◆教科書検定 高校はもうやめたら
http://www.asahi.com/paper/editorial20060407.html
に対する、ネットワーク会員さんの抗議文です。
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論説主幹殿
教科書問題について述べた貴社の社説には大きな矛盾があります。
4月7日の社説の中では「私たちは社説で『色々な教科書があったほうがいい』と述べ、検定はできるだけ控えめにすべきだ、と主張してきた」と言いながら、一方ではこれまで度々「私たちは『新しい歴史教科書』を学校で使わせるわけにはゆかないと言ってきた」という社説を繰り返してきました。貴論説委員室はこれほど矛盾した二種類の社説を読者にどのように説明するつもりですか。
朝日新聞は、特定の教科書を使わせないという、文科省の「検定」以上の恐ろしいことをしてきたのです。
この社説のように自分に都合よく言葉を操って「天下の公器」を騙る朝日に「ジャーナリスト宣言」は似合いません。宣言のコピーにある「・・・言葉は無力・・・」ではなく、「(朝日の)言葉は暴力」という言い方の方がふさわしいのではありませんか。
以上
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◆教科書検定 高校はもうやめたら
「ペットを家族の一員と考える人もいる」。この文章のどこが間違っているか、答えられる人がどれだけいるだろう。
「動物は家族ではない」が文部科学省の正解である。検定の結果、「家族の一員のように親密に思っている人もいる」と直された。
文科省は高校1年生が来春から使う教科書の検定の結果を発表した。その中で、こうした重箱の隅をつつくような修正が少なくなかった。
世界史や日本史、現代社会の教科書では、政府の見解や考え方以外は許さないという姿勢が目立った。
たとえば、イラク戦争について米国の「先制攻撃」という表現が消えた。「先制攻撃や予防攻撃に当たらない」と小泉首相が国会で答弁しているというのが修正を求めた理由だ。小泉首相の靖国神社参拝に対する福岡地裁の違憲判断も削られた。下級審であるうえ、違憲判断は判決の本論ではない、というのだ。
一方で、今の学習指導要領は教える内容を3割減らしたため、重要な項目が教科書から消えている。
生物Iの「進化」や数学Iの「統計」は、指導要領の範囲を超えるとして、前回の検定で削られた。今回の検定では、別枠の囲み記事などで「発展的学習」として書くことはできたが、どの教科書も載せなかった。小さな囲み記事ではとても書ききれないからだろう。
細かなところまで口をはさむ。政府の見解をきっちり書かせる。指導要領の枠からはずれることを許さない。なんとも窮屈な検定である。
私たちは社説で、「色々な教科書があった方がいい」と述べ、検定はできるだけ控えめにすべきだ、と主張してきた。執筆者が創意工夫をこらし、多彩な教科書をつくった方が、子どもたちにふさわしいものができると思うからだ。
とりわけ、高校生は学ぶ内容も程度もさまざまだ。大学に進む生徒もいれば、すぐに社会に出る生徒もいる。一方で、かなりの判断力を持つ年齢でもある。教科書を批判的に読む力を備えている生徒も少なくない。
何を教え、何を教えないか。指導要領と検定で教科書の内容に一律に枠をはめるやり方は、高校教育ではいよいよ現実にそぐわなくなってきた。
高校では指導要領は生徒が学ぶ最低基準にして、ゆるやかな大綱とする。教科書の検定は廃止する。そろそろ、そんな方法に改める時期に来ている。高校の検定をやめた後、その様子を見ながら、小中学校で検定の廃止を考えてもいい。
とんでもない教科書が出てきたらどうするのか。そう心配する人がいるかもしれない。
高校の教科書は有料で、学校ごとに選ぶことが多い。それぞれの教科書について教師や保護者らが読み比べて目をこらし、生徒にふさわしい教科書を選べばいい。そうすれば、教科書の内容をもっと充実させることにもつながる。