◆【ゆうゆうLife】病と生きる 女優、愛華(あいか)みれさん(44)(下)
(産経 2009/4/24)
■一度断ったプロポーズ・結婚の決め手は「弱気」
“血液のがん”とよばれる「悪性リンパ腫」を治療した元宝塚歌劇団花組トップスターで女優の愛華みれさん(44)。そばで闘病を支えたのは、スポーツ治療院を経営する男性(35)だった。今年1月、その男性と結婚した愛華さんは「めずらしく弱気になれたから結婚までたどりつけた」と語った。
昨年1月にスポーツ治療院経営の男性にプロポーズされました。2月に、彼を家族に紹介したんですが、首のしこりが見つかったのは、その日。そのしこりが「悪性リンパ腫」と分かったときは、彼に迷惑をかけるのが嫌でね、「結婚は無理です」とお断りをしたの。でも、彼は「乗り越えるには僕が必要」と言ってくれました。
放射線治療を毎日受けながら、8月の舞台に出演できたのは、本当に彼の支えのおかげでした。私の診察開始は午前9時で、舞台公演は11時。ぎりぎりのスケジュールをこなすために、彼はマネジャーと分担して送迎してくれたんです。車内で舞台化粧ができたから、楽屋では着替えるだけ。そのパターンで乗りきりました。
当時は、治療の副作用で、吐き気はするし、やる気もでなくて。立ち上がれなかったこともありました。でも、彼は励ますようなことは一切言わず、負けず嫌いの私の性格を刺激するかのように「代役はいるから休めるよね」なんて嫌みを言ってくれた(苦笑)。だから頑張れたんです。
新婚に向けての甘い会話はまったくなかったな(笑)。彼を不運に思った日もあって、「ごめんね。お気の毒」なんて、半分冗談、半分本気で言っていました。
■ □ ■
宝塚のファンや家族には甘えたこともありますが、男性に甘えたことなんてなかった。悪性リンパ腫になる前は、車で送り迎えしてもらうなんて考えたこともなかった。強がって生きてきましたから。
もともと人に弱さを見せるのが苦手でね。抗がん剤治療を受けていたときも、血管が細くてぼろぼろなのに、看護師さんに「痛い」と言うのも、笑いながらだから、うまく伝わらなかった。
でも、真夜中に痛みをこらえて脂汗をかいてうずくまっていたとき、看護師さんに見つかっちゃったことがあって。看護師さんに「気がついてあげられなくてごめんなさい」と言われて泣いちゃいました。
病院で、だんだん性格も理解されるようになると、申し送りに「笑ったり、唇がくっと上がっているときはかなり痛がっている。大声で明るく振る舞っているときは、もっと痛がっている。無言で空を見始めたら限界」と、細かく書いてくれるようになったんです(笑)。
■ □ ■
だれかに「痛い」というだけでも楽になれるんですね。治療後に、ひとりで家で過ごすのと、だれかと会話して過ごすのとでは、体の痛さや苦しさが違う。悪性リンパ腫になってから、だんだん、わがままが言えるようになった気がします。
毎日、自分が存在していることに感謝するようにもなりました。朝が来て、夜が来る。入院中は窓から時が移るのを見られるだけで、ありがたいと実感するようになって。5月の公演「きらめく星座」で「青空」を歌うんですが、悪性リンパ腫になってからは、青空にも感謝するようになりました。どんなときでも、生きていくすべはある。そして、ちょっとした思いやりや、温かい言葉で幸せは感じられるんですよね。
こんなふうに話せるようになるには時間が必要でした。1年間の闘病生活を克服し、今年の元日、彼と一緒に婚姻届を区役所に出しました。今も病院に検査に行くときは、彼に同行してもらっています。悪性リンパ腫でめずらしく弱気になれた。だから、結婚にたどりつけたのかもしれません。