◆【正論】慶応大学教授・阿川尚之 新聞は自身への異論にも寛容たれ
「特殊指定」報道から感じたこと
≪実感とは異なる決議内容≫
いささか旧聞に属するが、ずっと気になっていたので書いておきたい。
三月十六日、那覇空港から羽田行きの機内で受け取った全国紙各紙は、日本新聞協会が「新聞特殊指定の堅持を求める特別決議」を採択したと、一斉に報じていた。
新聞は、憲法が保障する報道の自由を担い、国民の「知る権利」に寄与する。高い公共性を有する新聞に、販売店間の価格競争はなじまない。公正取引法上、新聞社が販売店に定価を指定する再販価格維持制度と、新聞販売店による定価割引の禁止を定めた特殊指定は一体である。
後者の見直しは前者を骨抜きにする。戸別配達網の崩壊は、多様な新聞を選択できるという読者・国民の機会均等の喪失につながる--これが決議の要旨である。
本決議の主張が正しいかどうか、私には判断する能力がない。しかしいくつか腑(ふ)に落ちない点がある。
第一に、販売店の値引きは事実上行われている。
昨年アメリカから帰国、新しいアパートに入居したとたん、某新聞の販売店からしつこく勧誘を受けた。
「取ってください。お願いします。予約だけでもいいです。サービスしますから」
必死の形相で、画面つきのインターホンを通じて訴える。あれは実質的な値引きのオファーだったと思う。
第二に、戸別配達がなくなると、国民は多様な新聞を選択できないのだろうか。
実は私自身、特定の新聞を購読していない。読む暇もない新聞がゴミになってたまるのがいやなのと、配達された新聞をアパートの一階まで取りに行くのが面倒なのと、両方が理由である。
新聞が読みたいときは、駅やコンビニで買う。新聞を定期購読しないために不自由を感じたことは一度もない。むしろ色々な新聞が読める。
第三に、新聞協会の決議に反対の主張が、ほとんど新聞で報じられない。
飛行機のなかで目を通した新聞に、特殊指定はやはり見直すべきだという主張は一つも見当たらなかった。
比較的淡々と事実を報じる産経新聞でさえ、「独禁法の専門家も『知る権利に応えるため整備された宅配制度が揺るがされる。(中略)慎重な議論が必要』としている」としている。
≪全党全紙が一つの違和感≫
私はこの問題に関するすべての報道に目を通したわけではない。新聞協会の主張に批判的な意見を紹介した記事があったかもしれない。
しかし、インターネットでその後の報道を見ると、「新聞特殊指定撤廃に民主議員懇が反対決議」(三月二十二日付朝日新聞)「公明党新聞問題懇、特殊指定維持を公取委に申し入れへ」(三月二十八日付朝日新聞)「志位・共産党委員長『見直しに反対』」(四月五日付毎日新聞)「新聞の『特殊指定』、社民も見直し反対を確認」(四月十一日付読売新聞)「新聞特殊指定見直しに反対意見相次ぐ・自民独禁法調査会」(四月十二日付日本経済新聞)など、特殊指定見直し反対の報道ばかり目につく。
産経新聞と朝日新聞、自民党、民主党、公明党、社民党、共産党がほとんどすべて意見を一つにするのは、新聞協会の主張が正しく世論の圧倒的支持を集めている証拠だろうか。そうかもしれない。
しかし、郵政民営化や女系天皇問題にだって、さまざまな議論がある。この問題にだけ異論が見当たらないのは不自然である。
見直しを主張する公正取引委員会の詳しい主張は、インターネットを探してようやく見つけた(http://www.jftc.go.jp/tokusyusitei/index.html)。
≪言論の自由にとり健全か≫
くりかえすが、新聞協会の主張に反対する記事がこれまで何回掲載されたか、私は確認していない。
しかし、そうした記事が容易には見つからなかったことだけは事実である。このことが、言論の自由にとって健全とは思えない。
ジョン・スチュアート・ミルは、その著書『自由論』のなかで、「反対論に誤りがあっても、通常幾分かの真理を含んでいるものである。多数意見もそのすべてが真理であることは、まずない。対立する意見がぶつかりあって初めて、真理の全体像が明らかになる可能性が生まれる」(筆者訳)と述べた。
言論の自由、報道の自由を何よりも重視する新聞人には、この言葉をかみしめてほしい。新聞協会の決議を批判する意見は掲載しないなどということが、万が一にもあってはならない。