◆「そうですね名人」の包容力
(産経 2009/5/20)
ちょっぴり恐れ多いが、ひそかに「そうですね名人」と呼ばせていただいている。
来月9日、将棋の「第80期棋聖戦」で木村一基八段(35)の挑戦を受ける羽生善治四冠(38)のことだ。インタビューや対談で質問を受けると、まず、「そうですねぇ…」とひと呼吸おいてから、答える癖がある。
昨年末の竜王戦。3連勝で史上初の永世七冠に王手をかけながら、渡辺明竜王(25)にまさかの4連敗を喫した羽生さんは、その直後に放送されたドキュメンタリー番組でも「そうですね」を連発していた。
われわれ凡人が、日常生活で乱発する「そうですね」は、いわば会話の潤滑油。たいていは何も考えていない。
羽生さんの場合、インタビュアーの質問が、仮にどんなに的外れなものであっても、いったんは「そうですね」と肯定的に受け止め、瞬時に頭をフル回転させ、極めて的確に、ときには質問を微妙に訂正しながら答えていく。
それは将棋の門外漢でも「なるほど!」と、ひざをたたきたくなるほどわかりやすい。しかも、羽生さんのすごいところは、自分の指した将棋以外の話でも驚くほど気さくに答えてくれることだ。
昨年7月、棋聖戦を逆転で制した直後、対局場のあった伊豆から東京へと戻る列車で羽生さんと隣り合わせた。その際、こちらの興味津々の質問にも、女流棋士たちの潮流から夫人の実家の話まで、「そうですね」を連発しながら、笑顔を絶やさない。
先のドキュメンタリーでは、竜王戦直後、改めて羽生さんにインタビューしていた。その中で、敗因を聞かれた羽生さんが、とても素直に「わからないんですよ。3日たった今も、どこが悪かったのか…」と答えていた。
日本で屈指の頭脳を持つ男が、人気を一身に集めるのは、恐ろしいほど高速回転する思考回路を包み隠す、素直とも繊細とも違う、このどこか突き抜けた包容力ではないかと思う。
もっとも、インタビューの最後、羽生さんは「そうですね」とは言わなかった。質問は「なぜ、渡辺竜王は勝てたのでしょうか?」。羽生さんは、このときだけ「えっ」と絶句し、「それは渡辺さんに聞いてください」とムッとした表情を見せた。
「そりゃ…そうですね」。テレビの前、代わりに答えておいた。

