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◆【蒋介石日記】(1)広がる版図、深まる憂慮 崩れゆく国内安定策

(産経 06・4・17)

 東三省(満州)の冬空に国民政府の国旗である青天白日満地紅旗が一斉に掲げられたのは、一九二八(昭和三)年十二月二十九日だった。いわゆる「易幟(えきし)」(旗印を改める)の断行である。

 張学良が統一中国への合流を公然と示したこの日、蒋介石は日記に「中国はついに統一を告げた」と簡潔に記しただけだ。北伐を経た統一の完成を内外、とりわけ在満権益を握る日本に見せ付けるのに格好の演出だったはずであり、事実、張学良も、生前のインタビューで国旗の量産に気づかなかった日本の情報収集を「実にお粗末」と酷評しているほどだ。

 だが、版図の広がりと国民政府の内情を見比べて、蒋介石は憂色に包まれていたらしい。

 「今年もあと一日を残すばかりだ」。翌三十日の日記で、蒋介石はこの年五月に山東出兵した日本軍との間に起きた済南事件の「国恥」を悔いたうえ、「軍人の思想不統一」「共産党の策動」「国家分裂の懸念」「農民の困窮」「党内の不統一と党員の幼稚、不見識」を書き連ね、「前途の危うさを警戒せざるを得ない」と嘆息している。

 軍閥を排除して国内をほぼ統一した以上、蒋介石が取り組むべき課題は、関税自主権の回復と治外法権の撤廃要求を柱とする民族主義的な外交だった。

 また、革命政党の正統な指導者であるためには、孫文の描いた青写真の通り、「訓政」と呼ばれる国内政治の枠組みも仕上げを急ぐ必要があった。

 蒋介石の抱いた危惧(きぐ)は、年明けからの三年ほどで的中を重ねた。汪兆銘ら党内左派の実力者との衝突、閻錫山ら反蒋派軍人との壮絶な内戦(三〇年の中原会戦)、そして三一年十一月に「中華ソビエト共和国臨時中央政府」(江西省瑞金)の成立に至る中国共産党の武装抵抗である。

 三一(昭和六)年の「九・一八事件」、すなわち満州事変が起きた翌日の日記で、蒋介石は危惧の的中を再び悔いている。

 《昨夜、倭寇(日本の侵略軍)は故なくわが瀋陽の兵工廠を攻撃し、兵営を占領した。(中略)広東での反逆(胡漢民ら「広州非常会議」の反蒋活動)に乗じて内部分裂を図り、東省(満州)の侵略を狙ったのだ。内乱はやまず、反逆者に後悔の心なく、国民に愛国心はない。社会に組織なく、政府は不健全。かかる民族は理論的に今日の世界に存在し得ない》(三一年九月十九日)

 武力対決によって日本を排除する力がないと判断した蒋介石が、国際連盟への提訴でこの難局を乗り切ろうとしたことはすでに知られている。九月二十一日に南昌から南京に戻った蒋介石は、「幹部を集め、日本の東省占領をまず国際連盟と不戦条約加盟国に訴え、公理による戦勝をめざすよう訴えた」と記している。

 欧米列強を引き込むことで日本を抑えるこの策略は、最終的にリットン調査団の派遣をみるものの、蒋介石が外交協議の成り行きに一喜一憂する結果となった。

 「国民外交の名で各国、日本の国民と連絡し、公道を求めたい」(十月四日)とあまり現実的でない方法を考えたかと思えば、「この対日問題は戦闘の勝負ではなく、民族精神の盛衰と国家人格の存亡にある」(十月七日)と悲壮な決意をもらしたりしている。

 南京の中央党部(国民党本部)や考試院(人事院)には、共産党に扇動された学生デモが連日押しかけ、国民政府を軟弱として非難したことが日記に描かれている。

 高まるナショナリズムを背景に、蒋介石の「安内攘外」(国内安定優先策)を突き崩し、日中対立を先鋭化させる動きは、のちの西安事件に通じる伏線となってゆく。

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 初めて公開された蒋介石日記から、新たな記述を中心に蒋介石の素顔とその時代を探ってゆく。(米カリフォルニア州パロアルト 山本秀也)

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【蒋介石年表】       

 1887年 浙江省奉化県渓口鎮で出生

 1907年 軍人を志望して日本留学

   11年 辛亥革命に呼応して帰国。革命軍人となる

   24年 黄埔軍官学校(広州)校長に就任

   26年 国民革命軍総司令となり、北伐を開始

   27年 宋美齢と結婚

   28年 北伐終了。国民政府主席に就任

   36年 西安事件

   37年 日中戦争の開始。重慶遷都

   43年 カイロ会談

   45年 日中戦争終結を受け、重慶で「以徳報怨」演説。毛沢東と国共首脳会談

   46年 国共内戦。南京の国民大会で憲法制定

   47年 台湾で2・28事件発生

   48年 総統に就任

   49年 中華人民共和国成立。国民政府は台北に移転

   58年 ダレス米国務長官と会談、「大陸反攻」を実質放棄

   71年 国連脱退を声明

   72年 健康不安が強まり、蒋経国の後継準備進む

   75年 台北で死去

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 ■強権支配者の素顔に光

 米スタンフォード大学で公開された蒋介石の日記は、遺族から自筆の原本を寄託された同大学が、マイクロフィルム化した一次史料だ。原文の公開はこれが初めてだけに、中国と台湾に強権政治を敷いた支配者の素顔に光が当てられることが期待される。

 蒋介石の「日記」は、生前を含め一部が中国国民党を通じて研究者らに提供されてきた。昭和四十九年から本紙に連載された「蒋介石秘録」も、単行本第一巻の「資料・引用文献」が示すようにこうした提供資料に依拠している。

 これらの資料では、私生活に関する部分が削除されたり、加筆されたらしい記述もあった。総統を務めた蒋介石の権威や正統性への配慮であり、今回の公表分にも遺族の希望による墨塗り部分がなお一部ある。

 しかし、「日記」の筆写記録(一九一九年から欠落を含み三四年ごろまで)を保管している中国・南京の公文書館が、政治的な影響を懸念してか「非公開措置」(中国側の研究者)をとっていることなどを考えれば、日記原本の価値や公開の意義は説明を要さない。

 寄託された日記は、一九一七年から死去三年前の七二年まで。このうち一七年分は幼児期からの回想文であり、厳密には日記と呼べない。早期のものは水濡れなど汚損が激しいうえ、国民革命が本格化した二四年の資料は散逸している。

 今回の公表は、満州事変の起きた三一(昭和六)年まで。同大学では、台湾側から派遣された歴史専門家の協力でなおマイクロフィルム化を進めており、日中戦争や国共内戦、戦後の台湾統治にかかわる部分は、今後段階的に公表される。大学側では、同時に昨年寄託された息子、蒋経国の日記も、遺族の同意が得られれば将来的に公表したい意向という。(山本秀也)




◆中国統一異聞 張学良、北伐中の27年7月 既に国民党入党

(産経 06・4・17)

蒋介石日記で判明

 西安事件(一九三六年十二月)の主役として中国現代史に名を残した張学良が、中国統一をめざす北伐(二六-二八年)当時の二七年七月、まだ敵対関係にあった蒋介石率いる中国国民党に対し、ひそかに忠誠を誓い、入党していたことが判明した。このほど米スタンフォード大学で公開された蒋介石日記から明らかになった。

 張学良には、同事件の直前に中国共産党への寝返りを図った疑惑も最近の研究で浮上するなど、その政治的な節操のあり方をめぐり「英雄」という人物像が書き改められる可能性も出てきた。(米カリフォルニア州パロアルト 山本秀也)

 張学良が国民党政権(国民政府)への合流を公然と示したのは、奉天軍閥の巨頭だった父、張作霖が爆殺されたのと同じ二八年(昭和三年)の十二月だった。

 生前の証言で、張学良は合流直前に国民政府と連絡があったことは認めていたが、今回の記述はこれより一年五カ月前の時点で、中国統一の布石が打たれていたことを示した。

 問題の記述は、北伐が一時停滞していた二七年七月二十日に南京で書かれた。

 「易寅村、彭君が来訪、武漢、北京よりの忠誠伝達について話す。武漢の共産党はまもなく崩壊する。張学良も忠誠を伝達し、入党してきた」

 仲介役とみられる易寅村とは、のちに故宮博物院長を務めた易培基(寅村は字(あざな))のことで、軍閥の迫害を避けて北京から上海に逃れていた。「入党」が、党内手続きを経て承認を得たのかは説明がない。

 当時、張学良は、父の配下で北伐軍の北上阻止に当たっていた。この時点での国民党内通は、張作霖ら軍閥勢力にとり重大な離反行為を意味する。

 張学良は中国統一後の三五-三六年、東北軍を率いて西安を拠点に共産党の軍事掃討作戦を指揮したが、この中で今度は共産党に入党を求めた疑惑も出ている。

 これは共産党中央文献研究室室務委員を務めた高文謙氏が、米コロンビア大学で二〇〇四年二月に述べた。

 高氏は、三五年末に陝西省にあった共産党中央がモスクワのコミンテルンに対し、張学良の入党申請を報告して、その可否の判断を求めた電文をみたと発言した。高氏はモスクワが却下したと述べたが、共産党が独断で入党させたとの異説もある。

 張学良は三六年、督戦のため西安を訪れた蒋介石を拘束し、抗日救国に向けた挙国体制を要求。この西安事件を経て第二次国共合作が実現したものの、張学良は中国大陸と台湾で半世紀あまり軟禁され、〇一年十月にハワイで死去した。

 蒋介石の日記は、遺族から原本を寄託されたスタンフォード大学が、三一年分までを公開した。
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by sakura4987 | 2006-04-20 10:08

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