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◆【凛として】(82)八田一朗(1)剃るぞ!


「生えそろうまでトイレや風呂に入るたび反省するだろう」

再起誓い、選手ばかりか指導者

 一九六四(昭和三十九)年十月、東京五輪のレスリング会場となった駒沢体育館は、五個の金メダルに沸いていた。

 屋内競技場なのに、次々にメーンポールにあがる日の丸は見事にはためいていた。実は側壁に取り付けられた送風機から、風速五、六メートルの風が送られていたのだ。

 表彰式が終わると、一人の男が胴上げされて、美しい白髪をなびかせながら宙を舞った。日本のレスリングの育ての親であり、日本アマチュアレスリング協会(現日本レスリング協会)会長を務める八田一朗だった。

 「八田イズム」と呼ばれるスパルタ教育で選手を鍛えあげ、ふがいない負け方をすると、頭の毛ばかりか、下の毛まで剃った。

 あれから四十年。さすがにそっくり同じに、というわけにはいかないが、アテネ五輪でレスリング王国を再建する決め手として、関係者が口をそろえるのが、「八田イズムの復活」だ。

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 東京五輪で金メダルを取ったのは、フリースタイルのフェザー級の渡辺長武(おさむ)、バンタム級の上武(うえたけ)洋次郎、フライ級の吉田義勝、そしてグレコローマンのバンタム級の市口政光、フライ級の花原勉の五人。

 このうち、八田が安心して試合を見ていられたのは、「アニマル」の異名をもち、当時百六十八連勝中だった渡辺だけだったろう。

 前評判の高かった市口は、直前の練習で右足首をねんざした。

 「パーフェクトな試合がしたかったけれど、あきらめて勝負に専念しようと思った」

 五回戦のチェコのシュベツ戦でも同じ場所をひねったが、一本背負い、タックルを決めて判定勝ち。結局市口を除く全選手が失格したため決勝リーグを待たずに優勝が決まった。

 上武の試合はさらに壮絶だった。決勝リーグの初戦、前年の世界王者イブラギモフ(ソ連)を破ったものの左肩を半脱臼。これまで日本選手が誰も勝てなかった次のアクバス(トルコ)との一戦では完全に左肩がはずれた。防戦一方になり、ポイントを先行されるが、左足タックルから立て続けにバックをとって逆転した。

 八田はよほどハラハラしたのだろう。上武にバンカラな八田らしい祝福の言葉を贈った。

 「お前の試合見ていると金の玉が上がったり、下がったりするから、健康によくない」

                  □■

 八田にとって東京五輪は、日ごろマイナー扱いされているレスリングが主役になれる最高の舞台だった。そして金メダルゼロに終わった前回ローマ五輪の雪辱を期す背水の陣でもあった。

 ローマでは、八田の命令で、帰国後結婚をひかえていた選手をのぞき、役員、コーチ、選手全員が丸刈り、そして下の毛も剃って再起を誓った。このときから、八田の「剃るぞ!」は、レスリング界の名物となった。

 市口も二回剃られた。

 「一回目はローマのとき。初めてだから剃り方がわからなくて、ずいぶん血が出た。二回目は東京五輪前の合宿で、寝坊して朝のランニングをさぼったとき。八田会長も、そのころは相当心配だったんじゃないかな」

 なぜ、下まで剃るのか。八田はいう。「生えそろうまで三カ月ほど、トイレや風呂に入るたびに、反省するだろう」。

 野蛮ではあるが、男所帯ならではのユーモラスな罰ともいえる。「指導者と選手が一体となっていたからできたことでしょう。今の時代にはあいませんが」と市口もどこか懐かしそうだ。

 もちろん「八田イズム」のユニークさは、「剃る」ことにとどまらない。

 (1)いつでもどこでも寝られる訓練。夜中にたたき起こして顔を洗わせ、またすぐ「寝ろ」と布団に戻す。あるいは電灯をつけたままマットで寝かせる。どんな悪条件でも寝られる神経の太さがなければ、大舞台で力が発揮できないからだ。

 (2)左右平均論。右利きなら、左手ではしを使ったり、字をかく練習をする。左右どちらからでも、同じように技がかけられるようにするため、日常生活から変えていく。

 (3)自己暗示。五輪本番が近づくにつれ、選手たちは「ポールに日の丸が揚がる夢を見ろ」とハッパをかけられた。

 いずれも、八田が若き日に打ち込んだ柔道のほか、世界各地の武道を学ぶなかで独自に編み出したものばかりだ。

 東海大学教授を務める現在の市口からみても、八田のトレーニングは科学的な意味があるという。市口は一度だけだが、五輪直前に日の丸が揚がる夢を実際に見ている。

 「ライオンとにらめっこ」というのもあった。ローマ五輪の前に、八田は選手を上野動物園までランニングさせて、「ライオンから危険距離の測り方を学ぶ」ために、檻(おり)ごしににらめっこをさせた。

 もっとも、ライオンは居眠りしていて、なかなか目をあわせてくれなかった。「さすがにこれは新聞記者を集めるためでしょう」と市口は笑う。

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 八田は揮毫(きごう)を頼まれると、「闘魂」あるいは「根性」と書いた。東京五輪で同じく「時の人」となった女子バレーの大松博文監督の言動とあいまって、「根性」はブームになった。しかし、苦しい鍛錬と技術の積み重ねを忘れて、「精神力」のみで勝つことが「根性」だとする世間の風潮を八田は嫌った。では、八田のいう根性とは何だったのか。

 東京、メキシコと五輪連覇を果たした後、小幡(おばた)姓になって栃木県内のホテル経営に専念している上武に聞いた。二つの金メダルは故郷の町に寄贈し、最近はオリンピックにそれほど関心はないというが、「根性」について語るときは、言葉に力が入った。

 「一言でいえば、最後のひとふんばりが出るか、どうかということ。東京五輪まで七年間、レスリング以外何もやらなかった。練習を休みたくないから修学旅行にも行かなかった。払った犠牲の大きさでふんばりが出る。命を削るほど努力を積み重ねてこないと、ここ一番の特別な力は出ない。だからオリンピックで勝つのは大変なんだ」

平成 16年 8月 2日[月] 産経新聞
by sakura4987 | 2006-06-21 16:22

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