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◆【保守再考】西部邁(1)過去を顧みぬ独断的改革

 (産経 06・4・3)

 ドグマは「独断」の謂(いい)であるが、その元々の意味は「良いように思われること」をさす。まさしくその原義において、リフォーム(改革)をそれ自体として歓迎し賞賛してきた平成改革の世論と施策はドグマ以外の何物でもない。

 改革には改善と改悪の別があるということをわきまえぬままに改革を行い、それだけで何か良き結果がもたらされると思い込むのは、進歩主義という近代を毒してきた独断のみごとな見本にすぎない。

 改革とは「変化の創造」にほかならない。保守思想の最後の大立て者マイケル・オークショットが指摘したように、一般に、「変化によって失われるものは確実だが、変化によって得られるものは不確実である」。

 その不確実な分だけ、改革については漸進的であるのが良識というものだ。改革にたいしてできるだけ急進的であろうとするのは、改革者がみずからの感性と理性に完成を期待しているからである。それは十八世紀の「人間性の礼賛」を専らにした啓蒙主義の思想を延長したものである。

                  ◇

 近代の保守思想はヒューマニズムを疑い、それゆえ人々の単なる気分の高まりや単なる理屈の横行に背を向ける。

 近代保守思想の始祖エドマンド・バークがフランス革命を徹底的に批判したのはその意味においてである。革命とは、近代にあっては、社会全体にたいする構造的あるいは抜本的な改革のことだとされている。

 それは「改革のための改革」であって、結局のところ、社会全体を破壊する。バークが提唱したのはリフォーム・トゥ・コンサーヴつまり「保守するために改革せよ」という命題なのであった。

 何を保守するのか。国民の感性と理性を何とか健全なものにするための拠り所をであり、その最たるものは「国民の歴史的良識」である。

 何を改革するのか。改革騒ぎに現(うつ)つを抜かして歴史的良識を失っていく「国民とその政府」の現状をである。どんな価値判断も事実認識も、国民の歴史的良識に根差さなければ固定された観念の体系へと硬直していく。

 このことをわきまえているという点で、保守思想はごく健全な認識論に立脚している。

                  ◇

 近代において、多くの抽象的で普遍的な理念や認識がばらまかれてきた。しかしそれらの具体的で個別的な意味合を探ろうとすると、「国民とその政府」つまり「国家」の現実的な状況を参照せざるをえない。

 そしてその現実的状況を把握するには、国家の歴史について過去を想起し未来を展望するほかない。その意味において保守思想は、合理を拒否するのではないが、合理の前提や枠組は経験にもとづかなければならないと考えている。

 平成改革にあって、自称保守派までもが、アメリカ流の抽象理念や普遍認識に寄り添って、日本国家の現実的状況に構造改革や抜本改革を仕掛けてきた。それは、我が国の保守思想が死に瀕していることの証しである。
by sakura4987 | 2006-04-03 08:41

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