◆[社説]心に刻むべき臨時政府の精神
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2009041476538
APRIL 14, 2009 11:15
大韓民国臨時政府樹立90周年の13日、韓国内外で一斉に記念式が行なわれた。政府は、臨時政府主席の金九(キム・ク)先生を称える記念式をソウル南山(ナムサン)白凡(ペクポム)広場で行なった。上海とロサンゼルスでは、独立有功者の子孫や移民が集まり、先烈の前で頭を下げた。愛国の先祖らが、90年前に国を取り戻すため、異国に建てた臨時政府の精神は継続し、今日世界10位圏の経済大国に成長した大韓民国の生きた歴史となった。憲法の前文に明示されたとおり、大韓民国は、臨時政府の法統を受け継いでいる。昨年の建国60周年で、光復(クァンボク、日本支配からの解放)と建国をめぐる論議が起こったが、臨時政府の精神と光復と建国は、切り離せない線上にある。李明博大統領は、記念のあいさつで、「臨時政府は、大韓民国の国号を作っただけなく、民主共和制の枠組みを作り、光復後の建国の土台を作った」と強調した。臨時政府は、光復と建国の土台となり、建国後に国民が作り上げた歴史は、臨時政府と同様、誇らしいものだ。
臨時政府は、3・1独立運動の成果だ。臨時政府は、日本帝国主義の侵略者により、9年間断絶した民族政権を引き継ぐ亡命政府だった。韓国史上初の憲法に基づいた民主共和制政府であり、多数勢力の民族主義者と少数の社会主義者が、参加した統合政府でもあった。
臨時政府の愛国志士らは、1932年の尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が義挙した後、上海を離れ、重慶まで2万5000キロを移動し、日本帝国主義に対抗し血のにじむ闘争を続けた。中国の地ではあったが、国権を取り戻し大韓民国を建国するために、先烈らはすべてを捧げた。27年の臨時政府の歴史は、世界史に類例のない記録である。
先月、東亜(トンア)日報社と梨花(イファ)学術院の共同主催で、上海から重慶まで臨時政府の跡地を見てまわった独立有功者の子孫らは、熱い涙を流した。独立有功者の子孫らは、命をかけた先烈の独立闘争に敬意を表し、国のない時代に民族の自尊心を守った臨時政府に熱い愛情を抱いた。若い世代になるほど、臨時政府の歴史と精神がよく分かっていないようで残念だ。臨時政府への関心は、記念日だけではいけないだろう。
臨時政府の跡地が、中国の再開発の波に押され、近く消える危機にある。政府は、抗日闘争を韓中友誼の象徴と評価する中国政府を説得し、臨時政府跡地を最大限保存するよう努めなければならない。特に、若い世代が、臨時政府の足跡を訪れ、先烈の愛国心を学ぶプログラムを開発する必要もある。臨時政府は、大韓民国の誇らしい歴史であり、国民の生活の中に生きている「独立自強」の精神である。
【社説】臨時政府から90年…当時の愛国心を危機克服の礎に
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=114009&servcode=100§code=110
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今月13日で、中国・上海に大韓民国の臨時政府が樹立されてから90年になった。
臨時政府は1919年3月1日に行われた独立運動の精神を受け継いで、祖先が発足させた韓国初めての民主共和国政府であった。現在の憲法は「大韓民国が臨時政府の法統を受け継いだ」と宣言している。
実際「大韓民国の今日は臨時政府がその基盤を作った」としても言い過ぎではない。日本の圧制を処断した李奉昌(イ・ボンチャン)、尹奉吉(ユン・ボンギル)義士らの快挙はもちろん、光復(解放)軍を作って武力闘争を展開し、外交的に、国際社会が韓国の独立を認めるよう働きかけるなど、臨時政府は45年に日本帝国主義が降伏するまで、活発に独立活動を続けた。大韓民国という国名も、臨時政府が定めたものだ。極度に厳しい経済状況の下、日本の執拗(しつよう)な追跡を避けつつ繰り広げた奮闘だった。
解放後も臨時政府の要人らは信託統治に反対するなど大韓民国の独立を守るために努力した。90周年を迎え、各界で多様な記念イベントが開催されている。特に13日にはソウルと中国の上海、重慶、米国のロサンゼルスでもそれぞれ記念式典が行われた。ソウル記念式典で李明博(イ・ミョンバク)大統領は「臨時政府は大韓民国のルーツ」と明言し、臨時政府の基本精神となる「大同団結」を通じ世界経済危機を克服しよう、と呼びかけた。
この日、政府は国家に殉じた烈士の遺体約2万体を安置できる奉安所を作ると発表し、殉国の士6人の遺体を安置するなど愛国者をたたえる措置を取った。このように愛国精神をたたえるのは、高貴な愛国活動が現時点でも大切な意味を持つからだ。大統領が明言した通り、厳しさの中で国を取り戻すため自分のすべてを犠牲にした殉国の士の愛国心を見習うことができれば、現在の経済危機の克服にも大きな刺激剤となりうる。
こうした殉国の士の犠牲があったから、現在の韓国が存在するのであり、我々が殉国の士の犠牲を記憶し見習うことによって我々の子孫もこの地で繁盛できる、という点を再度肝に銘じなければならない。そのためには▽殉国の士の子孫に対する処遇改善▽愛国者が活動した現場の復旧と整備事業--により努めるべきだ。
苦難に立ち向かった独立闘争に献身するため、家族のために尽くせなかった愛国者の子孫の相当数が貧困を解消できず、経済的に厳しい状況にあるという点を、我々は恥かしく思わねばならない。埋められてから100年近くになる安重根(アン・ジュングン)義士の墓地探しなど臨時政府系列だけでなく、数多くの系列の独立闘士の発掘や研究もより一層強化すべきだ。
中央日報 Joins.com
2009.04.14 10:41:14
臨時政府樹立90周年:韓中米で記念式を同時開催
http://www.chosunonline.com/news/20090414000053
「一松亭の青松は年老いてゆけども…」
13日午前11時40分(現地時間)、中国・上海シェラトン・ホテル3階のグランドボールルーム。
李鍾鼎(イ・ジョンジョン)国家報勲処次長をはじめとする韓国政府の関係者や在外同胞、留学生ら600人余りが参加する中、大韓民国臨時政府樹立90周年記念式が行われた。
歌曲『先駆者』が厳粛に流れ始めると、現地に住む独立功労者の子孫20人余りが目頭を熱くした。今回新たに建国勲章愛国賞を受賞した故イ・ドンファ氏の娘・李義方(イ・イバン)さん(80)も、しばらくうつむいて涙を隠していた。
イ・ドンファ氏は、中国の南京で朝鮮革命軍事政治幹部学校の教官を務め、独立運動に情熱を注いだが、1934年に爆発事故で亡くなった。中国で生まれ育った李義方さんは、「かすかな父親の記憶が再びよみがえってきた。遅まきながらも祖国で父親の愛国心を評価してくれたことに、ただ感激するばかり」と語った。
「臨時政府の足跡探訪団」の参加者として会場を訪れたキム・ソンアさん(18)は、「金九(キム・グ)先生が活動した場所を見て回り、これほど厳しい環境の中で独立のために自分のすべてを奉げた方々がいたという事実に、胸が締め付けられる」と語った。
この日のイベントは、臨時政府樹立90周年に合わせ、臨時政府の主な活動拠点だった中国の上海・重慶、米国ロサンゼルス、そして韓国ソウルで同時に開催された。3カ国4都市の市民や現地在住の同胞、光復会会員、独立運動の足跡を訪ね歩いた高校生、独立功労者の子孫ら合わせて4000人余りが太極旗(韓国の国旗)を振り、臨時政府の法統をたたえた。
李明博(イ・ミョンバク)大統領はこの日、ソウル南山の白凡広場で行われた記念式に出席し、「臨時政府はまさにわれわれ大韓民国のルーツにして精神的土台だ。先烈が示して下さった大同団結の精神を模範とし、今の危機を先進一流国家建設のための機会として発展させなければならず、ゆくゆくは統一の時代を切り開いていく」と語った。
また韓国政府はこの日、1912年に日本が「朝鮮民事令」を制定し戸籍を作った際に戸籍への登載を拒否し、無国籍者として亡くなった丹齋・申采浩(シン・チェホ)氏ら独立功労者の遺族62人に、家族関係登録証書を授与した。
一方、国立ソウル顕忠院では、海外に埋葬されていた愛国志士の遺骨6柱(宋錫俊〈ソン・ソクチュン〉、崔能翊〈チェ・ヌンイク〉、イ・ジョンホ、チョン・ミョン、キム・ベクピョン、チャン・ヨンホ)の韓国への奉還式が行われた。遺骨は奉還式を終えた後、国立大田顕忠院に移された。
故国に葬られる愛国志士=13日、ソウル市銅雀区の国立ソウル顕忠院で、奉還式を終えた愛国志士の遺骨6柱が国軍儀じょう隊の査閲を受けている。その後、遺骨は大田の国立顕忠院へと移された。/写真=ホ・ヨンハン記者
上海=李衛裁(イ・ウィジェ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版