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◆国家の発展促す「現実的憲法改正」


平成16年12月07日(火) 産経新聞

≪伝統文化の根源 天皇陛下は元首≫

 日本国憲法は戦後の混乱期にGHQ民政局と帝国議会との激しい攻防の末誕生した妥協案であった。第一次吉田内閣は幣原内閣の帝国憲法改正案を引き継ぎ、そこに芦田憲法改正特別委員長の修正が加えられた昭和二十一年十月六日に貴族院で修正議決、翌七日に衆議院が貴族院の修正に同意し、日本国憲法を完成させた。昭和二十二年三月三十一日に帝国議会は解散し、戦後政治はここから始まるのであるが、これ以降憲法改正が囁(ささや)かれては消えていった。しかし、一種のタブーとして存在していた時代は終わり、現在では活発な議論ができるまでになった。

 多くの憲法論議の中で問題となるのはやはり第一条と第九条である。これらの条文が問題となるのは思想的な部分とともに、その条文の複雑さ、曖昧さが原因となる。皇室の問題は、国体維持を国内外に認めさせるために「総意に基づく象徴」という複雑極まりない表現となったことに由来する。皇室解体を目論む勢力も存在するGHQと、勢力を増す国内共産主義の間では国体維持を計るにはこの表現しかないというくらい見事な文章ではあるが、統一解釈の難しい文章でもある。皇室の存在が軍国主義や封建制度の代表であるかのように誤解されていた時代は過ぎ、その存在が広く国内外で容認される現在、解釈議論を行い統一見解としての条文を作成すべきである。

 日本の皇室の特徴は、ヨーロッパ諸国の王室のように俗世の政治的支配に限定されたものとして存在しているのではないということである。イギリス国教会にしても、ローマ法王庁との政治闘争の末のものであり、支配体系は宗教的というよりは政治的であった。その意味では、皇室の存在は王室と比較される存在ではなく、ローマ法王やダライ・ラマといった宗教指導者としての意味合いのほうが濃いのである。つまり、日本の伝統文化、民族の根源であり、第一条の「象徴」などの曖昧な表現ではなく「元首」とすべきである。元首である上で三権との距離を保てば、皇室の非政治性は確保できる。また、「主権の存する日本国民の総意」は、「日本の伝統に基づく地位」とし、正当性を確保すべきものである。第二条から八条も近代欧州的な統治無き君臨ではなく、日本最高の祭司者としての役割を認めるべきである。日本が持つ多くの美点は、天皇家による政治的なゆるい支配によって完成されてきたものであり、その伝統と英知を先進的でないという理由のみで捨て去ることは非常に浅慮(せんりょ)である。

≪自衛隊の存在 明文化が重要≫

 第一条以上に意見の分かれるのは第九条である。第九条をめぐる憲法論議は非常に複雑であるが、この複雑さを生んだ理由は第九条第二項の芦田修正である。「前項の目的を達するために」の一文は自衛隊保有への道筋をつけた文言であるが、自衛隊が事実上容認されている現在、新憲法においてその存在を明文化することは重要であろう。

 第九条をめぐる見解は(1)目的によらず一切の戦争が禁じられ、戦力の保持も認められない。(2)侵略戦争を行わない限り、自衛のための戦力は認められる。(3)自衛のためでも戦力は保持できないが、戦力ではない自衛力は保持できる。(4)独立国家である以上、自衛力は保持できる-などに分けられる。政府見解は歴代とも三番目の立場を取る。事実上自衛隊が存在するのであるから、それを踏まえた条文をきちんと作成し、その上で戦力の先制不使用を明文化し、国際社会に発表すればよいのである。国際社会における安定構築モデルが「相互確証破壊=MAD」であることは冷戦期の米ソが証明した。その上で「相互確証安全=MAS」という考え方が冷戦終結後に生まれ、米露はSTARTI及びIIで核戦力の削減へと向かった。しかし、これは弾頭数が減っただけでモデル的に「相互確証破壊」とは変わらない。つまり、安全保障の原則が、報復能力とそれを使用する意志を持ち、その上で事態の危険性についての相互認識を持つ「抑止の三原則」に基づくものである以上、国家の原則となる主権、領土、国民を守るためにも自衛隊が戦力として存在しなければならないのである。未だに自衛隊が戦力か否か、それを保持すべきか否かを憲法論議で議論していること自体が、日本が独立国としての体裁を整えていない証しとなってしまう。

 政治は理想ではなく現実である。そして、その政治の根幹を成すのが憲法となる。日本国が今後も政治、経済そして文化的に発展していくのに必要な下地を憲法に示さなければならない。その意味において、、その存在が日本の存続を助けたことは言うまでもない。しかし、憲法日本の歴史、伝統を上手く表現しきれていない第一条、国際社会の現実を全くもって無視している第九条など、修正されるべき点は多々ある。戦後の混乱期に国家の英知を集めて作り上げた日本国憲法は傑作でありを取り巻く環境に変化が生じ、より独自の見解を示すことのできる現在、より日本的で、より現実的な憲法へと修正し、国家の更なる発展を促すべきである。




※この憲法問題での最大の責任者は、吉田茂氏だろう。戦後を代表するジャーナリストのひとり、阿部真之助は『現代政治家論』の中で「国内的には手のつけられないワンマンも、対外的には理想型のイエスマンであった」と、吉田のマッカーサー傾斜を批判している。一番のチャンスは独立回復直後だったと思うが、自分の権力維持のために改憲しなかったという。この様な元総理がマスコミなどで祭り上げられているが、その再評価もすべきだろう。この方は、非常に短気だった。「人は侮辱されたと感じたとき最もよく怒る。だから自信のあるものはあまり怒らない」と三木清は言っているが、あまり深い教養がなかったのかもしれない。最後に、上記の文章は最後の部分で残念な表現が使われているように思う。せっかくの論文だったのだが。 
by sakura4987 | 2006-06-20 15:28

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