◆【一筆多論】小林毅 自殺3万人と向き合う
(産経 2009/6/8)
政府機関などが定期的に公表する統計数値は、政治や行政が動く契機となる。もう10年ほども前になるが、警察庁が公表した平成10年の自殺者数は衝撃を与えた。前年の山一証券などの経営破綻(はたん)で表面化した金融危機が深まったこの年、自殺者は8400人以上も増え、3万2863人に達した。
その後、危機が収束し、景気が回復しても自殺者の目立った減少が見られず、国は対策に乗り出す。18年に自殺対策基本法を制定し、大綱をまとめた。それでも、自殺者が3万人を割ることはなく、昨年は3万2249人が自ら命を絶った。
昨年の自殺者のうち、遺書などで原因や動機が特定できる2万3490人を調べたところ、失業、就職失敗、事業不振など経済・生活問題による自殺は3割を超えた。世界経済危機の影響も大きいとみられ、今年はさらなる増加が懸念される。
警察庁の統計は、原因・動機を50項目以上に分類し、自殺者の心情をきめ細かくすくおうとする姿勢がうかがわれる。
それでも、統計には限界がある。「自殺者自身がどこまで本当の理由を遺書に認(したた)めるか」という根本的な問題はおくとしても、「就職の失敗」や「失業」に悩む人が多い中、なぜ彼らは死を選んだのかを探るには統計から踏み込まねばならない。
投身自殺が多発する和歌山県白浜町の三段壁で自殺志願者を保護し続け、自殺の際(きわ)まで追い込まれた人と数多く触れているNPO「白浜レスキューネットワーク」の藤藪庸一代表(36)は、今後、30代と60代の自殺が一段と増えるのではないか、と心配している。
「保護した30代の方から最近は目標がない、生きる意味がない、ということをよく聞く」。「職がない」「借金がきつい」など具体的な理由を語る他の世代に比べて、抽象的な話をする人が多いというのだ。
20代はアルバイト生活でも、お金があって、仲間がいれば楽しくやっていけたが、30代になると、周囲の目が厳しくなり、求人の内容も限られてくる。
「何かのきっかけで現実を突きつけられたとき、気持ちを奮い立たせるのでなく、もう自分は取り返しのつかない場所にいると考えてしまうようだ」。そして、生きる意味はないと決めつけ、あきらめてしまう。
一方、60代は家族のため、会社のためと懸命に働いた時期が終わるころだ。子は独立し、伴侶に先立たれることもある。
「すると『もう十分に生きた。自分で生きるか死ぬかを決められるのは人間だけ』といった哲学的なことを考え始める。生きるんだ、死にたくない、という感情を思想的なもので覆い、例えば病気になると、迷惑をかけられない、家族のために死ぬ、となってしまう」
なぜ、こんな考え方の人が増えているのか、性急な結論づけは避けたい。一人一人がこの問いかけに答える努力を続けなければならないものだからだ。
統計では捨象せざるを得ない、こうした思考の迷路をたどることが自殺との対峙(たいじ)には必要なのだろう。政治や行政が経済的・社会的安全網の充実を図るのはいうまでもないにせよ、「格差を生み、社会の荒廃を生んだグローバル経済が諸悪の根源」と切って捨ててみせても答えは出ない。