「ほっ」と。キャンペーン

★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

<   2009年 04月 ( 139 )   > この月の画像一覧




 日本統治下の台湾で東洋一の烏山頭ダムをつくり、台湾農業に多大な貢献をした土木技師、八田與一(はった・よいち)(1886~42)が虫プロダクションの手で初のアニメ映画になった。「パッテンライ!」。タイトルは台湾語で八田が来たの意味だ。

 台湾では人々にいまなお敬愛され、ダムの麓には夫妻の墓や與一の座像まである偉人。農業が専門の李登輝元総統だけでなく、馬英九総統が墓前に参拝したことでも話題になった

 ところが日本では故郷、金沢以外はほとんど無名に近い。アニメ化でその志や埋もれた業績などの紹介を通して、八田という骨太の日本人が広く知られ、日台のきずなが深まればと関係者たちは期待している。

 話は台湾人と日本人2人の少年の交流と八田の仕事をからませながら進む。愛らしい友情は時にホロッとさせ、現地の反対、爆発事故など困難に立ち向かう八田の奮闘ぶりは、大人の目にも十分に感動的だ。

 ダムは今日も台南の緑生い茂る山間に満々と水を湛え、台湾有数の米作地帯の源だ。台湾総督府以下当時の日本が総力を挙げての大事業だったことが分かる。映画は地元金沢では上映済み。

 東京では、長崎県五島列島沖で米国の魚雷攻撃で戦死した八田の命日、5月8日からシネマート新宿で始まり、大阪、名古屋でも順次公開されるという。
[PR]
by sakura4987 | 2009-04-29 12:40


 (世界日報 2009/4/25)


 ロシアといえば、かつて共産主義の総本山であった。ソ連時代、徹底した宗教弾圧・反宗教教育が行われた。現在のロシア人は、少なくとも何倍も日本人より信仰心があると思われる。ソ連時代は「神を信じる」と言えば社会的に抹殺されたが、今では「神を信じない」と公言すれば選挙で勝てない。

 当初、「ロシア正教の復活は一過性の流行りだろう」との見方もあった。しかし、礼拝に出てみて、「これは信仰なしでは無理だ」と思うのである。なぜか?

 プロテスタントやカトリックの教会には椅子がある。しかし、ロシア正教の教会には椅子がなく、立って礼拝を受ける。礼拝は三時間ほど続く。祈りと聖歌が延々と続き、信者たちは十字を切りながら、ひたすら聴く。

 「……しんどい」

 不信心者の筆者は集中力が続かず、周りの人の顔を観察した。どの人も、恍惚としている。椅子に座っていれば美しい聖歌を聞き熟睡するところだが、立っているので眠ることもできず、トランス(恍惚)状態に入ってしまうのだろう。

 四月十八日から十九日にかけての深夜、ロシア正教で復活祭の礼拝が行われた。正教の総本山「救世主キリスト教会」の礼拝には、メドベージェフ大統領、プーチン首相も出席した。

 キリル総主教が「キリストが復活した!」と叫ぶと、全信者が「まさに復活した!」と大声で叫び返す。怖い者知らずのKGB男プーチンも、キリストの復活を喜ぶとは。
[PR]
by sakura4987 | 2009-04-29 12:39


 (産経 2009/4/25)


 知り合いの60代の韓国人が「わが国の左翼の大罪」として次の5つを挙げていた。(1)反米を言いながら息子、娘は米国に留学させている(2)北朝鮮をほめながら北朝鮮には絶対住みたくないと思っている(3)金持ちを非難し貧乏人の味方と言いながら自分はいい生活をしている(4)他人には道徳性や潔癖を求めながら自分は女性問題でいいかげん(5)教員労組・「全教組」をほめながら自分の子供の担任には非労組の先生を望む-。

 なぜこの話になったかというと、盧武鉉前大統領の金銭疑惑で世論がわいているからだ。このところ左派・革新政権で庶民の代弁者として清潔が看板だった前政権のイメージダウンがはなだしい。

 反米的発言で話題が多かった盧武鉉氏自身、息子を米国に留学させていたし、今回の疑惑捜査では業者から夫人が100万ドルの外貨(米ドル)をもらっていた話や、還暦祝いに夫婦で時価1億ウォン(約700万円)もの高級輸入時計をプレゼントされていた話など続々、登場している。自分だけが清潔で正義だと自慢していただけに、その落差に世論は衝撃を受けている。

 偽善そのものということだが「5つの大罪」のうち(5)のココロは、「全教組」の先生は受験教育に熱心でないから-というわけだ。北朝鮮がらみの(2)では最近、こんな話もある。自由奔放な言動で知られる進歩派の有名ロック歌手が「(北朝鮮の)ロケット発射成功を同じ民族の一員として祝賀する!」と発言し話題になっている。
[PR]
by sakura4987 | 2009-04-29 12:39


 (スポニチ 2009/4/27)

 http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090427063.html


 警察庁は27日、今年3月に国内で自殺した人は男性2234人、女性826人の計3060人だったと発表した。前年同月と比べ121人の増加。

 今年1―3月では計8198人となり、前年同期より309人多く、今年も3万人超のペースとなっている。

 自殺防止活動に役立てるため、警察庁は今年から毎月の自殺者数の公表を始めた。今月には例年より早く昨年一年間の総数を月別データとともに発表しており、原因や動機などの詳細は5月をめどにまとめる。

 警察庁によると、今年3月の都道府県別では東京が266人で最多。次いで大阪200人、埼玉175人の順。最も少なかったのは鳥取で14人。次いで高知22人、徳島、佐賀が23人の順だった。
[PR]
by sakura4987 | 2009-04-29 12:38


 (釜山日報-韓国語 2009/4/22)

 http://news20.busan.com/news/newsController.jsp?subSectionId=1010110000&newsId=20090422000064


 『鉄の踵』を書いた英国の小説家ジャック・ロンドンは露日戦争を取材するために1904年、朝鮮を訪問した。ソウルから義州につながる王道をたどりながら彼は道が道路と言うよりは水たまりに過ぎないと嘆いた。「馬を連れて行く人はまず馬が倒れて足を折らないように祈り、次にはその馬が自分の身体にのしかかって倒れないように祈らなければならなかった。」

 開花期の朝鮮を訪問した外人たちの誰もが文句を言ったのが道路だった。我が国を四回も訪れた英国王立地理学協会イザベラ・ビショップ女史は「道は普通、時間当り3マイルの速度しか出ないほど劣悪だ。夏ならほこりがたくさん舞い、冬にはどろだった。朝鮮の道路が朝鮮の発展を妨げる最大の障害要素」と言い切った。

 歴史学者カン・マンギルは朝鮮時代の道路がこのように発達しなかった理由を支配階層の統治方針に求めた。人口の移動がひんぱんに起きれば民を治めにくいし、農耕に携わる民が旅行ばかりしていれば労働時間を奪われ、道に沿って盛んな商行為をすれば、民たちの射幸心を育ててしまうという考えがあったという。(魅惑の疾走、近代の横断/パク・チォンホン) 

 不便だったが自然そのままだった朝鮮の道が新しい道路に変わったのは日帝強制占領期間の総督府の治道事業のせいだった。この事業には当時、ある新聞の社説が指摘したように「朝鮮人の血を吸い、懐を奪って行く」意図が隠れていた。

 ある郷土史学者が血の汗が滲むほどの努力で朝鮮時代の嶺南地域の主要幹線道路だった黄山道を捜し出したと言う。当時の村道や森林道はすでに国道と高速道路に押されて痕跡がどんどん消えている。新しい道路を基盤にして作られた人工的な経済空間が全地方的な弊害を育てる今、伝統的地理空間を結んだ「不便な」昔の道の再発見が何より嬉しい。
[PR]
by sakura4987 | 2009-04-29 12:37


 (中央日報 2009/4/22)

 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=114438&servcode=100§code=100


すがすがしい新緑の香りに包まれる春。新道に立ち並ぶプラタナスの新芽が眩しいほど鮮やかだ。

しかし、民衆の血と汗がにじんでいる韓国近代の道路の歴史を思い浮かべると悲しい気持ちになる。1906年に統監府は卓上に広げた地図に直線を引きはじめた。翌年▽大邱(テグ)-浦項(ポハン)▽木浦(モクポ)-光州(クァンジュ)▽群山(クンサン)-全州(チョンジュ)▽平壌(ピョンヤン)-鎮南浦(チンナムポ)--をそれぞれ結ぶ道路が建設されはじめた。

延べ741キロメートルにのぼる直線の大路が▽大韓帝国(1897年10月12日から1910年8月29日までの朝鮮の国名)の予算▽逮捕された義兵▽強制連行された農民--の血と汗で作られた。穀倉と鉱物の産地と、日本行きの輸送船が行き来する開港場を結ぶ、収奪の通路となったこの道は、当初から当地の人の便益とはかけ離れていた。

大韓帝国を植民地にした日本の帝国主義は、韓半島を恒久に支配するのを狙った。それから新道は行政と軍事の本拠を中心に、まるで「くもの巣」のようにきめ細かく敷かれた。市場と川の入り口や官庁と街を囲み、物資だけでなく人と人の間に温かい情が行き来した旧道は切断されてしまった。しかし、朝鮮(チョソン、1392-1910)王朝時代のかつての慣例を口実にし、見返りも提供しないまま、道路用地と労働力を搾取し、働かせた建設方法は、統監府時代と同じだった。「思い切って田んぼを買っておいたら、新道のど真ん中になった」「畑は壊され新道になり、家屋は壊され停留所となった」。命より大事な土地と家を奪われた農民の悲しむ気持ちを切々と訴える民謡のメロディーが涙ぐましい。

1936年3月2日付の東亜(トンア)日報は「道路改修工事への賦役(ぶえき)を撤廃せよ」と一喝した。新しい道が設けられれば、燃料と穀物を運ぶ農民の仕事を貨物車が奪っていくはずで、乗合自動車も中流以上が乗るだけなのに、道路の工事をそれらの賦役に頼るのは矛盾だ、ということだ。

35年の「三千里」(サムチョンリ、29年に創刊した大衆誌)3月号に掲載された李泰俊(イ・テジュン)の小説「木は植えておいて」の内容は、土地を奪われた後、急いでソウルへ向かう農民らの目に、新道がどう映っていたかをよく示す。

「長く途方もなく広い道。目に収められないほど遠くまで伸びた道。目だけでなく、足にも、心にも不慣れな道であった。電柱の電線がぶんぶん音を立てるのも、ホオジロやキジの鳴き声よりも途方もなく怖かった。自動車が通るときはもちろん、自転車がベルを鳴らしながら通りすぎるだけでも慌ててしまい、群がって道路の下に降り、えっちらおっちらと歩くだけだった」。「プラタナスの並木通りで道を尋ねる、荷物を背負った農夫(写真)も、自動車に道の中央を譲ったまま、様子をうかがいながら道路沿いを歩いたのだろう」

(写真=『モダンの誘惑、モダンの涙』、ノ・ヒョンソク著、写真:イ・ジョンハク、出版:センガゲナム)。

老婆が杖に頼って登ったくねった峠が懐かしく思える今日である。
[PR]
by sakura4987 | 2009-04-29 12:37


 (朝日 2009/4/26)

 http://www.asahi.com/international/update/0425/TKY200904250184.html


 日本の対台湾窓口「交流協会」が台湾人の対日意識に関する世論調査を行ったところ、約7割の人が日本に好感を抱いていることが分かった。戦前の日本による植民地統治や戦争の歴史が同様にあった中国、韓国と比べ、台湾の親日度がデータで裏付けられた形だ。

 同協会による台湾人の対日意識調査は初めてで、昨年11月から12月にかけて、約千人の男女を対象に実施した。「親しみを感じる」は69%に達し、「親しみを感じない」の12%を大きく引き離した。

 一般に台湾では、李登輝元総統に代表される、日本語教育を受けた70歳以上の高齢者世代の親日度が高いとされてきた。だが、「親しみを感じる」とした回答者は、20代が79%、30代が77%と、若い世代が最も親日的で、65歳以上は58%だった。

 「最も好きな国(地域)」を尋ねた質問では38%が日本と答え、米国(5%)、中国(2%)など他国を引き離し、「台湾」(31%)も上回った。

 日本のイメージは「経済力、技術力の高い国」がトップで「自然の美しい国」「きまりを守る国」「豊かな伝統と文化を持つ国」が続いた。交流協会は「想像していた以上の日本に対する好感度に驚いた。今後の日台関係に役立てたい」としている。
[PR]
by sakura4987 | 2009-04-29 12:36

◆拉致リボンマーク

e0006194_1365460.gif

[PR]
by sakura4987 | 2009-04-25 13:08


 (産経 2009/4/25)


 日本人とは何なのか。写真家の船尾修(48)は、アフリカやアジアの民族や風俗を撮影する過程で、そんなことを強く意識するようになったという。相手は日本人の宗教観や精神的な背景を聞きたがった。言葉を尽くすが、なかなか理解してもらえない。そのうち自分自身が日本人の心の源流をよく知らないことに気付いた。「写真は被写体と対峙(たいじ)する仕事。自分のことが分かっていないと、相手を撮れない」

 8年前、大分県国東半島に東京から移り住んだのは、そんな思いからだ。古代仏教文化が栄えた土地。旧跡の熊野磨崖(まがい)仏など石仏が多く、地元の神をあがめる民衆信仰、火をつけた棒を振り回す奇祭「ケベス祭」など独特の風俗が今も生きていた。「ここなら日本文化の基層が見つけられる」。レンズの向こうには、信仰や風習が混然一体となった生活があった。異なる価値観をも抱え込み、自然をおそれ敬う人々の暮らし。「要するにカミサマホトケサマ。“何でもあり”が日本人だと思った」

 掲載作の光景は、移り住んだ2年後の秋に出くわした。黄金色の稲穂の中に、デンと居座った大きな自然石。「収量は減るのに、岩をどかさない。何の変哲もない岩に神聖なものを感じているのでしょう」。五穀豊穣(ほうじょう)を願うご神体のような存在だろうか。異物とはとらえず、受け入れる。日本人の精神性の一端を、表しているようにも思える。(堀晃和)

                   ◇

 ■船尾修写真展「カミサマホトケサマ」

 5月24日まで東京・西新宿のエプソンイメージングギャラリー・エプサイトで。入場無料。無休。午前10時半~午後6時。独特の民衆信仰が今も息づく大分県国東半島の祭りや風俗、自然を収めたカラー作品80点を展示。TEL03・3345・9881。


e0006194_12551234.jpg

[PR]
by sakura4987 | 2009-04-25 12:53


 (産経 2009/4/24)


 ■一度断ったプロポーズ・結婚の決め手は「弱気」

 “血液のがん”とよばれる「悪性リンパ腫」を治療した元宝塚歌劇団花組トップスターで女優の愛華みれさん(44)。そばで闘病を支えたのは、スポーツ治療院を経営する男性(35)だった。今年1月、その男性と結婚した愛華さんは「めずらしく弱気になれたから結婚までたどりつけた」と語った。

 昨年1月にスポーツ治療院経営の男性にプロポーズされました。2月に、彼を家族に紹介したんですが、首のしこりが見つかったのは、その日。そのしこりが「悪性リンパ腫」と分かったときは、彼に迷惑をかけるのが嫌でね、「結婚は無理です」とお断りをしたの。でも、彼は「乗り越えるには僕が必要」と言ってくれました。

 放射線治療を毎日受けながら、8月の舞台に出演できたのは、本当に彼の支えのおかげでした。私の診察開始は午前9時で、舞台公演は11時。ぎりぎりのスケジュールをこなすために、彼はマネジャーと分担して送迎してくれたんです。車内で舞台化粧ができたから、楽屋では着替えるだけ。そのパターンで乗りきりました。

 当時は、治療の副作用で、吐き気はするし、やる気もでなくて。立ち上がれなかったこともありました。でも、彼は励ますようなことは一切言わず、負けず嫌いの私の性格を刺激するかのように「代役はいるから休めるよね」なんて嫌みを言ってくれた(苦笑)。だから頑張れたんです。

 新婚に向けての甘い会話はまったくなかったな(笑)。彼を不運に思った日もあって、「ごめんね。お気の毒」なんて、半分冗談、半分本気で言っていました。

         ■  □  ■

 宝塚のファンや家族には甘えたこともありますが、男性に甘えたことなんてなかった。悪性リンパ腫になる前は、車で送り迎えしてもらうなんて考えたこともなかった。強がって生きてきましたから。

 もともと人に弱さを見せるのが苦手でね。抗がん剤治療を受けていたときも、血管が細くてぼろぼろなのに、看護師さんに「痛い」と言うのも、笑いながらだから、うまく伝わらなかった。

 でも、真夜中に痛みをこらえて脂汗をかいてうずくまっていたとき、看護師さんに見つかっちゃったことがあって。看護師さんに「気がついてあげられなくてごめんなさい」と言われて泣いちゃいました。

 病院で、だんだん性格も理解されるようになると、申し送りに「笑ったり、唇がくっと上がっているときはかなり痛がっている。大声で明るく振る舞っているときは、もっと痛がっている。無言で空を見始めたら限界」と、細かく書いてくれるようになったんです(笑)。

              ■  □  ■

 だれかに「痛い」というだけでも楽になれるんですね。治療後に、ひとりで家で過ごすのと、だれかと会話して過ごすのとでは、体の痛さや苦しさが違う。悪性リンパ腫になってから、だんだん、わがままが言えるようになった気がします。

 毎日、自分が存在していることに感謝するようにもなりました。朝が来て、夜が来る。入院中は窓から時が移るのを見られるだけで、ありがたいと実感するようになって。5月の公演「きらめく星座」で「青空」を歌うんですが、悪性リンパ腫になってからは、青空にも感謝するようになりました。どんなときでも、生きていくすべはある。そして、ちょっとした思いやりや、温かい言葉で幸せは感じられるんですよね。

 こんなふうに話せるようになるには時間が必要でした。1年間の闘病生活を克服し、今年の元日、彼と一緒に婚姻届を区役所に出しました。今も病院に検査に行くときは、彼に同行してもらっています。悪性リンパ腫でめずらしく弱気になれた。だから、結婚にたどりつけたのかもしれません。
[PR]
by sakura4987 | 2009-04-25 10:06

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987