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◆日本伝統の倫理感覚こそ「教養」の核


平成16年12月09日(木) 産経新聞  “時と場合”に抗した河合榮治郎

《「価値観多様化」の本音は》

 “価値観の多様化”が言われる。誇らしげな響きがあるが、いかがわしい一句と思う。価値観なんぞ荷厄介(にやっかい)だ、どうでもいいじゃないか、というホンネが裏に聞こえるのだ。

 冷戦たけなわの頃、「自由主義と共産主義の何れを選ぶか?」と意識調査で問われると、「時と場合による」という回答がよく出た。多様な価値観がそれぞれ確立していれば二者択一か両者とも否定となるはずだが、そうではなく“成り行き”によるのだった。だから、東側ブロックの崩潰(ほうかい)で冷戦が終ったら「共産主義はダメだ」となった。悪いからダメではなく、崩れたからダメというのだ。成り行きを見て是非を決める“時と場合”性向である。

 戦前も、例外的な日本人だけが“時と場合”に同調しなかった。昭和十年、美濃部達吉博士の天皇機関説を排撃した事件、翌十一年の二・二六事件と相次ぐ間に、時局の動向について是非を論ずる自由の封殺は決定的となったが、大勢は“時と場合”流で、これも時世(ときよ)時節と自分を納得させ、沈黙を守った。

《体系化した自由主義思想》

 その中で決然、総選挙に表明された国民の意思を一部軍人が蹂躙(じゅうりん)すべからず、軍人勅諭の教え(政治関与禁止)を厳守せよ、と昭和十一年五月の衆議院本会議の壇上に“粛軍演説”を展開した代議士斎藤隆夫と、外敵に向けるべき武器を国民に向け、少数者の暴力で国民多数を圧伏するクーデターを、間髪を入れず批判した東大教授河合榮治郎だけが、体を張って時流に抗した。二人は、成り行き本位でなく論理と主義主張を一歩も譲らぬ姿勢を敢然、公然と示したのだった。

 河合はこれら一連の言論が因となって、昭和十三年に四著書発禁、複雑な経緯の後に昭和十四年東大教授を辞任させられ、同年、出版法違反を理由に起訴された。「唯一筋の道」を直進した河合は、「損得の岐路に立ったら損する途を選ぶ」を信条とし、法廷で精力的に言論の闘いを展開する間に「有罪なら刑は重いほどいい。アメリカに占領された時、アメリカに強く物を言う立場が保証される」と昂然たる気概を示した。法廷闘争に燃えて精魂を傾け、心身を労したかれは、敗戦を待たず五十三歳で歿した。今年は河合榮治郎歿後六十年である。

 この時、「河合榮治郎研究会」など、河合の思想とスピリットを現代に生かそうとする人士の営みが続けられている。その重点は、一つは河合が唱道した自由主義の理解を広めること、もう一つはかれの教養主義を復権せしめることである。

 二・二六事件にも現れたファシズム模倣の風潮を拒否した河合は、他面、容赦なくマルクス主義を批判した人でもあった。自由主義か共産主義かを“時と場合”で決めない信念の人は、自由主義思想を独自の厳格な論理によって体系化した思想家であった。かれが戦後日本に健在だったら、国家の思想的バックボーンを失った現在の貧弱な姿への地すべりを阻止すべき、強力な理論的指導者として立ったであろう。歿後六十年を期した遠藤欣之助著『評伝・河合榮治郎-唯一筋の路』(毎日ワンズ社)などにより、自由主義者河合の真価の理解が広まることを期待する。

 また一方、超ロングセラーとなった『学生に与ふ』を、東大を去った直後に“国民の教師”として一気呵成に書きおろした河合は、その自由主義と不可分の「教養主義」を早くから唱道した人であった。

《教育改革に先人の精神を》

 ウィリアム・クラークの流れを汲んだ新渡戸稲造の教育は、広く日本の学生から社会人にも及ぼされたが、河合榮治郎も新渡戸に学び、感化された一人だった。「才能より品性」「内面を掘り下げよ」と説き、かつ「社会的実践」を重んじた新渡戸の人格主義的教養思想に導かれた河合は、「内面的人格の成長と社会・国家の発展の調和」を課題とした。

 「自己が自己を教育・陶冶(とうや)するのが教養」という河合の主張は、知識をアクセサリーにする種類の“教養”とは違う。片々たる情報や小手先の実用を万能とする現代の“高学歴無教養”の対極に屹立(きつりつ)し、自己を深めることと「世のため人のため」とを志向する日本伝統の倫理感覚を核心に持つ全人格主義である。

 若い学究が前著を改訂した松井慎一郎著『評伝・河合榮治郎-戦闘的自由主義者の生涯』(玉川大学出版部)も公刊されたいま、河合教授の生き方と思想に学び直せば、教育改革が根本とし主軸とすべきものは何か、あらためて腑に落ちるものがあるであろう。




※価値観の多様化という無節操な思考に、反論する人は意外に少ない。確かに思想の自由は大事だが、一つだけ見極めなければならないことがある。それは、その価値観が、理想へ向かう方向なのか、それとも堕落へ向かう方向なのかである。極端に言うと、善なる方向なのか悪なる方向なのかである。世の中はこの善悪がわからなくなってきたため、価値観の多様性と言われればすごすごと引き下がる人が多いように思う。価値観には明らかな善悪があるということは知っておいたほうがいいように思う。 

もう一つ上記の記事からいうと、私の様な意見を言うと、すぐ右とか右翼などとレッテルを貼られるが、真理に正直にあろうとする人間にとっては右とか左とかどうでもいいのだ。何が真実で、何が正しく何が人を幸せにするかにだけ関心があるだけだ。基本的には保守側に傾く時が多いのも事実だが、何においても、冷静に大所高所から判断するようには心掛けているし、そのために思想書や宗教書を読むように心掛けている。哲学者においても、明らかに「時代の子」という人が多いのだが、それがわからずに、これこそ間違いないと思って活動を続けている人を見ると、その視野の狭さは見るに忍びないものがある。 
by sakura4987 | 2006-06-20 17:13

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