◆「南の島に雪が降る」
◆前進座の役者加藤徳之助は三十二歳で応召、一九四三年(昭和十八年)の冬、ニューギニアに上陸した。俳優加東大介になるのは戦後である
◆戦況は敗色を覆いがたく、食糧もない。マラリアやデング熱を病んだ兵は、骨と皮で死んでゆく。トカゲやネズミを奪い合う争いが絶えない
◆司令部は希望のない兵を慰めるため、加藤伍長に「演芸分隊」の設立を命じた。密林に劇場小屋を建てる。絵ごころのある兵士が大道具を作る。洋服屋の兵士が衣装を用意し、長唄の師匠が楽士を務めた
◆長谷川伸「関の弥太ッぺ」を上演したとき、原作にない雪を降らせた。舞台に敷いたパラシュートを積雪に見立て、切り刻んだ紙を舞わせた。分散して駐屯する各部隊を日替わりで招き、日本の風景を楽しんでもらう趣向である
◆ある日、いつもならば歓声が沸く雪の場面でしんと静まり返っている。不審に思った加藤伍長が客席を見ると、「みんな泣いていた。三百人近い兵隊が一人の例外もなく、両手で顔をおおって泣いていた」。東北出身者の部隊だった
◆映画にもなった加東さんの著書「南の島に雪が降る」が、光文社「知恵の森文庫」から復刊される。原爆忌から終戦記念日につづく追悼と追想の夏である。戦闘場面のない異色の戦記も、白い紙吹雪の向こうから何ごとかを語るだろう。
(2004/8/4/読売新聞)