人気ブログランキング | 話題のタグを見る

★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆大英帝国の衰亡と日本(2-1)


平成15年06月07日(土) 産経新聞  京都大学総合人間学部教授  中西輝政氏

 日本が世界の歴史から学ぶべきものを探る「新・世界学講座(第三期)」(産経新聞社/関西2100委員会主催)第三回が五月十三日、大阪市内で開かれ、京都大学総合人間学部の中西輝政教授が「大英帝国の衰亡と日本」を講義した。中西教授は、百年前のイギリスを例に「近代型の衰退を経験しない先進国は一人前でない」と指摘。同時に「今の日本人は恵まれすぎているため、停滞を打破できない」としたうえで、「日本再生」には憲法や教育を含む「国家としての構造改革」断行が不可欠と強調した。

 イギリスを知ることは近代の世界を知ることといわれます。イギリスが私の勉強の中心的なテーマになったのは、アメリカ人が国際秩序や安全保障を議論するとき、イギリス的なるものを非常に意識して勉強していることがわかったからです。

 日本の学者や知識人は大陸ヨーロッパ的な考え方に明治以来、何か奇妙な影響をうけて、逆に世界がわからなくなってしまっていると私は感じています。大陸ヨーロッパ諸国は芸術、文化、哲学など非常に深い蓄積がありますが、世界をどう運営するかになるとドイツやフランスは世界の田舎者です。ヨーロッパとその周辺ぐらいしか興味がなく、徹底したヨーロッパ中心主義です。ヨーロッパにおける自国の優位や発言権を確保できれば世界がどうなろうとかまわないわけです。ドイツやフランスは、われわれが一緒に行動する国ではありません。

 私のヨーロッパ認識の一番中心にある考え方は、ヨーロッパは決して一つではないことです。ヨーロッパは一つでありながら永遠に一つにはなれない。一つというのは精神文化、宗教、ローマ帝国の遺産の継承者という意味です。ヨーロッパは一九五〇年代から五十年間、ひとつの国になろうと一生懸命坂を登って統合を進めてきました。ようやく通貨統合まではきたのですが、軍隊や政治、議会、政府制度までひとつにできるかというとこれはできない。

 可能な目標に一生懸命がんばって自転車をこいでいる間はいいのですが、壁にぶつかってペダルをこぐ足をゆるめると一瞬にして後ろにずりさがる。これがヨーロッパ統合の運命です。二十一世紀の世界をみていくときの大事な仮説は、「ヨーロッパは永遠に一つになれない」と「中国は一つでありつづけることができない」、この二つだと思います。

 二十一世紀の世界と日本を考えるときに非常に大事なことは、われわれの未来を見る目、歴史観だと思います。過去を見る、未来を見るのは同じです。現在は絶えざる過去です。歴史観は、未来をみるわれわれの足掛かりです。

≪日本人は戦後、歴史が絶えず変化するという感覚を失った≫

 歴史観がいかに大事かに触れましょう。

 第一は、日本人が戦後失ってしまったのは非常に大事な歴史の感覚、「歴史は絶えず変化してやまない」ということです。戦後の日本人の思考は、現在の流れをそのまま将来に投影して未来を考えるものです。例えば、今の日本の人口は減り始め、二一〇〇年になれば、人口は半減以下になるという議論をまじめにしています。これは戦後日本人が歴史を忘れたことを物語っています。

 だが、日本や世界の歴史は決して現状が将来に投影される格好で進んでこなかったことを教えています。あるとき、突然に、ほんの二-三年ぐらいの間に、過去何十年のトレンドが大きく入れ替わっています。三十年から五十年でそれまで不変と思われた流れも全部変化するという断層的な変化が起こるのが普通です。

 戦後日本も、昭和三十五年の池田内閣発足から高度成長が始まりましたが、ちょうど三十年でバブルが崩壊しました。価値観も根本的に変わります。ある時代の非常にはっきりとした価値観が、次の時代にはあってはならないというふうに変動するのです。つまりすべての前提は変わりうる、ということで、変わらないものは何もない。これが「歴史の真実」だと思います。

 第二のポイントは、歴史は必ず繰り返すということです。歴史は、二度とおなじところに戻ってこない、という直線史観の考えを歴史家と称する人々はよく口にします。しかし、われわれが胸に刻んでおくことは、歴史は人間が作るということです。人間の本質が変わらなければ、結局どこかで同じようなパターンをくりかえすのです。今日のような大転換の時代には、循環史観という、振り子を振るような歴史の見方が大事です。

 最後のポイントは、人間の精神が歴史を動かしているということです。二十世紀を動かしたのは、物質的条件が歴史を動かすというマルクス主義の考えでしたが、八十年かけてうそだったことが分かりました。

≪人間の精神が世界を動かしているという歴史観こそが必要≫

 しかし、われわれの頭の中にはその余波がまだ残っています。精神的なものが世界を動かすという歴史観を育てなければ、過ちをもう一度繰り返してしまいます。一つの国が興隆し衰退する、しかしある時、そこからある種の再生、あるいは根本的な変形をして、さらに発展ないし大きく変容するという盛衰後のパターンがあります。そこでは意識・精神の問題が決定的な要因となります。 衰亡史として一番有名なのは、エドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」です。西洋の歴史学は、興隆衰退が必然のプロセスなら、そのメカニズムを解明して、衰退を先にのばし、繁栄を長く続かせる必要があると考えたわけです。

 ローマ帝国、イスパニア・スペイン帝国、オランダはそれぞれ長い興隆がありますが、いったん衰退期に入ると元に戻りませんでした。これらは近代以前の古典的な大国の衰亡ですが、われわれが興味をもつのは近代以後です。大英帝国の衰退は、まさに最初の「近代型の衰退」であり、いろんな点で示唆に富んでいます。イギリスを最初の近代型社会に押し上げたのは産業革命と議会政治の発達です。近代社会というのは、いわばドッグイアーで変化する、犬は人間よりも六倍早く年をとるということで、つまり近代とはそれまでの変化よりもずっと短い時間で変化を繰り返します。近代社会が三十年か五十年で非常に大きく変わるのはそのためです。急速に発展するが、衰退し、またうまくすれば再生へと、このサイクルを頻繁に繰り返すのが近代工業社会です。

 大英帝国は一九二〇年代、世界の四分の一の陸地、世界の人口の五分の一を支配していました。サイズ的には、今のアメリカと比べてもイギリスの方が一大世界大国でした。ただイギリスの海軍力が世界を圧倒していたのは十九世紀の終わり頃までで、一九〇二年、日英同盟を結んだ時点で海軍力の覇権に限界がきました。大英帝国が世界で最も大きな影響力を持った時代は一八五〇年ごろです。一八五一年、ロンドンで第一回の世界万国博覧会が開かれ、最新の先端技術やイギリスの領土にいる珍しい動物や民族が展示されて世界文明の心としての存在をはっきりと示しました。それが二十世紀に入って衰退の兆しが出てきて、一九四七年にインドを独立させたことで大英帝国はほとんど意味がなくなりました。終わったのは一九六四年、イギリス通貨、ポンドが世界通貨としての交換性を放棄したときです。翌年ウィンストン・チャーチルが亡くなり、その葬儀で、アナウンサーは繰り返し、われわれは過去の帝国を今見送っていると語りました。同じ年にビートルズが登場し、「ポスト大英帝国」の時代に入ります。八〇年代半ばのサッチャーの時代までの二十年間、イギリスは帝国を失い、新しい方向を見いだせないまま漂流していると言われました。

 しかし、今日のイギリスは立ち直って新しい世界の中でイギリスがどういう位置を占めるべきか方向感覚を取り戻しました。かつてのようではないが、世界の主要国としての地位を保ち、経済競争でも最先端グループで走り続ける方向を選び取りました。イギリスには「晴れた日のリベラル、雨の日の保守」という言葉があります。国の具合が悪いときには、保守政党にかじ取りをまかせナショナリズムをもって多くの問題を改革し、新しい出発を用意する。

 これはサッチャーがやったことで、サッチャー改革によって九〇年代、非常に調子がよくなりました。




※トインビーやシュペングラーなどの文明史家によると、一つの文明衰亡が衰退する時には、似通った特徴があるそうだ。その一つは人びとが精神性や宗教性を冷笑したり、ないがしろにするようになる。二つは人びとが本来の居場所から切り離され、根なし草のようになる。とくに農業を嫌うようになる。三つはメトロポリス(大都市)に人間が群がり、刺激的生活から離れられなくなるようになる。四つは自らの文化に背を向けて、すでに滅んでしまった異文明の遺産のようなものをわけもわからずありがたがるようになる…などなど。さていまの日本がそれに該当するかどうか、胸に手をあてて考えてみるとしよう。明治の日本を訪れた多くの西洋人は「日本人は確かに貧しいが、しかし精神の世界をしっかり持った国民だった」と書き残していた。それから百年、この国の国柄と人の気持ちはどうやら変わってきた。 続きは明日。
by sakura4987 | 2006-06-20 16:51

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987