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◆漫画家・里中満智子 まさか、また「加害者」だけ?

 (産経 06・4・9)

 川崎市の小学生がマンションから投げ落とされ殺害された事件の犯人は、防犯カメラの映像公開がきっかけで自首した。朝刊に載った写真を見て「逃げられない」と悟ったという。

 犯人が捕まっても犠牲者の尊い命は戻らない。そのことで「防犯カメラは防犯の役には立たなかった」と述べる一部の声がある。もともと「防犯カメラ」を「監視カメラ」と言い、「国民一人ひとりの行動を当局がコントロールするものだ」と受けとめたがる人たちの見方だと思う。


≪「謝罪」聞くための訴訟≫

 外出すれば当然、人目に触れる。カメラの目も同じ「社会の目」としてとらえている私にとっては、街中の防犯カメラは安心材料の一つだ。今回の事件だって、もし防犯カメラがなければ、第三、第四の被害者が出ていたかもしれない。それでもまだ「防犯の役には立たなかった」というのは想像力の欠如ではないだろうか。プライバシーうんぬんなど言わず写真が公開されてよかった。

 「慰謝料」「損害賠償」という考えはギリシャ神話にも出てくる。金銭で贖(あがな)ってもらっても被害者の悲しみや苦しみは消えないが、加害者側からの「気持ち」は表現できる。「慰謝料」「損害賠償」の発想は人間社会の知恵ともいえる。

 七日付の社会面で、万引犯を追いかけて刺殺されたコンビニ店長の両親が、犯人に対して起こした民事訴訟で、東京地裁は「受刑者(犯人)に八千四百万円賠償命じる」とある。受刑者は刑事裁判では一貫して殺意を否認し、謝罪はしなかった。被害者の両親は謝罪の言葉を聞くためにも民事訴訟を起こしたという哀(かな)しい話だ。

 同じ面の記事によると、犯罪被害者の刑事裁判への参加は、法廷での意見陳述などにとどまっている。ベテラン裁判官は「刑事裁判は、被告の罪を確定して罰を決める手続きで、被害者の救済を目的としていない。民事は当事者間の争いとなるので、双方がルールに反しない限り満足できるように訴訟進行ができる」と話す、とある。

 別の事件の犯罪被害者遺族の声も紹介されている。「刑事裁判では被告の本当の動機がわからなかった」「納得するためには民事裁判を起こすしかないが、負担が大きい。犯罪被害者がもっと刑事裁判に参加できるようにしてほしい」と語ったとある。


≪「目には目」でがまん≫

 世界最古の法といわれているハンムラビ法典の中に、有名な「目には目を、歯には歯を…」という法がある。「目をやられた者には、加害者の目を差し出せ」というものだ。近代西欧社会的な考え方によれば、「やられたからやりかえせとは何事だ。だから昔の人間は乱暴だ」などと言われたりするが、実態はそうではない。

 ハンムラビ法典成立の背景には、おさまりきらない被害者の悲しみと怒りがあるのだ。目をやられた者にとっては、いくら犯人の目を奪っても、自分の目が戻ってくるわけではない。歯もまたしかり。肉親を奪われた者にとって犯人を何度死刑にしても気がすまない。愛する者の生命は、犯人の生命とはひきかえにならないのだ。

 だからこそ「復讐(ふくしゅう)」は何倍もの仕返しとなる。とどまることを知らない。そこでハンムラビ法典は言っているのだ。「目には目だけを、歯には歯だけを、やられたことと同じだけの罰を与えることでがまんしろ、それが人間の冷静さだ」と。

 犯罪者が罪を認め、考えを正し、心から謝罪し、態度でそれを示す。ならば罪を憎んで人を憎まず。われわれ人類は憎しみを乗り越える知性を築いてきた。だが被害者の哀しみを癒やすすべは後回しにされてきた。川崎市の事件の加害者の刑事裁判はどう決着がつくのか? まさかまた「加害者の利益だけしか考えない弁護士」がついたりして…。
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by sakura4987 | 2006-04-15 11:12

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