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◆豊かさに流されていないか

平成13年08月12日(日) 産経新聞

 「日本人の顔はもう駄目だ。締まりがない。ふやけきってる。肉体はもっとあかん。ブヨブヨしてます。これじゃー、ろくな映画は撮れん」

 いま現在のセリフではない。昭和五十二年夏、「青春の門 自立篇」を撮り終えた浦山桐郎は端正な顔をしかめた。「キューポラのある街」「非行少女」などの寡作監督は熱烈な阪急ブレーブス・ファンであり、サンケイスポーツ大阪版で隔週火曜日、応援コラム「Oh太鼓 Ko太鼓」を連載していた。

 当時、サンケイスポーツで阪急担当だった私が原稿を受け取っていたのは、遠征先の東京。大沢啓二親分率いる日本ハムの本拠地、後楽園球場であり、カネやん(金田正一監督)ロッテの準フランチャイズ、川崎球場であった。この年、長嶋巨人を一蹴して三年連続日本一を果たす阪急は上田利治が率いていた。

 あの頃の蒸し風呂のようなスタンドが懐かしい。いつも食べずにひたすら飲むだけ。過度の飲酒で痩せたウラさんは巨人一辺倒のマスコミに警鐘を鳴らし、「もっと阪急を取り上げよ」と小さく優しい字で力説していた。両球場ともにいまは取り壊され、浦山監督も亡い。

 「しかし、考えてみれば黒澤明さんたちはラッキーだった。あの時代には研ぎ澄まされたような頬、これ以上痩せようとしても痩せられない肢体、そして地獄を見た暗い輝きの瞳。そんな物凄い俳優がゴロゴロしてたんだから。主演だけじゃないよ。エキストラでも質が違うんだ。とにかく群衆シーンの迫力が」

 第二次世界大戦で乱離骨灰となった日本。それを物ともせず迫真力溢れる映画を次々、撮った大監督の名がサラリと出た。黒澤監督より二十歳後輩のウラさん。「大きく出たなー」とは思ったが、確かに戦後間もなくの製作現場には極限の恐怖と対決しながら武器を取った人々、戦禍の中で究極の飢えを体験した人々が日常的に存在したのだろう。

 「どの民族が戦争に強いのか?」(三野正洋著・光人社刊)によると、歴史上、最も死に物狂いで戦った民族は先の大戦の日本人とロシア人ではないか、と言う。無数の死を見つめざるを得なかった戦争体験者たちの醸し出す迫力、気配のすさまじさはスクリーンを通しても、到底、ろ過できまい。それを見つめる観客のまなざしも同様だったろう。「製作者にとって二度とない時代だったんです」と浦山監督は言った。

 あれから二十年以上経つ。いま、日本人の顔はどうだろう。茶髪とピアスの男性は珍しくもない。電車内での女性の化粧も、ありふれた光景となった。もはや誰も怒らない。「まだ甘い」と先輩記者。「いまや若い男も車内で整髪やメークしてるがな」

 「緑の黒髪」はどこへいった。身体髪膚を父母に受けたのではないのか。太陽がおでこに張り付いているような素朴な子供たちよ、復活せよ。日本人は顔から直そうではないか。

 やめておこう。昭和三十年代前半、私は山陰地方の小学生で毎日、野菜中心の食生活。高校生になっても栄養不良性の悪性貧血、と指摘された。「蛋白質が足りないよー」の典型例が五十三歳となり痛風に悩んでいるのだから。

 父は食品卸問屋の運転手であり、家は大変、貧しかった。それでも、酒を飲んだ。母の言い付けで黄昏時、ガラス瓶を携え、使いに出る。二合とか三合、量り売りで購入した。日本酒ではない。もっと安い合成酒だ。いずれも大仰で派手なラベルだった。「これは普通の酒と違い、化学的だから、健康にいい」とは父の悲しき主張であった。

 父は日中戦争において満州、北支をトラック部隊の運転兵として転戦した。その後、航空整備兵としてラバウルに行った。乗り合わせた輸送船が米潜水艦に沈められ、南洋の海を漂った末、上陸。一式陸攻、九六陸攻などの整備を担当したという。

 しかし、酔って戦争体験を語るとき、なぜか食べ物のことばかりだった。

 ラバウルでは米軍の空襲をかい潜って、兵士たちは必死に釣りをしたという。小魚と現地の人々から手に入れた野菜を入れた雑炊を防空壕で作ったという。

 「煙が出てはいけん。苦労した」。身ぶり手ぶりをまじえての調理法、食事の様子は子供心にも「煙たい雑炊」の味が脳裏に浮かび、腹が減って困った。食い意地が張っていたのか、それともよほど韜晦(とうかい)していたのか、ついぞ戦争自体を語らない父親だったが、昭和十八年二月に実行されたガダルカナル島撤退作戦に話が及ぶと、毎回、威儀を正し、姿勢と言葉を改めた。

 「餓島(ガ島)とはよう言ったもんだがネ。ラバウルに上陸してきた兵隊はそろって骨と皮だ。それに何ちゅうか、皆ボロボロでのー。黒ずんじょるというかなー。同じ人間がここまで傷むかのー」

 三次にわたる撤退作戦で陸海軍兵士約一万人が収容された。戦死、戦傷病死は約二万人。撤退してきた兵士全員が、生きて故国の地を踏むことのなかった戦友の無念を背負っていたのだろう。「ラバウルだから、生きて還れた」

 語り終える頃、合成酒がゆっくりと回る。そして父は眠りにつく。昨年は地元小学校で体験談を語ったそうだ。





※NHKの大河ドラマ「新選組」で、新選組の結成がなされるのは、なんと全50回放送のうちの25回目だった。普通は、新選組の結成から始まるのだが、実は、今の役者の顔が甘くて役作りができず、初めから幕末の雰囲気の中に出せないのだそうだ。 そこで、徐々に殺気を持つように、パロディーを入れながら回数をこなす必要があるのだそうだ。確かに「七人の侍」の三船敏郎さんや、昭和30~40年代の頃の大河ドラマの役者さんの、気あふれる表情に比べると致し方ないのだろうが、これも社会の雰囲気に「気迫」や「緊迫感」がない証なのだろう。 

しかし、自省してみるに、社会に責任転嫁ばかりしていられないと思う。日々、新たな知識を学んでいる人、あるいは古き知識を温めている人、また日々、少しずつでも努力・精進しているならば、その姿や顔に風格と風韻が現われて来ると言うし、一方、「三日も書を読まず学びをしなければ、その顔を見ただけですぐにわかる」と言う。このように、精神に刻印されたものは、必ず外側に現われてきて、隠すことはできないということをよく知って、私自身も自分の顔つきにもう少し責任を持って生きていかねば・・・と思った次第だった。 
by sakura4987 | 2006-06-21 16:33

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