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◆放送局買収で憂う、金が全ての風潮


求められる正しい見識と高い志  筑波大学名誉教授・村上和雄 平成17年3月19日(土)

≪心に響き強く胸打つ放送≫

 私が強い感動を受けた番組がある。「『ただいま』を聞くまで…母、横田早紀江の祈り」という番組である。これは、平成十五年度の「放送文化基金賞」のラジオ部門に選ばれたニッポン放送の特別番組である。この賞は、すぐれた放送番組や放送文化・技術に贈られるものである。

 この番組の内容は、横田めぐみさんの母、早紀江さんが、娘が拉致された日からの回想を静かに語っている。娘を奪われた二十六年間の、悲しみや苦悩との戦いを取り上げたものである。

 ラジオから静かに流れてくる早紀江さんのことば、「自分の命にかえても娘を取り戻したい」という母のせつない気持ちが、痛いほど心に深くしみ通ってきた。

 テレビの「映像」と違って、ラジオの命は「ことば」であり、目でなく心に訴えてくる。その結果、この番組は私の研究そのものにも大きな影響を与えた。

 私は現在、「心と遺伝子研究会」を組織し、心の働きが遺伝子のスイッチのオンとオフにどのような影響を与えているかの研究を始めている。

 私の仮説は、感動、喜び、楽しみなどの良いストレスは良い遺伝子のスイッチをオンにし、苦しみ、悩み、恐怖などの悪いストレスは悪い遺伝子をオンにして体調を悪くするというものである。

 現在、笑いと遺伝子のオン・オフの関係について興味ある結果が出つつある。しかし、早紀江さんの番組を聴いて私の仮説が不十分であることを知らされた。

 私の仮説によれば、早紀江さんは、娘が突然行方不明になったという大変悪いストレスにさらされたとき、悪い遺伝子がオンになり、体調が悪くなっても不思議ではない。

≪凛とした正義の通る国に≫

 早紀江さんの番組から伝わってくるのは、娘をぜひ取り戻したいという思いだけでなく、この事件を契機にして、「日本の国を凛(りん)とした正義の通る国家にしたい」という熱い思いがひしひしと伝わってくる。私は心の底から感動した。感動しただけでなく、私の説が不十分であることを知らされた。

 あれほどの悪いストレスにさらされて、体調を悪くされたこともあっただろうが、それを克服し、素晴らしい人になり、他人に感動を与えておられる。たとえ悪いストレスにさらされようと、高い志があればよい遺伝子がオンになることを教えられた。

 さらに「いのちの尊さを説くには、命がけなのです」という早紀江さんの言葉も、私にはこたえた。私は生命科学の現場から、生命の尊さを説いているつもりだ。しかし、「毎日、命がけなのか」と問われると恥ずかしい限りである。

 放送で一番大切なことは、どのような理念で、どのような番組を作るのかが大切なのではないか。

 放送倫理基本綱領には「民間放送は、公共の福祉、文化の向上、産業と経済の繁栄に役立ち、平和な社会の実現に寄与することを使命とし、法と秩序を守り、国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る」と記されている。

 放送にたずさわる人、特にそのトップに立つ人は、この綱領の基本精神を守るという正しい見識と高い志が必要ではないか。

 放送企業は単なる金もうけの手段ではない。会社の時価総額だけが企業価値であるがごとき理念のリーダーが、放送企業を支配することは日本の将来にとって危険である。

≪資本の論理超す価値観も≫

 いま、ニッポン放送に対して行われている買収が、市場の論理ということのみで取り上げられている。

 今回のライブドアによるニッポン放送株の大量取得にともなう放送支配の動きは、一放送局の問題にとどまらず、日本社会の将来を左右する大きな問題ではないかと危惧(きぐ)している。

 ライブドアの大量株の買い占めに対抗したニッポン放送の新株予約権の発行は認めない-という東京地裁の決定が出た。現在、その是非が東京高裁で争われている。この中で今回の措置が、企業価値の向上につながるかどうかが最大の論点のようである。

 しかし放送は、ただ番組を電波で送ることだけではなく、その内容が重要であり、情報には情けや人を思いやる心が大切である。

 私は資本主義社会において、資本の論理や金の重要性は認めるが、それよりももっと大切なものが人間の幸福には必要であると考えている。

 今回の問題に関しても、日本人固有の素晴らしい文化・価値観あるいは倫理観という観点から見る必要がある。


◆◆◆ 【産経抄】  平成17年3月19日(土) ◆◆◆

 今週、大手企業の中で一足早く、イトーヨーカ堂の入社式が行われた。新しいことへの期待と不安、春という季節は、ときに胸苦しい。高揚した新入社員の表情に、彼らがこれからどんな会社人生を送るのか、幸多かれと応援したくなる。

 遠い昔、会社に入ってから、ここは「私の会社」と思ってきた。愛社精神と胸を張れるほどのことではなく、もっと単純な思い込みだ。自分の席があって、仕事がある。そして一緒に働く人がいる。もちろん、利益を生むため何ができるか、という厳しさも徐々に理解するようになったが。

 以前、青色発光ダイオード(LED)の発明対価をめぐって、六億円で会社と和解した研究者が「米国ではやればやるだけ報われる」「日本は適当にやる人には向いている。一長一短です」と怒りをぶちまけていた。

 待遇のひどさを知った外国の研究者から「スレイブ(奴隷)」と呼ばれたという。能力のある人が評価されるのは当然だ。しかし、大発明もせず、傍(はた)目には「適当にやっている」と映る普通の人たちは、スレイブ以下なのか。自分のことを言われたようで心に棘(とげ)が刺さった。

 昨年末に亡くなった詩人、石垣りんさんの詩に、こんな一節を見つけた。「私は働く/これは隷属ではなくて、愛だ/これだけが自分の持つ/不変のプライドである」(「天馬の族」)。石垣さんは高等小学校を卒業し、銀行で定年まで四十年間働いた。

 昨今の論議では、会社は株主のものだという。その利益を最大化するのが経営者の務めで、従業員は手足にすぎない。ゴマメの歯軋(ぎし)りかもしれないが、ほんとうにそれだけなのか。ニッポン放送の株式買い占めでは、従業員が「ノー」と宣言した。あれは十分、私の胸を打った。


◆◆◆ ジャーナリズム否定のライブドア ◆◆◆

納得できぬ地裁の差し止め判断  政治評論家・屋山太郎  平成17年3月16日(水)

 《「世の中変わりませんよ」》

 ニッポン放送のフジテレビに対する新株予約権の発行について東京地裁はライブドアの側の主張を認め、予約権の発行を差し止める決定を下した。ニッポン放送などフジサンケイグループの繰り出した「乗っ取り防止策」の第一弾は成功しなかった。このためニッポン放送側はもう一回、同地裁の判断を仰ぐための保全異議を申し立てた。

 今回の仮処分決定理由で全く解せないのは「ライブドアが支配権を得ても企業価値が低下するかは明らかでない」とする点だ。ライブドアの堀江貴文社長は、フジサンケイ支配の構想を雑誌アエラ(今年二月二十一日号)に語っている。

 それによるとフジサンケイグループの看板の一つが雑誌「正論」に代表されるオピニオン路線だが、堀江氏は「サンケイスポーツ、夕刊フジ、週刊誌の『SPA!』。そういうのを合わせてエンタメ系の強力な新聞・出版社にしたい」「金融・経済情報のニュース配信というビジネスが考えられる」という。

 ギョッとしたのは「新聞がワーワーいったり、新しい教科書をつくったりしても、世の中変わりませんよ」といってのけたことだ。産経新聞本紙については日経新聞に対抗し得る経済紙に転換させるともいう。どうやらこの人物は、ジャーナリズムの役割や言論の価値を全く認めていないようだ。

 《新聞は「殺す」という暴論》

 毎日新聞(三月五日付)のインタビューでは「(既存のメディアの)みなさんの考えるジャーナリズムはインターネットがない時代には必要だったと思うが、今は必要ない。…言い切ってもいい」という。「メディアは純粋な媒介者としての位置に立ち返るべきだ」とも言い切っているが、この意味は人々がネット上に書き込む生ネタを読むのが最もいいことだ、情報価値のスクリーニング(取捨選択)はユーザーがすべきだ、ということのようだ。

 ネット上の誹謗(ひぼう)中傷や虚偽の書き込みにはどう対応するのか。「世論調査して五〇%以上の人が(流した記事が)悪いというのであれば謝ればいい」という。世論調査で真偽の判定をせよとは恐るべき感覚だが、世の中には百人のうち一人しか真実を知らない場合が多いのである。

 要人の記者会見を全中継しているチャンネルがあるが、一時間聞いてもベタ記事にしかならないことが多い。ネットで新聞情報を引き出しても記事の重要さを判定するのが大変だし、他紙と見比べるのも大変だ。紙面を見れば扱い方で情報やニュースの重さが一目で分かる。つまり新聞社の信用や記事の編集は極めて重要であって、その役割を否定し、彼らは全部引っ込んで「純粋な媒介者」になれとは正に暴論だ。

 雑誌「正論」は数あるオピニオン誌の中で断トツの部数を誇る。産経新聞のみが「社説」を「主張」と言っているのは、正しいこと、進むべき方向を明瞭に示したいという姿勢の表れだろう。教科書出版もその表現の一つだ。

 そんなことやっても「世の中変わりませんよ」というのはジャーナリズム、言論の否定というしかない。

 週刊ダイヤモンドの新年合併号の中のインタビューで堀江氏はこう言っている。

 「新聞、テレビを支配下に入れたり、その融合を考えている。最終的にはすべてインターネットになるわけだから、いかに新聞、テレビを殺してゆくかが問題。そのとき、自分の傘下に置いておいた方が殺しやすい」

 インターネットが伸びるかどうかは技術の革新やサービスの向上の問題であって、現在生きている新聞やテレビを「殺して」達成するものではあるまい。

 《疑いない企業価値の下落》

 フジサンケイグループの価値というのは「正論」に象徴される方向性に賛同する人たちによって支えられている。

 フジサンケイグループが「主張」をやめれば、その時点でグループ全体の企業価値が下がることは疑いない。少なくとも産経新聞、雑誌「正論」は崩れるだろう。

 良質の言論が切って捨てられるのは、企業価値を下げるどころか、公共性を損なう。日本にとっての損失でもある。放送や新聞に外資規制がかけられているのは、言論活動を重要とみるからこそである。

 今回の仮処分決定は(1)立ち会い外でしかも相対取引で行われた疑いが濃いのを無視したこと(2)ニッポン放送はグループの一員であることで企業価値を高めており、その路線が全否定されても企業価値は下がらないと見たこと。この二点で全く納得がいかない。

※今日は記事が長くなったので、コメントは短めにする。今回の事で、企業の価値とは、人間にとっての価値とは、日本人にとっての価値とは何なのか、という事を突きつけられているように思う。 

会社は株主の物という論理で、米国の企業がどれだけ薄情なものに成り下がったか。どれだけ利益主義になったか。本日の産経新聞の「主張-ライブドア 市場の論理は万能なのか」を読むとその流れがよく分かると思う。金、金、金。お金は何のために使うのかで、その人物も、企業の質も計られる。

愛のために働く事を忘れた人間や企業は、いつの日か、その所業を省みなければならなくなる日が必ず来る。裁判所は、常に神と共に生活することを肝に銘じて、物事を判断すべきである。私も上記の考え方に賛同する。日本を指導する神々は、今回の裁判所とは違う判断をすると思っている。
by sakura4987 | 2006-05-08 12:11

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