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◆世界に後れ取る日本の大学の危機

  語学含め教養教育の欠如憂える

【正論】国際教養大学理事長・学長 中嶋嶺雄  (産経 06・4・7)


≪知の世界のグローバル化≫

 大学入試のシーズンも終わり、新学期に備えて胸を躍らせている諸君も多いことだろう。だが、一方では入学定員の確保もままならず、国公立大学においてさえ、事務当局が追加合格の電話をかけまくったところも多かったはずである。

 本年は私立大学の約四割が入学定員を確保できなかったようであり、入試といっても本当の学力試験ではなく、名前を書くだけで合格するといったひどい状況も笑い事ではなくなりつつあるようだ。

 なぜこんなことになってしまったのだろうか。

 わが国には現在、四年制大学だけで七百十五校(国立八十七校、公立七十三校、私立五百五十五校)と大学の数が多すぎる半面、知の世界のグローバル化のなかで、国際的レベルで競争ができ、優秀な留学生が全世界からやってくるといった大学があまりにも少ないからでもある。第一、大学の新学期が四月からというのは、「サクラ文化」の日本の特性とはいえ、全く国際的な通用性をもっていない。

 そうしたなかで、シンガポールなどをトップランナーとして、アジア諸国も今や高等教育を重要な「輸出産業(優れた留学生を確保し、人材養成に資することで多額の収益を得られる)」として位置付けているというのに、高等教育をめぐるわが国の現状は、すでに見たように、憂慮に堪えない。明治維新以来、近代化に成功したわが国に学ぼうと、多くの優秀な若者がアジア諸国からやってきたときのような状況を忘れてはならない。


≪問題は現場の取り組みに≫

 思い起せば、中華世界からも孫文はもとより、康有為や梁啓超らの改革派、魯迅や郭沫若、周作人、夏衍らの学者や文人をはじめ、現代の政治家でも周恩来、蒋介石、寥承志、さらには台湾の李登輝らが日本に来て多くを学んでいるのである。

 わが国の大学が、研究機関としては有力大学がかろうじて国際レベルを保持しているとはいえ、教育機関としては国際レベルを大きく下回っていると実感できる理由をここで指摘してみよう。

 まず高等教育の中核としての大学院に関しては、これまで教育機関ないしは米国の博士号(Ph.D.)に相当する博士学位授与機関としての機能を十分果たしていなかったために、少なくとも人文・社会系の優秀な人材は、欧米のトップクラスの大学に行って学位を取得する傾向にあった。そこにおいて博士号を取得するまでの厳しい教育課程が、わが国の大学には概して欠如していたのである。

 わが国の将来を見据えた場合のこの点での危機意識から、文部科学省の中央教育審議会は昨年九月、『新時代の大学院教育-国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて-』と題する重要な答申を出した。私自身、大学院部会長としてかかわったこの答申は、初めて人社系、理工農系、医療系の各ワーキンググループでの個別的討議を重ね、さらに大学院部会や大学分科会での審議を経たものであるが、問題は大学・大学院の現場がいかに受け止め、対応するかであろう。

 次に高等教育の基盤をなすべき学士課程としての大学の学部が、ここでの大問題であるけれど、よく言われる学生の学力低下もさることながら、一九九一年の大学設置基準の改定(いわゆる「大綱化」)によって、一部の例外を除き、わが国の大学の学部から教養(リベラルアーツ)教育が消えてしまったところに、最大の問題があると私は考えている。

 教養教育の重要な一環としての外国語教育はもとより、個性的な自己発見のための学問的素養も身につけず、入学早々から専門教育の小部屋に閉じ込められる学生たちは、もっぱらスキル(技能)や資格の取得が大学での目的だと考えがちになっている。このような状況が支配的になってしまうとすれば、それはもはや大学の名に値しない。


≪動き始めた新たなる試み≫

 そうした状況下で最近は、英語教育と教養教育に伝統のある国際基督教大学(ICU)に加え、別府の立命館アジア太平洋大学(APU)や早稲田大学国際教養学部、上智大学国際教養学部などが、そして二年前には秋田に私たちの国際教養大学が新設されて、新たな挑戦を試みている。

 これらの大学は、英語で授業を行う「国際教養」という共通のコンセプトの下で、それぞれに個性的な大学づくりを目指し、全国から優秀な学生を集めている。日本の大学に真にグローバル化に対応する新しい動きが出始めていることにも注目したい。(なかじま みねお)
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by sakura4987 | 2006-04-08 09:34

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