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◆酷かった朝鮮の道が変わったのは総督府の治道事業のせい



 (釜山日報-韓国語 2009/4/22)

 http://news20.busan.com/news/newsController.jsp?subSectionId=1010110000&newsId=20090422000064


 『鉄の踵』を書いた英国の小説家ジャック・ロンドンは露日戦争を取材するために1904年、朝鮮を訪問した。ソウルから義州につながる王道をたどりながら彼は道が道路と言うよりは水たまりに過ぎないと嘆いた。「馬を連れて行く人はまず馬が倒れて足を折らないように祈り、次にはその馬が自分の身体にのしかかって倒れないように祈らなければならなかった。」

 開花期の朝鮮を訪問した外人たちの誰もが文句を言ったのが道路だった。我が国を四回も訪れた英国王立地理学協会イザベラ・ビショップ女史は「道は普通、時間当り3マイルの速度しか出ないほど劣悪だ。夏ならほこりがたくさん舞い、冬にはどろだった。朝鮮の道路が朝鮮の発展を妨げる最大の障害要素」と言い切った。

 歴史学者カン・マンギルは朝鮮時代の道路がこのように発達しなかった理由を支配階層の統治方針に求めた。人口の移動がひんぱんに起きれば民を治めにくいし、農耕に携わる民が旅行ばかりしていれば労働時間を奪われ、道に沿って盛んな商行為をすれば、民たちの射幸心を育ててしまうという考えがあったという。(魅惑の疾走、近代の横断/パク・チォンホン) 

 不便だったが自然そのままだった朝鮮の道が新しい道路に変わったのは日帝強制占領期間の総督府の治道事業のせいだった。この事業には当時、ある新聞の社説が指摘したように「朝鮮人の血を吸い、懐を奪って行く」意図が隠れていた。

 ある郷土史学者が血の汗が滲むほどの努力で朝鮮時代の嶺南地域の主要幹線道路だった黄山道を捜し出したと言う。当時の村道や森林道はすでに国道と高速道路に押されて痕跡がどんどん消えている。新しい道路を基盤にして作られた人工的な経済空間が全地方的な弊害を育てる今、伝統的地理空間を結んだ「不便な」昔の道の再発見が何より嬉しい。
by sakura4987 | 2009-04-29 12:37

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