人気ブログランキング |

★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆【阿久悠 書く言う】父の値打ちは

平成16年8月28日(土)産経新聞

父の値打ちは父自身が信じることで上目遣いに子を見ちゃ駄目だ


 もうずいぶん前から、父という存在も役割もなくなっている。あったとしても、最も憐れむべき人間として、ギャグに使われるか、無用の長物に代わる邪魔物の代名詞として、持ち出されるくらいのものである。細々と息を吸い、ホロホロと泣き、等身大の影の中で辛うじて生きている。

 テレビが家庭に入って来た五十年前、茶の間の上席をこの電気箱に譲ったところから悲劇が始まって、決定打は給料が銀行振込みになったからである。前者で、唯一社会とのパイプを持っているのが父であるという尊敬の立場をテレビに奪われ、後者で、月に一度の具体的感謝の儀式を消された。どんなに軽視されている父も、月給日だけは、家族そろって迎えられた。

 社会的尊敬と経済的感謝を知らん顔されたら、もう父が権威者として振舞うことは出来ない。それから約半世紀、父は父であることの誇示を諦め、父らしくなく振舞うことで、辛うじて家庭内に滞まろうとしたのだが、これが予想を超えた大失敗、友だちのような父親像は単なる媚(こ)びにしか見えず、友だち以下にされてしまうことになる。

 そりゃあそうだろう、友だちのような父親なんて半端なものは胡散(うさん)臭いだけで、友だちが必要なら、友だちの中から選ぶのである。

 家庭の中で父の影が薄くなると、やがて社会の中で父のためにキープされていた場がなくなり、それは、国の中の父型思考で支える部分もなくなり、何とも、フニャッとした国にしてしまうのである。

 思えば、家庭内に入り込んで来たテレビと、給料が銀行振込みで支払われるようになったただそれだけで、こんなに変わるのだから恐ろしい。

 さて、そんなこんなが前段にあって、もうすっかりこの世から、父と自覚する人も、父と名乗る人も、父であることを誇る人もいなくなってしまったのかと諦めていたら、そうではなかった。父はいたのである。しかも、この父たちは、友だちのようななどという甘い言葉で、責任回避をしない堂々の父たちであったのである。

 アテネのオリンピックは、開幕早々から日本の勢いがよく、メダルラッシュ、ゴールドメダリスト、シルバーメダリストが連日誕生しているが、実に、この彼ら彼女らの多くが、父という存在を意識することによって、今日を為した。名前を書き出せばあの人もこの人もということになるほどだが、父がキーワードになった。

 メダリストと父の関係はそれぞれで、星飛雄馬の父もいれば、子獅子を谷につき落す親獅子のような父もおり、また、夢を託して見つめるだけの父もいる。いずれにしても父とは、壁になって跳ね返すか、海になって揺さぶるか、そういうもので、それがわかったいい五輪である。(あく・ゆう=作詞家、作家)
by sakura4987 | 2006-06-21 11:59

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987