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国を憂い、われとわが身を甘やかすの記
2007/12/27 15:40

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/434281/


 沖縄戦の集団自決をめぐる高校日本史教科書検定問題で、教科書検定審議会は昨日、教科書会社6社8冊の訂正申請結果を発表しました。検定審は結局、旧日本軍による「強制」の記述を一定程度認める判断を下しました。沖縄・宜野湾市で11万人を集めたという県民大会(実際の参加者は約2万人前後)や、沖縄の地元紙をはじめとするマスコミ各社の圧力に屈した形で、このこと自体、検定制度を歪めるひどい決定だと思いますが、それを報じる在京の新聞各社の報道にも強い違和感を覚えました。

 各社の主見出しを拾ってみると、以下のようでした。産経を除く全紙が、今回の訂正申請によって初めて軍関与が復活したかのように書いていますね。

 ・産経 〝再検定〟で軍強制復活
 ・東京 軍関与の記述復活
 ・朝日 「軍の関与」復活
 ・毎日 「日本軍関与」が復活
 ・読売 集団自決「軍の関与」記述
 ・日経 「軍の関与」認める

 でも、各紙のこの見出しの付け方は適当でしょうか。私には違うように思えます。と言うのは、今年3月の教科書検定でついた意見は「軍が(集団自決を)命令したかどうかは明らかといえない」というもので、軍関与の記述は検定後もそのまま残っていたからです。例えば、検定後の教科書記述は次のようでした。

 ・「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺し合いがおこった」(実教出版)
 ・「日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた」(山川出版)
 ・「『集団自決』においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった」(東京書籍)
 ・「集団自決のほか、スパイ容疑や、作戦の妨げになるなどの理由で日本軍によって殺された人もいた」(第一学習社)
 ・「追いつめられて『集団自決』した人や、戦闘の邪魔になるとかスパイ容疑を理由に殺害された人も多く」(三省堂)

 繰り返しますが、これは3月の検定パス後の表記です。これが集団自決やその他の悲劇について、軍の関与を否定しているようには思えません。ちなみに、政府は10月2日の閣議で、「検定決定後の記述については、集団自決について旧日本軍の関与が一切なかったとする記述はない」とする答弁書を決定しています。検定は最初から、軍命令があったと断言できないとしているだけで、何らかの軍の関与があった可能性は全く否定していないのです。それなのに、ようやく軍関与が復活したかのように書くのはマスコミのミスリードではないでしょうか。

 この問題では、当初から政治家の発言もあいまいでトンチンカンでした。9月29日の沖縄県民大会の後、民主党の小沢代表は「集団自決は軍が全く関与していないことはありえない」、公明党の太田代表は「集団自決に日本軍の関与があったことは否定できない」とそれぞれ述べていました。問題の所在が全く分かっていないか、マスコミ報道に合わせているのか、その両方なのか。

 今朝の産経の「詳説・戦後 沖縄の言論」という特集記事にも書いたことですが、11月に甲南大や熊本大、佐賀大などの学生有志が沖縄で実施した対面式のアンケート調査(723人回答)では、興味深い結果が出ています。それによると、県民大会に「参加した」または「参加したかった」と答えた人にその理由を聞くと、最も多かった回答は「集団自決を伝えたい」の48.1%で、教科書検定によって集団自決の記述そのものが抹消されると勘違いしている人が多かったということです。

 これはマスコミが誘導した「誤解」ではないでしょうか。私は特集記事で、沖縄で90数%のシェアを誇る地元紙、沖縄タイムスと琉球新報の報道ぶりに疑問を示したのですが、在京紙も本日の見出しを見る限り、同じであったようです。また、主見出しのほかに、袖見出しをみると、「『強制』は否定」(日経)、「『強制』は認めず」(読売、毎日、東京)、「『軍が強制』の表現は回避」(朝日)…とありましたが、これもどうでしょうか。

 例えば、三省堂は承認された再申請で「最近では、集団自決について、日本軍によってひきおこされた『強制集団死』とする見方が出されている」と書いていますが、これは実質的に「強制説」を認めたものではないでしょうか。このほか、強制をにおわす表現では「日本軍は住民の投降を許さず」(第一学習社)、「日本軍の関与によって集団自決に追い込まれた人もいる」(三省堂)、「強制的な状況のもとで、住民は、集団自害と殺し合いに追い込まれた」(実教出版)などがあります。これは産経の見出しのように、検定審が実質的に強制説を受け入れたととる方が素直だと思います。

 住民の集団自決が起きた慶良間列島・渡嘉敷島で、赤松嘉次守備隊長の副官代理を務めていた知念朝睦氏(85)は私に、「読谷では、日本軍がいなくても集団自決は起きた。自決命令なんてとても出せるものではない。これは実際に戦争をした人にしか分からない。戦争の実態を知らない人がそういうことを言う」と語っていましたが…。

 多くのマスコミは、3月に「日本軍に強いられた」と書いた教科書に検定意見がついたときには、「軍関与が削除された」と書き立てた経緯があります。それと整合性をとるため、今回は「関与が復活」と書いているのかもしれませんが、こうして不正確なマスコミ論調が束になると事実なんて片隅に押しやってしまうのだろうなとも感じます。また、それに安易に迎合して機嫌をとろうとする政治家や、役所が多く存在し、ますますマスコミとマスコミを利用して自己の主張を広めたい勢力を増長させていくのでしょう。

 慰安婦問題が論争の的になっていたときには、「従軍慰安婦という言葉は戦後の作家による造語で、戦前・戦中にはなかった」との当然の事実を踏まえた指摘が、左派勢力やマスコミによって「従軍慰安婦(の存在自体)を否定する人たち」とすり替えられてレッテルを張られ、またそのレッテルを信じ込む「自分では良心的だと信じている人々」がたくさんいるのを目の当たりにしました。どうしもそれを連想してしまいます。なんだかなあ。
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by sakura4987 | 2007-12-29 16:02


 (「週刊新潮」07/12/27)


 南京大虐殺記念館に「協力した日本人」


 南京陥落からちょうど70年を迎えた12月13日、南京市内にある「南京大虐殺記念館」が再オープンした。「同胞30万人」が虐殺されたと主張する同記念館には、旧日本軍の残虐性を強調する展示品が並べられ、反日教育の拠点となっていた。この度、リニューアルされた内容はより過激である。中には、「日本人の協力者」を賛美するコーナーまであった。



 成田から上海まで直行便で約2時間半。上海駅から新幹線を利用して、2時間前後で南京駅に到着する。



 急速に都市化が進み、高層ビルの建築ラッシュで賑わう南京市の人口は700万人におよぶ。



 南京駅からタクシーで15分。市内の目抜き通りを南西に向けて進むと、ひときわ巨大な三角形の建造物が目に入る。そこが南京大虐殺記念館である。「まず度肝を抜かれるのは、記念館の横に沿って並べてあるブロンズ像です」



 と話すのは、再オープンした翌日の午後、同館を見学に訪れた日本人である。



 入口に向かう道路脇に聳えているのが、10㍍以上はあろうかという、女性が子供を抱え、天を仰ぎ嘆いている像。中国語と英語で、「殺された息子は戻らない 生き埋めにされた息子も戻らない レイプされた妻は悲しみに打ちひしがれ……」と文字が刻んである。



 この像を仰ぎ見て進むと、等身大のブロンズ像が8体並んでいる。息絶えた祖母を背負う少年や、強姦されて狂った女性の像など、説明書には「悪魔に殺された」「悪魔に犯された」などと書いてある。



 「見学者はみな立ち止まり、花を手向けたりお辞儀をしたりしていました。入場するより前にこれだけのブロンズ像を見せられると非常に気分が重くなる。いずれも日本兵から逃れる南京市民の像で、子供や女性、老人など。非戦闘員が虐殺されたことを強調したいのでしょう」(同)



 記念館の前には、中国人のツアー客を乗せた大型バスが列をなし、地元の中高生の集団もいる。



 元々この記念館は1985年に開館されたが、2年前から大規模改修工事に入っていた。今夏に一時閉館となり、この度、南京陥落の日時に合せ、満を持しての再オープンとなっ9800平方㍍に拡張。併せて展示される写真は6倍近い3500枚に増やされた。



 入場は無料。中に入ると、50㍍四方の砂利敷きの広場があり、正面に、黒い花崗岩で造られた縦7㍍横50㍍ほどの長い壁が見える。それが今回、新設された「災難の璧」である。その壁の端には、中国語、日本語、英語など11カ国語70周年を悼む」などと大きな文字が彫り込まれている。



 壁の隣に置かれた大きな慰霊の鐘にも、「遭難者300000」とある。



「つまり、見学者は入った瞬間に、〝30万人が虐殺された〟と頭に刻み込まれるようになっているのです」(同)



 史料館の前まで来ると、すでに老若男女の中国人が、100㍍ほどの列をなしている。中に入るには1時間待ちという大盛況である。



 史料館は、地下1階と地上階の2階建て。外観は、日本刀が2つに折れた形に設計されているという。



 いよいよ館内に入る。カメラを構えると、すかさず、館員から、「写真を撮るな!」と怒られる。館内は撮影禁止。すぐ目の前に錆びた銅版が掲げられ、そこには中国、日本、英語の3カ国語で、「南京軍事法廷の調査による」として、「集団虐殺は28件で犠牲者は19万」「個別分散虐殺は858件で犠牲者は15万」「この世のものとも思われない大惨事」などと書かれている。



「まるでお化け屋敷に入ったような印象を受けた」と、この日本人見学者は感想を漏らすのである。



■新たに見つかった白骨


 順路は、まず地下へと続く。階段の左右には、南京の中山門一帯の破壊された城壁が再現され、空襲警報や爆音が流れている。



 地階に下りると広いホールに出る。室内は暗く、正面に大きなスクリーン。12秒に1度、鐘が鳴り、犠牲者の顔が入れ替わり映し出される仕掛けになっている。11人殺した計算という説明でした」



 ホールを抜けると、ここから先が展示コーナーになるが、テーマごとに11部門に分けられている。



 第1部~3部までが、映像や模型を使った南京陥落までの歴史のおさらい。



「ここは衝撃的な展示もなく、見学者は淡々と見学している印象でした」(以下同)



 ところが第4部~8部までが、「南京大虐殺」をテーマに、執拗なまでに日本軍の残虐性を訴えるのだ?



 第4部は「日本軍による南京での大虐殺」。



 「スライドに、川に浮かんだ死体の写真が映り、それが5秒ごとに切り替わるのです。これをじっと見続けていると本当に気分が悪くなりました。続けてガラス張りになった床の下に、土の上に並べられた大虐殺の被害者とされる白骨が5体ほど見えます。頭蓋骨がむき出しになって固まっていて、怖がる子供もいました」



 これは、今回の増築の際に新たに見つかった白骨を、そのまま陳列に使ったものだという。が、そもそも虐殺の犠牲者であるという証拠は全く示されていない。



 さらに、日本兵の残虐行為の写実が特大パネルで紹介されている。座らされた僧侶に日本兵が銃口を向けている写真、木の上に乗せられた中国人の生首に煙草をくわえさせた写真、船を漕いで逃げ出そうとしていた中国人がガソリンで焼かれて黒焦げになった写真など。これらに並んで、有名な「百人斬り」の特大写真が展示されている。当時、このことを報じた日本の新開とともに(日本の研究者の間では、虚報といわれている)、百人斬りを行ったとされる向井、野田両少尉の写真も。



 「カップルや女性同士の見学者は手を繋ぎだし、中には口元を押さえながら写真を見る人もいました。百人斬りに使われたとされる刀と鞘の複製もあり、これを見た中国人の中年男性は〝変態な日本人め!〟〝日本鬼子〟と呟いていました」



 多くの中国人見学者が足を止めて見入っていたのが、虐殺された人々の等身大の再現模型である。



「最も残酷だったのは、上半身がブラジャー1枚の姿でテーブルの上に仰向けになって死んでいる女性と、壁に凭れて死んでいる女性。彼女の下半身には傘の柄のようなものが突き刺さっています。説明書によれば、夏淑琴一家が、日本軍によって強姦された後、殺害された様子を再現したものだそうですが、本当に気持ちが悪い。この日は人民解放軍の兵士と見られる集団も来ていました。彼らはあまり表情を変えずに見学していたのが印象的でしたが、この展示の前では流石に顔をしかめていました」



 第5部、「日本軍による南京の強姦と略奪」も、目を背けるものであるという。



 「強姦に遭ったとされる3人の女性の写真と証言が紹介され、日本兵士が女性を裸にしている写真も何枚も展示されています。日本軍に強姦され、腹を割かれて内臓が飛び出した写真もありました。そしてそこには、日本軍は〝白昼でも集団輪姦〟〝妊娠した女性のお腹を刺し胎児を取り出した〟〝ファシズム軍隊の野蛮性と凶暴性は十分に暴露された〟とまで書かれてありました。南京市内で起こった強姦は2万件以上もあったと説明されています。これを読めば、日本人はとんでもない民族だと思われるのは間違いありません」



■眉唾ものの著作


 第6部は「日本軍による遺体処理と証拠抹殺」。



「ここには穴の中に大量の中国人の死体が折り重なっている様子や、切り落とされた首や手首が描かれた油絵がありかました。そこには、穴の上から死体を眺める日本兵2名が描かれていますが、そのうちの1人は軍刀に付いた血を拭きながら口元を弛めていました。隣の中国人は〝あの日本兵は笑っているんだ!〟と顔をしかめていました」



 ここではすべてを紹介しきれないが、阿鼻叫喚、地獄絵さながらのおぞましい展示品のオンパレードなのである。



「この記念館を見学したら、日本人をますます嫌いになることだけは間違いない」



 と、この日本人見学者がため息をつくのも無理はないのだが、ここには「日本人の協力者」を賛美しているコーナーもあるのだから驚かされる。第10部の「南京大虐殺の歴史的検証」のコーナー。



 「中国人で大虐殺を証言した人の写真が6000枚ほど並べられていますが、びっくりしたのは、日本人女性の松岡環(60)という元小学校教諭が、旧日本兵に取材をしている様子が等身大の人形で再現されていることです。日本では、朝日新聞の本多勝一氏ほど有名ではない松岡氏が、これだけ持ち上げられているのは意外でした。いまや中国では最む知られた日本人研究者と言えるのではないでしょうか」



 松岡女史は、大阪府内の小学校に勤務する傍ら、88年から市民運動の仲間と〝南京大虐殺〟の聞き取り調査を始めたという。



 さらに進んだ先にも、彼女がインタビューしている写真が20枚ほど並べられている。12月13日付人民日報日本語版は、松岡氏が、「大虐殺に関わった日本兵探しを始め、中国侵略を行った多くの元日本軍兵士を取材、大量の証言と証拠物件を集めた。そのうち多くの価値ある証拠物件が南京大虐殺記念館に寄贈されている」



 と報じている。彼女は、同記念館の再オープンセレモニーにも招かれ、南京の地元紙も大々的に報じた。スター扱いなのである。



 だが、日本の研究者が見るところ、眉唾ものである。彼女には、『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて―元兵士102人の証言』という著作がある。その中に、南京戦に参加した三重県の歩兵33連陸に関する記述がある。



 関係者は、虚構であると断言している。59人が歩兵33連隊とされていますが、当時の南京戦の参加者で、三重県の在留者は30人未満しかいない」



 現代史家の秦都彦氏も、「中国兵士の証言は、向こうの政府が差し出してきた可能性があるので信用できない。日本の兵士もすべてがイニシャルで登場しており、所属部隊も明記されず、仮名での証言では学術的に検証のしようがなく、意味がありません」



 中国政府にとっては、プロパガンダに利用できる貴重な日本人なのである。



 先の日本人見学者は言う。「第11部では、南京事件の史学研究に貢献した人として11名が挙げられています。史実に間違いが多く、改竄写真を掲載していることでも知られる『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の著者アイリス・チャンが別格として扱われている他、ここに日本人が4名入っています。松岡環、東史郎(故人・南京大虐殺を証言した元日本兵)、本多勝一、洞富雄(故人・大虐殺を主張した学者)の各氏です。ここには本多氏が『南京への道遣』取材の際に使用したテープやペン、カメラ、ネガなどが陳列されています」



■犠牲者数は何人?


 本多勝一氏は語る。



 「展示品は記念館の要望に応じて寄贈しました。この点において〝協力〟したのは事実ですが、詳しい内容については事前に相談されておりません」



 第11部が地下1階の展示品の締め括りである。見学した中国人は、日本人も大虐殺を認めていると思うだろう。そして念の入ったことに、最後に見学者にクイズを出すコーナーがある。その3問目。「南京戦犯裁判軍事法廷における南京犠牲者算定による認定数は何人か?」という問いに選択肢が3つあり、それが「30万」「37万」「40万」となっている。中国は、どうしても犠牲者数を「30万」以下にする気はないのだろう。



 先の日本人見学者は、ここで地元の大学生に声を掛けられたという。



 「なんでも見学者に感想を開いているそうで、彼のノートを覗くと、中国人の感想として〝戦犯者が死刑になっても心の中の苦しみは解決できない〟〝この恥辱を忘れてはいけない。私は日本の製品はすべて使わない〟など、これだけ酷い展示を見れば仕方がないと思える感想が並んでいました。私が〝30万という数字は日本ではあまり受け入れられていない〟と言うと、学生は本当に驚いた様子で〝何故か?〟と執拗に尋ねてきました。中国ではこの数字は既成事実となっているのでしょう」



 地上階の展示では、近代100年にわたり中国が侵略された歴史について振り返っている(中国が他国を侵略した歴史には触れていない)。興味深いのは、日本軍が中国に遺棄30万~40万発と主張)と解説。中国の主張に沿った従軍慰安婦コーナーも充実している。



 ついでながら、申し訳程度に、「中日友好のコーナー」がある。とはいえ、「日本人の捕虜や住民を大量帰国させたことや、残留孤児を善待したというパネルが並べられていて、日本について述べられていたのはODAのコーナーのみ。パネル1枚で、写真すらありません。しかも簡単な説明の末尾に、〝中国の経済建設と発展に一定の支援作用をもたらしている〟とあるだけ」



 前出の秦氏は語る。



「当時南京にいたラーベやマギーなど外国人の証言や埋葬団体の証言を基に算定した数字は、4万から6、7万といったところ。私を含めて日本の中間派と呼ばれる学者の算定は、防衛省の戦史部に3分の1ほど残されている旧日本軍の部隊の戦闘詳報を基にしていますが、それによればおおよそ4万になります。300万という数字はありえない」



 再オープン後の同館を見学した政治ジャーナリストの山村明義氏の感想。



「中国の子供たちの教育施設として活用されると、デタラメな数を信じてしまうと思う。半永久的に、中国の人は〝日本人は30万人を虐殺した民族だ〟と信じ続けてしまうでしょすね」 見過ごすわけにはいかないのである。日本政府は、断固、抗議すべきだろう。
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by sakura4987 | 2007-12-29 16:01


 (読売 07/12/22)

 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071222i202.htm?from=navr


 政府は、北朝鮮が返済することになっている朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の軽水炉建設費用に対する国際協力銀行(JBIC)の融資残高448億円について、事実上、肩代わりすることを決めた。



 政府がKEDOに資金を拠出し、KEDOが同銀行に返済する形を取る。資金の拠出は来年度から最長5年間にわたり、来年度当初予算案に約90億円を計上した。



 外務省幹部は21日、「北朝鮮に今後、返済を要求する」として、「肩代わり」ではないとの立場を強調した。ただ、「北朝鮮が今後、返済に応じる可能性はほとんどない」(政府関係者)と見られており、北朝鮮の債務を日本国民の税金で補てんする形となるのは不可避の情勢だ。与党内からも、対応を疑問視する声が出ている。



 日本政府は1999年4月に、KEDOが北朝鮮に供与する軽水炉型の原子力発電所2基の建設資金として1165億円(10億ドル)を上限に、JBICがKEDOに融資することを閣議決定。融資分は、北朝鮮がKEDOを通じて返済するが、北朝鮮が返済しない時は、日本政府が損失補てんするとしていた。北朝鮮の核兵器保有宣言などを受け、06年5月に軽水炉建設事業の廃止が決まり、448億円が焦げ付いた。
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by sakura4987 | 2007-12-29 16:00


 (産経 07/12/25)

 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071225/plc0712251600006-n1.htm

 福田康夫首相の27日からの訪中に向け、中国側が、首相の講演の生中継や胡錦濤国家主席が主催する夕食会、さらに温家宝首相を交えての朝食会など、日本の首相に対する扱いとしては異例の手厚さで福田首相を迎える準備を進めている。背景には、靖国神社参拝をめぐり、あいまいな対応を続けた安倍晋三前首相とは対照的に、参拝しないと明言した福田首相との間で、一気に関係改善を進めたいとの中国側の思惑がある。



 福田首相は、到着翌日の28日に人民大会堂前での歓迎式典に出席した後、胡主席、呉邦国・全国人民代表大会常務委員長(国会議長)、温首相のトップ3と相次いで会談。また北京大学で日中関係について講演する予定で、中国中央テレビを通じて全土に生中継される見通し。



 その後の夕食会は、当初予定されていた温首相ではなく、胡主席主催に“格上げ”。翌朝は温首相が出席し朝食会が開かれることになっている。最終日には、孔子の故郷、山東省曲阜市も訪れる予定だ。(共同)
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by sakura4987 | 2007-12-29 16:00


 (時事 07/11/27)

 http://www.jiji.com/jc/zc?k=200711/2007112701055


 防衛省で28日に行われる自衛隊高級幹部会同で、自衛隊が福田康夫首相に敬意を表す儀式の「栄誉礼・儀仗(ぎじょう)」が首相側の意向で取りやめになったことが27日、分かった。政府関係者は、守屋武昌前防衛事務次官に絡む一連の不祥事を受けて官邸主導で同省改革に取り組む中「なれ合い、和気あいあいの雰囲気でもない」と首相が判断、拒否したとしている。



 一方、防衛省は「首相の日程上の理由」(文書課)と説明している。栄誉礼・儀仗は、首相が自衛隊を視察する際などに行われる儀式で、首相が辞退するのは極めて異例だ。
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by sakura4987 | 2007-12-29 15:59


 (産経 07/12/4)

 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071204/plc0712041900007-n1.htm


 福田康夫首相は4日の参院外交防衛委員会で、海上自衛隊のインド洋派遣部隊の帰国行事に出席しなかった理由について「他の出席者に花を持たせるため」と説明、苦しい“言い訳”に委員会室は失笑に包まれた。



 「官房長官も防衛相も行かれ、民主党の方も、与党の皆さんもたくさん参って歓迎の意は十分尽くされていた。皆さんに花を持たせるってこともあるじゃないですか」



 11月23日の補給艦「ときわ」の帰国行事に欠席した理由について民主党の白真勲氏に尋ねられた首相はこう答弁した。



 首相周辺は「行く気はあった」というが、防衛省幹部は「11月28日の栄誉礼拒否といい、首相が自衛隊をどう思っているのか分からない」と失望感をあらわにした。
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by sakura4987 | 2007-12-29 15:59


     この世の不条理はなぜ/IDに続く理論を構築せよ

 (世界日報 07/12/25)

 評論家 井上 茂信


■神の沈黙嘆くマザー・テレサ


 最近感動したのはインドでハンセン病患者の救済に生涯をささげ「貧者の天使」とたたえられたマザー・テレサが「神の沈黙と不在」に絶望していたとの記事だ。亡くなって十年になるが、このほど生前の書簡内容が明らかにされた。それによると彼女は死に行く多くの貧者の姿を目撃し「なぜ神は彼らを見捨てるのか」「なぜ全能の神は苦しむ人々を救わないのか」との疑問に悩まされた。彼女は「私はイエスを探すが見いだせず、イエスの声を求めるが聞けない」「自分の中の神は空虚だ」と告白し「自分は孤独であり、暗闇の中に生きている」と嘆いていたという。



 この世の不条理に対する苦悶はドストエフスキーの最後の作品「カラマーゾフの兄弟」の中で次兄イワンの口を通じても怒りをこめて語られている。彼は語る。



 「人間の残忍な行為を野獣のようだというが、それは野獣にとって不公平であり、侮辱的だ。野獣には人間のような技巧的な残忍さはない」。彼はいたいけない子供たちが犠牲になるこの世の数々の不条理をあげた上で語る。「僕は神を承認する。その叡知をも目的をも承認する。人間が苦しまねばならないのは、苦痛をもって永遠の調和を贖(あがな)うためだとしても、なんのために子供までが苦しまなければならないのか。僕は神の創ったこの世を承認しない」



 祈りに応えられぬ神への絶望と人間にひそむ残忍さ故のこの世の不条理への怒り、二人の正直な訴えだ。



■なぜ悪や不条理が存在するか


 現在、唯物論的世界観や無目的な生命の進化を説くダーウィニズムを否定し、この宇宙には最初から目的と計画があり、人間は知的存在により創られたとするID理論が台頭している。その理論によればわれわれは、「アメイジング・グレイス」(驚くべき恩寵)によって生かされているという。だが、この世の不条理、祈りに応えられない神の沈黙はどうしたことか。まさに「アメイジング・ディスグレイス」(驚くべきみじめさと恥辱)の世界ではないか。これらの疑問にこたえるためにはIDに続く理論の構築が必要だ。



 イギリスの動物学者リチャード・ドーキンスは「それ見たことか」とばかりにID理論を否定し、人間を含めた生物の個体(身体)は遺伝子が自分のコピーを増やすために作った“乗り物”にすぎないと説く。分かりやすいが、この理論の欠点は、人間には赤の他人のために命を投げ出すことも可能な自由意志が存在することだ。



 現在のID理論では、この世の不条理は説明できない。なぜ知的存在は不完全な人間を創ったのか。なぜ不条理を正すために指一つ動かさないのか。ID理論を補完するためにも、これらの疑問について考える必要がある。



 答えは人間を自動機械的な必然の奴隷にしないために最大の恩寵として自由を与えたためではないか。新約聖書で日本人が理解しにくいのは、自由の重みが説かれていることだ。なぜ死者をも甦らせる力を持ち、裏切りを知っていた「神の子」イエスがユダをとめなかったのか。その理由はユダの自由選択を尊重したためだ。人間のみに善悪があるのは究極の創造物として自由意志が与えられているからだ。最初から「善」のみで動くように創造されていたなら、人間は「善」のロボットとなり、その行為は「善」でなくなる。強制された「悪」は「悪」でないように、強制された「善」は「善」でなくなる。そして、人間の自由性によりこの世の不条理が生まれた。人間の心は「神の高みへ至ろうとする」自由と「悪魔の深淵へ落ちようとする」善悪闘争の戦場となっているからだ。



■人間尊厳の根拠としての自由



 人間は蚊やハエのように死ねば終わりなのか。人間の自由の重みと死後の世界についてのゾジマ神父(カラマーゾフの兄弟)の次のような解釈は重い。



 「地獄とは何か―それはもはや愛することの出来ない苦悩だ。無限の世界での精神的存在である人間は“われ有り、故にわれ愛す”という能力を与えられた。実行的な生きた愛の瞬間をたった一度だけ与えられた。それが地上生活の意味だ。この限りなく貴い賜物を自らの意思で拒んだ人が地上を去ったとき、精神的存在である人間は地上で蔑視した愛の渇望に身を焼かれるような苦悩に苛まれる。地獄の火は物質的なものと説く人があるが、そうだとすれば、そこに落ちた人はかえって心から喜んだに違いない。なぜなら物質的な苦痛に紛れて、一時的にも更に恐ろしい心の悩みを忘れることが出来るからだ」



 肉体を持った故に唯一の愛の実行期間であるこの世で悪を選択して、この世を去ったとき、精神的存在である人間は万物創造の秘密である愛の原理に目ざめ、砂漠で水を求める人のように愛の渇望により塗炭の苦しみにあえぐという。



 マザー・テレサの嘆きとイワンの怒りに対する答えは、ただ一つ、人間尊厳の根拠として、「自由」が与えられたことだ。人間の自由性故にこの世の矛盾、醜悪さ、そしてそれに対峙するものとして、人間世界の深さと崇高さがありうる――ということではないだろうか。
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by sakura4987 | 2007-12-29 15:58



 文芸批評家 都留文科大学教授・新保祐司


 ■「戦後レジーム」の眠りから目覚めよ


 ≪「亡びるね」という声≫


 勤務先の大学へ向かう電車の車窓から、よく晴れた日には、雪を冠った富士山が見えるようになった。たしかに美しい。



 しかし、その白い優美な姿を眺めながら、私の頭に浮かんでくるのは、「亡(ほろ)びるね」という意想外な言葉である。それは、夏目漱石が明治41(1908)年、今からちょうど100年前に書いた名作『三四郎』の中に出てくる。



 熊本から東京の大学に入るために上京する主人公三四郎が、東海道線の浜松駅で停車中に、たまたま乗りあわせた広田先生と話を交わす。広田先生は、後に東京で親友になる与次郎によって「偉大なる暗闇」と評されるような人物である。



 先生は、「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。尤(もっと)も建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応の所だが、--あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。今に見えるから御覧(ごらん)なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々が拵(こしら)えたものじゃない」と言う。



 三四郎が「然(しか)しこれから日本も段々発展するでしょう」と弁護すると、先生は「亡びるね」と言い放つ。まさに、日本の近代の「暗闇」からもれてきたような声である。



 漱石が、近代日本の文明を鋭く批判した講演「現代日本の開化」の中で、「内発的」「外発的」という重要な用語を使ったことはよく知られている。



 西洋の開化は「内発的」であるのに対して、黒船渡来以来の日本の開化は西洋の圧迫によって強いられた「外発的」なものである。結果、皮相上滑りの開化であり、「涙を呑(の)んで上滑りに滑って行かなければならない」と言った。



 ≪漱石の近代日本批判≫


 漱石のこの見方は、1世紀たった今日においても本質的には正しいのであり、その後の歴史は日本人の精神から「内発性」がどんどん揮発していった過程に他ならない。



 特に敗戦から7年間の長きにわたった「占領下」とは、決定的に「外発的」な時代であった。その間に生じた習性は、今日までますます根深く蔓延(まんえん)し、「内発性」は加速度的に希薄になっている。



 文化の状況を見渡すと、精神の「内」から湧(わ)きあがってくるようなエネルギーが感じられない。老若男女を問わず、真に若々しいところがない。子供までが小賢(こざか)しくなっている。



 道徳の崩壊や学力の低下も、起因するところは結局、この精神の「内発性」の衰弱であろう。



 政治・外交の面でも、「戦後レジームからの脱却」の意志とは、わずかにのこっていた「内発性」の発現であったが、それも潰(つい)えて米国、あるいは国連といった「外」のものに依存する習性の中に、再び眠りこもうとしている。



 ≪今や、覚醒の秋≫


 漱石が、「現代日本の開化」に見られるような日本の近代への批判を抱くに至ったのは、英国留学の経験によるところが大きい。明治34(1901)年3月16日の日記に「日本は三十年前に覚めたりという。しかれども半鐘の声で急に飛び起きたるなり。その覚めたるは本当の覚めたるにあらず。狼狽(ろうばい)しつつあるなり。ただ西洋から吸収するに急にして消化するに暇なきなり。文学も政治も商業も皆然(しか)らん。日本は真に目が醒(さ)めねばだめだ」と書いた。



 恐らく夜中にロンドンの下宿の寒い部屋で、「覚めたる」思索の中から呻(うめ)くように誌(しる)したのであろう。



 「三十年前に」明治維新によって、日本の近代は「外発的」に始まったが、そこには「真」の覚醒(かくせい)はなかったと漱石は言う。特に、戦後六十余年とは、「占領期」を経て、日本が深々と眠った時代に他ならなかった。「戦後レジーム」とは、そのような惰眠のことである。



 たしかに、時々、火災を知らせる半鐘が鳴るような事件はあったに違いないが、しかし「本当」の覚醒に至ることはなかった。



 21世紀になってからは、9・11やイラク戦争、あるいは北朝鮮の核問題など、まさに半鐘は激しく鳴りつづけているのだが、そのときそのときに「狼狽」して急場しのぎの対応をするばかりで「内発的」に決断する気力は乏しい。



 今日ほど「亡びるね」という声が真に迫って聞こえてくる時代はない。今や、「日本は真に目が醒めねば」ならない秋(とき)である。
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by sakura4987 | 2007-12-29 15:58


 (産経 07/12/21)


 26年間にわたって毎年12月が来ると街角で人々に現金を渡し続け、「秘密のサンタ」と呼ばれながら今年1月に亡くなった米ミズーリ州カンザスシティーの実業家の遺志を継ぎ、このほど新たな「秘密のサンタ」が登場。クリスマスシーズンを迎えた米国に温かい話題を提供している。



 「秘密のサンタ」を続けてきたのは実業家、ラリー・スチュワートさん。昨年末、長い間隠し続けてきた身元を明らかにするとともに、がんを患っていることを公表し、今年1月、死去した。スチュワートさんが手渡した現金の額は計130万ドル(約1億5000万円)に達したという。



 地元紙カンザスシティー・スターによると、臨終の際に友人の1人がスチュワートさんに、秘密のサンタ役を引き継ぐと約束。その誓い通り、このほど新しい秘密のサンタとしてカンザスシティーの街角に立ち、恵まれない人々に現金を手渡した。



 同紙によると、スチュワートさんが秘密のサンタになろうと思い立ったのは、職を失い、車の中で寝泊まりしていた若いころにさかのぼる。



 自暴自棄になっていたスチュワートさんは、あるレストランでたっぷりと朝食をとった上で、「財布をなくした」とごまかそうとした。すると、そのレストランの経営者が「あなたが落としたお金に違いない」と、20ドル札を差し出したという。スチュワートさんはその後、ケーブルテレビ事業で成功。レストランでの経験を忘れず、お金を配り続けた。



 新しい秘密のサンタの身元は明らかにされていないが、スチュワートさんと約束を交わした友人以外にも、趣旨に賛同した複数の篤志家がサンタ役を買って出ているもようだ。さらに、「米国のあらゆる街にサンタが訪れるように」と願ったスチュワートさんの遺志に基づき、今年はカリフォルニア州サンディエゴやアリゾナ州フェニックスにも秘密のサンタが登場するなど、善意は全米に広がりつつある。
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by sakura4987 | 2007-12-29 15:57


 (産経 07/12/17)

 いわゆる「従軍慰安婦」問題で、こんどはヨーロッパが騒ごうとしているらしい。日本政府への謝罪要求決議は、この7月の米下院採決を皮切りに、11月はオランダ、カナダ両下院と続いた。そしていま欧州議会も謝罪要求の動きが活発になっているようだ。



 やれやれ。こうした反日的な政治運動は、一切これを無視するのが最良の対応だという見方がある。たぶんそうだろう。



 しかしこんな時だから、日本人のなかには慰安婦をこういう目で見ていたものもいたということを知ってもらいたい。こんな時だからこそ、こういう視点を持つ兵士もいたという事実を知らせてやりたいと思う。



 その視点とは、「戦場慰安婦は気高い存在だった。兵隊はこの女性たちのおかげで人間性が浄化された」という底辺の兵士だった作家・伊藤桂一氏の証言である。近刊『若き世代に語る日中戦争』(文春新書)で、伊藤さんはそう語っている。


           ■□■


 伊藤さんは三重県生まれのことし90歳。日中戦争で中国大陸を転戦し、昭和36年『蛍の河』で直木賞を受賞した。戦争を舞台にした『静かなノモンハン』や『雲と植物の世界』など多くの戦記文学を書いている。本書は「日本はダメなくにではないことを、若者たちに伝えたい」という一心で、戦後生まれの女性ジャーナリスト・野田明美さんを聞き手に、日中戦争の実相を語ったものだった。



 戦場慰安婦(と伊藤さんは呼ぶ。そもそも従軍慰安婦というものは存在しなかった)のくだりは、大要次のようだ。



 「(慰安婦問題が騒がれる)根本には、娼婦(しょうふ)を醜業、賤業(せんぎょう)と見る見方があるようにも思えます。だから強制連行されたことにしないとまずいのかもしれない。…たとえ一晩だけの付き合いでも、兵隊と慰安婦が互いに敬意と親しみを感じる、そういうことがざらにあったんです。兵隊は戦闘で明日には死んでしまうかもしれない。そんななかで、喜びと悲しみを分かちあってくれたのが彼女たちだった」



 「兵隊と慰安婦が意気投合して一緒に逃げたりすることもありましたが、そういうときはたいがい中国女性でした。中国の女性は日本兵になじまないけれど、一度なじむと一切を賭ける。その点、朝鮮の女性は献身的だけど、日本兵に芯(しん)から溺(おぼ)れることはなかったですね。お金を稼いで、その後、結婚するというのが彼女たちのほとんどの夢でした」



 「戦場慰安婦というのは兵隊と同じ。兵隊の仲間なんです。本当に大事な存在だったんですね。…兵隊たちは黙って働き、多くは黙って死にました。慰安婦たちは悲劇的な不条理のなかで生きたし、兵隊たちももっと不条理のなかで生き、死んでいかなければならなかった。だからお互い心が通い合うこともあった。彼女たちとの思い出を胸に死んでいった兵隊もある」


                  ■□■


 伊藤さんは「今の人には到底分かってもらえない気持ちかもしれないが、そういう兵隊たちに代わってあえて慰安婦賛美論をのべた」と語っている。とりわけ若い女性の理解を得るのは難しいだろう。しかしここには確かな戦争の一真実がある。
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by sakura4987 | 2007-12-29 15:56

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