人気ブログランキング |

★★★ 日本再生ネットワーク 厳選ニュース ★★★

sakura4987.exblog.jp
ブログトップ

◆サハリンの同胞を救った夫婦 朴魯学・堀江和子(2)


平成16年9月28日(火)産経新聞

 こうした出来事もショックだったが、朴の心は別のことで重いままであった。韓国に残した妻子のことは和子にまだ話していない。そして、何よりも、サハリンに残ったままの一万人近い朝鮮半島出身の同胞のことを考えると、胸が詰まった。このとき、帰国を認められたのは日本人妻を持つ男性だけだったからである。

 朴は後にこのときの心情を和子に打ち明けている。

 「(二人の妻を持った)自分は罪深い人間だ。せめてもの罪滅ぼしのために、(サハリンに残っている)韓国人を助けたいと思ったんだ」

 朴は帰国船の中で、韓国の李承晩(イスンマン)大統領(当時)にあてて、サハリンの同胞の帰国を訴える嘆願書を書いている。これが、三十年続くことになる帰還運動の第一歩であった。

                 ◆◇◆

 サハリンの朝鮮半島出身者はこのときなぜ、帰国を認められなかったのだろうか。その答えを探す前に、彼らがサハリンに渡った経緯を振り返ってみたい。

 朝鮮半島出身者には、大きく分けて三つのグループがあった。(1)大正時代から戦前にかけて樺太開拓のために入植した(2)戦時中、主に朝鮮半島南部から募集や官斡旋(あっせん)、徴用などで渡った(3)戦後、派遣労働者などとして現在の北朝鮮地域、ソ連(当時)の中央アジア地域などから移住した-の三つである。

 この問題で日本の責任がないとはいわない。ただ、「四万三千人が強制連行された」「日本人が朝鮮半島出身者だけを置き去りにした」などという指摘は事実ではない。

 まず、約二万人とされる(3)については戦後のことであり、もちろん、日本とは何の関係もない。(2)については、日本時代に戦時動員である徴用で樺太に渡り、戦後、帰国できなかったケースは確かにある。ただ、『サハリンの韓国人はなぜ帰れなかった』を書いた新井佐和子(七四)は、日本、ソ連側の公文書などを検証し、当事者からも聞き取り調査をした上で、「高賃金に魅力を感じて自ら行った人が多く、樺太の場合、徴用は少なかった」と指摘している。

 ちなみに、朴が昭和四十二(一九六七)年に、同胞の帰還希望者の名簿を完成させたときの人数は、家族を含めて約七千人だった。

 こうした朝鮮半島出身者の多くは、南部地域(現在の韓国)の出身者であったが、終戦後、ソ連当局によって「無国籍者」に分類されたことは、すでに述べた。当時ソ連と韓国は国交がなかった。後にソ連籍や友好関係にあった北朝鮮籍を取るものもいたが、ごく一部を除いて、サハリンから出ることは認められなかった。

 冷戦時代、現地では住民同士の密告や監視もあり、軽々しく、西側への帰国の希望を口にすることもできない。

 そして、何よりも、関係各国(ソ連、韓国、日本など)がこの問題に無関心だったことが、解決を大きく遅らせてしまったのである。

 国会議員としてこの問題に長く取り組んできた参院議員(公明党副代表)の草川昭三(七六)はこういう。

 「本来は、戦争が終わったときに、彼ら(サハリンの朝鮮半島出身者)のことも、きちんと決めておかねばならなかった。それなのに彼らの存在は忘れられ、ほったらかしにされた。そして、だれも(どこの国の政府も)責任を取らず、長らく外交交渉の対象にもならなかった」

                 ◆◇◆

 日本へ着いた朴と和子は、こうした厳しい状況の中で頼る人もなく、まさに徒手空拳で、帰還運動を始めたのである。

 外務省、法務省、日本赤十字、関係各国の在外公館…。朴は来る日も来る日も出かけて協力を訴えたが、最初は相手にもされない。「戦争でも起きなきゃ無理だ」といわれたこともあった。

 運動を優先するので、自分たちの生活は後回しになる。住居は六畳ひと間の都内の引き揚げ者用の寮。朴は日給五百円の日雇い労働、和子は縁日で売るおもちゃのお面にひもをつける内職を見つけてきたが、二人合わせても一日七百円程度にしかならない。

 生活保護も受けたが、お金は常にぎりぎり。その上、帰還運動もやるのだから、寝る時間もない。ましてや、子供たちと遊んでやる時間も余裕もなかった。後には両親の運動を手伝う長女の蘭子(五五)がいう。「何も買ってもらえず、がまんばかり。なぜ、こんな境遇に生まれたのか、と泣いたこともあります」

 サハリンからの引き揚げ者は、みんな自分たちの生活を守るのに精いっぱいな時代だった。

 昭和三十四年に帰国した山口サハは、子供を学校に連れていくと、日本語が分からないため、実際より二つも下の学年に入れられた。クラスメートからは、「(南極物語の)樺太犬のタローとジローだ」といじめられたという。

 引き揚げ者のところへは、例外なく公安担当の刑事が訪ねてきた。共産圏に住んでいたので、それとなく思想面のチェックに来たのである。

 余談になるが、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)も熱心に勧誘にきた。ちょうど、在日韓国人や日本人妻を対象にした北朝鮮への帰国事業が始まるころだ(三十四年)。サハリンにいて北朝鮮のひどい実態を知っていた朴と和子は自分たちと正反対のことをやろうとしているのに驚いた。

 朴は外務大臣にまで面会を求めて、事業の中止を訴えたが、聞き入れられなかった。このとき朴の主張に耳を傾けていれば、北朝鮮へ行った在日韓国人と日本人妻の悲劇もなかったのである。




※この当時から政治家は自己保身のかたまりだったのかと。ギャル語で言えば「自己中」以上の「セカ中」とか。自分を中心に世界が回っていると思っている人だそうだが、今回の拉致協議でも同じことの繰り返し。経済制裁も視野に入れて、一度くらい席を蹴って、テーブルをひっくり返しての帰国をしてもらいたいものだ。 
by sakura4987 | 2006-06-21 13:10

毎日の様々なニュースの中から「これは!」というものを保存していきます。


by sakura4987