◆イチロー大記録 大きな夢を与えてくれた
素顔頑固で几帳面 「ものすごい努力」見せない美学
≪365日≫
「天才」と称されるイチローだが、彼を知る人は「才能だけじゃない。野球に対してものすごく努力する男」と口をそろえる。
豊山町立中時代、野球部の監督だった橋本伊佐美さん(四七)は「走らせれば彼より速い子がいたし、打たせればもっと飛ばす子もいた。彼は練習後もバッティングセンターに通った。継続が目に見えない力になったのではないか」と振り返る。
愛工大名電高時代、全寮制の野球部の寮の敷地内に木を植えても育たない場所があった。「昔は墓地だった」ともっぱらのうわさ。そこで夜中、「シュッ、シュッ」という音が聞こえてきた。
「幽霊がいる」。部員の話に監督の中村豪さんが見に行くと、素振りをするイチローがいた。
「努力は人前ではできない。彼の美学だ」
プロ入り後、イチローは周囲に「ぼくは子供たちに練習のつらいところを見せたくない」と話した。子供には夢を見せてやりたいという気持ちだった。
オリックスの試合中、球場を訪れた人が「試合が終わってからお会いしましょう」と申し出ることがよくあった。当時の球団代表、井箟重慶さんは「ものすごく社会的地位の高い人が面会にきても、彼は待たせた。こっちが気を使うような人でも」。試合後、ロッカールームに戻って最低三十分、体の冷えないうちにウエートトレーニングをするためだった。
夜もどんなに遅く帰宅しても、トレーニングを欠かさない。井箟さんは「プロだからトレーニングは当たり前だが、三百六十五日は徹底できない。ふつうの精神力では、まねできない」と言う。
阪神大震災のため、仮設住宅で不便な生活を強いられていた被災者を励まそうと、神戸市に本拠地があるオリックスの選手たちが年賀状を出したことがあった。イチローはこう書き、仮設住宅の人たちを元気づけた。
《人は必ず障害に出会う。誰もが負けそうになる。そこで頑張れる人間になりたい。前向きな姿勢で夢を持って歩きたい》
≪道具≫
■「大事にしないといいプレーできない」
「マツイ(松井秀喜)と比べ、自分の世界に入っていてフレンドリーさはない。もう少しフレンドリーさがあってもいいのでは」。マリナーズの本拠地があるシアトル市のスシバーの中国系店長、リンさん(四六)はこう話す。
性格は「頑固でやんちゃで、大の負けずぎらい」(宣之さん)。几帳面でもある。スポーツ少年団の指導者だった水野敏正さん(七〇)は、自宅で合宿させたときのことが忘れられない。「イチロー君は寝る前にグラブも油を塗って、靴下もきちっと枕元に畳んでね」
高校時代も練習後、ロッカールームの作業台でグラブの土を落とし、手入れをして一日が終わった。中村さんは「大リーグでもファンの子供たちに『道具を大事にしないといいプレーができないよ』と教えていた」。
ニンジンやセロリなど繊維質の野菜は大嫌いで、タン塩が好物と偏食気味の夫を支えてきた。
試合後の記者会見。「弓子はずっと近くにいて、苦しいこと、悲しいことも分かち合ってきた。今夜は(愛犬の)一弓(いっきゅう)も一緒に、いい時間を過ごしたい」と話した。
どちらかといえば、寡黙で職人肌といえる。マスコミに対するサービス不足を指摘されることも多い。
だがその陰で、普段からいかに努力を重ねているか。そのことは、アテネ五輪の柔道60キロ級で三連覇した野村忠宏選手が、一度柔道から離れて渡米中に、イチロー選手の野球に取り組む姿勢に接し、再び頂点を目指すことを決意したという逸話からもわかる。
こうした愚直ともいえるきまじめさ、不屈の精神は日本人が受け継いできた美徳といってもいい。今回の快挙は野球界に限らず、どの分野でも日本人の特質を生かしていけば、世界で生きていけることを示したといえる。そのことを心に銘記すべきだ。
※今年は世界一を何人も見たが、やはり世界一はすごいと思う。自分以外はすべて師としての、学ぶべき点が多かった。目標を持ち、いかなる障害があっても成し遂げる、その精神力をこそ身に付けたいと思った。何事であれ、高度な事を達成しようとする人はストイックな生き方を要求される。高度な目標を達成するには、捨てなければいけないものがある。何も捨てずに成就する事はない。