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◆【一筆多論】論説委員 石川水穂 今も残る沖縄戦の神話

[2003年04月07日 東京朝刊]

 イラクで米英軍とイラク軍の地上戦が続いているが、五十八年前、
沖縄で日米両軍の地上戦が始まったのも、ちょうど今ごろの時期だ。
米軍の第一陣は昭和二十年三月下旬、沖縄本島西の渡嘉敷島、座間
味島など慶良間諸島に上陸した。あの悲劇的な住民の集団自決が起
きた島である。多くの教科書にも書かれているが、必ずしも正確な
記述ではない。

 「日本軍にスパイ容疑で殺されたり、『集団自決』を強制された
人々もあった」
 「軍は民間人の降伏も許さず、集団的な自殺を強制した」
(日本書籍の中学歴史教科書)

 「県民の犠牲者のなかには、味方の日本軍によって殺されたり、
強制されて集団自決したりした人もいました」(清水書院の同)

 いずれも日本軍が集団自決を強制したとしており、文部科学省の検
定をパスしている。だが、事実は違う。集団自決は起きたが、軍はそ
れを強制していない。

 日本軍の命令で住民が集団自決を強いられた、とする説が独り歩き
するようになった発端は、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊さ
れた沖縄戦記『鉄の暴風』である。

 渡嘉敷島に米軍が上陸してから二日後の昭和二十年三月二十八日、
同島の恩納河原に避難していた住民に対し、守備隊の海上挺進隊第三
戦隊長、赤松嘉次大尉から自決命令が出され、住民三百二十九人が手
榴(しゅりゅう)弾などで自決した、と書かれている。

 昭和三十二年、旧厚生省援護局も現地で聞き取り調査を行い、日本
軍の命令による集団自決だったと認定した。集団自決した住民は準軍
属とみなされ、遺族らには援護法(戦傷病者戦没者遺族等援護法)に
基づく年金が支給されている。

 しかし、その後、作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決につい
て独自に取材した結果をまとめ、『ある神話の背景』(昭和四十八年、
文芸春秋)という本を出した。赤松大尉やその部下だった元兵士、同
島で生き残った住民たちからのインタビューなどで構成されている。
現在、絶版で手に入りにくいが、『鉄の暴風』の記述に初めて疑問を
提起したノンフィクションである。

 『鉄の暴風』は座間味島の集団自決についても、米軍上陸の前日
(昭和二十年三月二十五日)、軍が忠魂碑前の広場に住民を集めて玉
砕を命じ、住民五十二人が手榴弾で自決した、と書いている。当時、
同島を守備していた日本軍は海上挺進隊第一戦隊で、隊長は梅沢裕少
佐だ。

 しかし、集団自決のとき、女子青年団員だった宮城初枝さんは後に、
「梅沢少佐の命令はなかった」と告白し、そのことを娘の宮城晴美さ
んが『母の遺したもの』(高文研)という著書に書いている。

 昭和史研究所代表の中村粲・獨協大学教授は渡嘉敷・座間味両島の
集団自決について、当時の守備隊将校や集団自決の目撃者らに改めて
インタビューし、曽野さんや宮城さんの著書を学問的に補強する研究
を続けている。中村教授は「集団自決の犠牲者の遺族には手厚い援護
措置が必要だが、国が今も軍命令を前提としているとしたら問題だ」
と話す。

 先月末、その中村教授とともに、厚生労働省援護課を訪ねた。
「昭和三十二年の現地聞き取り調査で、軍命令によって集団自決した
という裁定を下し、犠牲者全員を準軍属として援護法の対象にした。
最近、一部報道などで、軍命令がなかったという話も聞いているが、
再調査はしない」(山内忠淳・審査室長)という回答だった。

 軍命令の有無は国の名誉の問題である。援護法適用の当否とは別に、
少なくとも歴史教科書の誤りは正す必要がある。
by sakura4987 | 2006-03-06 16:55

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