1.7とも言われる超音速巡航能力だ。長時間超音速飛行し、高い高度まで上昇できる能力があれば、日本領空に侵入する他国戦闘機の「先制発見・先制攻撃」の可能性が飛躍的に高まる。空自関係者は「専守防衛の日本には必須だ」と主張する。 



 日本がF22を有力候補に据える理由ははその高い戦闘能力だけではない。その裏打ちとなる高い技術を習得したいという打算もある。現在空自が持つF15の大部分は三菱重工業がライセンス生産したもの。日本の防衛産業界で「ライセンス生産も出来なければ、修理整備も出来ない主力戦闘機なんて導入の意味がない」との不満が漏れるのは、高い技術を習得したい熱意の裏返しといえる。防衛省としても高度な技術習得が日本の防衛技術の向上につながり、ひいては日本の防衛力強化につながると判断、業界の意を体した格好を取りつつ、米国との折衝に臨んでいる。 



 だが、日本政府関係者によると、米航空機産業界は日本へのF22輸出解禁に強い警戒感を抱いているという。トヨタ自動車が今年上半期の自動車販売で世界一になったのと同じように「航空機産業も日本に席巻されるのではないかとの恐れ」が情報提供の障害のひとつとなっている。 



 守屋氏の7月の訪米は、F22取得への意欲をにじませる旅でもあった。北朝鮮の脅威や中国の軍事力増強など、北東アジア地域の不安定さを強調しながら、F22に関する情報提供を要求。「FXに関し幅広く情報提供してもらうことが、日米の同盟関係の信頼性維持にとって非常に大事だ」と強調し、「日米同盟維持」をテコに交渉を進める姿勢を鮮明に打ち出した。 



 ただ、守屋氏をはじめ、日本が地域の不安定さを強調すればするほど、周辺諸国は敏感に反応する。韓国の金章洙(キム・チャンス)国防相は5月、訪韓中の山崎拓・自民党前副総裁らとの会談で「何のために導入するか明確にしてほしい」と懸念を表明した。米議会調査局も「韓国や中国を巻き込んだ軍拡競争を引き起こし、地域の不安定化を招きかねない」との内容を盛り込んだ報告書をまとめている。中国や北朝鮮も警戒感を隠さない。今回の米下院の禁輸継続の裏では、ブッシュ政権内の親中派が積極的に動いたともいわれている。 



 こうした動きに対し、田母神空幕長は「周辺国も航空機の性能を逐次上げてきている。今後も質的優位が保てるように努力しなければならない」と強調。「戦争の抑止には相手にこちらが強いと思わせることが大事だ。彼らの言ったとおりにしては日本の国益は守れない」と断言する。 



 就任間もない小池百合子防衛相は訪米に強い意欲を示し、「臨時国会の合間を縫ってでも行きたい」と周辺に漏らしている。仮に訪米が実現すれば、当然、FXの情報提供をゲーツ米国防長官に求めることになる。政府が選定期限を先延ばししてまで情報取得を目指すF22に、アジア各国の厳しい視線がそそがれていることも、政府にとってハードルとなることは間違いない。
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by sakura4987 | 2007-08-14 12:54


 日本軍と日本企業がアジア太平洋の各地でおこなった侵略犯罪の一つひとつは、具体的にはほんど明らかにされていません。



 海南島でも、日本軍は、多くの村落を襲撃し、住民虐殺、放火、略奪、性的暴行などの犯罪をくり返しました。



 しかし、海南島の村むらで、日本軍が殺害した村人の数や名前は、住民によって明らかにされ、墓標などに記録されている場合もありますが、多くはまだ闇のなかです。



 みどり児や幼児をふくむ人びとを殺傷した日本兵の名や所属部隊名は、隠されたままです。



 日本敗戦わずか3か月半前、「沖縄戦」のさなか、1945年5月2日に、万寧市万城鎮月塘(ユエタン)村を、佐世保鎮守府第8特別陸戦隊万寧守備隊の日本兵が襲い、住民を虐殺しました。


 月塘村虐殺3年後、1948年に月塘村で生まれた朱振華(ジュ・ジェンホァ)さんは、成人後、獣医をしながら、村の家を1軒1軒、なんども訪ねて聞きとりをし、一家が皆殺しされた犠牲者のことをふくめて綿密に「調査」し、日本軍に殺害された村人256人の名簿をつくりました。



 この名簿は、1945年5月2日未明から4時間ほどの間に、日本兵は、256人もの村人を殺害したという事実をはっきりと示しています。



 日本軍に襲撃され村民が虐殺された海南島の村々には、村民が自分たちで追悼の碑を建立しているところもありますが、月塘村にはまだ追悼の碑がありません。



 月塘村のひとびとは、いま、256人の犠牲者1人ひとりの名を刻んだ追悼碑を建立しようとしています。



 わたしたちは、日本軍の残忍な犯罪事実と日本政府の侵略責任を明らかにするためにも、月塘村の追悼碑の建立に参加させてもらいたいと思います。



 月塘村で1945年5月2日に虐殺された犠牲者を追悼する碑を建立することに参加させてもらう過程で、月塘村のみなさんとともに、日本政府に真相糾明にかんする公開質問をし、月塘村虐殺の事実を明らかにさせ、謝罪させ、賠償させ、責任者を処罰させる運動をすすめていきたいと思います。



 月塘村追悼碑建設基金募金に、協力してください。一口3000円としたいと思います。

 募金第1期  2007年8月~9月      目標金額 60万円(200口)
 募金第2期  2007年10月~3月     目標金額 70万円(234口)
 募金第3期  2007年5月~12月     目標金額 70万円(234口)

 月塘村追悼碑の除幕は、2008年5月2日、あるいは2009年5月2日を予定しています。

                                2008年8月5日

●海南島近現代史研究会                  

  連絡先  大東市中垣内3-1 大阪産業大学経済学部 斉藤日出治研究室

  郵便振替:海南島近現代史研究会 00960-5-280485

  Email:saito@eco.osaka-sandai.ac.jp
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by sakura4987 | 2007-08-14 12:54

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987