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◆高校の必修科目を増やそう

平成17年3月4日(金) 毎日新聞「教育メール」より 矢倉久泰

日本地理学界の調査結果報告書↓
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ajg/organization/committee2003/chirikyouiku050222.pdf

 イラクがどこにあるのか知らない高校生が45・9%、大学生が43・5%--日本地理学会が行った調査結果だ。北朝鮮の位置を知らない高校生も23・9%、大学生は9・7%いたという。毎日のようにイラクや北朝鮮のことが新聞、テレビで報じられているのに、この有様……。

 新聞各紙は大きく報道し、またぞろ「最近の子どもの学力低下ぶり」を国民に印象付けた。大人に調査したら、もっと正答率が高いといえるだろうか。

 調査対象は国公私立大学25校の約3700人と千葉・新潟の高校9校の生徒約1000人。最近マスコミでよく報じられる12の国名を示し、それがどこにあるのか、世界地図に記した国の番号30から選んで回答するというものだった。アメリカ合衆国の位置を知らない高校生が7・2%、大学生も3・1%といたというが、信じられない数字だ。ひょっとしたら、知っていながら悪ふざけで誤答したのではないかと思いたくもなる。

 なぜこういう結果になったのか。調査にあたった日本地理学会は、地理が高校で必修科目でなくなったのが原因としている。1989年の学習指導要領改訂で、それまで必修だった地理が選択必修扱いになり、「取っても取らなくてもいい」科目になった。その代わり世界史が必修になった。いま地理を履修する高校生は半数程度という。

 調査にあたった帝京大の滝沢由美子教授は「ほとんどの主要国で地理は必修。正しい国際認識や国際感覚を身に付けるには、最低限の地理的素養が必要」と言い、高校での地理学習の拡充を求めている。その通りだと思う。国際化時代に生きる人間として、どこにどういう国があるかくらいは最低限、常識として知っておく必要がある。そのためには高校で地理を必修にすべきである。

 いまの学習指導要領は「個性重視の教育」「興味関心に応じた教育」を推進するため、選択学習を増やしている。特に高校は選択中心のカリキュラム編成になっている。高校はほとんどの子どもが学ぶ国民的教育機関になっているのだから、国民共通に必要な知識・技能を必修で学ばせる必要がある。それは民主主義社会を形成する上でも大切なことである。

 その原点に立ち返り、21世紀において国民共通に必要な知識・技能とは何かを吟味し、高校の必修科目を増やす必要があると思う。中央教育審議会は義務教育の見直しを始めたが、高校教育の見直しも、ぜひ進めて欲しいものだ。



※文科大臣が「ゆとり教育」を否定するような発言をしても、そうは行かない連中がいるのだ。これは現在、各地方自治体でも大きな問題として浮上しつつある、審議会制度というものだ。これについては、以下の文章が大変参考になるので、読んでいただきたい。



◆◆◆ 和田秀樹公式 HIDEKIWADA.COMマガジン ◆◆◆   2005年3月9日号
【 審議会という抵抗勢力/和田秀樹 】

 私はまだまだゆとり教育の見直しや、文部科学省の方針変更は、そんなに簡単にはいかないだろうと思っている。

 1月の末の『朝まで生テレビ』で、このゆとり教育問題を議論したのだが、ゆとりの旗振り役とされる文部科学省の寺脇研(現在文化庁文化部長)氏が欠席したので、その代理人として、彼がもっとも信頼する人とされる、教育支援協会の吉田博彦代表理事が、出演した。

 彼の意見は、昔の文部科学省の路線どおりで、ペーパーテスト学力の否定一本やりの印象を受けたが、たまたまホンネが出たと感じたことがある。

 司会の田原総一郎氏が、「ゆとり教育の見直しが決まったから」と発言したのに対し、吉田氏は「大臣がそう言っているだけで、まだ審議会を経ないといけない」と述べたのだ。

 これは、まともな手続き論である。

 しかし、ここに官僚の狡猾さを感じてしまったのだ。

 審議会というのは、本来、民の声を聞くという趣旨で、一般の人や有識者の代表が、政策に意見を述べ、アドバイスをし、大臣や官僚の暴走を戒めるシステムである。

 しかし、この一般の人や有識者の代表といっても、選挙で選ばれるわけではない。

 中央教育審議会の場合は、文部科学大臣が任命することになっているが、実質的には文部科学省の役人が選び、それを大臣が承認するという形になっている。ほかの審議会だって似たようなものだ。

 だとすると、もちろん文部科学省の都合のいい人間が選ばれることだろうし、もちろん私のようなラジカルな文部科学省の批判者は選ばれはしない。

 議論がもの別れに終わって、政策決定が遅れるなどということは役人にとってはもっとも避けたいことだからだ。その上、大臣が選任しても、審議会の委員のほうが任期が長くなったりするので、結局、官僚に任さざるを得ないということになる。第一、大臣が変わっても任期中の審議会の委員をそうそうやめさせることはできない。

 実際、今回、中央教育審議会が新メンバーになったとされるが、14人は前のメンバーのままだ。もちろん会長も前のままである。

 会長の鳥居泰彦氏は、慶応大学の経済学部長や塾長を歴任した慶応のトップといえる人物だが、これまではゆとり路線にのってきた人だ。

 第一、慶応大学の経済学部で、数学を入試に課さないことを黙認し、大学の授業内容が数学をとってきた人ととっていない人で違うというようなダブルスタンダードを黙認してきた(むしろ加担してきた)人物である。そんな人に、理数学力の建て直しを期待できるのだろうか?

 新メンバーを見渡す限り大学教授が主である。

 大学教授というのは、これまで、世界的に評価の高かった高校までの教育を批判し続け、世界的にレベルの低い大学の改革を避けてきた人たちだ。大学はいまだにのうのうと終身雇用、終身身分保障のままで、勉強しないでも教授になれば居座り続けられる。

 そして、小学校、中学校、高校の教員というのは、わずかに麹町小学校の校長が一人という惨状である。現場を知らない人間だけで審議をして何ができるというのか?

 また、民間から、教育関係以外から選ばれたのは、音楽評論家の湯川れい子さんである。この人が、ゆとり教育に対してどういうスタンスをとるかというと疑問符がついてしまう。

 要するに、ゆとり路線の転換にやる気がみえない審議会なのである。

 もし中山文部科学大臣が本気でゆとり教育の転換をしたいのであれば、自分で、その役をやってくれる人を探して、何人か送り込むべきだった。役人が任命した通りに承認したところで、流れを変えることは難しい。

 こんなことは教育行政だけでなく、官僚の常套手段である。

 医療や福祉の世界でも、御用学者と呼ばれる学者が、役人の書いたシナリオどおりに答申して、実情にあわない施策が続く。

 学者の側としても、審議会の委員というと、ほかの学者より格が上になるので、役人に嫌われたくないし、役人に再任してほしい。

 この審議会といういんちきなシステムがなくならない限り、日本の改革は遅々としたものとしかならないだろう。あるいは重要な審議会の委員はちゃんとした選挙で選んでほしい。

 そうなれば不肖和田秀樹も立候補する所存だ。役人に選ばれたのでなく、民に選ばれたのなら言いたいことが言えるからだ。



※この様に、ある意味、議員以上に権限を持っているのが審議会というところだ。ここで決まったことは、ほとんど議会を通過する事なく、ひどい場合は議員もよく知らないうちに、勝手に執行されることがほとんどで、事後報告のことが多い。

例えば、「今後10年の都市計画プラン」のようなものが各自治体にはあるが、これなども全く議員は加わる事なく作成される。そして、本になった時点で初めて見せられるというわけだ。文句を言う場面もないのだ。

「男女共同参画推進プラン」にも全く関われなく、私などは、出来てから10ヶ月近く過ぎてこのプランがあることを知らされた。

しかも、上記の様に、審議会のメンバーは誰がどこで決めているのか全く分からない。加えて、その審議会のメンバーがひどいことが多いのだ。和田さんの仰るとおりだ。 

そもそも審議会はお昼に開かれるが、その様な時間に集まれる人たちの範囲はたかが知れていて、専従で左翼運動をやっている人たち、すなわちプロ市民が入りやすい構造になっているのだ。 

結局は、そこそこの長がしっかりしているかどうかが問題なのだが、現状を鳥瞰すれば、審議会の結果に、唯々諾々と流されているのが、ほとんどの首長のように思う。 

だから、地方分権は必ず失敗して、悲惨な結果になると言っているのだ。この地方分権の計画も審議会があって決った事なのだ。
by sakura4987 | 2006-06-20 14:39

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