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◆曖昧過ぎる人権擁護法案の危険


日本大学教授・百地章 問題はメディア規制のみにあらず 平成17年4月8日(土) 産経新聞

≪明らかでない定義や範囲≫

 「人権擁護」の名のもとに「人権」を侵害し、国民の自由な言論を封殺する危険のある法案が、国会に提出されようとしている。

 この人権擁護法案の目的は、差別や虐待に苦しむ人々を迅速に救済しようとするものというから、趣旨そのものに異存はない。しかしこの法案のように、きわめて曖昧(あいまい)・不明確な規定のもとに表現の自由を広範に制限してしまうとなると、話は別である。

 本法案では、そもそも「人権」とは具体的にどのような人権を指すのか、一言も触れられていない。また、「人権侵害」の定義はあるが、「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為」という極めて曖昧なものである。そのため、具体的に何をもって人権侵害と見るのか、定義や範囲は一向に明らかでない。

 この点、法務省では、「人権とは、憲法により保障された権利・自由がその中核になる」と説明している。しかし、法案には「憲法により保障された権利・自由」といった限定はない。したがって、憲法にないさまざまな「新しい人権」はもとより、そもそも「人権」とは関係のない不当な要求さえ、「人権侵害」と主張される危険がある。

 現に、最近でも、東京都立の養護学校で過激な性教育を行った教員に対し、都教委が厳重注意処分をしたところ、東京弁護士会が教育の自由などを侵す「人権侵害」であると警告したとか、公立中学校の校長が卒業式に際し国歌斉唱を「強制しない」と事前説明をしなかったことは生徒への「人権侵害」であると大阪弁護士会が勧告したなどといった報告がなされており(産経新聞、平成十七年三月十九日)、これは決して杞憂(きゆう)ではない。

≪条約で留保した規制復活≫

 また同法案では、「嫌がらせその他の不当な差別的言動」をしてはならないとか、「不当な差別的取り扱いをすることを助長し、又は誘発する目的」で「文書の頒布、掲示」をしてはならないなどといった曖昧な言い方で表現の自由を規制し、人権委員会に対し関係者への出頭要請、質問、文書提出要求、さらには現場への立ち入り検査権まで認めている。これは、憲法が保障する国民の正当な言論・表現活動を抑圧し、封殺するものである。

 表現の自由は、言うまでもなく、人格の形成発展や民主主義社会の存立維持のため不可欠な権利である。それゆえ、学説や判例は、表現の自由を制限する際、「明確性の理論」や「事前抑制の禁止」などの厳格審査基準を適用して、規制の合憲性を判断してきた。

 ところが本法案では、「不当な差別的言動」とか、「相手方を畏怖(いふ)させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの」などといった、どうにでも解釈できる曖昧・不明確な基準のもとに、行政権力が令状なしに立ち入り検査をしてその当否を判断し、国民の言論・表現を取り締まろうとしているわけである。このような不明確な基準による表現の自由の規制は、憲法二一条違反といわなければならない。

 平成七年、人種差別撤廃条約の批准にあたり、わが国政府は「人種的優越・憎悪に基づく思想の流布」等を法律で処罰することを求めた第四条については、憲法の保障する表現の自由などと抵触する恐れがあるとして留保した(朝日新聞、平成七年十一月二十一日)。にもかかわらず本法案では、罰則こそないが、極めて曖昧・不明確な基準のもとに「差別的表現」を規制している。これは矛盾ではないか。

 さらに本法案では、人権委員会は「差別的言動」を含む人権侵害の「予防」のため「必要な調査」を行い、人権侵害を行う「おそれのある者」に対して、説示その他の「指導」を行うことができるとしている。

≪国民無視した本末転倒論≫

 しかし最高裁は、表現の自由の事前規制を原則として認めず、名誉棄損のケースで、「重大にして著しく回復困難な損害」が予見される場合に限り、裁判所による発行の事前差止めを承認している(北方ジャーナル事件)。とすれば、たとえ「差別的言動」であれ、公表に先立って公権力しかも行政権力がこれを一方的に規制するのは、検閲でなくても「事前抑制の禁止」に反し、憲法違反であろう。

 本法案に対しては、メディア規制さえ削除されればそれで良いとする意見もある。しかし報道の自由は、あくまで国民の「知る権利」に奉仕するものである(最高裁博多駅事件判決)。これは、国民を無視した本末転倒の議論というべきではなかろうか。




※以前、21世紀は「人権」をどう解釈するかが問われる世紀になる。21世紀は人権の世紀であると、ある方から聞いた事が、今でも耳から離れないが、まさにその通りになってきた。

現在の流れとしては、唯物論的な「人権」の解釈が勢いを増し、すべてを押し流そうとしているし、防ぐ側は、感覚としておかしいとは分かっているが、「人権」の解釈を決めかねている感じがする。 

「本当の人権」とはこれだという定義があいまいで、ただ防戦一方のようだが、これでは男女共同と一緒で、結局は押し切られてしまいかねない。

人権擁護法案にしても、自民党が党議拘束をはずす事になれば、負けるのは確実だし、夫婦別姓にしても負ける。ほんの一部の良識ある自民党議員によって、今の我が国は支えられているというのが現実なのではないだろうか。 

そもそも真の意味で、「人権」を定義できるのは、宗教家しかいないと思っている。人間とは何かという事は、科学でも証明できていないし、哲学でも出来ていない。

これが出来るのは、宗教しかありえないのが真実である。ところが世の宗教は、世間とは一線を隔し、唯我独尊の世界の中で、小さくまとまって、外の世界とは無縁な団体が多いし、世間に関心がある宗教団体は、どういう訳か、唯物論的宗教に朽ち落ちてしまっている。

結論としては、現在の日本を救うには、独裁者的政治家か宗教政治家の出現しかないと思っている。もっと言えば、「信仰告白が出来る政治家」と言ってもいいだろう。

本当の信仰を持ち、その信仰に基づいて発言できる政治家しか、今の流れを食い止める事は出来ないのではないだろうか。その意味では、「信仰を持っています」と言っても当選できるよな国民側の意識改革も必要だと思う。

アントニオ猪木は、「自分は人よりいつも20年早く言い出すので理解されなかった」と言っていたが、私の今日の文章もなかなか理解されにくいとは思うが、この流れにならないと、我が国を覆う黒雲は、益々分厚くなっていく事を言い残しておきたいと思う。
by sakura4987 | 2006-06-12 16:32

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