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◆【日本よ】石原慎太郎 花見の頃に



 (産経 2009/4/7)


 折から桜前線が日本列島を覆い世は春爛漫(らんまん)、人々はお花見に繰り出しあちこちで不景気の憂さ晴らしの乱痴気騒ぎもみられるが、年に一度咲き誇りあっという間に散っていく桜を目にもせずに過ごしてしまう口惜しさは日本人独特の心情だろう。

 もっとも花見酒に泥酔し救急車が連続繰り出すなどという風俗はいびつなもので、やはり桜と人間の関わりの表象はあの平家の公達(きんだち)薩摩守忠度の歌の心、

 『行き暮れて、木の下蔭を宿とせば、花や今宵のあるじならまし』

 というところだろうに。

 最近の日本人の民族的特性はかなり変化してきたような気もするが、折節の風物を目や耳にすることで季節を強く感じ取るという特性はまだまだ淘汰はされていないようだ。

 秋の虫たちの声にしても、他の民族はその音色の違いにさして敏感ではなしにただ虫のたてる雑音という認識で、鈴虫、コウロギ、キリギリスといった虫の音の違いを擬音で子供のための唱歌にまで歌いこむ民族はきわめて少ないようだ。花との関わりにしても同じことだ。

 日本ほど季節の変化の激しい国土は稀でその希少さが日本人独特の感性を培ってきた。人間の作る権勢の栄枯盛衰を眺めとる以前に、よりはかない自然のうつろいを体得することでの無常観、そこから派生するもののあわれといった日本人独特の感性は、小さな変化の中にその背後に在る巨きな変化を察知する発想や思考をも育て、世界で最短の詩型である俳句や短歌をも生み出しもした。

 そしてさらにミクロの中にマクロを見出だす思考法は、電子工学や原子物理学といった分野での日本人の秀でた業績にも繋(つな)がっていく。

 数学の世界で世界的な業績を残した岡潔氏が、ハルトークスの残した数学での難問の多くをわずかな時間で解いてしまったのは、岡氏自身の述懐だと芭蕉の俳句の研究に没頭し、芭蕉が名句をものしたとほぼ同じ季節を選んで『奥の細道』を旅して、芭蕉が眺めたと同じ風物を同じ季節同じ時刻に眺め彼の名句を観賞したことによるそうな。

 それにしても桜満開の季節ともなれば、私たちの周りにかくも多くの桜の木があったのかということに改めて気づかせられる。桜は思いがけぬほど多種類あって、寒桜から始まって桜の花のトリともいえる八重桜まであるが、日本人の好みはやはり染井吉野ということだろう。

 兼好法師の『徒然草』にも「八重桜は異様のものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん」とあるが、桜の一種にしてもあの妙にぼてぼてとした花の風情は日本人の感性にはうとましいような気がする。

 清少納言の『枕草子』の中に、ある年の春、当時の宮中での何かの催しの折に、桜の大枝をばっさり切りとって大瓶にそのままざっくり生けてある風情が素晴らしいともある。

 しかし今日日本を席巻している染井吉野は決して古来の品種ではなしに、江戸の末期今の東京の豊島区の染井村に割拠していた造園師たちが工夫交配して作り出した桜としての新種だということは案外知られていない。

 この桜の新種は花だけが葉に先んじて咲きそろうことから見栄えもよくたちまち人気となり日本中に広がっていった。「もう葉桜になってしまった」という表現もこの花から来たような気がする。

 この桜の新種が桜として正式に認知登録されたのは明治時代に入って普遍しだした西欧文明の影響でだろう、学問としての植物の分類の流れの中で明治三十三年に出た『日本園芸雑誌』なるものの中に桜の品種の一つとして初めて登録された。

 それから染井吉野桜はあっという間に日本中に広がりあちこちに桜の名所が出来上がったが、それは染井吉野の木の成長の早い特性に負うたものだろう。と同時にこの桜にはハンディキャップもあって数百年の古木にもなる山桜や江戸彼岸桜に比べ一般に木の寿命がいかにも短い。

 桜といえば本居宣長の有名な、

 『敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花』

 という歌の桜もあくまで山桜であって、今日人口に膾炙(かいしゃ)している染井吉野桜ではない。

 ということなら、宣長が現代の桜の満開を眺めたならどんな感慨を抱いたことだろうか。ちなみに山桜は花と葉が一緒に開き、花の色も現代の染井吉野に比べて淡く白いが。

 日本人の花好みといえば当然桜ということになりそうだが、しかし日本人の民族的本質を捉えた名著、ルース・ベネディクトの『菊と刀』では日本人の特性を表象する花はむしろ桜ではなしに菊だとされている。

 ベネディクトは日本との戦争を予期した当時のフランクリン・デラノア・ローズベルト大統領に依頼されて日本人の分析を行い『菊と刀』という表題で提出した。ローズベルトの伯父(おじ)のセオドア・ローズベルトは日露戦争の終結に肩を入れた日本贔屓(びいき)だったが、その甥の彼は日本ならびに日本人についてさしたる知識を持ち合わせていなかった。

 高貴な美術品としてもまかり通る切れ味するどい日本刀は世界に稀なるもので、それはかつての日本人の恥を恐れて嫌い、名誉のためには命をも惜しまぬ特性の象徴であり、秋に咲く菊の花こそがその清楚なたたずまいとさわやかな香りで日本人の気骨を表象していると。

 こうした認識を時代をさかのぼればのぼるほど、外国の識者は日本人について持っていたのだった。二千五百年前に中国大陸で教えを説いた孔子は、自分の教えはこの国では広まるまい、海の向こうの蓬莱(ほうらい)国(日本)でこそ可能だろうと慨嘆したと弟子の子路が記している。

 十九世紀末世界を旅行し支那を経て日本にやってきた、あのトロイの発掘者シュリーマンは、他のアジアの国の人々に比べて、日本の役人だけは賄賂を求めず贈り物を拒み、他の者たちも仕事に手抜きせず勤勉で全く異なるとその旅行記で絶賛している。 

 がさて、今日の我々は世界が狭小となって他国との比較が容易となり、かつまた世界全体に画一化が進む中で、かつての日本人が受けたような評価をうけることが出来るのだろうか。

 この国の風土がもたらした民族としての独特な感性、特殊な能力を今日我々は自らの手で摩滅させつつあるような気がしてならない。桜より菊を好めというつもりはないが、お花見なり菊見なり、季節の風物との日本的な触れ合いの中でこそ私たちは保ち蘇らせなくてはならぬものを感じとるべきに違いない。
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by sakura4987 | 2009-04-08 09:41

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