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◆教育にとって「強制」とは何なのか

平成12年11月10日(土) 産経新聞

◆関わるのを避ける風潮

 これから教育界では「強制」が論じられることになるだろう。

 戦後の日本人は、「強制」を教育現場に持ちこむことに、非常に臆病になっている。たぶん戦前の強制や管理教育に懲りて、ナマスを吹いているのが理由の一つ。未消化な民主主義がその傾向に加担しているのも否めない。

 さらに個性尊重と個人主義も、子どもの自由や個性を重んじるあまり、一つの枠に縛りつけたり、型にはめたり、無理強いすることに、抵抗感を抱かせるもとになっているにちがいない。

 もう一つ、もっとも大きな原因としてあげたいのは、他者と関わることを避けようとする風潮である。ここではコミットメントという英語を当てたいが、辞書を引くまでもなく、これは、義務・責任を意味するオブリゲーションと、献身を意味するディボーション、参加を意味するインボルブメントが内包されたことばである。いずれをとっても、現代の日本人が、自分の気儘さを優先させたいがために、もっとも背負いこみたくないと思っている生き方ではあるまいか。

 木枯し紋次郎が登場するのは一九七〇年代半ばである。それまでの股旅物とちがって、うざったい義理人情に縛られず、一匹狼であることが人気の秘密だったと思う。どの物語においても、紋次郎は結局深く関わってしまうのであるが、「あっしとはなんの関わりもねぇことでござんす」というニヒルなことばが独り歩きしたのも変わりつつあった戦後の日本人の心情にぴったりであったからだろうと思える。

 ◆スイッチとコンビニ

 他者と関わらずにすむことを可能にし、それに拍車をかけたのは、生活を機械化した技術革新と、大量生産大量消費社会である。極端にいえば、人は誰とも直接に関わることなく、スイッチとコンビニで、日々暮らすことが可能である。老後の介護はロボットがやってくれそうだ。そのあげく、家族とさえ関わるのがへたになり、おっくうになった。

 他人に関わって、なにかを強制するには、当然いやがる相手を無理強いしなければならない。たいへんなエネルギーを必要とする。それよりも一歩も二歩も引いて、本人の自主性を尊重しようとかっこよくいったほうが、どれほどらくであろうか。

 ところで、子どもの立場になってみれば、強制されないのは、手抜きをされたことになる。主体性の尊重という美名のもとに、放っておかれているのだ。傷つかないはずがあろうか。

 臨時教育審議会の答申の中には、適時性を踏まえて、という表現がしばしば登場する。ものを習い身につけるには、それぞれの適切な時期があって、これをはずすと手遅れになり、取り返しがつかないことを強調している。自由に捨て置かれて、もはや取り返しのつかなくなった子たちが十代になって非行という形で大人たちに復讐しているのかもしれないのである。

 「強制」を論じるときには、この適時性が踏まえられなければならない。この視点が抜けてはおかしなことになってしまう。幼児に対しては、しつけはつねに強制の姿勢が求められる。判断力のない子に自主性もなにもあったものではない。しかし、年齢に応じて、強制の場面はへっていくにちがいない。教育の最終目標は、自主性を育(はぐく)むことである。強制されなくても、自ら判断し、もっともよい決定を下せるような人格を形成するのが、教育の目指すところである。

 したがって「強制」と「管理」とは似ているようで、決定的に異なる。管理とはこちら側の都合で相手の自由を制限するのだから。

 ◆米国でも事情は同じ

 最近わたしが訳したアメリカの親業(おやぎょう)についての本でも、「強制」にかなりのページを費やしているところを見ると、アメリカでも家庭教育で一ばんつまずくのは「強制」できないことだ、とわかる。

 さて、最後に問題となるのは、子どもになにかを強制するにあたって、強制する側、すなわち親や教師に、ゆるぎない信念があるかどうかである。人間かく生きるべきという、歴史と伝統に裏打ちされた道徳観や夢や希望。そして自分が強制することに従ってほしいと願う自信と自尊心が、日本人にあるだろうか。バスジャックの十七歳の少年の父親は、説得する自信がないといって、ついに出てこなかったではないか。

 アメリカの子育ての本にまた戻るが、「よくやったわね、あなたは自分を誇りに思っていいのよ」という掛けことばが目立つ。私たちにはあまりにも耳慣れないほめことばなので、日本語に訳すと不自然に響くのが気になったほどである。それだけに、アメリカ人が自尊心を育てることにいかに価値を置いているかがよくわかる。たしかに、自尊心こそ「生きる力」のもとである。

 私たち日本人は、戦後五十年かけて、自尊心を失ってきた。これを取り戻すのに、この先五十年かかるかもしれない。だから家庭や学校の教育の場に「強制」を持ちこむのは容易ではないだろうと思う。子どもに何かを強制できる人間として大人のほうで目覚めなければならないのだから。



※子育てに必要なことは、親が信念を持つことだが、本来は信仰に裏打ちされた信念が最も良い。日本人から信仰がなくなったことと、今の教育や社会情勢の荒廃は比例する。「自分探し」と言うが、自分探しをすると、「神との出会い」と「先祖との出会い」が必ずあるものだが、そこまで深く考える哲学者や宗教家は少数だ。よく目を凝らして見てみると、こんな世の中にも範とする師はいるものだ。
by sakura4987 | 2006-06-21 12:18

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