◆秋の叙勲 走り続けた努力結実
平成16年11月03日(水) 産経新聞 3人の喜びの声
「走り続けてきただけ…」「一生勉強」-。3日付で発表された秋の叙勲。栄誉を受けた人たちは、それぞれ長年、歩き続けてきた道を振り返りながら喜びをかみしめた。栄えある受章者の中から3人に喜びの声を聞いた。
≪旭日重光章 ユニ・チャーム会長 高原慶一朗さん(73)≫
■ベンチャー企業育成へ情熱
「一生勉強、一生危機感。そして一生感動で、一生青春や」
二十九歳で製紙会社を脱サラして独立し、生理用品や子供・大人用紙おむつで国内首位、世界三位の企業を一代で築き上げた立志伝中のベンチャー経営者。「新産業・新事業の創出」の事績で初の受章となった。
独立二年後、建材事業から生理用品の開発・販売へと業態転換した昭和三十八年当時は、女性の社会進出にさまざまな制約があった時代。いち早く「女性の解放と夢」を旗印に、生理用品だけでなく子供用のパンツ型おむつなど世界初の商品市場を切り開いてきた。
「自分だけが豊かになっても意味がない。元気な日本を復活させたい」との思いから、バブル経済崩壊後はベンチャー企業を育成する国の制度作りにも情熱を注いできた。「経営は人づくり」が信念で、社員ばかりでなく、次世代を担う若手起業家にも熱く優しい視線を注ぐ。
「人に惚(ほ)れ、仕事に惚れ、郷土(四国・愛媛県)に惚れる。そして国を愛す」
“人生の四惚れ”が導いた受章といえる。
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≪旭日小綬章 スペイン舞踏家 小松原庸子さん(73)≫
■フラメンコ新たな発見求め
秋のセビリアはフラメンコ色に染められる。新たな発見を求め、連日さまざまな舞台を視察していた小松原さんのもとへ受章の朗報が届いた。
「すてきな舞台をお見せしたいと走り続けてきただけ。それを認めていただき大変光栄です」
日本のフラメンコ界を四十年以上にわたり牽引(けんいん)してきた。フラメンコとの出合いは偶然だった。「昭和三十四年、新劇の俳優をしていましたが、おのずと安保反対闘争に巻き込まれ、少々うんざりしていました。そのときです、ピラール・ロペス舞踊団の日本公演を見たのは。こんなふうに舞台で燃焼したい、と切実に思いました」
すべてをなげうってスペインへ。昭和四十四年に自身の舞踊団を設立した。五十八年には堀田善衛さんの「ゴヤ」を下敷きに「ゴヤ-光と影」を創作、芸術祭大賞を受賞するとともに、スペイン公演で絶賛を博すなど、常に第一線で活躍を続けてきた。
座右の銘は「アウン・アプレンド(それでも私は学ぶ)」。ゴヤの言葉である。来年三月、「ゴヤ」を再演する。
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≪旭日小綬章 作曲家 市川昭介さん(71)≫
■人に幸せ与える温かい歌を
一五二センチの小柄。明るい人柄から“昭ちゃん先生”と親しまれる。「音楽文化にどう貢献できたのか、自分ではわかりません。歌謡曲を支えてくださるすべての人に感謝します」と受章の喜びを語る。
福島県郡山市出身で、工業高校卒業後に上京。「両親を早く亡くし、学費の工面ができず音楽学校への進学をあきらめました。音楽関係者のかばん持ちを十年続け、独学で作曲やピアノを勉強しました」
昭和三十六年、「恋しているんだもん」で作曲家デビュー。「恋は神代の昔から」「アンコ椿は恋の花」「絶唱」「さざんかの宿」「細雪」「大阪しぐれ」など作品数は三千曲を超える。平成八年に紫綬褒章を受けた。二年前に大病したが克服。「テレビで拝見した明るい人柄はお会いしても同じですね」「今度の歌、温かいねえ」という言葉が最大の賛辞という。
「若いときは情熱で作曲しました。この十年は詞を人になぞらえ、何をいいたいのかを聞き、この人をどういう音で幸せにできるかと問答しながら曲を書いてます。これからも今まで同様がんばっていきます」
※成功を求めていく背景には、あくまでも、「できるだけ多くの人びとの幸福のために、よい仕事をしたい。役立つ仕事をしたい」という志が前提になければいけないという事を教えてもらったコメントだ。自分さえ良ければ人はどうなっても良いという考えは、結局自分も他人も幸せにしない。各人が座右の銘を持って、努力精進を積み重ねて行こう。

