人気ブログランキング | 話題のタグを見る

★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆近代化 母なるものの欠落


平成16年8月30日(月)産気新聞   中西進(京都市立芸術大学長) 

 サモア出身で、いまニュージーランドで活躍している作家、アルバート・ウェント氏の講演が、さる六月、東京で行われた。

 氏の来日は、今回で三度目だという。そして二度目の来日の折(一九九一年)、京都の金閣寺で作った詩を朗読した。

 その折の来日で、氏は近代化の問題の大きさに気づき、どう対処するかに重大な決意をもったらしい。「身震いするような」将来への予感があったことがうかがえる。

 氏はそれを金閣寺で確認した。そして決意を母に告げようと思った、という。母の思い出は月光の中を泳ぐ錦鯉(にしきごい)のように舞っていた。

 氏の詩が私を感銘させた点はこの母の登場だった。近代化が大国の弱小国への侵略であることは、いうまでもない。弱小国から次つぎ失われてゆく習慣、言語、信仰、さらに氏のことばによると「自分自身であり続ける権利」。

 これを守る決意を、氏は作家の責務だと心得たのである。別に読んだ氏の小説の中にも、息子の進学について法律家になれと勧める父親像が描かれる。太平洋に散在する小さな島々に今おし寄せている近代化の波は、明治日本をまざまざと思いださせた。日本も近代化の中で「自分自身でありつづける権利」を自ら放棄してきたのである。

 それでは、本来の自分自身を取り戻すとは、何をどうすることなのか。習慣、言語、信仰を守るとは、何を意味するのか。

 それを示唆するものが、氏の詩に登場する母への思い出であろう。金閣寺の池を月光の中で泳ぐ錦鯉。その舞にも似た母の幻影。氏はなぜ、ここで母の幻影を抱かざるをえなかったのか。

 私は、およそ伝統とするもののすべてを「母なるもの」と呼んでよいと思う。日本人としていえば、日本の習慣も言語も信仰も「母なるもの」なのである。日本語を捨てて外来語だけで語る人は、母なるものを捨てた人だ。

 氏が決意の中にゆくりなくも母を思い出し、母に決意を、しかも時宜を得て告げようと思ったのは、一般的な母への追憶とか、本能的な母体回帰とかいったものではない。

 氏が大切だと思ったものと母が、無意識の中で結合し、伝統こそ人間の永遠の故郷であるところの「母なるもの」だという気持ちに、氏は心の底深くで、誘われていったのであろう。

 人間社会には父権原理と母権原理がある。文明に「父なるもの」が必要であることも、いうまでもない。しかしその基盤にあるものは母なるものである。すべてを父権原理で押し切り奔走してきたところに近代化の大きな陥穴があった。
by sakura4987 | 2006-06-19 17:02

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987