◆【産経抄】
http://www.sankei.co.jp/news/column.htm
「勝てば官軍、負ければ賊軍」とはよく言ったものだ。頼みもしないのに受信料をとりにくるテレビを筆頭に、各メディアがサッカーW杯に出場した「青きサムライたち」をこれでもかと持ち上げ、膨らみきったジーコ・ジャパンへの期待は初戦の完敗でみるみるしぼんだ。
にわかファンたちが口角泡を飛ばす居酒屋談議では、梅雨で曇り空が続くのも、株価が乱高下するのも、少子化に歯止めがかからないのも、みんな下手な采配(さいはい)をしたジーコのせいだ、と言わんばかりの勢いで批判の矛先が監督に向いている。
もしあのまま1-0で逃げ切っていたら、同点にされたあと、駒野が相手ゴール付近で倒されたときに主審がPKをとっていれば、ジーコは勝利を呼びこむ「サッカーの神様」として褒めそやされていただろう。勝負ごとはやっぱり勝たねばならない。
サッカーと戦争を比べるのは不謹慎極まりないことぐらい百も承知の上だが、敗戦がどれほどみじめかはサッカーファンならずとも身にしみる。戦後60年以上たっても、首相が靖国に参るだけで他国から悪罵(あくば)を投げつけられている。
中国や韓国が「軍国主義の復活」と言い続けるのは両国の国内事情もあろう。それより理解できないのは他国に迎合して、無宗教の追悼施設をつくるため首相の靖国公式参拝を「憲法違反の疑義がある」と明記した中間報告をまとめた「国立追悼施設を考える会」の議員たちだ。
このヒトたちには、「靖国で会おう」と国や家族を守るため心ならずも散華した人々への感謝の念があるのだろうか。会長は下半身スキャンダルで週刊誌をたびたびにぎわしたセンセイである。少なくとも小欄は、こういう人物に靖国問題について指図は受けたくない。