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◆東京裁判「知らぬ」7割、20代では9割 本社世論調査

 (朝日 06・5・2)

http://www.asahi.com/politics/update/0502/002.html

 戦後の占領下、米国などの連合国が日本のA級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)の開廷から60年たち、この裁判の内容を知らない人が70%にのぼることが、朝日新聞社の世論調査でわかった。

 20代では90%を占める。知らない層ほど、靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に対する抵抗感は薄く、首相の靖国神社参拝についても反対が少なかった。

 一方、戦争の原因について日本人が自ら追及し、解明する努力がまだ不十分だと考える人は69%にのぼった。


≪東京裁判を知っているか≫

 戦後、日本が国際社会に復帰するにあたって前提となった東京裁判の内容が、国民に継承されていないという事実は、60年を過ぎてなお戦争責任の空白が問われる現状を映し出しているともいえそうだ。

 調査は4月15、16の両日、全国の有権者3000人を対象に面接方式で実施した。

 東京裁判の内容について、「よく知っている」が4%、「ある程度知っている」が23%に対し、「裁判があったことは知っているが内容は知らない」53%、「裁判があったことも知らない」17%で、合わせて7割が「知らない」と答えた。

 「知らない」は若年層ほど高く、「あったことも知らない」は、30代と40代で20%、20代では37%にのぼった。

 「知っている」人に裁判の印象を聞くと、「問題はあったが、けじめをつけるために必要だった裁判」が48%と最も多く、「戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた不当な裁判」34%、「戦争の責任者を裁いた正当な裁判」17%の順だった。

 東京裁判で裁かれた東条英機元首相らA級戦犯が、一般の戦死者とともに靖国神社にまつられていることについて、「抵抗を感じる」は31%で、「感じない」は63%。

 裁判の内容を「よく知っている」人では「感じる」が50%で、「感じない」46%を上回る一方、「裁判があったことも知らない」人では「感じる」が16%と少なく、「感じない」は75%にのぼる。「感じない」は若年層ほど高く、20代と30代では70%を超えた。

 首相の靖国神社参拝については、賛成が50%、反対が31%だった。反対は、合祀に抵抗を「感じない」人で19%(賛成は62%)、「裁判があったことも知らない」人で21%(同52%)と少ない。


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◆[東京裁判60年]「戦争責任糾明は国民自身の手で」

5月2日付・読売社説(1)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060501ig90.htm 

 日本の「現在」が、いまだに60年も前の「歴史」を巡って揺れている。1946年の5月3日に開廷した極東国際軍事裁判(東京裁判)をどう評価するかという問題である。

 東京裁判では米英ソを中心とする「連合国」が、いわゆるA級戦犯として28人を起訴し、公判中に死去した被告などを除く25人を有罪とした。

 このうち東条英機・元首相ら、絞首刑に処された7人を含む14人が靖国神社に合祀(ごうし)されている。その靖国神社への小泉首相の参拝が、内外に摩擦を生じている。

 東京裁判には少なからぬ疑問もつきまとう。例えばA級戦犯の選定基準。中には、開廷直前にソ連の要求により被告に追加された重光葵・元外相もいた。重光氏は、戦後、外相に返り咲き、死去に際しては国連総会が黙祷(もくとう)を捧(ささ)げている。

 日米開戦回避のため苦闘し、戦争末期には早期停戦に努めた東郷茂徳・元外相なども含まれていた。

 東京裁判では、裁く側の“資格”にも問題があった。

 判事席・検事席にいたソ連は、第2次大戦の初期、「侵略国」として国際連盟から除名された国である。しかも、日ソ中立条約を破って参戦、60万人の日本兵捕虜らをシベリアに拉致して、数万人を死亡させる理不尽な国際法違反の“現行犯”を継続中だった。

 同じく「日本の侵略」を裁いた英仏蘭も、アジア「再侵略」の最中だった。オランダがインドネシア独立軍と停戦協定を結ぶのは、東京裁判判決の翌年、49年だ。フランスは、54年の軍事的大敗までベトナム再侵略を諦(あきら)めなかった。

 「連合国」による“戦犯”選定基準、東京裁判の枠組みの妥当性をも、検証し直す必要があるのではないか。

 とはいえ、あの無謀な戦争で300万人以上の国民を死に追いやり、他国にも甚大な被害を及ぼした指導者たちの責任は、極めて重い。だれに、どの程度の責任があったのか。

 終戦直後には、日本自身の手で戦争責任を糾明しようとする動きもあった。東久邇内閣の戦犯裁判構想、幣原内閣の戦争調査会などだ。日本自身が裁いたとしても、東条元首相などは、まちがいなく“有罪”だっただろう。しかし、いずれも「連合国」によって妨げられた。

 読売新聞は、現在、あの大戦にかかわる戦争責任の検証企画シリーズを続けている。読者の関心の高さは予想以上で、毎回、多数の電話、手紙、メールが寄せられている。

 引き続き、密度の濃い検証作業を続けて、読者の期待に応えたい。






◆開廷60年 東京裁判を知ってますか

【朝日社説】2006年05月02日(火曜日)付

 日本の戦争指導者を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷してから、3日でちょうど60年になる。

 米国などの連合国が日本の侵略戦争を断罪し、政治家や軍部の責任を問うたこの裁判は、2年半に及んだ末、25人が有罪とされ、東条英機元首相ら7人が絞首刑になった。

 この7人に加え、判決前の病死や服役中の獄死を含め、14人がのちに戦死者とともに靖国神社に合祀(ごうし)された。小泉首相の靖国参拝で議論になるA級戦犯とは、この裁判で裁かれた指導者のことだ。

 ここ数年、首相の靖国参拝と絡めて裁判の正当性を問い直す声が出ている。

 東京裁判に批判があるのは事実だ。後からつくられた「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で裁くのはおかしいという指摘がある。原爆投下など連合国側の行為は問われず、判事団は連合国側だけで構成された。被告の選定基準はあいまいで恣意(しい)的だった。

 一方、評価もある。日本軍による虐殺や関東軍の謀略などが裁判で初めて明るみに出た。ナチスを裁いたニュルンベルク裁判とともに、戦争というものを裁く国際法の流れの先駆けともなった。

 こうした否定、肯定の評価が入り交じった東京裁判をどう受け止めるべきなのか。戦後に生きるわれわれにとって難しい問題であるのは間違いない。

 はっきりしているのは、政治の場で裁判の正当性を問い、決着を蒸し返すことの現実感のなさである。

 あの裁判は、戦後日本にとって二つの意味で線を引く政治決着だった。

 国際的には、51年のサンフランシスコ平和条約で日本は東京裁判を受諾し、国際社会に復帰を果たした。平和条約は締約国の対日賠償を基本的に放棄することもうたい、それとセットで日本は連合国側の戦後処理を受け入れたのだ。

 国内的には、A級戦犯に戦争責任を負わせることで、他の人を免責した。その中には、昭和天皇も含まれていた。

 裁判は不当だという立場を貫くなら、あの戦後処理をやり直せと主張するに等しい。講和を再交渉し、米国をはじめ世界の国々との関係も土台から作り直す。そして戦争犯罪は自らの手で裁き直す。

 こんなことが果たして可能なのだろうか。裁判の限界を歴史の問題として論じることはいい。だが、言葉をもてあそび、現実の政治と混同するのは責任ある政治家の態度とは思えない。裁判を否定したところで、日本の過去が免責されるわけでもない。

 朝日新聞の最近の世論調査で、驚くような結果が出た。聞かれた人の7割、とくに20代の9割が東京裁判の内容を知らなかった。そして、東京裁判や戦争についての知識の少ない人ほど、今の靖国神社のあり方を是認する傾向がある。

 歴史を知らずして、過去を判断はできない。まずは歴史と向き合うこと。東京裁判60年を機会に、改めてその重要性を考えたい。
by sakura4987 | 2006-05-03 11:17

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