◆ウソを放置する生物教科書
京都大学名誉教授 渡辺 久義
唯物論的出発点が原因
「進化」の言葉の曖昧さ利用
進化論以外の観点は許されず
「マルクシズムと同じく、ダーウィニズムも自分の頭で考えないように人々を教導する解放神話である」という、インテリジェント・デザイン(ID)運動の生みの親ともいうべき法学者フィリップ・ジョンソンの言葉を、以前この欄で紹介したことがある。
ID唱道者たちは、IDを教室に持ち込むより、まずダーウィン進化論をしっかり学ぶ(教える)べきだというスタンスを取っている。
この良くも悪くも我々の文化の体質を作っている大思想を、長所短所ともども、ごまかさないできちんと教えようと言っているのだから、これに反対する理由はないはずである。
これに必死に反対するということは、よからぬ理由があるのだと考えざるをえない。
この観点からわが国の生物教科書を調べてみると、いろんなことが分かってくる。私が見ているのは数種類の高校用「生物Ⅱ」であって全部ではないが、池田清彦『新しい生物学の教科書』(新潮文庫)を参照しても、ほぼこれで全体を判断してもよさそうである。
生物教科書は「進化」という一章を設けてかなり詳しく説明することになっているようであるが、周知のように教科書では、いわゆる進化論以外の観点からの論述は許されていない。
まずこのことによって、一つの説を相対化してみることができないようになっている。進化論者はいきり立つ前に、一つ冷静に読んでいただきたい。
執筆者の一人ひとりは誠実な方たちであろう。しかし彼らは進化論という「体制」の中で、ほぼ決められたことを書かなければならず、それに進化論者といえども心からこれに納得して自信をもって書く執筆者はまずいないだろうから、論述はおおむね曖昧で不誠実で説得力のないものになっている。
有効性否定される実験も掲載
「現在地球上に見られる多様な生物は進化の産物である。一五〇年以上の長い期間にわたる研究のすえ、進化の証拠やしくみについては、多くのことがわかってきた。」(東京書籍、二〇〇五年)
全体を通して言えることだが、これは「進化」という言葉の曖昧さを利用した文章である。進化を単に「時間をかけての変化、多様化、複雑化」と取れば、最初の文章に反対する者は誰もいない。
しかし後の文章の進化は「共通先祖からの変化を伴う血のつながる系統」というダーウィン説の進化の意味であろう。これが「わかってきた」と正直に考えている学者がたくさんいるとは思えない。
しかも、いわゆる「系統樹」自体に疑問が投げかけられている事実は、ここでもどこでも伏せられている。
「この実験[ミラーの実験]により無機物から有機物の合成が無生物的に行われることが証明された。生命が誕生する以前の有機物質の生成過程は化学進化とよばれている。」(同)
この実験自体の有効性が、ほぼ否定されているという事実が伏せられているばかりでなく、これは必要条件と十分条件の区別をなしくずしにするという非科学的な方向へ学生を誘導するものである。
「モナリザ」が誕生するためには、絵具とカンバスとそれに働くエネルギー(腕の力)がなければならないが、それさえあれば「モナリザ」が生まれるわけではない。
こういった教科書記述を、何かわからぬがおかしいと感じている高校生諸君は、私たちの開設するHP(www.dcsociety.org)の、生物学者ジョナサン・ウエルズによる「不適者生存――教科書に生き残ったニセモノ」(原題Survival of the Fakest)という記事を一度読んでみていただきたい。
これはアメリカの生物教科書の批判であるが、ほとんどすべてわが国の教科書にあてはまる。
あっと驚くような数々の欺瞞、それが欺瞞とわかっていながら長く放置されてきた事情、なぜそんなことが生物の教科書で起こっているのか、何が根底に働いているのか。
この疑問は限りなく我々の思考を刺激する。これこそ学問の活性化につながるものである。
不適切な例証を重ねる教科書
まず「オオシモフリエダシャクの工業暗化」という写真つきの定番の記事。これはウソであることがはっきりしているのだから、池田氏も言っているように、即刻、記載を中止すべきものである。
その根拠は、同じHPに訳されているウエルズ博士の、厳密に論証された「オオシモフリエダシャク再考」という論文一本で十分だと私は考える。
ウエルズ氏はこの論文を「学生を愚弄してはならない」という一文で結んでいる。この例や、これもお決まりのダーウィンフィンチの(欺瞞あるいはごまかしの)記事などは、二重三重の欺瞞だと言ってよい。
そもそも、フィンチのくちばしの大きさに、旱魃や雨の戻りによってわずかの変動が生じたり、シモフリ蛾の羽が黒くなったり白くなったりするのは、進化とは関係なく、おそらく「小進化」でさえない。
生命を唯物論的に解明しようという出発点が間違ったために、次々とウソを重ねなければならないダーウィニズムの宿命が、生物教科書にはっきり現れている。
(わたなべ・ひさよし)
(2006年5月1日)