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◆先人に学ぶ

 八田はさらに、英語の勉強を奨励し、テーブルマナーにもうるさかった。海外遠征に出たとき、食事の席にジャージ姿でつくことを許さず、社会人はネクタイ、学生は学生服姿を義務付けた。そして、食事中にスープの音をたてて飲んだりすることを何より嫌った。

 「選手個人が恥をかくのならいいが、レスリング全体、および日本人が恥をかくのは許されない」からだ。

                 ■□■

 八田は、日本人がしばしば外国人に卑屈な態度を取ることを嘆いていた。郷に入(い)っては郷に従い、常に相手の国から学ぶ姿勢を崩さなかったが、日本人としての誇りを忘れることはなかった。

 メキシコ五輪の前に行われたFILAの総会で、会計のずさんさを追及したため、八田が“村八分”状態になったことがある。大会が始まっても、いつになく審判の判定は日本にばかり厳しかった。それでも「誰にでもわかるフォール勝ちすればいいんだ」との八田のハッパに、選手たちは奮起、東京五輪にはおよばなかったが、金メダル四個を獲得している。

 東京五輪の後、参院議員になってからも、八田の姿勢は変わらない。当時、八田の秘書をしていた今泉雄策(現日本レスリング協会常務理事)の記憶によると、昭和四十三年ごろのことだ。

 北朝鮮へのスポーツ使節団の団長に選ばれた八田は、突然、当時の自民党幹事長の田中角栄に呼び出され、「言動には気をつけるように」と釘をさされた。後に田中派幹部となる奥田敬和は早大レスリング部出身。八田の性格を知っているだけに田中の耳に入れておいたのだろう。

 「ご趣旨はよくわかりました」と頭を下げた八田だったが、北朝鮮の博物館で天皇陛下の写真がわざと粗末にみえるように隅っこに置いてあるのを見て、激怒する。そしてその夜の歓迎会でこんなスピーチをしてしまうのだ。

 「われわれ日本人がもっとも尊敬する天皇陛下の写真を粗末に扱って大切な客をもてなしているとは思えない。このようなことをするなら貴国は友人とは思えない」

 次の日、八田だけが列車に乗せられ、北京に送り返されてしまう。八田は帰国してから「残ったやつらは誰も同調しなかった。北朝鮮にまるめこまれたバカなやつらだ」と今泉たちに怒りをぶちまけていたそうだ。

 もともと四角のレスリングのマットが、現在のような円形になったのは昭和四十六年。八田の提案をFILAが受け入れたものだ。八田の頭に相撲の土俵のイメージがあったことはいうまでもない。

平成 16年 (2004年) 8月 4日 水曜日 産経新聞
by sakura4987 | 2006-06-21 16:22

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