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◆青葉慈蔵尊由来記①

● 青葉慈蔵尊由来記●●●
「青葉慈蔵尊由来記」は渡井昇先生(さいたま市在住)がおまとめになったものです。先生は永きに亘って「民族の叫び」という、その時々実にタイムリーでわかりやすい内容の月刊ワープロ紙(B4両面)を発行され、全国同憂の士に無償で発送を続けられました。「新しい歴史教科書をつくる会」が産声をあげるずっとずっと前から歴史教科書の異常さについて警告を発してこられたおひとりです。

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あなたは知っていますか。

赤十字看護婦として従軍し、

終戦後に異境の地満州で悲しくも壮絶な

自決を遂げた大和撫子たちのことを。

何故に、若き乙女たちは死を選んだのかを。

何故に、この慈蔵尊が建立されたのかを。

●青葉慈蔵尊由来記
 ―従軍看護婦団の悲壮なる自決―

 痛恨の事のみ多き大東亜戦争の中で最も憤ほろしく許せないのは、米軍の原爆投下とともに、それ以上に、日ソ中立条約の有効を信じて対米和平の斡旋さえひたすら頼み込んでいたその相手ソ連から、背信の火事場泥棒に続いて加えられた史上未曽有の悪魔的惨虐であり、何よりも痛ましいのはその鬼畜の蛮行に曝された女性たちの悲劇であった。

 昭和二十一年六月、ソ連占領下の満州の長春でソ連軍の蛮行に抵抗して純操を守り抜いた従軍看護婦の集団自決は、その中の一つの事実であるが、あの時期における全ての受難同胞を代表して実に見事に日本人の魂を犯すべからざる威厳を示した、永遠に語り継がれるべき悲歌である。

〇卑劣なる悪魔の毒牙

 八月九日、突如ソ連軍の侵略が開始されるや、満州東部国境に近い虎林の関東軍野戦病院に軍医である夫と共に勤務していた堀喜美子婦長以下三十四名の従軍看護婦は移動を命ぜられ、一週間の強行軍を経て当時の首府新薪、今の長春に辿り着いたが、その日、八月十五日、そこで日本の降伏を知った。ソ連軍の南侵は急速であり、すでに中共軍も入って来ている。覚悟は出来ていたものの、栄えある白衣の天使が一転して虜囚の身である。
 これからどうなるのか誰にも判らなかった。殊に夫、堀軍医中尉と今生の別離になるとも知れず離れ離れとなった堀看護婦長に、男女二人の幼児が残されたのである。

 暗澹たる日々であったが、長春の通化路第八紅軍病院に一ケ月二百円の給与の約束で勤務することになって、ともかく帰国の望みを抱きながらその年は暮れた。
 明けて二十一年の春、城子溝にあるソ連の陸軍病院第二赤軍救護所から三名の看護婦を応援に派遣せよという命令が婦長に伝達された。惨劇はこの一枚の命令書から始まったのである。

 看護婦長堀善美子さんはこの命令を受けた時「ただ何となしに手が小刻みに震え、ふっと曇った胸に不安の黒雲が段々広がっていく行くのをどうしても消すことが出来なかつた」と言っている。ともあれ、命令には応援は一ケ月でよい、月給は三百円を支給するとあるが、この危険を感じる所へ誰を送るか。婦長と軍医は相談の上、仕事も出来、気も利く優秀な大島はなえさん、細井たか子さん、大塚てるさんの三名を漸く選び出した。

 不運な白羽の矢を立てられた三名はそれでも極めて元気に一ケ月のお別れ告げて出掛けて行ったが、予定の一ケ月を過ぎても帰って来ないうちに、同じ城子溝の病院から、また三名の看護婦追加の申し込みが来た。

 やむを得ず、荒川静子さん、三戸はるみさん、澤田八重子さんの三名が第二回目の後続として送り出された。そうこうするうちに二ケ月経ったが誰一人として帰って来ない。そこへまた第三回目の命令である。一ケ月という約束など眼中にないらしいソ連の図々しさに痛憤したものの、戎厳令下の長春で占領軍の命令を拒否したならば、長春三百人の日本人が皆殺しされるかも知れぬという恐怖があった。もうこれきりと申し合わせて、しぶしぶまた、井出きみ子さん、澤本かなえさん、後藤よし子さんの三名を送った。

 ところが、何事ぞ、厚顔無私、またしても第四回目を申し込んで来たのである。

 もはや我慢の限界であったが、しかし敗れた者の情なさ、どうすることも出来ない。やはり送る外ないと、四たび三名の女性が選ばれ、月曜日の午前中に出発することになった。それは六月十九日土曜日の夜であった。

 堀婦長が憂鬱な人選を終え八時過ぎに病院を出ようとした時、扉口によろめき倒れかかって来た傷だらけの女性がある。

 日本の振り紬をイブニングドレスに更生した肩も露な洋服をまとい、裸足で桃色の繻子の靴を片足だけしっかり握りしめている。落ち着いてよく見ると、何と第一回に派遣した大島はなえ看護婦ではないか。病室にかつぎ込んで手当したが危険は刻々と追って来る。堀婦長はこの時のことを次のように語っている。

 ≪しかし、聞くだけのことは聞かねばならないので、大島さんを揺すぶって起こし起こして聞いてみますと、哀れなこの看護婦は私の腕に抱かれながら、ほとんど意識を失いかけている臨終の眼を無理矢理にひきあけて、次のように物語るのでした。

 「私たちはソ連の病院に頼まれていったはずですのに、あちらでは看護婦の仕事をさせられているのではありません。行った日から病院の仕事は全然しないで、ソ連将校の慰みものにされているのです。

 最初に行きました三人に、ほとんど毎晩三人も四人もの将校が代わる代わるやって来て私たちをいい慰みものにするのです。否と言えば殺されてしまうのです。

 私も殺されるぐらいはかまいませんが、次々と同僚の人たちが、ここから応援を名目にやって来るのを見て、何とかして知らせなければ死んでも死に切れないと考えましたので、厳重な監視の眼を盗んで脱走して来たのです」というのでした。

 聞いている私をはじめ、居残っていた病院の人たちも、その話にただ暗澹と息をのみ、激しい憤りに身内が震えてくるのを禁じ得ません。脱走した時、うしろから撃たれたのでしょう、十一発の銃創の外に、背中に鉄条網をくぐって来たかすり傷が十数本、血をふいて、みみずばれに腫れています。どんな気持ちで鉄条網をくぐって脱走してきたのか、どんな危険を冒して来たのか、その傷は何よりも雄弁に物語っているではありませんか。

 身を挺して次の犠牲者を出したくないと決死の覚悟で逃れて来たこの看護婦の話に、私の涙は噴水のように後から後から噴き出し釆ました。

 国が敗れたとしても個人の尊厳は冒すこと出来ないのではないのでしょうか。

 それをわずか七日間の参戦で勝ったというだけで、清純な女性を犯すとは何事ぞと、血の出るような叫びを、可憐な二十二歳の命が消えて行こうとする臨終の床に、魂をさく思いで叫んだのでした。

 「婦長さん!もう後から人を送ってはいけません。お願いします」という言葉を最後に、その夜十時十五分、がっくりと息をひきとりました。泣いても泣いても涙が止まりませんでした。》
by sakura4987 | 2006-06-20 13:44

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